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快炎鬼  作者: 吉田四郎
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四十七の炎

四十七の炎

壁に大きな穴を開けられたリハビリ室のフローリングの床に、折れて曲がったパイプが金属音を立てて落ちた。

エバの足元近くに落とされたパイプは、快炎鬼が手にしていたパイプだった。

快炎鬼を見据えたままの魔餓鬼の耳が、背後の金属音に僅かに動いた。

快炎鬼は魔餓鬼の懐に飛び込むと、魔餓鬼とともに激しく床に倒れ込んだ。

パイプを手放した魔餓鬼は、素早く快炎鬼の上で馬乗りになると、顔面を狙って強烈なパンチを見舞った。

快炎鬼は目前にまで迫った魔餓鬼のこぶしを横に振り叩くと、勢い余った魔餓鬼の拳は、快炎鬼の耳元を掠め、フローリングの床を突き破って、ボコッと大きな穴を開けた。

下から魔餓鬼を押し返した快炎鬼は、身をクルリと反転させると馬乗りになり、魔餓鬼の顔面を殴りつけたが、魔餓鬼も快炎鬼と同様に殴りかかった腕を強く振り払うと、快炎鬼は床にボコッと穴を開けた。

組んずほぐれずの取っ組み合いから、殴る蹴るなどの壮絶なバトルを続けている二人に向かって、エバはゆっくりと近づいた。

争っている二人の近くで立ち止まったエバは、快炎鬼に加担することもなく腕組みをしながら他人事ひとごとのように、その様子を見守っていた。

「……チカラは互角。優劣の差は余りなし」

「差が出るとしたら魔餓鬼の狡猾こうかつさか、それとも復讐と言う名の快炎鬼のパッションかしらねぇ?」

二人が激しくバトルを繰り返しているうちに、快炎鬼の強烈な回し蹴りが、魔餓鬼の顔面に見事にヒットした。

大きく吹っ飛んだ魔餓鬼は、床を滑るようにしてエバの足元まで近づいた。

エバは待っていましたとばかりに、魔餓鬼の頭部を横蹴りにした。

「気安く近づくんじゃないよ!」

何事も無かったかのように素早く起き上った魔餓鬼は、エバを見てニヤリと笑うと、何も言わずに快炎鬼の方に駆け寄っていった。

エバは魔餓鬼が無言で笑いを浮かべたことに怖気おぞけを感じた。

「な、なんなのよ。あの笑いは?……」

「最後の仕留めは、この私に決めたってこと?」

エバに背を向け、魔餓鬼が勢いよく快炎鬼に迫ってきた。

魔餓鬼を目前にまで引き付けた快炎鬼は、タンと床を強く蹴って飛び蹴りを入れた。呆気なく魔餓鬼に飛び蹴りを避けられた快炎鬼は、激しく床に身体を叩きつけられると、そのままの態勢でエバに向かって滑り込んでいった。

