第9章:白磁の混浴、あるいは巨大臼砲(スキャン)の恐怖
一、 純情の硬直と、ネグリジェの自由恋愛
一升瓶の日本酒による「消毒」という名目のもと、高級ジャグジーの湯船の中で、大宮徹三兵長は文字通りの「直立不動」になってフリーズしていた。
二十六歳。昭和十六年の在営以来、過酷な内務班の規律と満州の泥にまみれ、日課の慰安所通いこそあれど、それはただの乾いた欲望の発散に過ぎなかった。軍隊に入る前は、まともな酒も、タバコも、ましてや堅気の「女」になど一切縁のない純情な男だったのだ。湯気の中に浮かぶ畑中愛看護主任の白い肌をまともに見ることすらできず、ロバの耳を真っ赤にして視線を泳がせる大宮を見て、畑中は思わずクスリと笑声を漏らした。
「なによ大宮さん、戦場ではあんなに図太い古参兵のくせに、案外ウブなのね」
至福の混浴が終わり、脱衣所を出た大宮を、さらなる天変地異が待ち受けていた。
麗華院長から「これでも着てなさい」と貸し出された、薄手のシルクでできた透き通るようなネグリジェを纏った畑中主任が、リビングの床に敷かれた二つの布団の横にぽつんと立っていたのだ。
「……ねえ、大宮さん。今日は、ここで2人で一緒に寝ようよ」
「――なっ、貴様、ふざけるなッッ!!!」
大宮兵長は、スウェットの尻の中で軍袴の記憶を残した灰色のロバの尻尾をビキィィンと垂直に逆立て、文字通り腰を抜かした。
「お、おのれ愛ちゃん! 貴様はまだ、どこに嫁いでも恥ずかしくない立派な『嫁入り前』の日本の婦女子だろうがッ! 籍も入れんうちから、男と同じ褥に入るなど、不順極まる! 内務班の規律以前に、人道が許さんわ!」
「あはは、バカじゃないの? 今時そんなこと普通じゃない。ほら、お酒も入ってるんだから固いこと言わないの」
畑中は可笑しそうに笑いながら、先に布団へと潜り込んだ。
「……じ、自由恋愛、というやつか? 内地(日本)は八十年の間に、そこまで個人の情交が自由になったというのか……」
大宮は目を丸くし、おののきながらも、引き寄せられるようにして隣の布団へと身を横たえた。
だが、布団に入った瞬間、大宮の全身は鋼鉄のごとく硬直した。
すぐ隣から漂う、石鹸と女の甘い匂い。頭の上の灰色のロバの耳は恐怖と興奮でピンと尖り、スウェットの尻の中で尻尾も棒のように強張って、ピチピチとシーツを叩くことすらできない。完全に寝付けないまま、天井の照明器具を大真面目に見つめ続ける大宮。
一方で、畑中主任もまた、自分がこの泥臭い化け物日本兵に対して、なぜこれほどまでに積極的になれているのか、我ながら激しい驚きを覚えていた。看護師の介助者としての同情ではない。八十年の断絶を背負い、日本の婦女子を守ると涙を流したこの不器用な男の「本物の骨」に、確かに魅かれていたのだ。
静まり返ったタワマンの一室、硬直する二人の間に、かすかではあるが、確かに「本物の愛」が芽生えようとしていた。
二、 究極の清潔区域と、写真査閲
翌朝。運命の月曜日がやってきた。
大宮兵長は、麗華院長と畑中主任に連れられ、秘密裏に『高峰美容整形クリニック』の裏口から館内へと足を踏み入れた。
外は八月の猛風が吹き荒れる真夏盛りだというのに、クリニックの内部は最新の空気調和設備によって、肌寒いほどの冷気が心地よく満ち満ちていた。大宮は「満州の極寒の駐屯地を思い出す涼しさでありますな」と場違いな感嘆を漏らした。
だが、すぐに「特患(特別患者)」としての過酷な現実が始まった。
麗華院長は「私の大学教授への切符なんだから、一枚も狂いなく記録するわよ!」とギラギラした目を光らせ、大宮の腕から現代の真空採血管を使って何本もの血液を容赦なく絞り取った。大宮は「衛生兵の注射器より痛くないな……」と歯を食いしばる。
続いて、畑中主任が持った最新の高画質デジタルカメラによって、大宮の頭部から生えたロバの耳、そしてスウェットのケツを捲り上げ、尻のラインから生々しく生え出ている『灰色のロバの尻尾』の接写写真が、バシャバシャと何枚も撮影されていった。
「軍医殿、カメラによる査閲は、一体何の軍事機密に使うのでありますか?」
「アンタを世界的な学会でデビューさせるための、最高のエビデンス(証拠)よ。じっとしてなさい!」
三、 巨大臼砲の恐怖と、滝汗の絶叫
「さあ、いよいよ本番よ。第一検査室の『CTスキャン』へ移動して」
麗華院長に促され、薄手の青い患者用検査着(お尻の部分に、大宮が自分でハサミを使って尻尾用の穴をあけたもの)を纏った大宮は、重厚な鉛の扉の奥へと足を踏み入れた。
その瞬間、大宮兵長のロバの耳が、恐怖にビキビキと垂直に直立した。
部屋の中央に鎮座していたのは、大宮が見たこともない、中央にぽっかりと巨大な暗黒の空洞をあけた、純白の巨大な円筒形の構造物――最新鋭の『マルチスライスCTスキャナ』だった。
その、人間の身体を丸ごと飲み込もうとするかのような、重厚で無機質な鉄の塊の威容。大宮の脳裏に、昭和二十年八月の奉天で、若い日本兵を履帯で圧殺し、一五二ミリ榴弾砲の黒煙の向こうから迫ってきた、ソ連軍のあの重戦車の巨大な「砲身」のイメージが、鮮烈なフラッシュバックとなって襲いかかった。
「――な、なんじゃあこりゃあぁぁぁぁぁッッッ!!!」
大宮兵長は、検査着の裾を振り乱し、軍袴の尻の尻尾を完全に股の間に巻き込みながら、部屋の隅へと飛び退いて絶叫した。
「軍医殿ッ!!! おのれ、やはり俺を拷問にかける気だなッ! 俺がこのような、ソ連軍の新型の『超大型口径重臼砲』の砲身の中に、生きたまま叩き込まれてたまるかッ!! 砲撃の圧力で、一瞬で肉片にされるぞッ!!!」
大宮の全身から、奉天の泥戦の時をも遥かに凌ぐ、凄まじい量の「滝のような脂汗」が噴き出し、新調した検査着を瞬く間に濡らしていった。
「ちょっと大宮さん、暴れないで! 臼砲(大砲)じゃないわよ、ただの骨格のスキャン(検査機械)だって言ってるでしょ!」
畑中主任が慌ててすがりつき、大宮の強靭な古参兵の腕を必死に抑え込もうとするが、大宮は「愛ちゃん離れろ! 爆発するぞ!」と大真面目に叫び、全裸に近い検査着姿のまま、床の上で完璧な「肉薄爆破の伏臥(ほふく前進)」の体勢をとって頭を抱え込んだ。
最新医学の結晶であるCT室の中で、大真面目に戦車砲の恐怖に怯えて滝汗を流す化け物日本兵と、それをヘロヘロになりながら引っ張り上げようとする看護主任。
二人の芽生えたばかりの「奇妙な愛」は、この最新医療の不条理な防壁を前に、早くも最高のブラックユーモアを孕んで大爆発するのだった。
(第10章へつづく)




