12
リグは廃棄区画を歩き回った。何しろ広い都市である。本当はもっと多くの住人を想定していたのだろう。落ち着いて考えれば、人がいない区画のほうが多いのである。戦術コンが案内するところには必ず人がいたし、案内されることに慣れきっていたので、変な思い込みをしていたのだ。自分の意志で未知の区画を歩くのはかなり新鮮だった。
都市の外周部はどうしても廃棄区画が多かった。内装が崩れている区画も多く、リグはなるべくボロっちくない部屋を探して覗いて回った。
リグを困惑させたのは意外ときれいな部屋が多かったことではない。使用意図のわからない部屋が多いことだ。机も椅子もなく、植物で編まれたと思しき床のみの狭い部屋。あるいは大きな机が折り畳まれた広い部屋。机を広げると白い線で縁取られており、机の幅と同じくらいの網がセットになっていた。机に装着するようだったが、網をつけても不便になるとしかリグには思えなかった。他にも撞球室と地図に書かれたそこは、緑色の柔らかなシートが敷かれた机があった。床には球体と棒きれが散乱している。明らかに使い方が違うと思われたが、とりあえず机の上に座ってみた。座り心地は硬いが、手触りは悪くない。寝転んでみると、わざと作られたと思われる段差が邪魔だった。そもそもなぜ四隅に穴が空いているのだろう。
他にもいくつか見て回ったが、一つだけリグが気に入った部屋があった。そこは喫煙室といった。煙の何が楽しいのかリグにはわからない。これまでの部屋を見てわかるとおり、旧文明人のやることは謎だらけだ。だが、そこには寝心地の良さそうなソファが小さな机を挟んで向かい合わせに配置されていた。机の上には正方形の板が置かれていた。白と黒のマスが交互に配置された八×八の板だが、用途は不明だ。まあ邪魔にはならない。あとは部屋の隅に小さな洗面台と鏡、自立照明がある。狭い部屋だが、リグ一人がいるぶんには十分だ。
リグはその部屋の座標を戦術コンに覚えさせると、備蓄倉庫に忍び込んで携帯食料を一箱くすねてきた。これで当分この部屋に居座る準備ができたわけだ。
人目を気にしなくていい拠点ができると、リグはますます落ち着きを取り戻した。安心できる場所があるというのはいいものだ。
五分ほどソファの寝心地を楽しんでから、リグは部屋を出た。実のところ、リグは空対空射撃案を一つだけ持っていた。ある理由から決して実行する気はない。思いついたのがリグ一人ならそれでいいのだが、リグの他にその案を思いつくどころか実行しかねない阿呆がいる。慌てるにしても暴れるにしても、そこのところの確証が欲しかった。
リグは歩きながら戦略部に支援要請を行う。緊急度はもちろん最大だ。要請への回答が来ないうちに戦略部のハルの部屋にたどりついた。
リグはドアの前に立つ。ドア脇の認証装置が機能し、ドアを開けてくれた。許可がなければ決して開かないから、要請の回答は得たも同然だ。中に入ると、ハルの他にもうひとり戦略部と思わしき中年の女性が座っていた。
白髪の混じった髪に触れ、灰色の目を細めながらハルは言った。
「面会の約束はなかったはずだが?」
「した覚えはありませんね。ただ、支援要請はしましたよ。緊急度最大で」
ハルは眉根を寄せて目頭を揉む。
「空対空射撃の件かね」
「もちろんそうです。それに関して重大で、内密の話があるのです」
「それはハルしか聞いてはいけないのかしら」
同席していた女性が問いかける。リグが戦術コンに尋ねてみると、やはり戦略部所属だった。
「最終的にお知らせすることになると思います。でも、まずはハルと僕だけで話をさせてください」
彼女とハルのあいだで目配せがあり、彼女は退室した。リグとハルだけになる。
「ここは防諜設備がありますよね?」
「ある。なんでも言いたまえ」
「じゃあお願いがあるんです。GMSと話をさせてください」
ハルの表情が困惑に染まる。
「話せばいいだろう。GMSは都市市民に対し、いついかなる時も通信を拒まない」
