10.大きな街
荷馬車はガタガタと音を立てて走っている。
舗装された山道を登っていくと、道しるべが見えた。
『農業町ワライス』
『商業町ズクマティ』
来た方がワライス。
これから向かう隣町がズクマティか。
「もしかしてアテラ、字が読めるの?」
あ。
そうだった。
挿絵だけを見る振りをしていたんだった。
でも、これは謎の文字じゃない。
お父様、お母様が普通に扱っていた文字だ。
とは言え、字ばかりのページを眺めて「読めない」は、さすがに怪しまれる。
「うん、わかる」
ノアテラは少しだけ目を細めた。
「お利口さんじゃない。
一歳にも満たずに読めるなんて珍しいわ。話し言葉も、かなり理解してるし」
前世の人間ならば、異常とされただろう。
しかし私は四半獣だ。『お利口さん』でいってみよう。
「アテラ、文字、わかるよ」
「わからないことがあったら、私に聞いてね」
「うん」
……これなら挿絵だけ眺めているふりをしなくて済む。
私は本のページをめくった。
だが、荷馬車の揺れは読書にまったく向かない。
文字がぼやける。
少し読んだだけで目が疲れてしまった。
私は本を閉じ、代わりに揺れる景色を見た。
お母さんが言っていた。
『理不尽だけれど、穢れない心から穢れた心が、
穢れた心から穢れない心が生まれるのよ』
当時は意味が分からなかった。
でも今なら、少しだけ分かる。
まず、反デューナメースが
ノアテラにとって生きるための、一つの環境であるとする。
ノアテラが善意で私を導いているならば、
そこにつけこむ、セティを助けるため利用する私は、穢れている側だ。
ノアテラが打算で親切を装い、後で丸ごと奪おうとしているのならば、
それを疑い、抑え、距離を測ろうとする私は、まだ穢れていない側に立てるのかもしれない。
善意か打算か。
どこまでが本心で、どこからが仕掛けか。
きっとお母さんが言いたかったのは、
善意を大切にしたいなら、疑うこともまた善意に織り込まなければいけない
ということなのだろう。
……ノアテラの背中を見る。
この人を信じるしかない。
でも、信じ切ってはいけない。
出発から一時間ほど山道を登り続けた。
そこで丘を越えて、今度は下りに入った。
さらに、一時間ほど進んだだろうか。
木々はまばらになり、やがて視界が開いた。
ズクマティだ。
私は、大きく息をはいた。
眼前に広がる街並みは、もはや町というより都市に近い。
ワライスが山を切り拓いただけの農園集落だとすれば、ズクマティは台地が開発された街だった。
局所的に大きな娯楽施設のようなものまである。
これだけ密集できるなら、
デュナミスを利用した電気代替のインフラのようなものがあるのかもしれない。
「どう? 隣町は大きいでしょ?」
「おっきいねー」
私は、新しい世界の町並みから目が離せなくなっていた。
荷馬車は、ざわめきの大通りへ入る。
周囲は、歩行者と馬のいない馬車が入り乱れていった。
前を向くと、道の両脇にはおびたたしい数の店が並ぶ。
食材、惣菜、服、靴、アクセサリー、酒のようなもの、本、機械。
売り物も豊富だった。
色々な匂いもする。
焼いた肉。果実。花。油。獣の臭いに香水の匂い。
荷馬車の前進とともに、さわがしくそれを感じさせる。
物だけではない。
デュナミスが絡んでいそうな工作物の製作、住宅の斡旋、
飲食店、ゲーム店、傭兵の案内板のような掲示まである。
移動手段は意外にアナログだった。
汽車のようなものすら見当たらない。
ただ、ときどき空を飛ぶ者、それに運ばれる者がいた。
これらがほとんどデュナトスによって回っているとしたら。
凄まじい社会だ。
……そうだ。
ノアテラは「農業は限られたデュナトスが担っている」と言っていた。
それなら、生活必需品だけは少数のデュナトスが計画的に支え、
それ以外はデュナトスが関与しない自由経済として回しているのかもしれない。
そんな仮説が浮かぶくらい、この街は自然な活気があった。
そして、街を歩くのは動物人間ばかりだった。
鳥族。
虫族。
獣族。
蛇族。
書物で見た種族たちが、当たり前に歩き、交渉し、笑って怒って、売ったり買ったりしている。
……やはり、純粋な人間はいない。
「本当は街を回りたいけど、それどころじゃないわね。急ぐわ」
ノアテラの声で、私は現実に戻される。
「転移は予約済み。あの道を曲がって、大きめの関所のようなところ。そこで受付済ませたら着くからね」
「はーい」
ノアテラは、行動を丁寧に説明してくる。
性格だろうか。ところどころで妙に細かいところがある。
そんな記憶をたどっていると、デュナミスについてのやり取りを思い出した。
「おばあちゃん、アテラのでゅなみすは、なーに?」
私の『本当のデュナミス』。
コピーではない方は、何なのだろう。
「それは、わからない」
あっさりと返される。
「使えるイメージになったときに出るもので、一生発現しない人もいるのよ」
「わたし、つかいたい」
「そうねえ。先生が何か当たりをつけて見つけてくれるかも」
先生。
内面を読むほどにすごい人だったら、私の正体を見抜く可能性だってある。
例えば、思考を読むデュナミスなんてあったら、危険すぎる。
考えているうちに、ノアテラは関所で支払いを済ませた。
馬車は『転移専門 アスパ・バラ』という看板の敷地へ入り、広間で順番に並んだ。
待っていると、受付のような者が来て、ノアテラとやり取りを始める。
「ミアウォート。22.568、12.996。通常でお願いします」
ノアテラが数字を告げると、受付はメモを取り、
複写伝票のような紙を破って切符を渡した。
……その数字は何だ。
住所?
