三十九の炎
三十九の炎
快炎鬼たちが目指していた905号室は、離れた場所からでも直ぐに判った。
凄まじい勢いで吹っ飛ばされたと思われる出入り口のドアは、部屋の前の白壁に激突して、無残に破壊された形で廊下の床に落ちていた。
快炎鬼が勢いよく部屋の中へ飛び込むと、1個のスプリンクラーだけが作動していて、床に向かって水が激しく噴射されていた。
空中で停止している水滴を手で払い除けながら、開いた傘の下のように空間を作って下を見ると、床にはズブ濡れになった白衣の上に、一本のペンと聴診器だけが無造作に乗っていた。
エバとともに部屋に飛び込んできたリュウは、怪訝な顔でスプリンクラーを見た。
「……まるでゴジラだな?」
「……ゴジラ?」
「僅かだが、天井に焼け焦げた跡が残っている。作動しているこのスプリンクラーだけが、火炎放射器かガスバーナーで焼かれたようになってるぜ?」
火炎放射器という言葉で、快炎鬼は珍皇寺の出来事を思い出した。
「ゴジラはともかく、火を噴く犬なら知ってる。珍皇寺で目撃した犬だ」
エバが快炎鬼に聞いた。
「……魔火丸のことね?」
「あの犬は火炎放射器のように口から火を噴いた」
リュウは鼻で笑いしながら、快炎鬼に言った。
「バカ言ってんじゃねぇよ。魔火丸がここへ来たとでも言いてぇのか?」
白衣の近くで点滴セットが床に叩きつけられるようにして倒れているのを見ながら快炎鬼はリュウに答えた。
「魔餓鬼を侮るな!」
「俺たちよりも先に魔火丸と一緒にここに来ていても不思議じゃない!」
エバは二人を叱った。
「魔餓鬼と犬の話は二の次にしなさいよ!部屋の状況と遺留品から察して、ここで何が起こったのかを推測するのが先決じゃないの!」
「そうだな」
エバの意見に納得した快炎鬼とリュウは、それぞれに居場所を変えた。
快炎鬼はガラスが吹っ飛んでしまった窓際に立ち、周辺を隈なく入念に点検をした。「サッシの上部が少し歪んでいるが、ガス爆発やダイナマイトなどの爆発ではなさそうだ?」
中庭の下を見ると、路面や芝生の間で、キラリと光り輝くガラスの破片が、そこかしこに落ちていて、停止状態だったが慌ただしく片付けをしていると思われる清掃人たちと職員たちの姿が見えた。
窓ガラスがブッ飛ぶほどの甚大な被害に遭いながら、真っ正面に見えている病室の窓ガラスは一枚として割れていなかった。
快炎鬼は小首を捻った。
「なぜだ? なぜ前の病室のガラスは割れていないんだ? 一枚も……」
「……これも魔餓鬼の仕業なんだろうか?」
快炎鬼の背後で声がした。
「ちょっと来て!」
数本のペンが乱雑にばら蒔かれているベッドの傍に立ち、エバが二人を呼んだ。
近づいてきた快炎鬼とリュウに、ベッドを指してエバが言った。
「見てよ。このベッドを……」
ベッドを見ながら、リュウが怪訝顔で聞いた。
「どうかしたのか? このペンが……」
「ペンじゃないの。アララの体型にそっくりの状態で、ベッドに薄墨のように残されているこのシミのことを言っているの」
二人はエバの両サイドから改めて覗き込むようにして、ベッドに残されている薄汚れたシミを確認した。
リュウが呟くようにして言った。
「……そう言われてみれば、アララの体型によく似ているシミだ」
快炎鬼は無言でベッドのシミを見ていた。
「これはあくまでも私の推測なんだけど……。アララはこのベッドの上で消滅したのじゃないかしら?」
リュウの顔色がサッと変わった。
「な、なンだって!」
「アララは私たちにダイイングメッセージを残したような気がするの」
リュウは口を尖らせ、怒った口調で言った。
「冗談じゃねぇ!」
「こんな薄汚れたシミだけで、アララの死を決定すんなよ!」
怒り気味のリュウを、エバは諭すようにして話しを先に進めた。
「知っての通り、アララは毒娘でしょう?」
「アララを消滅させた相手は、魔餓鬼にマインドコントロールされた白衣姿の人間で、死を覚悟したアララは体内に残っている毒素を全部放出して、このように黒いシミをベッドに残したんじゃないかしら?」
エバの話を暫く無言で聞いていた快炎鬼は、ベッドの上に散らばっていた数本のペンの中から、一本のペンを拾い上げ訥々(とつとつ)と話し始めた。
「エバの推理とよく似ているが……」
「俺の推理は少し違う」
快炎鬼は言い切った。
「結論から先に言う。アララはこの部屋で消滅した」
二人は黙って快炎鬼の推理を聞いていた。
「知っての通りアララは毒娘だ」