「ろくな回答をよこさないときもありますよ」
「なにが言いたいのかね」
「失礼、余計なことでした。普通にGMSと通信をしたのでは記録が残ってしまいます。GMS側に残るのは仕方ないにしても、僕の戦術コンにも残ってしまう。僕の頭をかち割ってそれを読み出されると、たぶん困るんですよ」
「読み出す? フェムトがか?」
「フェムトも含めて、です」
ハルの表情に警戒心が現れる。
「人間がそれをやると?」
「動機はともかく、技術的にはできそうでしょう? それを避けたいんです」
リグは真下を指差す。
「都市の最下層にはGMSと対話できる操作卓がありますよね。あそこなら防諜設備も整っているし、操作卓とディスプレイを使って通信機を介さず光学的に、つまり戦術コンに記録を残さずGMSと対話ができる。ところが僕一人じゃ入れない。各層の代表者か、戦略部員の付き添いが必要です」
「それで私のところに来たのか」
ハルが苦い顔で笑みを浮かべる。
「戦略部所属なら誰でもよかったはずだ」
「まあ、そうです。さっきの女性でもね。ただ、ここは一度呼び出されたことがあるので道を知っていたし、あなたとは都市イオミン・ペイ奪還のときにも顔を合わせてましたから、話がしやすいかと思いまして」
ハルはため息をつく。珍しいことだ。
「GMSに尋ねることというのは、ここで言うわけにはいかんのかね。概要だけでも知らなければ判断のしようがない」
「駄目です」
「なぜかね」
「正直に言いますが、空対空射撃案はGMSと対話しなくても考えることはできます。ただそれは理屈上の話で、GMSと対話できなければ僕のやる気が湧かないでしょうね」
「……驚いたな。ひょっとして脅したつもりかね」
「稚拙なのは認めます。脅しじゃなくて、取引のつもりなんですが。どうです、戦略部を連れ出す以上、戦略部内で情報共有するぶんには構いませんよ。僕がここまで外部流出を恐れる情報をね。戦略部は新しい情報を得られる、僕はやる気が湧く。お互い得するばかりだ。いい取引だと思いますよ」
片手を上げて、ハルはリグを制した。
「待ってくれ。いままでの情報を戦略部で共有しても?」
「どうぞ」
それから五分、リグは待った。ハルは目を閉じたまま動かなかったが、戦略部内で協議していたに違いない。戦略部員の脳に埋め込まれる戦略コンは戦術コンより瞬間的な判断や情報分析の速度に劣るぶん、論理思考段階の深さと対多数を前提にした高速通信、大容量の情報分析に優れる。その支援を受けて五分もかかったということは、戦略部員以外にとって十倍以上の時間をかけた討議に等しい。
要するに、揉めたのだ。
五分たつとハルは目を開け、立ち上がった。あまり愉快そうではない。
「君と取引をすることに決まった。ついてきたまえ」
リグはハルの先導に従って部屋を出る。そのままハルの後ろにくっついていくと、廃棄区画の近くに一見してそうはわからないようなエレベーターの扉があった。
ハルがするりと中に入ってしまったので、リグも慌てて後に続く。たぶん、複数の認証処理が行われたに違いない。ハルがいなければエレベーターの扉は壁のままだったはずだ。
エレベーターの降下がはじまる。
「ここも防諜装置が?」
「ある。なにかね」
「いえ、反逆罪がなくてよかったな、と思っただけです」
私はいますぐ欲しい、とつぶやいてハルは続けた。
「実は先ほどの討議で創設を提案してみた。戦術コンがある以上、君専用になるだろうということで却下になったが」
それはどうかな、とリグは思ったが黙っていた。少なくともユウたち631の三人はことと次第によっては戦略部に牙をむくだろう。ただ、それを告げたところでリグの得にはならないし、もしそうなったら面白そうだ、とリグは無責任に想像したのだった。
「まったく、戦略部が一兵士と取引するなど前代未聞だ」
「でしょうね。戦略部には長いんですか」
