13
それからリグの引きこもりがはじまった。引きこもって楽しいことなど一切ない。そもそも眠れない。体が浮くような疲労感がありながら意識だけがはっきりしている。充血した目で思考を巡らせ、GMSを通じて書籍データを漁った。時々顔を洗って水を飲み、携帯食料をかじる。段々とそれすら面倒になってくる。必要なこととはいえ、一日一度のユウとの定期連絡さえも煩わしかった。
「なにか問題は?」
「ないよ」
「ならいい」
このように三行で終わる簡素さである。冷たいように見えるが、無理ないことでもあった。それだけリグの取り組んでいることは困難だ。
正式の追加装備は使えない。あるいは生産できない。代替部品の案もない。
武器の新規製造もできない。
材料もない。生産力もない。ついでに頭も足りなくて、何より時間がない。
リグの不眠は深刻になっていった。いったん手がかりを掴むと脳が勝手に動き、思考が暴走したように意識を振り回して身体を支配する。眠気や食欲のつけ入るすきはなかった。リグは昼夜を問わず狭い喫煙室を歩き回った。そして手がかりがものにならないとわかるとソファを蹴飛ばしてふて寝する。それも深い眠りなど得られず、二、三時間でうなされて起きた。夢の中でも喫煙室を歩き回っていて、いま自分が起きているのか寝ているのかさえわからない。正直、どちらでもいい。案さえ思いつけば。
リグは歩き続けた。
危険な薬物を身体から追い出すように。悪夢からの出口を探るように。感覚の薄い体を引きずって徘徊し、水を飲み、また歩いた。
リグが631の部屋に戻らなくなってから五日後の夜、格納庫で戦闘機動訓練を終えたガスとテオは機体から排出された操縦棺から這い出した。
「かー、くっそ! 追い込みきれなかった!」
「僕もです。思ったよりきついですね」
ヘルメットを脱ぎ、ガスは汗を拭う。
「きついったって四の五の言ってられねえ。明日からこれでいこうぜ」
「そうですね」
二人してうなずきあうと、近寄ってくる人影に気づいた。
「よお、ユウ」
思案顔だったユウは顔をあげると疲れた笑顔とともに片手を上げた。
「揉めているんですか」
「かなりね……」
ユウは631の戦術開発に関する窓口をこなす繋がりで、リグとレオが共同で発案した全兵士への回避機動教授も担当していた。レオたちWF全三小隊の各隊長、副長も平等に担当しているが、631と名のつくユウにはどうしても質疑が集中する。
「質問はいいんだけど、苦情が多くてね。回避機動ばっかりで631はどう攻撃するつもりなんだ、リグはなにをやっているんだ、ってさ。攻撃方法の開発に専念してるって答えてるけど、彼らはおさまらない。彼らは答えが欲しいんじゃなくて、不安を解消してほしいんだから」
ユウはため息をつく。
「みんな631、いやリグに期待と同じか、それ以上の不安を感じている。戦術開発は本来時間がかかるものなのに。例のミシン目穴あけ戦術のときだって、そうだった。でも新型の侵入個体と巨大飛行船のときは、リグはその場でなんとかしてしまった。だもんだから、みんな今回の事態を軽く見ていたんだ。631は、リグはすぐに対応するって。そんな簡単にいくわけないのにね」
「みんな馴染みのなかったことですから……でも、まずいですね」
ガスは今日の食堂でおきたことを思い出した。リグがなにもしないとごちゃごちゃ言っている連中がいたので、うちの隊長に文句あんのか、と質問したら気まずそうにしてどこかにいったのだ。対人格闘に自信があったこともあって、喧嘩腰だったことは否めない。このことを正直に言えばリグなら軽く叱るだけだろうが、ユウは真剣に説教するだろう。
後ろめたさを隠し、ガスは笑顔をひくつかせ場を取り繕った。
「まあまあ。逆に言えば、戦術コンの言いなりじゃなくなったってことだぜ。前のままなら不安もクソもないからな。悪い面が出ちまってるだけだ」
「そういう見方もありますね」
「そっちはどう?」
問われて、テオはハッチの開いた操縦棺を見る。
