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快炎鬼  作者: 吉田四郎
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三十八の炎

三十八の炎

ベッドで死亡しているアララの身体の肌は、先ほどまでは若い女性らしく淡い桜色の綺麗な肌であった。一滴の薄い墨が、アララの死体にしたたり落ちて、身に付けていた服とともに全身を満遍なく濡らしてゆくように、アララの肌色は淡い桜色から鉛色へと一気に進んで真っ黒な墨汁の色へと変化した。

死体は目鼻立ちの判別ができないほどに黒色化が進み、黒い物体へと変化すると、湯気とも煙ともつかぬモヤモヤとした黒いモノが死体から昇り始めた。

そして黒い湯煙と共に、アララの死体はゆっくりとベッドから浮き上がっていった。

ベッドから1㍍ほどの高さまで浮上して停止した死体は、全身を黒い湯煙に包まれて湯煙の黒いかたまりとなり、アララの死体も湯煙と同様にして病室から音も無く消えていった。

ベッドの上には、撒き散らかしたように数本のペンと、アララの体型を現わす黒い輪郭のシミだけが残されていた。

視覚と聴覚だけでなく、断末魔の叫び声さえも出せなくなったベリーは、頭を深く下げてうな垂れ、肩から力も抜けて両手をだらりと下げ、病室の中央に立っていた。ベリーは両の手足から剛毛が一斉に生えてくると、両の耳はピンとそばだって牙も大きく伸びてあッという間に美しき女性から魔犬の魔火丸に変化した。

顔面が完全に犬に戻ってしまった魔火丸は、牙を剥きながら顔を上げると、物凄い勢いで天井に向かって火炎放射器のようにを噴いた。

スプリンクラー内部の溶解片が熱で溶けると、分解部品がバシッと音を立ててバラバラに弾け散り、弁のデフレターに当たって今まで塞がれていた水が、勢いよく床に向かって均一に放水を始めた。

多くの感覚を失い、本能だけで辛うじて立っていた魔火丸は、スプリンクラーから噴射された水の勢いだけでバランスを失ってしまい、炎を噴きながら横倒しになって床に激しく叩きつけられた。

魔火丸が倒れると同時に、口から噴き出されていた炎は急激に弱まり、炎は萎えるようにして消えた。

激しく降り注ぐスプリンクラーの水を浴び続けていた魔火丸の顔面と手足は、氷が解けてゆくように容姿と体型の崩壊が進み、やがて床に溜まっていた水と完全に一体化して消えた。

あとに残されたのは水浸しになった「川口」のネームプレートの付いた白衣と、耳に深く突き刺されたサインペンと聴診器だけであった。

スプリンクラーの噴射された水は、止まることなくいつまでも激しく降り注ぎ、魔火丸の断末魔の絶叫で破壊されたドアの向こうの通路では、火災報知機の非常ベルの音だけが激しく鳴り響き続けていた。

―――

あの時発せられたベリーの断末魔の叫び声は、人間の耳では聞き取ることの出来ない高周波となり、音速に近い速さで京都の市街地上空を放射線状に拡散していった。

―――

嵐山連峰の一つの岩田山の山頂の展望台では、天気のいい日は比叡山を始めとして、京都タワーだけでなく京都の市街地を一望することができて景観を楽しむ客も多い。 

その岩田山の中腹では、放し飼いにされ餌付けされている約130匹の野生のニホンザルをさく無しで身近に観察することが出来る『嵐山モンキーパークいわたやま』がある。

外人や親子連れの観光客たちの周辺を元気に遊び回っていた多くの猿たちが、一斉に動きをピタリと止めてしゃがみ込んだ。

身を低くして身構えた猿たちは、何かに怯えた表情で上空をキョロキョロと見渡し、暫く様子を探っていた。

しかし、何の異変も起こりはしなかった。

猿たちは安全を確かめると、直ぐに元の状態に戻ったが、同じような現象は一般家庭内の犬や猫のペットたちにも起こっていた。

室内で元気よく遊び回っていた犬は、一瞬、その場に立ち止まって怯え、猫は素早く物陰に逃げて身を隠した。暫くすると、犬も猫も元の状態に戻った。

―――

花見小路通りから歌舞練場に向かって左側の奥の花壇の石の上で、小春日和こはるびよりの暖かい西陽にしびを浴びながらギドンは気持ちよさそうに微睡まどろんでいた。  

ギドンの片耳がビクンと動き、人通りの多い花見小路通りの方に向けた。

微睡んでいるギドンの片耳に入って来たのは【ギィエエエエエエエエエ……】と言う断末魔の悲鳴だった。

うっすらと両眼を開けたギドンが起き上がり、鋭い眼光で花見小路通りの西空を見上げながら呟いた。

【あれは妖怪や魑魅魍魎どもの悲鳴ではない】

【……ってことは、天邪鬼の娘のアララが始末されたか、逆に魔餓鬼の連れの女が返り討ちに遭ったってことになるが……】

【魔餓鬼はリベンジするようなヤツではない。かと言ってこのまま放っておくワケにもいかないだろう。悪態あくたいをつかれるのは平気かも知れないが、妖怪どもに小馬鹿にされるのは好まないハズだ】

