四十八の炎
四十八の炎
その時、一瞬の閃光が、すべてのモノを強烈に照らし出した。
通り沿いに設置されている火の見櫓が、直撃雷を受けて炸裂すると、大音響と共に火柱が上がって大きく燃え広がった。
耳を劈く凄まじい背後の落雷に、一瞬、気を取られた魔餓鬼は、快炎鬼から目を逸らしてしまった。
すかさず魔餓鬼に駆け寄った快炎鬼は、魔餓鬼の顔面に強烈な右のフックを見舞うと、魔餓鬼は顔面を歪めながら大きく後方に吹っ飛んで転がり、全身が泥塗れになった。
殴られた頬に手を当て、魔餓鬼は薄笑いを浮かべながら言った。
「……嬉しいですねぇ」
「初めてですよ。私がパンチを受けて倒されたのは……」
「そんなに嬉しけりゃ、もっと喜ばせてやるぜ!」
快炎鬼は起き上がろうとしている魔餓鬼に素早くと近づくと、再度、魔餓鬼の顔面を狙って右のフックを放った。
魔餓鬼は左肘でブロックすると、珍しくも大きな声を出して反撃した。
「図に乗っているんじゃなーい!」
強烈な魔餓鬼のボディブローが、快炎鬼の左の横腹に杭入るようにして入った。
「ウッ!」と小さな呻き声を出し、苦痛で腹を抱え込むようにして下を向いた快炎鬼のテンプルに、凄い勢いで回し蹴りをした魔餓鬼の横蹴りが、見事にヒットした。
大きく横に吹っ飛んだ快炎鬼は、大店の前に積み重ねてあった火消し用の木桶に頭から突っ込んだ。
積み重ねられた火消し用の木桶は一気に崩れ、路上に倒れ込んだ快炎鬼の上に落下した。
魔餓鬼は崩れた木桶に近づくと、這いつくばりながら木桶を押し除け路上に出ようとした快炎鬼の顔面を横蹴りにした。
大きく横に飛んだ快炎鬼は、隣の店先に「薬種」と書かれた木製の箱看板の旅籠行燈に派手に激突すると、脆くも旅籠行燈は木端微塵となって潰れ落ちた。
さらに魔餓鬼は、必死になって起き上がろうとしている快炎鬼を何度も容赦なく蹴り続けた。
グロッキー状態の快炎鬼は反撃することもできず、両腕で頭を抱えて防御することが精一杯で、魔餓鬼のしたい放題の暴行が暫く続いた。
エバは二人から少し離れた所で、苦笑しながら快炎鬼の様子を冷静に眺めていた。
「……あらら」
「勝ったも同然とか豪語していたのに、やられっぱなしじゃないの?」
エバは路上に転がっている一個の木桶を拾った。
暴行を続けている魔餓鬼の背後に立ったエバは、持っていた木桶で魔餓鬼の後頭部を殴りつけた。
「調子こいてやってんじゃないよ、いつまでも―――ッ!」
ブッ壊れた木桶の破片は、外れたタガとともに路上に落下して散らばった。
殴られた衝撃でグラリとよろめいた魔餓鬼は、物凄い形相でエバを睨みつけた。
「許しません!」
魔餓鬼はゆっくりと、エバの方に身体を向けて通告した。
「最後の楽しみとしてあなたを残して置くつもりでしたが、逆鱗に触れたあなたを先に始末することにします」
いつしか雨は止んでいた。
路上で立ち止まっていたエバは腕組みをして、ゆっくりと近付く魔餓鬼を威風堂々と待ち構えていた。
「上等じゃないの!」
「やれるものなら、やってみな!」
二人のやり取りを目撃した快炎鬼は、慌てて起き上がると、背後から魔餓鬼に飛びつき両足をガッチリと捕まえた。
とその時、大通りの向こうからどよめきとも喚き声とも判別できない不気味な音が、地響きのように伝わってくるのがハッキリと分かった。
「な、何事ですか?」
「ハンパじゃねーぞ。この声は?……」
魔餓鬼と快炎鬼は動きもせずにそのままの態勢で、得体の知れない声がしている方を凝視した。
―――
大通りの突き当りは、大店が店を構えているためにTの字型になっていて、道は左右に別れていた。
町角を曲がった黒い集団が、突然三人の前に姿を現した。
黒い集団の正体は、数え切れないほどの百姓たちの群れだった。
百姓たちはボロ着の裾を尻まで捲り上げ、手拭いで頭を覆って頬かむりをして、中には菅笠を被っている者もいた。
百姓たちが手にしている農具は備中鍬や風呂鋤、杭を打ちつける大きな木槌や竹やり、長い柄の付いた鎌切などを持ち、気勢を張り上げながら表通りを進んできた。
集団の先頭では、手拭いを鉢巻き代わりにしたリーダーらしき男が、大きく鍬を突き上げて百姓たちを先導した。
「かかぁとガキを死なせるなーッ!」
群衆たちはリーダーに続き、農具を突き上げて気勢を上げた。
「お―――ッ!」
「役人どもが来ても怯むんじゃね―ッ!」
「おお―――ッ!」
「生きるか死ぬかの攻めぎ合いだ!」
「おおお―――ッ!」
「邪魔するヤツは、片っ端から、ぶっ殺せ―――ッ!」
