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快炎鬼  作者: 吉田四郎
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四十五の炎

四十五の炎

矢沢は、起き上がろうとしている快炎鬼に近づくと、回し蹴りで左の頬を蹴りつけた。快炎鬼はまたも横に吹っ飛び派手に廊下を転がったが、素早く起き上ると、今度は余裕を持って矢沢が近づいて来るのを待った。

無防備で立っている快炎鬼に対し、矢沢は矢継ぎ早にパンチや足蹴りなどを繰り出し続けていたが、快炎鬼は一度として反撃することなく、全ての攻撃を軽くあしらいながら防いでいた。

二人の攻防を見ながら、エバは諦めの心境で呟いた。

「何をやってんだかねぇ。快炎鬼は?……」

「地獄を旅立つ時に閻魔さんから慈悲の心を持って対応しろと念を押されたけど、これじゃあねぇ?」

防戦一方の快炎鬼に業を煮やしたエバは、怒鳴りつけるようにして叫んだ。

「何をちんたらやってんのよ! そんな男、とっととやっつけてしまいなさいよ!」矢沢の攻撃を軽く防ぎながら、快炎鬼は応えた。

「そうはいかない。相手は魔餓鬼じゃない」

「こうげきしなくたっていいじゃない にんげんだもの」

エバは険しい表情で快炎鬼に近づきながら言った。

「ふざけンじゃないよッ!『相田みつを』のような名言を言ってる時じゃないでしょうがッ!あんたが始末できないのなら、代わりに私がぶっ殺してあげようか?」

息を切らせて喘ぐこともなく、疲れをまったく見せない矢沢は、いつまで経っても攻撃の手を止めようとはしなかった。

次々と繰り出してくるパンチや回し蹴りなどをよく見極めながら、快炎鬼は矢沢の攻撃をダメージも受けずに上手く防いでいた。

快炎鬼の顔面を狙った右のフックが大きく空を切った。

その時、快炎鬼に身を近づけた矢沢が、耳元で呟くようにして言った。

「助けてくれ」

矢沢が発した意外な言葉に、快炎鬼は我が耳を疑った。

「な、なんだって?」

身を元に戻して身構えた矢沢は、再度、右フックを放ってきたが、快炎鬼はパッと左手の平で受け止め、矢沢の握りこぶしを手中に収めて聞いた。

「どういうことだ?」

矢沢の両目から大きな涙がボロボロとこぼれ落ちた。

矢沢は左手でフックを見舞ってきたが、快炎鬼は矢沢の左手も右の手の中に収めた。快炎鬼は矢沢の両手の拳を握りしめ、万歳をした格好で訊ねた。

「もう一度聞く」

「どういうことだ?」

矢沢は涙目で言った。

「知ってるんや」

「何を?」

「あんたは刑事や」

快炎鬼は仰天した。

「な、なんだって?」

態勢は変わらずに、万歳をした格好のままで問答は続いた。

「な、なぜ、そのことを知っているんだ?」

「見たんや」

「な、何を見た?」

「珍皇寺で刑事さんを見たんや」

「も、もう一度、言ってみろッ!」

返答代わりに、矢沢は数度の頭突きで答えた。

「やめろッ!」

「助けてくれと言いながら、なぜ攻撃してくるのだッ!」

矢沢は頭の角度を変えて、サッカー選手がやるように飛び上がり、強烈な頭突きを無言で快炎鬼に見舞った。

思わず矢沢の手を離した快炎鬼に対し、矢沢は涙を流しながら執拗に次々とパンチを繰り出してきた。

「助けてくれ」

快炎鬼は矢沢のパンチを軽くあしらいながら聞いた。

「答えてくれ!」

「なぜ俺が刑事だと知っているんだッ!」

矢沢は手を緩めることなく快炎鬼を攻撃しながら依頼した。

「頼む」

「俺を救ってくれ……」

エバは呆れた顔で、二人の攻防を傍観していた。

「同じ言葉の繰り返しばかりで、何をやってんだかねぇ。あの二人は?……」

「呆れてモノも言えないよ」

廊下には太い鉄筋を隠すための出っ張った柱があって、柱の隅に高さが1・5㍍ほどの小さな観葉植物が置かれていた。

エバは観葉植物の植木を持って矢沢に近づくと、植木を逆さに持ち上げ植木鉢の底で矢沢の側頭部を狙って殴りつけた。

「いい加減にしなッ!」

遠心力で先端の鉢はスッポリと抜け、快炎鬼の顔面を掠めながら飛んでいくと壁に激突して木っ端微塵になって割れた。

大きく土を含んだ根っこで側頭部をぶっ叩かれた矢沢は、両足を浮かせて身体を横にしながら激しく床に叩きつけられ、微動だにしない状態に陥っていた。

快炎鬼は怒った。

「な、なんてことをしてくれたんだッ!」

「おだまりッ!」

「そこまで魔餓鬼が迫って来ているのが、分からないのかい!」

「分ってるさ」

「だが、あの男は涙を流して助けてくれと言いながら攻撃してたんだ!せめて涙の理由だけでも知ってやれよ!言い分だけでも聞いてやれよ!」

「相手は人間じゃないか!」

激しい口調でそう言い残すと、快炎鬼は身動き一つしない矢沢の元へ走っていった。床に片膝を付いて、快炎鬼がゆっくりと矢沢の半身を抱き起こすと、関節の無いタコのように腕の中でグニャリとなっていた。