「回避機動はほぼ完成とみていいと思います。明日からWFの人たちにも検証してもらう予定ですが、一緒に作り上げたものですから、大きな変更はないでしょう」
「よかった。他の兵士たちも少しは安心するよ」
「問題は攻撃機動です。敵機後方、できるだけ近距離に位置するような機動を目指していますけど、武装が決まらないと、なかなか」
「射程だけでも分かればいいんだけどな。おまけに向こうは例の力場使って空力当てにしないからよ、どっちに動くのかわかりづらくてしょうがねえ」
「戦闘機同士なら可動タイル装甲の翼形変化の具合でだいたいわかるんですけどね」
「そっか。武装、ね……」
しん、と沈黙が降りる。いまの三人にとってその話は禁句に近かった。特に、リグが小隊の部屋を出ていったあの日からは。
空気を読まない役割を自任しているガスは、なるべくなんでもないことのように尋ねる。
「隊長はどうしたよ?」
「もうすぐ定期連絡の時間だよ」
首を振って答えたユウ。その背後に、ふらりと人影が現れた。
「振り向いたユウの瞳が開かれる。
「リグ!」
喜びの声を上げたユウは、しかし次の瞬間には異変に気づいた。
リグの顔は死人のように土気色になっている。どす黒い目の下の隈。視覚に投影された情報を見ているとき特有の視点の定まらない視線。生命の脈動を感じない。まるで幽鬼だ。
すっとリグの視線が現実に戻る。
「定期連絡のついでに、用があってきた」
リグのその一言で、三人に緊張が走る。
「ユウ。何か問題は」
「ないよ」
「ならいい」
リグはガスとテオの顔を見る。
「すまんが、試したいことがある。いま時間をもらっていいか」
「いつでも」
「もちろんです」
「よし。テオ、いまから複数の武装と検証状況のデータを渡すから、全部試せ」
「了解」
「敵機の機動は昨日の十七時のバージョンを使え」
「バージョンダウンしますけど、いいんですか」
「いい。今朝更新されたのは空力の影響を意識しすぎて不自然だ。ガスとの追いかけっこも忘れろ。奴らは空力など当てにしない」
「わかりました」
リグが自分たちの訓練を見てくれていたこと嬉しさを覚えて、テオの声が弾む。
テオがリグから送られたデータを使ってシミュレータを動かすあいだ、リグはその訓練内容を見ていた。
ユウはそっとその横顔をうかがう。リグの発する気配は戦場にいるときよりも鋭かった。戦場にいるときのリグは不測の事態に備えて常に余裕を失わない。今日はそれがないのだ。余計なことを言えば味方でも撃ち抜きそうなほどビリビリとした緊張感があった。
ユウはこっそりリグの状況をGMSに問い合わせる。直接尋ねられる雰囲気ではない。戦術コンは位置座標や身体情報を定期的にGMSに報告しているから、それを見れればリグにはバレずにすむのだ。
そうして得た情報は、ユウを落胆させた。リグはほとんど眠っていない。直近では三十時間以上寝ていなかった。水は最低限飲んでいるようだが、食事はほぼ摂っていない。兵士は市民より強靭な肉体を持っているからなんとかなっているが、こんな生活が長続きするはずがない。いずれ取り返しのつかないことになる。しかしユウはリグを止められなかった。期限は迫っている。攻撃方法の訓練と武装の生産もある。残された時間は少ない。攻撃方法の開発は急務だ。リグがやらなければ、誰にもできないだろう。なにより、それを止めるのはリグの本意ではない。リグがもう嫌だと一言言ってくれれば、ユウはリグを治療室へ運び、難題をリグ一人に押し付けたGMS、戦略部、何より自分たちを散々に罵る事ができる。だがリグがあきらめない限り、それはできない。それをユウに許さないのだ。
テオが検証パターンを全部試し終えて操縦棺から出てくる。何機か撃墜していた。
ユウが話しかける前に、リグが口を開く。
「よし、ガス。テオからデータを受け取り、同じことを試せ。テオ、ガスにデータを渡せ」
「了解」
「了解」