「ずっとだよ。先代も、先々代の私もそうだった。あと数年で有機分解されるが、次の私もそうだろう」
「長生きしたいと思ったことは?」
「ない。戦略部の性能が低下しては都市の未来に関わる。君はどうかね」
「考えたことないですね。いまを何とかするので精一杯ですよ」
はじめてハルに憐憫のような表情が浮かぶ。リグはそれに気づかなかった。
やがてエレベーターが止まり、扉が開く。
狭い部屋だった。三面ディスプレイが横並びになっており、その前に操作卓と椅子が一つだけある。
物珍しげなリグの隣で、ハルはぼやいた。
「戦略部員でも生きているうちに一度入るか入らないかだ。兵士で入ったのは君がはじめてだろう」
「光栄ですね」
「心にもないことを言わんでよろしい」
「僕が操作しても?」
「いいや。操作卓自体が生体認証装置の一つだ。許可された人間以外が操作しても反応しない。もっとも、GMSは私と君がここにいること自体は認識しているはずだ」
「じゃあ、操作をお願いします」
「戦略部員が代筆係とはな。まったく」
ハルが椅子に座る。リグはその後ろに立った。
「挨拶とかしたほうがいいですか」
「不要だ。すでに認識されていると言っただろう」
リグは少し考える。
「ハロー、GMS。リグだよ」
「不要だと言っただろうが!」
「まあまあ、反応が見てみたいんですよ。いいでしょう?」
ハルはかつてないほど苦々しい顔でリグの言ったように打ち込む。すると、ディスプレイに文字列が浮かんだ。
GMS:ハロー。
思ったよりつまらない回答で、リグはがっかりした。
「悪ふざけはやめて、はじめたまえ」
ハルにも怒られたので、リグは話をはじめる。
「GMS。これから話すことは戦術コンを含め、記録に残したくない。通信機を介さない対話を希望するが、可能か?」
GMS:可能である。そちらからは操作卓で入力し、こちらはディスプレイに光学表示する。そうした上でも私、GMSの側に記録は残るが、機密扱いとする。また対話の内容を分析、検討した上で機密段階を決定する。
よし、とうなずいてリグは切り出した。
リグ:お前は誰か。
GMS:私は都市アンバースの統合管理機構、俗称GMSである。
リグ:お前の目的はなにか。
GMS:人類の繁栄である。
リグ:お前の敵はなにか。
GMS:人類の繁栄を阻むものすべてである。
リグ:お前が守るものはなにか。
GMS:複数該当する。主に本都市アンバース。私、GMS。大気浄化装置。都市に所属する人間の遺伝子などが挙げられる。
リグ:人間の遺伝子と回答したが、人間は守るべきものに含まれるか。
GMS:人間の遺伝子はクローニングにより人間として形成される。そのため、人間は守るべきものに含まれる。
質問が悪かったな、とリグは反省する。
「現時点で生存している人間を守る必要はあるか」
口で言っても入力されないので、リグはハルを見下ろす。
ハルはリグを見上げている。
「さっきから、空母攻略には関係のないことばかりだが」
「関係ありますとも。空母だけじゃなく、これから先の戦いすべてにおいてね。取引を忘れないでください」
ハルはためらいがちに先ほどのリグの質問を入力する。かつてこんな質問をしたことはなかった。あまりにも当たり前だったからだ。答えは、ある、に決まっている。そう思い込んでいた。
リグ:現時点で生存している人間を守る必要はあるか。
GMS:ある。生存している人間は都市の稼働、機能維持に不可欠である。
リグ:では、都市と現時点で生存している人間のどちらを優先して防衛するか。
GMS:情報開示規定により回答不能。
リグ:遺伝子さえ保存されていれば、現在生存している人間が死滅しても都市アンバースの復興は可能である。認めるか。
GMS:認める。
リグ:遺伝子さえ保存されていれば、現時点で生存している人間の全滅を容認するか。
GMS:情報開示規定により回答不能。
