四十四の炎
四十四の炎
快炎鬼が入ってきた大食堂は、すでに無人であった。
快炎鬼はグルリと食堂を見渡し、安堵の表情を見せた。
「……誰もいない」
「よかった。全員が避難してくれたようだ」
厨房近くの天井から吊り下げられていた大画面のテレビが、無人の食堂で放映を続けていた。職員たちが慌てて避難したために、リモコンで消し忘れたようだった。
テレビ画面は時代劇を放送中であった。
江戸の大通りで数名の町人と一人の武士のチャンバラシーンが映っていた。
「太秦の映画村なのかな? このシーンの場所は……」
快炎鬼は、放映中のテレビに近づいて行った。
「こういう広い場所が欲しいんだよなあ」
「魔餓鬼とバトルする時は……」
快炎鬼は、放映されているテレビ画面内の広い表通りに向けて、ドリペンのスイッチを押した。
画面はスイッチを押すと同時にコマーシャルに切り替わった。
「あっちゃーッ!」
「コマーシャルを撮り入れたかも?」
機械室でのエバの行動を思い出しながら、快炎鬼は反省した。
「エバがカレンダーの風景画を撮り入れてた意味が今ごろになって分ったよ。ドリペンで動画を撮り入れてはダメだってことが」
―――
無人の食堂を飛び出した快炎鬼は、人通りのない広い廊下をロビーに向かって走った。
ロビー近くの通路では、大勢の患者と職員たちが、立ち往生してその場に留まっていた。
最後尾で、車イスに老人を乗せながら前の様子を伺っているナースに、背後から声をかけた。
「どうしたのですか?」
「なぜ、早く避難しないのですか?」
振り返ったナースは困惑顔で快炎鬼に応えた。
「事故が起こったようです」
「正門と裏門で同時に車が爆発して、炎上しているそうです」
「な、なんだって?」
「その事故の所為で、病院の周囲の道路は大渋滞に巻き込まれていて、避難も救助することさえもできないそうです。駐車場の方も、大勢の患者さんたちが避難していて一杯で、他に避難する場所が見当たらないそうです。ホントに困ったことになりました」
説明を終えたナースがロビーに顔を向けると同時に、快炎鬼の姿がその場から消えた。
―――
正門の前で横転した車が、完全に出入り口を塞ぎ込み、患者や職員たちが外に避難できない状況を、快炎鬼は呆然と眺めていた。
「……なんてこった」
クルリと後ろを振り返った快炎鬼が病院の玄関先を見ると、表通りに避難することを諦めた大勢の患者たちと職員たちが、次なる避難先を捜し求め、右往左往しながら騒然となっている様子が見て取れた。
玄関先を見ている快炎鬼の前に、スッとエバが姿を現し、怒ったような口調で聞いた。
「どうなってんのよ?」
「避難できずにごった返しているじゃないの?」
快炎鬼は推測だけを話すことしかできなかった。
「魔餓鬼の仕業だ。患者と職員を人質に取ったつもりなんだろう」
「人質ですって?」
「何のためにそんなことをするのよ? 私たちが患者さんたちをほっぽり出して、逃げだすとでも思っているのかしら?」
「それは魔餓鬼に聞いてみないと判らない。正門と裏門で同時に事故を起して患者たちを封じ込めたのは、俺たちに対する警告か、それとも面白半分の嫌がらせかも?」
「そうよね。何を企んでいるか判らないヤツだからね」
快炎鬼は過去を思い浮かべながら言った。
「俺は珍皇寺で十分に味わった」
「魔餓鬼は恐ろしい男だ。リュウがまだ姿を現さないのが心配だ」
エバは心配顔で周囲をグルリと見渡した。
「まさか……」
「魔餓鬼に始末されたワケじゃ無いでしょうね?」
エバと快炎鬼の近くに舞い降りて来た懸衣翁が、肩を怒らせながらトコトコと二人に近づいてきた。
「俺は見たぜ」
「何を?」
「この事故は、魔餓鬼にマインドコントロールされた男が引き起こした事故だ」