それともパスワード?
順番が来る。
前方には、七本の細い道が伸びていた。
そのうちの一本へ、馬車が進み出す。
道幅が妙に狭い。
車輪が少しでもずれたら落ちそうだ。
私は思わず右側の路肩に視線を固定する。
落ちそうだ。
馬車がもう少し幅広かったら、どうなるんだ。
そう思った瞬間。
ふと気づくと、周りの景色が変わっていた。
「着いたよ。ミアウォート」
「…え、着いた?」
思わず、素の反応だった。
何かをかけられた感覚もなかった。
身体が引っ張られるGがかかるわけでもない。
気づいたら、もう到着している。
こんなふうに、
自覚のないまま転送のデュナミスにかかるのか。
便利だけれど、それ以上に怖い。
奇襲、分断、誘拐…
これから、たくさんの敵が手段として使ってくる憶測が頭を渦巻く。
ミアウォートの町は、もっともっと大きい。
転移した場所は町の中だ。
高所ではなく、遠景は見えないが、
四方八方、地平線まで町が続いているように感じる。
ズクマティのような集約感はない。
その代わり、建築様式が凝っていた。
装飾の多い壁面、外柱をもつ建物。
巨大な軒をもつ片流れ屋根の建物。
ベランダ、そして屋外に中二階を持つ建物。
真四角な真っ黒いつやのある建物など。
これだけで高度に発展している街だと分かる。
「先生の家は、あそこ」
ノアテラが指さす。
「セティを助けたいなら、
私がアテラに言ったことには必ず合わせてね。セティも。わかった?」
「おう」
「わかったー」
「あと、アテラは自分に変身を重ねて。必ずよ」
いつも説明過多なノアテラにしては、
急に強引な言い方だった。
私は、自分にデュナミスをかける。
セティにも。
その目の青みは、少し増したように見えた。
先生、そして、エンジニアのデュナトスがいるというミアウォート。
思っていたより、ずっと近いのはよかった。
転移先をパスワードのように指定できるということは、
こうした縦横無尽な移動が日常なのだろう。
輸送、地政学の感覚が変わる。
私の知っている常識は、もう通用しない。
常識がわからない。そこに生きる価値観はどんなだろう。
……はぁ。
この世界の仕組み、全部知りたい。
今は正午ごろだろうか。
出発してから、半日ほどだった。
先生の家は、
周囲の立派な家々とは違っていた。
ほこらのような小さな入口で、地下へと続いていた。
隠しているのか。
それとも、日の届きにくい地下が好きなのか。
私はノアテラと一緒に馬車を降りた。
荷物はそのままにして、本を一冊だけ持って入っていく。
「ノアテラ・ラシュターナです。
メイラ先生は、おられますか」
「時間より15分早い。出直してこい」
すぐに返事がくる。
……何その返し。
もしかして、パワハラってやつですか。
「ここで本でも読んで待とうね」
「うん」
不安はよそに、
私は持ってきた本を開く。
『ポリティカル・スコア制度Ⅱ スコア算定法』
適当にページをめくる。
――スコア算定は、
総括的に実施される『センスス』、
調査員が個別にデュナミスを用いて調査する『ペルソニ』、
人々の主観認識による『ポリティカル・スコアチェック』、(以下、スコアチェック)によって行われる。
『センスス』は、星系の終わり日に
デューナメース調査団が全世界を対象に実施する。
『ペルソニ』は、センススで不明瞭な個体を直接調査する。
『スコアチェック』は、
上記二つの結果をヴェルウィザーラ冴河から取り出し、
直視した相手の情報を加えて算出する。
ヴェルウィザーラ冴河の情報は、
スコアチェックによって更新される場合もあるが、
不審なスコア変動は自動遮断される。
…用語が多くて読みづらい。
要するに、「ちゃんと調査してますよ」ということだろう。
別のページを開く。
ポリコレスコアは
【種族】【年齢】【性別】【身体機能】【精神】【外観】【デュナミス】【特殊要素】
の八要素から形成される。
以下は刊行時点の算定表――
【種族】
(略)
【年齢】
0歳 +450
1歳 +400
2歳 +300
3~4歳 +200
5~6歳 +150
7~9歳 +100
10~12歳 +50
13~15歳 +20
16~18歳 +10
19~77歳 +0
78歳~(以下略)
【特殊要素】
・親権者には、子のポリコレスコアの1/4が加算される
・各要素には『マイノリティボーナス』が存在する
そうだったんだ。
私が最初、お父様に拾われたのは、
この『親権者加算』のおかげだったのか。
少し生えてきた私のしっぽ。最初の記憶がよみがえる。
切られたばかりの赤子ならば、実子にできると言った。
子を奪うことさえ、制度の得点に変換されるという仕組みか。
なんて気持ち悪い。
でも、私は……それによって生かされた。
「アテラ、そろそろ時間だよ」
……いけない。
すっかり読み込んでしまっていた。
いよいよ先生との対面か。
悪い人じゃないといいな。
せめて、話の通じる相手であってほしい。
さっきの『出直してこい』が頭から離れない。
声の主を想像する。
セティを救う期待なんて、到底描くことができないのだった。




