ラッカロウゼキ(正樹視点)
閲覧、ブックマーク、評価、感想をありがとうございました。
本編が完結してひと月程経ちますが、ずっと外されないブックマークがあったので、もしかして別視点や続編を期待されてる?と勝手に解釈して、正樹視点を書いてみました。
本編の内容をサラリとダイジェストで、と思っていたのに気が付けば8000文字弱。本編は1話辺り1000文字超で分割していたのですが、だいたい7話分です。
スマホでちまちま書いていて今更分割も大変なのでそのまま一挙公開させて頂きます。
少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。
幼稚園の夏休みに愛美がうちに遊びに来ていた日があった。その日はとても暑い日で、母に庭へビニールプールを出してもらって、愛美と航樹と俺の三人で水遊びをした。
散々はしゃいだおかげで、昼ご飯を食べる頃には航樹がコクリコクリと舟を漕ぎ始めるし、俺もしきりに目を擦っていた。そんな様子を見て母がお昼寝を提案したのも当然の事だろう。
タオルケットに包まれると航樹はすぐに寝てしまったし、俺もうとうとしていてまぶたを上げることが出来なくなった。
「愛美ちゃんはまだ眠くないの?」
「うん。ねれないの」
「じゃあ、おばちゃんと少しおしゃべりしようか」
「うん」
俺と航樹を気遣って小さな声で話しているけれど、二人の声は不思議とよく聞こえていた。
「愛美ちゃんは大きくなったら何になりたい?」
「お嫁さん」
「お嫁さんか。…幼稚園で好きな男の子が居るの?」
「ううん」
「じゃあ、一番仲の良い男の子は?」
「んー。まーくん」
その後の会話は憶えていないからおそらくそのまま寝てしまったのだと思う。
今思い起こすと別にそんなことは言っていないのに、この時の俺は、「大きくなったら愛美は俺のお嫁さんになるんだ」と思い込んでいた。
単純なものでそれ以来、母を溺愛している父を真似て道を歩けば愛美の手を引いて俺が車道側を歩くようになったし、重いものを代わりに持ってあげるようにもなった。とはいえ、まだ幼稚園の頃だ。他に気を取られていれば忘れるし、逆に愛美に虫かごとか荷物を押し付けることもあったから、愛美からすれば俺の気遣いは随分と気まぐれに感じただろう。
中でも最悪だったのが、愛美が積み木で大きなお城を作っていた時の事だ。他の友達が積み木が足りなくなったので愛美に「貸して」と言ったら、まだお城が完成していなかった愛美が渋ったので、相手は癇癪を起こして手にしていた積み木を愛美に投げ付けたのだ。
俺はなんとか愛美に当たらない様に投げ付けられた積み木をはたき落としたが、振り回した腕が積み上げられたお城にぶつかり、音を立てて崩れてしまった。
結果的に俺が崩してしまったかもしれないけれど、俺だってそんな事になるなんて思わなかった。それなのに泣かれてしまって、崩した事実だけが愛美の中に残ってしまった。
俺もすぐに謝れば良かったのに愛美の泣き声に気まずくなって知らん振りしたものだから、事ある毎に「積み木のお城を壊した」と言われるわ、迎えに来た母に告げ口されるわ、苦い思い出だ。
その時に、愛美を泣かせない、と誓ったのにも関わらず、その後も俺は度々、彼女を泣かせることになった。
二度目の大泣きをさせてしまったのは、お互いの家族が集まって河原でバーベキューをした時だ。
航樹とサッカーボールで遊んでいたら、突然、愛美が大声を張り上げた。
何で急に怒り出したのか分からず、こっちも腹が立ってくる。次第に泣きじゃくるようになった愛美の言葉を要約すると、折角見付けた四つ葉のクローバーを俺が踏み潰してしまったらしい。愛美は元々泣き虫ですぐに泣くけど、あの時の泣き方は尋常じゃ無かった。
翌日、代わりの四つ葉のクローバーを探しながら改めて愛美を泣かさない様にしようと決意したのに、その後も何度も涙を見る事になった。
小学校に上がると滅多にお互いの家に行き来することが無くなった。下手に近づくとまた愛美を泣かせてしまうので、正直ホッとしたという思いもあった。