快炎鬼は驚いた。
「いるのか? そんな男が……」
「いるとも」
「あれは洗脳なんてもんじゃねぇ。何らかの方法で魔餓鬼が男をマインドコントロールして引き起こさせた大事故だ」
懸衣翁は困惑顔で呟いた。
「しかし思い出せねーな。どこかで見た顔の男なんだが……」
とその時、遠方からヘリコプターが近づいて来る音がした。
二人が怪訝顔で上空を見上げると、最初は一機だったヘリコプターが見る見るうちに機数を増やし、セスナ機までもが登場して、病院周辺を探るようにホバーリングと旋回を繰り返すようになってきた。
「……新聞社のヘリのようね?」
快炎鬼は安堵の表情を浮かべながら、旋回するヘリコプターを見上げていた。
「よかった。これで一安心だ」
「警察も消防にもすでに通報されている証拠だ。重機を使い、駐車場の一部の囲いを取り壊せば、救助活動はスムーズに運ぶだろう」
懸衣翁はまだ首を捻って考えていた。
「うーん……。どこだったかな?」
「どっかで見たことあるんだよ、絶対!」
エバが横槍を入れるようにして入ってきた。
「そんなこと、あとでゆっくり思い出せばいいじゃない。それよりもあんたのお得意の嗅覚でリュウを捜し出してくれない?」
「どうかしたのか? リュウが?……」
エバに代わって快炎鬼が言った。
「すでに、アララが魔餓鬼に始末された可能性がある」
「な、なんだって?」
「リュウがまだ俺たちの前に姿を現さない。それが心配だ」
「よし!俺に任せろ」
快炎鬼は不安気な表情で聞いた。
「簡単に引き受けてくれているが、いいのか? 任せても……」
エバが懸衣翁の代わりに返事をした。
「心配しなくても、この人なら大丈夫」
「実を言うと快炎鬼と別れた後、私たちもリュウと揉めてケンカ別れをしたの。その後のリュウの行方が全く判らなかったのだけど、リュウを捜し出してくれたのがこの人の嗅覚だったの」
快炎鬼は不満顔で懸衣翁に聞き返した。
「魔餓鬼は今、どこにいる?」
懸衣翁は意外な質問に驚いた。
「えッ?」
「そんなに立派な嗅覚の持ち主なら、魔餓鬼がこの病院のどこにいるか、その嗅覚で分るだろ?」
「それは無理ってものだ」
「なぜだ?」
「魔餓鬼は、悪臭の塊りだ」
「悪臭の塊り?……」
「物体の角も数が増えると丸く見えてくるのと同じように、あまりにも多くの悪臭が魔餓鬼の身に染み付いていれば、それは無臭と同じことになり、そう簡単に魔餓鬼に辿り着くことができないってことなのさ」
「分かった。そういうことだったら仕方が無い」
「私たちは魔餓鬼とのバトルのために院内に戻るわ。リュウのことは任せたからね」「了解した」
「じゃあ、行くぜ!」
大きく羽ばたいた懸衣翁は、一気に舞い上がって飛び去った。
懸衣翁を見届けた二人は、スッとその場から姿を消した。
―――
四方を9階建ての病棟に囲まれた中庭に飛んできた懸衣翁は、窓ガラスが吹っ飛び、千切れたカーテンの切れ端が揺れ動く病室に向かって、滑空しながら中に飛び込んでいった。
室内はまだスプリンクラーが作動していて、勢いよく床に向かって水が噴射されていたが、懸衣翁はアララと魔火丸が消滅してしまった部屋を素通りすると、ゴースト化してしまった廊下に一気に飛び出した。
病棟内の廊下を飛行し続けていると、ドアが完全に破壊された手術室があった。
懸衣翁は手術室の通路を飛び、リュウと魔餓鬼によってすっかり荒らされてしまった手術室まで来ると、フワリと手術台の上に舞い降りた。
「リュウの臭いを辿れば、この部屋に行き着いた」
「アララの臭いは窓ガラスが吹っ飛んだ部屋で消え失せ、リュウの臭いはこの部屋でフェードアウトするようにして完全に消滅してしまっている」
「……ってことは、二人とも魔餓鬼の毒牙にかかってしまったってことか?」