データを渡し終えると、テオは操縦棺から出てきた。三人で無言のままガスの状況を見守る。
やがてすべてのパターンを試し終えて、ガスが操縦棺から出てきた。
「くそっ、テオみたいにはいかねえな」
ヘルメットを脱ぎながら、ガスは尋ねる。
「隊長、この中のどれかが新武装か?」
「どれも違う。いまやってもらったのは全部弾速も射角も射程も違っただろう。これは武装を開発したとして、それに兵士がどう対応するかシミュレートするための基礎データ集めだ。空対空射撃のシミュレートをするための情報がGMSには少なかったからな」
「リグ。僕にもできることがあれば……」
「大丈夫、これで終わりだ。手間をかけたな。いま渡したデータは見つかると面倒だ。全部消しておいてくれ。攻撃機動は今日やっていた二人の方針でいい。あとを頼む」
話しながら、リグの視線はすでに視覚の情報に向かっていた。
リグはふとドクターに言われたことを思い出して振り向く。
「ユウ。いつもすまん。ありがとう」
それだけいうと、リグは格納庫の奥の通路に消えていった。
その背中に手を伸ばしかけ、ユウは手を下ろす。
手が震えだす。
「……いつもこうなんだ」
ユウはうつむき、声を絞り出した。
「いつも、いつもなんだ。631だって、リグの副長だっていっても、まるで役に立たない。考えることは全部リグ任せで、僕はその実現に少し手を貸すだけ。戦術開発能力が育ってきたってリグは言ってくれる。でも、実際どうだい。肝心の一番辛くて、一番難しい部分は見ているだけだ。無責任で、無力で、卑怯だ。戦術コンをリグに置き換えただけだよ。他の兵士たちと同じなんだ。いまこうしているときでさえ、リグに期待と不安を持っている。この都市市民全員の期待と不安が重圧になっているのに、リグはそれを受け止めて、たった一人で戦っている。リグにしてみればいまこそが戦場なんだ」
浮かんできた涙をユウは腕で拭う。声が震えていた。
「リグみたいに生まれたかった。そうすれば、リグ一人で苦しまずにすんだ。相談し合えばもっといい考えだって出るかもしれない。そうすればやっとリグを支えられる。リグに押し付けなくてすむ。胸を張ってリグの仲間だと自分に言えるんだ。僕は……」
「ユウ」
テオはユウの腕に触れるが、それ以上声をかけられなかった。困りきった顔でガスを見る。
ガスはうなずいてみせた。
「ユウ、そりゃちょっと高望みしすぎだぜ。調子乗ってねえか」
それを聞いたとたん、ユウはテオの手を払ってガスを睨みつけた。
「調子? 君だって、僕だって、誰であれいまのリグを助けることなんかできない。それを調子に乗ってるっていうのかい!?」
「おう。整理してみるか? 俺たちに戦術開発能力はある。隊長はそのはるか先にいる。いまの問題に対応できるのは隊長だけ。ってことはよ、ユウ。現時点ではどうひっくり返ってもできもしないことをやりたがってる、ってことになるんだよ」
ユウは胸を抑えて一歩後じさる。
「ガス。君は……」
めったに悲しさを見せないガスが、眉根を寄せて目尻を下げた。
「気持ちはわかるつもりだぜ、ユウ。俺だって隊長の力になりてえ。俺が死んだらいい案が出るって言われたらすぐ首くくるさ。でもそうじゃねえんだ。だったら、俺は隊長の命令に従うだけだぜ。いまなら攻撃機動の開発だ。それが俺なりの隊長への信頼の証だと思ってる」
「リグの命令、か」
ユウは肩を落とし、唇を噛む。
「俺たちの戦術開発能力は育ってる。WFの連中は優秀なだけあって、もう自分で考えて意見を言うようになってきたし、他の兵士だって戦術コンの言いなりじゃなくなってきた。でも足りねえ。いま武装開発なんてできるのは隊長だけだ。正直、最悪のタイミングだ。いままで何度もヤバイ目にあってきたが、今回は周りの成長と、隊長との落差をじっくり見せつけられるぶんだけ反吐が出る」
ガスは内心恐る恐るユウの腕に触れる。
ユウは振り払わなかった。