それでも引っ込み思案で泣き虫な愛美と、異性で一番話していたのは俺だろう。
それぞれに同性の友達が増えて愛美と一緒に居ることが自然と少なくなったから、俺は距離を取って愛美を見守る事にした。
一度目の失恋は、小学四年生の時。
学年全体が、異性の名前呼びに敏感になっていたからか、愛美が俺を「小林くん」と名字で呼んだ時だ。心臓が凍り付いたかと思った。小学校に入学して以降、交流が減っていたので当然のことかもしれないが、距離を取ったことが悔やまれる。
二度目の失恋は、中学三年の文化祭。相変わらず愛美と交流は無かったが、三年になってから愛美と視線が合う事が増えた。テニス部の試合もよく見に来てくれて、友達と一緒に俺の追っかけをしているようだった。
いつも愛美と一緒にいた空田理沙から呼び出された時にはきっと愛美に頼まれて俺を呼び出したのだ、と勘違いして舞い上がった。しかし、実際に告白をしてきたのは空田だったのだ。
三度目の失恋は、高校一年…まさに今だ。父の容態が急変して病院から連絡があった時、タイミングが悪い事に公立の受験日だった。仕事中の母に連絡が着かず、二つ目の連絡先だった俺のスマホが鳴ったのだ。試験会場から病院に向かう途中で母と連絡が着いたが、駆け付けた母を前にしても父の意識は戻らなかった。父が母を泣かせたところを初めて見た。
茫然自失の母を支えて葬式や初七日に追われていたので、後日設けられた受験日にも受けに行く気になれなかったし、今思えばランクを下げて二次募集を受ける事も出来た筈なのに、当時はそこまで思い至らなかった。
頭の中が白い靄に包まれた様な現実感の伴わない生活から目が覚めたのは、愛美がおかずを差し入れるために頻繁に顔を出す様になったからだ。
三つ子の魂百までというが、相変わらず俺は彼女の前では格好を付けたかった。バイトで殆ど会えなかったけれど、たまに見かける愛美の姿とどんどんと上達する彼女が作ったおかずに癒やされていた。
それなのに、もしかしたら彼女は俺を避けているのかもしれないと気付いてしまった。俺のバイトが休みの水曜日はうちに来ないようにしているようだ。
しかも顔を合わせた時には必ず「こーくんは?」と聞いてくるのだ。俺には視線も合わせないのに航樹を見付けると途端に緩んだ笑顔を見せる。
愛美は航樹のことが好きなのだろう。そう思い至ると癒やされたはずの心がチリチリと痛くなる。
その日はバイトが無い日だったので、学校が終わると真っ直ぐに家に帰ってきて自室で着替えてから、リビングのソファーに転がった俺に航樹が声を掛けてきた。
「ちょっと友達のところ行ってくる。愛美には勝手にうち入って良いよって言っているから。…まぁ今日は来ないと思うけど」
航樹はそう一気に話すと慌ただしく出掛ける。ひと休憩したら部屋に戻ろうと思っていたのに、いつの間にか眠ってしまった。
甘い匂いがして目が覚めるとそこに愛美が居た。
インターフォンの音に気付かない程眠りこけていたのだろうか、と思ったけど航樹が言っていた事を思い出して、玄関の鍵を閉めていなかったからか、と思い至った。
「あ、あの…こーくんは二階?」
ふんわりと笑っていた様に見えた愛美の顔が俺だと気付くと一瞬で強張っている。案の定、上擦った声で航樹の居場所を確認してきた。
チリチリとした痛みとは別に、久しぶりに会えた愛美に胸が高鳴るのだから、俺の心臓は随分と忙しい。
改めて愛美を見るといつもと違う雰囲気だと思った。その理由は彼女が制服姿だったからだろう。
俺の通う蒼星高校はブレザーだが、愛美はセーラー服を着ていた。愛美の胸元の赤いスカーフに白貴高校の制服だと気が付いた。中学の時の愛美の成績は悪くは無かったという印象だが、白貴は学年でも十番以内……二十番以内だとボーダーラインという進学校なので、その制服を着ている事が意外だった。
「制服姿、初めて見た」
愛美には悪いが本当に白貴の制服だろうか、と目を細めて見てしまった。
思わず凝視していたのが悪かったのだろう。愛美は顔を青くして俯いてしまった。
「こーくんは?」