「大丈夫か?」

快炎鬼の問いかけに対し、矢沢は目を開けることも返事をすることもなかった。

快炎鬼の背後から、エバが声をかけた。

「死んじゃったのかい?」

「……分らない」

「放っておけばいいよ」

「魔餓鬼にマインドコントロールされた男なんだから……」

「そうはいかない」と言って、快炎鬼は矢沢を床に寝かせた。

矢沢が隠れ潜んでいたベッドから毛布とシーツを掴み取ってくると、廊下の床に広げた毛布に矢沢を寝かせ、首から下をグルリと簀巻すまき状態にした。

「……何やってンの?」

「応急処置だ」

「凄い倒れ方だ。頭部と全身骨折、それに内臓破裂の怖れがある。毛布は二度と暴れることができないための拘束服代わりで、シーツは包帯代わりだ。時空間が元に戻った時に、少しはこの処置が役立ってくれているはずだ」

快炎鬼はシーツを包帯用にと10㌢ほどの幅でビリビリと引き裂いた。

快炎鬼の行動を見ながら、エバが履き捨てるようにして言った。

「……放っときなさいよ」

「ゾンビ化した、そんなカタツムリ男なんか……」

「……カタツムリ男?」

「そうよ。この男はカタツムリ男よ」

「何だそれ?……」

「簡単に言ってしまえば、吸虫きゅうちゅうの一種の「ロイコクロリディウム」の幼虫がカタツムリに寄生して、脳を乗っ取ってしまうのよ」

包帯作りの手を止め、怪訝な顔で聞いた。

「……脳を乗っ取るだって?」

「そうよ。怖いでしょう?」

「どういうことだ?」

「カタツムリってのはね。普段は鳥に食べられないように葉の裏に隠れてるけど、寄生虫に身体を乗っ取られたカタツムリは、鳥に食べられるために葉の上で派手に変色して動き回るの。そして、鳥がカタツムリを食べると寄生虫は鳥の体内で成虫になって幼虫を産み、その鳥が幼虫を含んだフンをして、そのフンを、またカタツムリが食べるってサイクルになってるの」

エバの説明を聞き流しながら、快炎鬼は矢沢の両足を前に伸ばして床に座らせると、鼻と口だけを残し、頭部から全身にかけて、包帯代わりのシーツでグルグル巻きにして包み込み、矢沢をミイラ状にした。

「魔餓鬼がこの男の頭に吸虫の卵を注入したとでもいうのか?」

エバはミイラ状に包まれた矢沢を見下しながら言った。

「このカタツムリ男の頭の中には寄生虫なんていないから、魔餓鬼のつぶやきとか囁き声が超音波のようになって、脳内の海馬と視床下部に刺激を与えてコントロールしているか、あるいは側頭葉と前頭葉も何らかの方法で操作されているか、寄生されてしまったカタツムリのように不本意な行動を魔餓鬼に無理に取らされているのかもしれないわね?」

「魔餓鬼にそんな凄いことができるのか?」

エバはうんざりとした顔で応えた。

「もうどうだっていいじゃないの。そんなこと……」

「そう言っているあんただって、不動明王に地獄の窯のマグマの中にドブ漬けでヤキを入れられただけでほのおに強い身体になったし、蚤のように高く飛び跳ねられる跳躍力だって韋駄天から直々に教わってるじゃないの。この男だってそれと同じようなモノだと思えばいいのよ」

とその時、ミイラ状態に包まれた矢沢が呻き声を上げた。

「う、ううう……」

快炎鬼は驚いた。

「い、生きているぞ!」

矢沢は小さな声で助けを求めた。

「た、助けてくれ……」

「心配するな」

「ここは病院だ。時が元に戻れば、直ぐに治療してくれるはずだ」

快炎鬼はシーツでミイラ状に包んだ矢沢を、お姫様抱っこで抱き抱え、ベッドにそっと寝かしつけた。

「祈っている。大ケガじゃないことを……」

患者や職員たちが、マネキン人形のように硬直してしまっている無音の時空間の中で、微かに車イスの動く音がした。

地獄耳を持つ二人は聞き逃さなかった。

二人が同時に音のした方にサッと目を向けると、患者が乗っていた車イスは半回転していて快炎鬼たちの方を向いていた。


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