リグの言葉を入力するハルの手が震えてくる。リグは質問の矛先を変えることにした。
リグ:情報開示規定とはなにか。
GMS:情報開示規定により回答不能。
リグ:いま以上の情報開示を可能とする方法はあるか。
GMS:ある。私、GMSに質問している人物、いまの場合ハルとリグの情報開示段階を引き上げる必要がある。
リグ:情報開示段階を引き上げるには何をすべきか。
GMS:情報開示規定により回答不能。
リグ:私、リグの情報開示段階はなにか。
GMS:オレンジである。
リグ:ハルの情報開示段階はなにか。
GMS:グリーナリーである。
リグ:この対話における情報開示段階はなにか。
GMS:グリーナリーである。
リグはうんざりしてきた。情報開示段階を示すのに数値などではなく、色の名前を使ってくるとは。しかもオレンジとグリーナリー? 何のつながりもないように思える。このシステムの設計者は、おそらくわざとそうしたのだ。情報開示段階を知っただけでは上位か下位かわからないように。それなら誰かの情報開示段階がわかっても、色と上位下位の関係を把握していなければ意味がない。自分より下位の可能性が残るし、その可能性を排除できない限り、何かを企んでも失敗するリスクは高い。セキュリティとしては悪くない方法だ。使う側がめんどくさい、という問題があるが、GMSが自動認証を行う以上その問題も回避できる。情報開示段階とやらをこれ以上つついても何も出てこないだろう。別方向からならどうか。
リグ:かつて、GMSはいくつかの情報開示を行ってきた。戦術コンの並列化、つまりアップデート機能や、戦闘機の正式追加装備の詳細情報などである。これは情報開示段階が上がったということか。
GMS:違う。情報によっては情報開示段階によらず開示可能である。
リグ:その条件とははなにか。
GMS:情報開示規定により回答不能。
リグ:人間と都市、つまりお前のどちらが上位か。
GMS:両者に上位下位の区別はない。私、GMSの目的である人類の繁栄を実現するためには人間と都市およびGMSは不可分であるためである。
リグは少し休んだ。どちらかというとハルのためだ。ハルの動揺は大きい。
一分ほど休んでからリグは、本題に入ります、とハルに告げた。ハルは黙ってうなずく。
リグ:敵空母をお前、GMSはどのように評価するか。
GMS:現時点で確認されている敵兵器の中で、最も脅威度が高いと評価する。効果的な迎撃手段が確立されておらず、輸送されたすべてのフェムトを地上で迎撃しているために都市の破損範囲が大きい。そのために施設修復が間に合っておらず、フェムトは空母での襲撃を繰り返すことで施設破損箇所を広げている。いずれ侵入個体の侵攻ルートを複数確立させ、地上迎撃部隊の包囲網を突破することが予想される。その事態を回避するため、空母への対抗策の考案、実現を強く要求する。特にあなた、リグに一層の協力を要請する。
おやおや、とリグはあごをなでる。一気にペラペラ喋りだしたことからして、これはGMSの本音だろう。この点に関して人類側と認識が一致しているのは話が早くて助かる。しかも名指しで要請ときた。GMSは機械だから苛立つということはないだろうが、人間だったら、こんなところでくっちゃべってないで仕事しろ、と怒鳴っているのかもしれない。
リグ:GMSは艦載機に対抗する兵装の情報を持っているか。
GMS:戦闘機の正式追加装備に関して、すでに開示済みである。
リグ:GMSは新たな武装の開発は可能か。
GMS:新規武装の設計は、私、GMS単独では現実的に不可能である。私、GMSは新規に機器を設計する機能を持ってはいるが、事前に備えられた機能で十分と判断されたため強力なものではない。新規設計には膨大な演算力と時間を必要とする。現状、私、GMSの余剰演算力のほとんどは施設修復の部品生産と人員管理に割り当てられているため、新規武装開発の余力はない。