制服に関しての話題に乗る気は無いらしく、もう一度航樹の居場所を確認してきた。
「まだ帰ってない」
そんなに航樹の事が気になるのか、と痛む胸を押さえて声を絞り出す。寝てしまったとはいえ、壁に掛かっている時計を見るとそんなに時間は経っていないからまだ帰っていないだろう。
自分でも意図していなかった低い声に愛美の顔が、血の気が引いたように白くなった。
体調が悪いのでは無いかと心配になったが、倒れそうな顔色に急に赤みが差し、わたわたと動き出す。
学校指定のスポーツバッグから取り出されたのは、二個のカップケーキだった。透明なビニール袋に入れてモールで口を留めている。
愛美が纏う甘い匂いの元はこれだったのか。
「どうぞ、食べて?」
ずっと逸らされていた視線が俺の目を捉えた。
口元に小さく笑みを浮かべて小首を傾げてカップケーキを差し出す愛美を見て、邪な感情が渦巻く。
もう嫌われてもいいんじゃないか。
開き直りとも取れる思考に支配されて、無意識に愛美をソファーに押し倒していた。
愛美の手から離れた鞄とカップケーキが床に転がる。
愛美は驚いた顔で瞬きを繰り返している。その大きな目を縁取る長いまつげまでもが、俺の欲望を刺激している事を愛美が知ったらどうするのだろう。
もう押し倒してしまったのだから今まで以上に怖がられるのは確定だ。ここで止めるなんて選択肢は勿論無かった。
視界の中で揺れる赤いスカーフを引き抜く。
愛美の手が俺の胸を押してきたけど、その必死な表情とは裏腹に本気なのかと疑いたくなる程弱い力だ。
愛美の制服の胸ポケットから紺色のカバーが掛かった手帳が滑り落ちた。
愛美が俺の胸をグイグイ押しているが、それが抵抗になっていない事を示すために、ゆっくりと顔を近付ける。
「食べていいんだろ?」
これからする事を意識させるように、顔を寄せて近付いた愛美の形の良い耳に俺の欲を吹き込んだ。愛美がカップケーキの事を言っていたのは勿論分かっていたが、誘ってきたのはお前だと言わんばかりにあえて「食べる」という言葉を使う。
今は航樹の事なんて考える余裕も無いだろう。もっと俺を見て、俺の事だけ考えて。
俺の声に怯む愛美の両手を捉えて左手だけで愛美の頭の上で押さえつける。
服の上から空いた右手の指先で腹を撫でると、身を捩りながら全身を赤くする愛美に仄暗い喜びを感じた。
キャミソールを上に捲り直接触ると、少し汗を掻いてしっとりとした滑らかな感触と、愛美の口から漏れた感じた様な声に興奮した。
きらりと光る物が愛美の目尻に浮かんだ。
吸い寄せられる様に唇で透明な雫を拭い取る。
泣かせるつもりなんて無かった。俺は昔から愛美の涙に弱かった。
一瞬で戻ってきた理性に、俺を支配していた欲望が小さくなっていく。
さっきまで、どうにでもなれと自暴自棄になっていた事を後悔しても遅い。愛美を捉えていた左手から力が抜けた。
「正樹!愛美に何しているんだ!」
リビングの扉を開けて、いつの間に帰ってきていた航樹が声を荒らげた。
びっくりして、俺も愛美も体を起こす。
「航樹」
「こーくん」
俺と愛美は、同時に航樹の名前を呟いた。
不意に止まったはずの愛美の涙がポロポロと溢れ出してきて、俺は激しく動揺した。
愛美の涙も当然だ。
助かったという安堵の涙かもしれないし、航樹にこんな所を見られてしまったという涙かもしれない。
やはり俺は愛美を泣かすことしか出来ないのだ。
急に愛美がソファーの上に膝を付いて体を起こすと俺の頭に腕を回して抱え込まれた。
「違うの」
「違うって?」
頭の上で愛美が言った。航樹の震えた声が先程より近くで聞こえた。愛美の胸にしっかり抱き込まれしまって航樹の方を見ることは叶わなかった。
「まーくんならいいの」
懐かしい呼び方に、そんな場合では無いのに嬉しくて何も考えられなくなった。
「まーくんじゃなきゃイヤなの」
愛美の甘い匂いに包まれながら、愛美の言葉の意味を考えるけど、全く何が起こっているのか把握出来なかった。
「あたし、まーくんが好きなの」
頭に回された愛美の腕に力が入って更に引き寄せられる。
航樹は?航樹の事が好きじゃなかったのか?