懸衣翁は、突然大きな声を上げた。
「そうだ! 思い出したぞ!」
「あの男は珍皇寺で魔餓鬼に拉致された男だ!」
「あの男はヤバイ! 普通の人間じゃねぇッ!」
「早く真相を快炎鬼に知らせないと、とんでもねーことになっちまうぞ!」
懸衣翁は大きく羽ばたくと手術室から飛び去って行った。
―――
エバと快炎鬼の二人は、自在に移動できる時空間を進行中だった。
時間が止まったように全ての物が停止した状態になっていた。正面玄関はごった返していたが、鮨詰めのような状態で無く、避難のために玄関まで運ばれてきたベッドや車イスとの間は、人が通れるほどの空間は残されていた。
マネキン人形のように硬直している患者や職員たちを誤って倒して、手足や首をポキンと折って大ケガをさせないように用心しながら、患者たちの合間を縫ってロビーの奥へと進んでいった。
―――
人数の少なくなったロビーの奥の方では、慌てて玄関に避難しょうとしている患者と職員たちの姿がまばらにあった。
ロビー奥の通路でエバが急に立ち止まり、不安げな表情で快炎鬼に話しかけた。
「……実を言うと、事故現場の時から魔餓鬼の視線を感じていたの」
「もし、私たちの様子を伺っていたとしたら、魔餓鬼だって同じ時空間を移動しているはずだから、どこかで待ち伏せしていて私たちを襲ってくるかも知れないわね?」「俺も感じていた。卑劣な魔餓鬼のことだ。大いに有り得る」
徐にロビーの方を見ながら、快炎鬼は言った。
「例えて言えば、ナースの横でこちらに背を向けて、車イスに座っているあの患者が、魔餓鬼かもしれないし?……」
車イスの患者から離されて、廊下の壁際に忘れたように放置されている一台のベッドに快炎鬼は近づいていった。
ベッドには患者が寝かされているように毛布が僅かに膨らんでいた。
「ここに隠れているのが、魔餓鬼かもしれないってことだ」
ベッドに近づいた快炎鬼は、ゆっくりと毛布を半分ほど捲り上げた。
ベッドには目を閉じた矢沢が寝ていた。
殺人犯を追って珍皇寺まで行ったが、快炎鬼は矢沢の顔を全く知らなった。
矢沢は目を大きく開けると、快炎鬼を睨みつけるようにして見上げた。
時空間の世界の中で目を開けた矢沢に対して、快炎鬼は僅かに驚かされた。
「!」
素早く半身を起こして身を捻って矢沢が打ち放ったストレート・パンチが快炎鬼の顔面に食い込んだ。
大きく後ろに吹っ飛んだ快炎鬼は、通路の壁に背中から激突すると、そのまま床に落下して尾骶骨を打ち付けた。
無様な恰好で尻餅を付いている快炎鬼を、エバは苦笑しながら見ているだけだった。
「あらまぁ。簡単にやられちゃってぇ……」
「一発で即アウトじゃないの。もしも、その男が魔餓鬼だったとしたら……」
快炎鬼はゆっくりと起き上がりながら思った。
『俺たちと同様に『超時空間移動』を共有しているぞ』
『……ってことはこの男は人間じゃなく、魑魅魍魎、あるいは妖怪の類ってことになるが?……』
快炎鬼は険しい表情で矢沢に言った。
「答えろッ!」
「お前は何者だッ!」
矢沢は何かを訴えようとしていたのは分かったが、次の言葉が出ることはなかった。
矢沢に代わってエバが答えた。
「この男じゃないかしら?」
「ほら。懸衣翁が言っていたじゃないの。魔餓鬼にマインドコントロールされた男が事故を起して病院を封鎖してしまったって……」
「ってことは、人間なのか。この男は?……」
素早く身を起こした矢沢は、ベッドからパッと飛び降りると、反撃する意欲をそがれ暫し躊躇っていた快炎鬼の顔面に、強烈な右のフックを見舞った。
醜く顔面を歪めながら吹っ飛び、快炎鬼は再度、壁に激突した。
「また、遣られちゃったじゃないの?」
半ば呆れた顔で、ぶっ倒れた快炎鬼をエバは見つめていた。