「タイミングが悪いだけさ。ここを乗り切れば、俺たちはもっと成長できる。俺たちは有利だぜ、隊長の一番近くにいるんだからな。ユウが言ったように、何から何まで隊長を助けられるように、なんなら隊長の代わりができるようになるかもしれねえ。時間が必要なんだ」
「僕たちは成長……しているでしょうか」
テオの呟くような疑問に、ガスは両手を広げてみせた。
「してるって。でなきゃ隊長は回避機動、対空武装、攻撃機動の開発を三ついっぺんにやらなきゃいけなかったんだ。とっくに脳ミソが足りねえから自分のクローンを作れってGMSに怒鳴り込んでる」
その光景を想像したのか、テオは微笑んだ。
「時間か……そうだね。時間さえあれば」
ユウの瞳に強い意志が戻り、ガスと見つめ合う。お互いの考えていることがわかった気がした。
ガスが先に降参する。
「同じこと考えてるみたいだからさ、先に言うぜ。俺は隊長の命令に従う。でも、命令より優先することが一個だけある」
「なんです?」
「リグを生き延びさせること」
ユウにガスはうなずく。
「根拠がないからいままで言わなかったんだけどよ、隊長のクローンができたとして、そいつはいまの隊長と同じ能力を持ってるかな。なぜかわからねえが、俺にはそう思えねえんだ」
考え込むテオを横目に、ユウも顎に手を当てる。
「そうだね。リグの戦術開発能力は、僕らにも弱いけど発現してる。テオの対空射撃能力とは違う。固有の才能じゃなくて、そういう訓練を長く積んだように思える。仮にそうだとすると、リグのクローンは僕らと同じだ。戦術開発能力はさほどでもないかもしれない」
「な、そんな気がするだろ? だからよ、隊長には何が何でも生きていてもらわなきゃ困るんだよ。一から隊長と同じ域まで戦術開発能力を育てる余裕はねえ。どうしたって生き残ってもらう。そうすりゃいつかは奴らに一泡吹かせてくれる。俺の代わりはいるが、いまの隊長の代わりはいねえんだ」
ユウがくすりと笑う。
「それ、リグが聞いたら真っ赤になって怒るよ」
「だろうな。構いやしねえ、事実だ。だから、いざもう駄目だってときに隊長がぐずるようなら、手足の骨を折ってでも連れて逃げるぜ」
「なにもそこまでしなくても……」
「いいや。テオ、あの隊長だぞ。頭に血が上ったら何をするかわからねえ。対策は必要だ。戦術コンでなにかするかもしれないから、できれば首の骨も折っておきたいくらいだ」
うんうん、とユウはうなずく。
「巨大飛行船のときだって、俺はそのつもりだった。上空でリグの戦術コンの情報を追いながら、どうしても駄目そうならリグを撃墜してでも生き残らせるつもりだったんだ」
そこまで言って、ガスは頭をかいた。
「まさか自爆も狙ってたとは思わなかったけどな」
「リグはそのへんの自覚がさっぱりないんだ。最悪だよ」
ぼやきながら、ユウはテオを見る。
「テオ。僕らの考えは聞いたとおりだ。できれば君にも協力してほしい」
「もちろんです。もとから惜しむ命じゃありませんが、隊長がいつかきっとやってくれる、そう思えるならますます悪くありませんね」
「リグは相当怒るし、傷つくだろうけどね。ユキのときがそうだった。でもこれは人類にとって……いや、僕たちが奴らに勝つために必要なことだ。たとえ都市一つまるごと明け渡すことになろうとも、リグだけは生き延びさせる」
三人はうなずきあう。
「できれば、この中の誰かも生き残ってほしいな。リグを一人にしたくないんだ」
「ま、それは決めとかなくても、出たとこ勝負でいいんじゃねえかな」
「そうですね。隊長を生き残らせる過程で色々あるでしょうし。生き残った人が隊長を支えるということで」
ガスは大きく伸びをした。
「よっし。話はまとまったし、もう寝ようぜ。隊長のあの様子だと、夜中に小隊長権限で覚醒信号ぶちこんできたあげく、ちょっとこれ試してみろ、なんて言いだしそうだ」
ひさしぶりに三人は揃って笑った。
その光景を、格納庫を直接望めるブリーフィングルームからユキが見下ろしていることには誰も気づかなかった。