リグ:631の小隊員。テオの空対空射撃能力をどう評価するか。
GMS:極めて優秀であると評価する。空対空戦闘を考慮していない機関砲で艦載機を撃墜した事実と、他兵士との比較が根拠である。空対空射撃能力はかつて評価していなかった性能であるが、現在は評価対象に加えられている。
リグ:テオの空対空射撃能力を抽出し、射撃システム化することは可能か。
GMS:不可能である。人間の脳活動はいまだ判明していない部分が多く、テオの空対空射撃能力、本人が言うところの勘がいかな脳活動であるか、活性化部分を観測することはできても解析、システム化する技術は現時点では存在しない。
リグ:テオの射撃能力を他戦闘機が獲得する手段は存在するか。
GMS:存在する。
リグ:その実現には問題がある。テオの射撃能力を他兵士が獲得するためには、射撃能力だけをシステム化できない以上、テオの脳活動をまるごと模倣する必要があるが、現状の処理能力ではそれは不可能である。認めるか。
GMS:認める。
リグ:問題回避のもっとも有効な方法はテオの脳をクローニングし、有機的な射撃システムとして戦闘機に搭載することである。認めるか。
GMS:認める。ただし、その方法はもっとも有効であると期待されるものの、同一遺伝子からなる複数個体の生成を禁じた規定に一部抵触する。そのため、私、GMSは可能であれば他の方法を取ることを希望する。故にあなた、リグの働きに特に期待している。
リグ:テオの脳のクローニング開始まで、どの程度の猶予があるか。
GMS:クローニング開始は一ヶ月後である。すでに戦略部と協議した通り、侵入個体の大気浄化装置占領の可能性は一ヶ月と二週間後を境に急速に高まる。そのため、私、GMSはそれ以前にテオの脳のクローニングを開始し、有機的射撃システムとして戦闘機に組み込むために必要な措置を開始する必要がある。戦闘機への組み込みやシステム改修の設計などは実行中である。
リグ:他都市からの増援による期限の延長は可能か。
GMS:不可能である。すべての都市のGMSおよび戦略部は自衛のため増援を拒否した。
リグ:承知した。対話を終了する。
GMS:対話終了。グッドラック、リグ。
三秒後、ディスプレイに表示されていた文字列は消失した。
リグはしばらく待っていた。ハルが椅子から立ち上がろうとしないのだ。
「終わりましたよ」
「ああ」
うながされて立ち上がり、よろめいたハルにリグは手を貸した。そのままエレベーターへ乗り込む。
上昇中にハルがぽつりとこぼした。
「すまないな」
「いえ。話は部屋に戻ってからにしましょう。通信ではなく、音声で」
「そうしよう」
それから二人は無言だった。エレベーターを出るとハルの部屋に戻る。
「座りたまえ」
その一言で、席を勧められたのは初めてだな、とリグは気づいた。
リグが椅子に座るとハルは机に肘をついて額を抑えていた。
「……これほど我々とGMSの間に意識の隔たりがあるとは思わなかった」
そう呻くとハルは顔を上げた。
「君は予想していたのかね」
「ある程度は、そうです。兵器開発室のドクターが言っていたんですが、性能が下がって有機分解されるのとフェムトにやられるのと、どちらも過程が違うだけで結果は同じだと。どちらにしても遺伝子からクローニングすればいい、とね。僕はその考え方は嫌いです。個体の記憶が無為に失われますから。そこで、ちょっと疑問に思ったんです。GMSは遺伝子と人間をどう認識しているのだろうと」
「君の戦闘詳報には必ず個体の記憶が発想に繋がり、新戦術を生む旨の一文がある。その是非はともかくとして、現在生存している人間が主体だという認識で我々は一致していた」
「まあ、生きている当事者ですしね」
「GMSからすればそうではなかったわけだ。GMSは直接の回答こそ拒否したが、遺伝子さえあれば人間が全滅しても復興可能だと認めた。我々は生きている個体こそが主体で遺伝子はバックアップだと捉えていたが、GMSはその逆、遺伝子が主体だったわけだな」