混乱した頭では…いや、おそらく冷静であったとしても、愛美の気持ちが理解できない。
「…正樹の事、庇っているのか?」
そう問いかける航樹の声は先程よりは落ち着いていた。
「ううん。庇ってない」
「だって、愛美は最近ずっと正樹を見たら怯えていただろ?」
「違うの。好きだから緊張してどうしたらいいか分からなかっただけなの」
愛美から二度目の好きという言葉を聞いて、耳の先が熱くなった。
ようやく思考が追いついてくる。
いつまでも愛美に守られている状態は格好悪い。垂れたままだった両手を愛美の肩に置いてそっと体を離す。
膝立ちだった愛美がペタンと座り込んだ。赤くなった顔がこちらを見ていてその様子に癒やされる。
「航樹、悪いけど愛美と二人で話したい」
「…………後で一発殴らせろ」
「分かった」
航樹は低く唸り声を出していたが、俺と愛美を素早く見比べて、この場は引くことにしてくれた。身を翻してリビングを出ていった。
殴られるくらいは当然だと思った。
「あの……さっき言った事、忘れて欲し「無理」」
オズオズと切り出してきた愛美が言い切る前に慌てて割り込んだ。
「俺の事、好きなのか?」
「好き」
愛美は、潤んだ瞳でこちらを見ながら即答しつつも、全身真っ赤にして直ぐに俯いてしまった。
まるで夢のようで信じられない。
「顔を合わせると固くなって、一言目には『こーくんは?』っていつも航樹を気にしてて、航樹と話している時は楽しそうに笑ってて、航樹の事が好きなんだと思ってた」
「違うの」
久しぶりに心は凪いでいるのに、つい愛美を責めるようなことを言ってしまう。
愛美は顔を上げて慌てて否定してきた。その必死さが可愛くて仕方ない。抱き寄せてキスしたい衝動を抑えて、頭を撫でるだけで我慢する。
散々、不誠実な態度で振り回したのだ。今、キスをしてしまうのは駄目だ。また変な誤解が生まれてしまいそうだ。
「俺は嫌われていると思っていたから、どうせ嫌われているならとことん嫌われてやろうと思って…悪かったな」
「違うの」
どこか壊れてしまった様に同じ否定を繰り返す愛美。その否定に拒絶は感じられない事が救いだ。
彷徨っていた愛美の視線がある一点で止まると、急に床に向かって手を伸す。予想外の行動を見守っていると愛美は床に落ちていた生徒手帳を拾い上げた。
「嫌いだったら持ち歩いたりしないよ」
生徒手帳から取り出したのは、切り抜かれた写真だった。
どうだ、と言わんばかりに突きつけられた写真には、テニス部だった時の俺がボールを打ち返そうとしている瞬間が写っていた。
周りが切り取られているから何処で撮られたものか分からないが、試合用のユニフォームを着ているからどこかの大会だったことは間違いない。
驚きと気恥ずかしさが合わさって耳が再び熱くなった。
「あの……」
ここまで何度も言葉を重ねて俺に気持ちを伝えてくれたのに、愛美は更に重ねようと声を掛けてくる。
ここに至ってようやく俺は、自分の気持ちを伝えていない事に気付いた。
「あの……」
「愛美のことが好きだ。彼女になって欲しい」
「か……のじょ……」
「あんなことしても、まだ俺のこと好きでいてくれるなら考えて欲しい」
なんで初めから自分の気持ちを伝えなかったのだろう。先ずは知ってもらう事が大切なのに。
愛美の気持ちを散々聞いてから言うなんて、卑怯な気もするが、ちゃんと俺の気持ちも伝えて置かなければ、またすれ違ってしまう。
しかし、やっぱり襲ってしまったのは不味かったのか、愛美はポカンと口を開けて固まってしまった。
「断られても逆ギレとかしないから……それは約束する」
もしかしたら、またやらかすかもしれない俺を警戒しているのかもしれない。
と思っていたら、愛美が緊張した面持ちで口を開いた。
「好きです。付き合ってください!」
告白の返事では無く、告白された。
愛美の顔が「しまった!」と言わんばかりの顔になっている。
「違うの。ずっとまーくんに言わなきゃって思ってたから、つい」
あたふたと身振り手振りを交えて話し始めた。