「おおおお―――ッ!」
―――
百姓たちの暴動の原因に、快炎鬼は直ぐに気が付いた。
『百姓一揆だ!』
『この騒ぎを見逃す手はねぇッ!一気にケリを付けてやる!』
快炎鬼は俯せに倒れた魔餓鬼を素早く仰向けにして、「四の字固め」をかけた。
快炎鬼が自ら魔餓鬼の足を離さない限り、なかなかにして解き難いプロレス技である。
暴徒化した百姓たちの行動に仰天した魔餓鬼は、掴まれていない片方の足で快炎鬼の顔面を蹴りつけた。
「離しなさいッ!」
快炎鬼は顔面に強烈な蹴りを受けながら、ニッコリと笑いながら答えた。
「俺に捕まったのが、テメーの身の定めと思い知れッ!」
―――
集団の先頭を行く百姓たちが、ピタリと足を止めた。
一人の百姓が鋭い切り口の竹やりを前方に向けて言った。
「おい!あれを見ろ!」
前方の光景を目撃した全員が、小首を傾げながら呟いた。
「……妙な身なりをしたヤツらだ」
「……異人たちなのかもしれねーな」
別の百姓が意気込んだ。
「異人だろうが何だろうが、ワシらの行く手を阻むヤツらは誰一人として生かしちゃおけねーッ! 殺っちまえ―――ッ!」
百姓たちは武器を突き上げ、一斉に気勢を上げた。
【おおおおォ―――ッ!】
―――
雨上がりでぬかるんでいる大通りを、いきり立った百姓たちは道幅一杯となりながら突き進んできた。
迫り来る百姓たちの群衆を見て青ざめた魔餓鬼は、再度、快炎鬼の顔面を蹴りつけた。
「早く離しなさいッ!」
「殺されたいのですかッ!」
快炎鬼は笑いながら、魔餓鬼の蹴りを受けていた。
「望むところだ。道連れにしてやるぜ」
魔餓鬼は物凄い形相で、快炎鬼の顔面を蹴りつけた。
「ふざけるンじゃなーいッ!」
農具を持った怒れる百姓たちの群衆は、路上で転がりながら足を絡ませている快炎鬼たちの目前にまで迫ってきた。
迫り来る百姓たちを見た快炎鬼は、驚いた顔で群衆を見ているエバに向かって叫んだ。
「逃げろッ!」
「バカ言わないでよ!」
「逃げるのだったら、一緒でしょ!」
冷静沈着で非情だった魔餓鬼は、パワーが人間並みになってしまった事によって、迫りくる百姓たちの群衆に大きな動揺と大きな焦りを感じた。
絡み合った足を解くために、魔餓鬼は今まで以上に快炎鬼を殴りつけた。
魔餓鬼の猛攻撃に耐えながら、快炎鬼はエバに向かって命令した。
「俺に構うなッ!」
「一人で逃げろッ!」
「で、でも……」
躊躇うエバを、快炎鬼は初めて怒鳴りつけた。
「早く逃げろ―――ッ!」
快炎鬼の命令に従い、エバは大急ぎでその場から逃げていった。
エバが逃げた先は、大店の店先に設置されている「日除け幕」の裏側だった。―――日除け幕とは朝日や西日などの日除けのために、店先で帆布の下部に石の重しを括り付けている幕である。
焦る魔餓鬼は殴る手を止め、大声で叫んだ。
「は、離しなさいッ!」
ニヤリと笑って、快炎鬼は応えた。
「見損なったぜ。みっともねぇな」
「ジタバタするんじゃねぇよ。閻魔の息子の名が泣くぜ」
自分の足を持った快炎鬼は、折れんばかりに力を込めて絞め上げた。
全身を踏み続けられた魔餓鬼は反撃することもできず、大群衆の百姓たちの行動に対してなすがままの状態であった。
快炎鬼は魔餓鬼の足から手を離し、両腕で頭部を抱え込むようにして防御したのだが、百姓たちはまだ足を絡ませている二人の身体を容赦なく次々と踏みつけにしながら、豪商の米倉に向かって進んでいった。
―――
去ってゆく百姓たちの後ろ姿を見送りながら、日除け幕の裏側に身を隠していたエバが大通りに出てきた。
快炎鬼と魔餓鬼は足だけでなく身体も別々になって路上で転がっていた。
エバは心配顔で、身動き一つしていない快炎鬼に近づいた。
「……大丈夫だとは思うけど」
「いくら雨で下が泥濘んでるからと言って、あれだけの人数で踏みつけられたら、マジでヤバいかも?」
エバは快炎鬼に近寄ると、地に片膝を付いて快炎鬼を抱き起した。
「何やってんのよ!」
エバの腕の中で快炎鬼はグッタリしたままだった。
エバは叱責するような大きな声で言った。
「こんな所でクタバってる場合じゃないでしょうがッ!クタバるんだったらもっと派手に暴れ回って、もっとカッコ良くパッと綺麗に散っていきなさいよ!」
エバは身動きせぬ快炎鬼の頬を平手打ちにした。
「起きなさい!」
「あんたにはまだやり残していることがあるでしょうがッ!」
エバの背後で突然、声がした。
《……どうかなされたか?》
パッと振り返ったエバは、声の主を見上げて驚いた。