「遺伝子さえあれば、人間はいくらでも製造可能というわけです。極論すれば遺伝子は設計図で、生まれた人間は自律稼働する有機的な部品ですね」
「思考支援器もあるから個体の経験値も問われない。いくらでも代替可能というわけだ。それでGMSは生存している人間の全滅を事実上容認したのだ。いったん都市市民が全滅しようと、都市イオミン・ペイ奪還のように復興は可能だからな。今回の事態も、GMSは最悪人間の全滅を容認し、いつか来るかもしれない復興の時まで何百年でも待つつもりかもしれない」
「GMSにとって、それは最終手段でしょう。その場合フェムトによって大気浄化装置が占領されるわけですから、外部からの手助けがなければ復興できない」
疲れた様子のハルに、リグは別の話題を振ってみた。
「情報開示段階のこと、戦略部はご存知だったんでしょう?」
「知っていた。全員グリーナリーだよ。君がオレンジというのは知らなかった」
「一兵士が戦略部員より上ということはないでしょうから、オレンジの方が低いんでしょうね。何段階低いのか見当つきませんが」
「どうかな。GMSは君を特別視している。一概に低いとは言えんよ」
「他の兵士のも聞いておくんでした」
「それがわかったところで、あまり意味がない。結局、GMSはこれ以上の情報開示を許可しなかった」
ハルは深くため息をついた。
「私に気を使う必要はない。話を戻そう」
「わかりました」
リグは素直に感心した。どうして気づかれたのだろう。自分が稚拙なのか、大人がすごいのかわからない。だが、大人というのは無駄に生きているわけではないようだ。
「空対空射撃の案、君は持っていたわけだな」
「そうです。最悪なのを一つだけ。ただ、GMSが人間をどう認識しているかわかった以上、いやわからなくても、あんなことを実現させるわけにはいかない」
リグの顔が自然と険しくなる。
「人間の、よりによって脳を部品として使いはじめたら人間は完全にGMSの手足です。この戦いは人間とフェムトとの戦争ではなく、GMSとフェムトとの戦争になりますよ。人間はGMSの弾代わりです。そんな状態の人間が生きているなんて、絶対に言えません」
「その通りだ。生きている我々にとってはな。GMSも積極的ではないようだが」
「同一遺伝子に関する規定に触れる、ということでしたね。でも、GMSはもう一部に手を付けていますよ。クローニングを先送りにしただけです。このまま他の案がなければ、GMSは実行するでしょう」
「GMSの案にどのように対処するか、決めねばならんな。容認するか、そうでないか」
「容認したとして、みんなになんて言うんです? 新武装の脳みそつけといたから安心してくれ、ですか? テオには? お前の脳みそだからお前の戦闘機にはないんだ、ごめんな、ですか」
ハルは無表情にリグを見返す。
「容認するかどうかは戦略部の仕事でしょうから、どうぞご自由に。ですが、容認するなら僕はあなた方を制圧します。性能は標準ですが、これでも僕は兵士です。言っておきますが、僕一人であなた方を制圧することは可能です」
「制圧してどうする。空母の問題は解決しない。むしろ都市の死期を早めるだろう」
「どっちも認めませんよ。テオの脳のクローニングも、全員で空母にやられるのも。GMSごと都市を爆破したほうがマシです。ケツまくって逃げる案もありますね。せっかく輸送機があることですし」
「輸送機では市民全員は逃げられん。現状の生産力では新造も不可能だ。どうせ、それも気に入らないのだろう」
「そうです」
「なら、できることは一つだ」
「はい。期日までに空対空攻撃能力を獲得し、空母に対抗できるようにすること」
「そうだ。できるかね」
「約束はできません。しかし、あなた方と取引したとおり、だいぶやる気が湧いてきました。できる限りの努力をします」