靴底のかかと部分で床を削り取るようにして急ブレーキを掛け、スッと起き上がって直立すると、そこには呆れた顔のエバがいた。

「アンタも蹴られたいのかい?」

「とっとと、片付けな!」

快炎鬼はポケットからドリペンを取り出して、エバの手を取って手渡した。

「このままでは隣の部屋まで荒らされそうだ」

「別のリアルゲートを開けてくれ」

立ち去ろうする快炎鬼に、エバは怒った顔で言った。

「自分でやんなさいよ!」

立ち止まった快炎鬼は、振り返って言った。

「撮り入れ方は教わったが、再生する方法までは聞いていなかった」

「あら。そうだったかしら?」

魔餓鬼に立ち向かっていく快炎鬼の後ろ姿を見ながら、エバは呟いた。

「簡単だったのに……」

正面の白壁に向けて、エバはドリペンのキャップを押した。

「こうやってドリペンのキャップを長押しするだけでよかったのに……」

正面の白壁に向かってエバがドリペンを照射すると、床からの高さが2㍍ほどの所で、50㌅前後の大きさの暗かった画像がパッと急に明るくなって映像を映し出した。

エバは驚いた。

「そ、そんなバカな……」

白壁に映し出された映像は太秦の映画村で、よく見られる江戸時代の風景で、町並みの大通りを武士や町人たちが活気よく動いていたからだった。   

エバは青ざめた。

「あ、有り得ない……」

「今はナノタイムと言って、超異次元空間の中で私たちは動き回っているワケだから、画像の中の人間だってマネキン人形のように硬直しているはずなのに?……」

画面の異変は、闘い続けていた二人も同時に気が付いた。

白壁に突然出現した江戸時代の風景と、画面の中の登場人物たちがスムーズに動いていることに心を奪われ、唖然とした表情で動画を見守っていた。

ホームプロジェクターほどの大きさだった白壁の画面は、一気に拡大してビジネス用のプロジェクターまでに大きくなると、江戸時代の風景の地面は、リハビリ室のフローリングの床と一体化してしまった。

画面は更に急拡大を続け、画面の上部はリハビリ室の天井よりも高くなって、青く澄み切った青空となり、横に拡大した画面は、リハビリ室よりも大きく広がって江戸時代の大通りを出現させ、大通りの両サイドには丁稚や番頭だけでなく、武士や町人や子女たちが通りをいき交い、商家の大店おおだなまでもが出現した。   

白壁に映し出されていた映像は画素数も少なく粗雑だったが、画面の急拡大に伴ってルーメンだけでなくコントラストも高くなり、画面は色鮮やかに美しさを増しただけでなく、バーチャル的な画像からリアリティーがグンと増して、現実味の帯びた画面へと大きく変化した。

平面だった画面の急拡大は上下左右だけでは収まらず、前方にもみ出してきて立体感を出し、壁際に置かれてあったイスやケースなど、リハビリ室の道具類を画面の中にゆっくりと取り入れると、すべての物体は音も無く画面の中で消え失せた。

それはあたかも、波打ち際に造られた砂上の楼閣が打ち寄せてくる波によって一気に崩れ落ち、跡形もなく消え失せるような光景であった。

驚いた魔餓鬼は呆然とその場に立ち尽くし、青ざめた快炎鬼は後ろを振り返りながらエバの元に駆け寄っていった。

思わぬ画面の出現にエバは少し怒っていた。

「何なのよ。あれは?……」

「食堂のテレビの画面だ!」

「……テレビ?」

「俺が撮った。ドリペンで……」

「分ったわ」

「魔餓鬼をテレビの画面の中に引き込むつもりなのね?」

「いや、その逆だ」

「えッ?」

リハビリ室のフローリングと一体化してしまっていた大通りの地面は、怒涛どとうの如く一気に快炎鬼たちに向かって押し寄せてきた。

「羅獄殿の壁にできたゲートは俺たちから入っていった。だが、今のゲートは俺たちを襲うようにして迫っている」

「はっきり言ってワケの判らないリアルゲートだ。ここは逃げた方がいい」

エバは快炎鬼の説明に納得した。

「そ、そうね」

巨大化しながら迫ってくる江戸の風景から、二人は飛んで逃げるようにして走った。逃げる二人に気付いた魔餓鬼は、慌てて二人の後を追って逃げた。

しかし、ゲートのスピードは、逃げ出す快炎鬼たちよりも数倍早かった。

必死で走る甲斐も無く、アッという間に江戸の風景の中に飲み込まれてしまった。

大通りの中央で立ち止まった快炎鬼とエバは、ホッと安堵の息をついた。

「良かったわね。何も起こらなくて」

快炎鬼は怪訝な顔で周囲を見渡した。

「そうでもなさそうだ」

「えッ?」

「見ろよ」

「俺たちが入ったゲートは、時代劇のテレビ画面だったはずなのに、本物の江戸時代にタイムスリップしてしまったようだ」

各種専門問屋の大店から買い物客たちや行商人が表に出てくると、番頭が丁寧に頭を下げて見送り、その傍を使い走りの丁稚が店から勢いよく飛び出したり、女中も通りに出てきて柄杓ひしゃく木桶きおけの水を撒いていた。