「病院に薬が有れば毒も管理されている。何らかの理由で、毒が必要となったアララは、この病院にやってきた。だが、この病院にきたのは、アララだけではなかった。
魔火丸と一緒に魔餓鬼もやってきたようだ。アララを始末した魔餓鬼は、魔火丸の断末魔の叫び声を利用するために、連れの魔火丸をも残虐に始末した。魔火丸を始末した理由は、俺たちをここに誘き寄せるためだ。なぜなら、この病院は『生の六道』の範囲内に存在しているからだ」
快炎鬼は自説を続けた。
「凄まじいほどの衝撃波となった魔火丸の断末魔の悲鳴は、病室の窓ガラスを吹っ飛ばして前の建物の上部を掠めて市街地へと広がっていった。京都は三方を山に囲まれた盆地だ。衝撃波となった魔火丸の悲鳴は、山彦やこだまとなって盆地の中で共鳴し、一気に京都市内に響き渡って俺たちに知らせることができたんだ」
「前の病室の窓ガラスが被害に遭っていなかったのは、竜巻と同じ原理だ。渦から1㍍も離れていれば被害は驚くほどに少ない」
「人間の背よりも低い犬が遠吠えのように上部を向いて悲鳴を上げれば、角度的にも合致していて、衝撃波だった断末魔の悲鳴は、建物の上部を掠めながら拡散した。だから、前の建物の窓ガラスは割れずに無事で済んだ」
「この病室が全く荒らされずに、出入口のドアだけが廊下側に吹っ飛ばされていたのも、割れた窓ガラスとともに室内の空気が一気に外に飛び出し、それと入れ替わった外気は、出口の口径が小さい漏斗の中を通過したのと同じ状態で室内に入ってきたために、外気は突風となって正面の出入り口のドアだけを破壊した」
エバは快炎鬼の説明に納得しかねた様子だったが渋々と言った。
「なんかさあ」
「無理にこじつけた感じの説明だったけど、ま、当たらずとも 遠からずってところかしらねぇ?」
エバは何とか了承したようであったが、リュウは違っていた。
快炎鬼の胸倉を掴み取り、額に青筋を立てて烈火の如く怒りを爆発させた。
「いい加減なことを言うんじゃねぇッ!」
「アララは魔餓鬼にここで始末されたとでも言うのかッ!」
詰め寄るリュウの手首を掴み、捩るようにして胸元から離した。
「残念だがそういうことになる」
冷静さを装い静かな口調でリュウに言ってはみたが、快炎鬼の心の中の怒りは沸点に達し煮えたぎる思いだった。固く握りしめていた片方の拳がワナワナと小刻みに震えていたのがそれを物語っていた。
「許せないのはそれだけじゃない」
「魔餓鬼はアララを殺害しただけでなく、魔火丸の断末魔の悲鳴までも利用して、己の存在を、俺たちに知らしめてきた、汚いやり方だ」
エバは納得したように頷いた。
「……ってことは、ここが『生の六道』なのね?」
「残念だが、魔餓鬼との決戦場所はこの病院だ」
リュウは意気込んだ。
「アララの弔い合戦だ!」
「待っていやがれ、クソ魔餓鬼!」
快炎鬼は意気込むリュウに言った。
「リベンジする前にやっておくことがある」
「……何だ?」
「最も重要視することは、魔餓鬼と闘う前に患者たちを避難させておくことだ。できることなら空っぽにしたい」
エバは快炎鬼の意見に同意した。
「そうだよね」
「絶対に巻き添えにしちゃダメよね」
「この病院はキャパシティーが広い。入院患者だけでなく、職員たちや出入りしている業者の人数も多い。俺とエバは分かれて魔餓鬼と闘う場所を選ぶ。リュウは患者たちを避難させてから俺たちと合流してくれ」
リュウは間髪入れずに文句を言った。
「ま、待てよ!」
「……どうした?」
「ムチャを言うなよ!」
「できるかッ! 俺一人でそんなことが……」
快炎鬼はニッコリ笑ってリュウに言った。
「リュウはスキルの高い人物だ。リュウならできるさ!」
「か、簡単に言うなッ!」
「お前たちも一緒になって避難させろよ!」
エバは怒れるリュウの耳元に口を近づけ、そっと囁いた。
「押すだけでいいのよ」
「各病棟の火災報知器のボタンを、各階で……」
「―――! なるほど、そういう事か」
快炎鬼がリュウの片方の耳元で囁いた。
「遠くから徐々にゆっくりと押していくことだ。全員がパニック同然に陥るはずだから、玄関ロビー付近はラストの方がいい」
「分かった」
納得したリュウが急に怒った。
「うっせーわ!」
「ガキの使いじゃねぇんだ!細かいことまで指図すんなッ!」
リュウの怒りを無視した快炎鬼は、パンと手を一つ叩いて二人を促した。
「善は急げだ!」
「さあ、行こう!」
3人の姿がスッと同時に、その場から消えた。