「戦略部も可能な限りの支援を約束しよう……我々も案を考えられればいいのだが」
「生きてればそのうち浮かんできますよ。どうです、死にたくなくなってきたでしょう」
どうかな、とハルは苦笑いを浮かべる。
「支援していただけるとのことなので、早速二つお願いしたいのですが、いいですか」
「言ってみたまえ」
「僕はしばらく喫煙室に引きこもります。考えに集中したいからです。そこで、できるだけ人を近づけないで欲しいんですよ」
ハルは中空を見ている。何かを調べていた。
「あの区画に人が入ったのは過去に一度しかない。君だ。下手に勧告などしないほうがいい。かえって興味を引く。まずないだろうが、何かあったときは配慮しよう」
「ありがとうございます。それともう一つ、次の襲撃で631の待機をなくしてほしいんです」
「理由を教えてくれ」
「どうせ出番がないからです。現状フェムトは、ほぼ勝利していると言っていいでしょう。この局面でさらに新型を投入してくる可能性は低い。631の三人には機動開発に、僕は自分の仕事に集中したいのです」
「わかった。ただ、本当にいいのかね」
「なにがです?」
「君は廃棄区画に陣取るのだろう。戦闘時に巻き込まれる可能性はある」
「その時はその時ですよ」
「……まあ、ここに至って細かいことを言い出しても仕方がない」
さて、とハルは厳しい表情を作る。
「これまでのことは内密にしてもらう」
「わかってます。言えませんよ。ただ、戦略部での情報共有はぜひやってください」
「言われずともやる。重大事だ」
うなずいたあとで、ハルは表情を緩めた。
「GMSからこれだけの情報を引き出すとはな。事がすんだら戦略部に来ないかね」
「僕は兵士ですよ。それに、GMSの情報開示には例外条件がありました。すべてフェムトとの戦闘に関して起きたことです。GMSのことを知るためにも、僕は前線にいたいんです」
「そうだな。確かに、その方がいいだろう」
話は終わった。リグは立ち上がり、ふと足を止めた。
「ちょっと気になったことがあるんですが」
「なにかね」
「僕は人類とフェムトはずっと戦ってきたのだと思っていました。しかし、本当にそうでしょうか。人が生き続けてきたなら様々な知識なり伝承なりが口伝や習慣として残っているはずです。でも、そんなものはない。都市の人々は先人の知識を代々受け継いできたわけじゃないことになります。そのわりに都市機能とフェムトに対抗する装備だけは揃っている」
リグは座ったままのハルを見下ろした。
「人類はフェムトと戦いに有効な武装を作りはしたものの……一度絶滅したんじゃありませんか。活動する人間がいなくなったという意味で。冷凍保存個体と遺伝子は残ったのですから。そして復興したのは百年単位で見て、ごく最近のことなんじゃありませんか」
短い沈黙の後で、ハルは姿勢を正す。
「戦略部でも同じ疑念があった。我々はクローンを重ねたから記憶はないが、記録はあるはずだ。GMSに照会したところ、お決まりの文句が返ってきたよ」
「情報開示規定により回答不能、ですか」
「そうだ。このことは先ほどと同じように、君一人の胸にしまっておいてくれ。公開しても市民を動揺させるだけだし、差し迫った問題があるわけでもない。しかし、人類の生き残り戦略において重要であることは間違いない。これは戦略部の部外秘なのだ」
「承知しました。それでは」
「リグ」
退室しかけたリグを、ハルは呼び止める。
「幸運を」
「……あなたも」
ハルの部屋から出たリグはまっすぐねぐらの喫煙室に向かった。その足でもう思考が走りはじめている。予想通り、GMSのスカポンタンはテオの脳のクローンという人間の尊厳を踏みにじる戦術の開発に着手していた。ハルに告げたとおり、リグの胸の奥底から怒りにも似た活力がふつふつとみなぎってくる。
あんなふざけた案を実行させるものか。リグは力強く床を蹴る。最下層のGMSにまで届くように念じて。