大通りは飛脚と駕籠かごかきが威勢よく突っ走り、天秤棒てんびんぼうを肩に担いだ魚屋と野菜売りが、声を出して客たちを呼び込み、子供たちは飴細工の屋台に向かって走っていた。

通りを往来している武士や町人たちの立ち振る舞いは、ロケ現場で働くエキストラと大きく異なり、建ち並ぶ大店の奥行きも深くリアリティーに溢れ、張りボテのセットには見えなかった。

快炎鬼たちの後ろを走っていた魔餓鬼もその場に立ち止まり、グルリと周囲を見渡し異変を感じ取っていた。

快炎鬼はなかば諦め顔で言った。

「空にはジェット機とか、浅葱色あさぎいろのだんだら羽織を着た新選組のお兄ちゃんが原付に乗って目の前をパタパタパタ……と走ってくれでもしたら、ここはどこかのロケ現場かもと思えるんだけどな……」

呉服問屋の大店と履物問屋の大店の間の路地から、一匹の野良犬がノコノコと表通りに出てきた。

野良犬を見ながら、エバもため息まじりに言った。

「……困ったわ」

「これで懸衣翁にも会えなくなってしまったわ」

快炎鬼は怒ったように、強い口調でエバに言った。

「夫の心配よりも、魔餓鬼を倒すことが先決だ!」

意気込んで魔餓鬼に向かって一歩足を前に出した快炎鬼が、バタリと前に倒れ込んだ。快炎鬼は倒れたままの状態で、小首を傾げた。

「ン?」

怪訝顔で前方を見ると、魔餓鬼も快炎鬼と同様に地面に伏せるようにして倒れていた。「どうしたのよ?」

「心配するじゃないの。急に倒れたら?……」

快炎鬼は倒れている魔餓鬼を見ながら、ゆっくりと身を起こしてエバに答えた。

「せっかく地獄で授かったパワーだったのに、それが全く無くなった。無重力のように身軽に身体を動かすことができてたが、それもできなくなった。どうやら俺は元の人間の能力に戻ってしまったようだ」

エバは両手を閉じたり開いたりして状況を確かめた。

「あら、ホントだわ」

「私も同じように人間並みのチカラに戻っているじゃないの」

エバは心配顔で聞いた。

「あんた、これからどうすんの。相手は怪物と言われた魔餓鬼なのよ?」

快炎鬼はニッコリ笑って答えた。

「あいつはすでに怪物じゃない。それを一番に自覚しているのは魔餓鬼自身のはずだ」「……そうかしら?」

快炎鬼は魔餓鬼の様子を見ながら、自信を持ってエバに言った。

「そうだとも」

「俺は刑事だ。捕縛術ほばくじゅつもあれば保身術も心得ている。人間並みに魔餓鬼がパワーを落としていたなら勝ったも同然。勝算は我に有りだ」

クルリとエバに背を向け、快炎鬼はゆっくりと余裕を持って魔餓鬼に近づいていった。

エバは心配顔で快炎鬼を見送った。

「……見込み違いじゃなければいいのだけどね」

とその時、遠雷と共に一陣の突風が大通りに吹いた。

一天、俄かに掻き曇り、晴天だった上空に暗雲が立ちこめ、たちまち滝のような猛雨が大通りを襲った。

先ほどまで華やかに賑わっていた大通りの通行人たちは、雷鳴が轟き渡り豪雨が降りしきる中を、右往左往しながら大慌てで大店の中へ飛び込むようにして逃げていった。

人っ子一人いなくなった大通りの中央に立ち、大粒の雨が激しく地面を叩きつけている土砂降りの雨の中、改めて快炎鬼は魔餓鬼と対峙したのだった。


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