「あの、理沙ちゃんに『マナちゃんの番』って言われて……あ、写真、理沙ちゃんがくれたの。それでね、まーくんと同じ高校に行けたら告白しようって…」
学校や勉強の話に、料理を始めた話。堰を切ったようにあちこちに飛びながらここ数ヶ月分の愛美を語ってくれた。
「…………授業に全然ついて行けないの」
中間試験で数学と古典と生物と世界史で赤点だったとしょんぼりして、話が止まった。
料理もちゃんと作ったことが無かったのに、俺に食べてもらいたかったから頑張った、とか、もう、なんだろう……可愛いしか無い。
「本当にあたしで良いの?」
「愛美が良い」
愛美しかいらない。今、俺はだらし無く緩んだ顔を晒しているのに違いない、と自覚があるけど、幸せ過ぎて緩んだ顔を元に戻すことなんて無理だった。
「あたしも、まーくんが良い」
俺を前にすると緊張すると言っていた愛美も、へにょっと力の抜けた照れ笑いに、もう我慢の限界だった。
腕の中に引き込んでおでこにキスをする。
「そろそろ帰らなくてもいいのか?送る」
窓の外は日がおちて暗くなっていた。帰したくないけど帰さないとやばい。愛美の甘い匂いに俺が暴走しそうだ。
今度こそ、もう二度と愛美を泣かせる事はしない、と固く誓った。
「走ったら一分かからないよ」
「送りたい」
遠慮する愛美の手を引いて、歩いて三分の道のりをゆっくりと歩く。住宅街の夜道は十分に明るい。立花家の門の前でもう一度おでこにキスをすると、愛美が玄関に入るまで見届けて自宅に戻った。
「航樹」
帰ったらすぐに航樹の部屋のドアをノックする。
「…………」
ドアを開けた航樹はブスッとした不機嫌な顔で部屋へ入れと示した。
言われるがままに部屋に入ると、腹に衝撃が来てその場にしゃがみ込んだ。早速一発殴られたようだ。
航樹もドカッと荒々しく隣に胡座をかいて座り込む。
「で?」
「愛美と付き合うことになった」
「……愛美はオレだと思ったのに」
「そうだな。俺もそう思ってた」
「うわっ!腹立つ!」
ここで謝るのも違うか、と口を噤む。
「……でも、まぁ、良かったじゃん。おめでとー」
「ああ。カップケーキがあるんだけど食う?」
「遠慮なく貰うよ」
愛美を送る前に拾っておいた二個のカップケーキはリビングのテーブルの上にある。
普段甘いものを食べない俺がカップケーキを買ってくるはずも無く、航樹は愛美から貰ったものだと察したようだ。
航樹とこうして話すのは久しぶりの事だった。
父が亡くなって以降、母はパートを辞めて正社員の職を探した。気分が乗らなくて公立の試験を蹴ったが、俺が私立に入った事で、母が朝から晩まで働き詰めになったのだと気付いた時には遅かった。もっと公立にしがみつけば良かったのだ。少しでも足しになる様にバイトを始めたけれど、母の帰りは遅いままだ。
「航樹は公立しか選択肢が無くなって悪いな」
「別に。行くよ、オレ。愛美と同じ白貴に」
俺の反応を楽しむようにニヤニヤとしている航樹にムッとするが、俺には何も言う資格が無い。
「正樹はさ。長男だから家族を守らなきゃ、とか思っているんだろうけど、母さんは、ずっと仕事してた方が父さんが居ない事に耐えられる、って言ってた。保険金も入ったし家計はそんなに逼迫してないって」
いつの間にそんな話をしていたのか、全く知らなかった。
葬式の準備をしている時、母は憔悴していて父は母の魂も一緒に連れて行ったのでは無いかと思うほどだった。
だからこそ、俺がしっかりしないと、と思ったのは事実だ。それを航樹に見破られていたとは思わなかった。
そもそも俺は、無表情だとか、感情が分かりにくいとか、言われていたのだ。
「一人で抱え込む必要なんて無いからな。せいぜい愛美に甘えさせてもらったら?」
隙あらば愛美とのことをからかって来る航樹に苦笑いしながらも、それが航樹なりの気遣いなんだろう、と感じた。
この後、晩御飯を作るのを忘れて、仕事から帰ってきた母に呆れられながらファミレスに行く事になった。
航樹に愛美と付き合い始めた事をバラされ、二人に散々イジられてしまった。
2021.7.15 正樹視点完結
2022.5.31 文章修正
2025.3.26 文言修正