【さあ、どう出る? 魔餓鬼……】

―――

その時、リュウは思いつめた表情で小首を傾ながら、「竹林ちくりん小径こみち」を一人で歩いていた。

「さて、どうしたものか?」

「魔餓鬼が動かねぇとなると、イチからの練り直しだ。残された時間も後僅かだってのに難儀なことになったぜ」

とその時、キジや野バトなどの野鳥が急に飛び立ち、バタつく羽の勢いで笹の葉が僅かに揺れた。

飛び立つ野鳥たちにリュウは足を止め、竹林の笹の葉の垣間から見える青空を見上げて呟いた。

にごった汚ねー声の女の悲鳴だった」

「まさか、エバが殺られたワケじゃねぇだろうな?」

―――

あでやかな朱色に塗られた大鳥居の右側に「伏見稲荷大社」と大きく刻み込まれた石碑が建っている。

その石碑の天辺で、魔餓鬼が両腕を組み、行き交う大勢の参拝者や観光客たちを偉そうに見下していた。

「人が苦しむ姿を見ているほど……楽しいものは有りません」

「幸せに暮らしている人間たちに地獄の苦しみを知らしめながら、大いに楽しむ心算つもりでこの世へやってきたというのに、現実を知るとその楽しみがすっかり奪われているように感じます。人間が人間に対して、地獄よりも地獄以上の地獄を見せつけ、陰で幸せを噛みしめながら、ほくそ笑んでいる者が驚くほどに多くいます」

「少し手間がかかるようですねぇ。私が彼らに成り代わり、それ以上の地獄をこの世で見せることは……」

参拝者たちや観光客たちは、誰一人として石碑の天辺に立っている魔餓鬼に気付かず、大鳥居を潜り抜けて石畳の参道を通り、豪華な造りで同じく朱色に塗られている大楼門に向かって進んで行った。

ちなみに、大楼門を通り抜けると五間社流造ごけんしゃながれつくりの本殿があり、「伏見稲荷大社」のシンボルで朱く綺麗に連なる「千本鳥居」のトンネルのような参道は、本殿から奥社おくやしろへと続き、幻想的なその光景は参拝者のみならず外国人観光客の目を楽しませてくれている。

参拝客たちを見下していた魔餓鬼が、ふと上空を見上げて呟いた。

「魔火丸ですね? この叫び声は……」

内ポケットから加熱式タバコによく似た形の犬笛を取り出した魔餓鬼は、クルリと方角を変えた。

東山連峰を右側に、北の方角を魔餓鬼は見た。

「北西の方角からでしたね。聞こえてきたのは……」

人間の耳では聞き取れない高周波の犬笛を、魔餓鬼は北西に向かって吹き続けた。

≪≪~~~~~~~~~~~~≫≫

吹き終えた魔餓鬼は耳を傾けながら、暫く様子を伺っていた。

「おかしいですねぇ?」

「いつもなら直ぐに姿を現していましたのに、魔火丸専用の犬笛をこれだけ吹き続けても応答が無いと言うことは、すでにこの世から消滅したと断言してもいいでしょう」「問題は……魔火丸が消滅してしまった、その過程です」

―――

京都市立六道総合医療センターの正面入り口近くには、多くの低木が植樹されていて、その低木の中に「京都市立六道総合医療センター」の文字が深く刻み込まれた石造りの門標が置かれている。

快炎鬼とエバは横に並んで、大きな建物を見上げていた。

快炎鬼は自信を持って言った。

「断定してもいいだろう」

「奇妙な声の発信源はここだ」

「そうね。物のの悲鳴のように聞こえたわ」

快炎鬼はエバの横顔を見ながら、怪訝な顔で聞いた。

「……どこが違うんだ?」

「物の怪と妖怪の違いってのは?……」

「分かり易く分類すると、妖怪は天狗とか一つ目小僧とか、河童、雪女、山姥やまんばといった昔話に出てくるようなもののことで、物の怪とは一般的に、人にたたりをする『死霊』『生霊』のことを言うわ」

「ま、妖怪も物の怪の中の一つなんだけど……ね」

リュウがエバの横に音も無く立った。

快炎鬼と同じように病院を見上げながら言った。

「生きていたか?」

「濁った汚ねー声だったから、てっきりエバが殺られたと思ってたぜ」

「バカ言ってんじゃないよ!」

「顔が綺麗だけでなく、美声の私があんな汚い悲鳴を上げるワケがないじゃないの」

キョロキョロと周辺を見渡しながら、リュウはエバに聞いた。

「アララはどうした。まだなのか?」

「この近くにいるはずだから、直ぐに姿を見せてくれるわよ」

「懸衣翁の方は、私たちのように自由に時空間を移動することができないから、少し遅れてくるでしょうねぇ?」

リュウは、再度心配顔で周囲を見渡した。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。アララはすぐに姿を現わすわよ」

―――

腕組みをした恰幅のいい防災センター長の菊池の表情は険しかった。

10坪ほどの広さの警備室には、横長の卓上に10台ほどのパソコンが設置されていて、横並びになった6名の警備員たちはセンター長の菊池に背を向けながら、各自のパソコン画面に熱心に見入っていた。

警備員たちの前には1㍍ほどの空間があり、警備員たちの正面の壁には、各部署に設置された監視カメラのモニター画面が、横に数段になって積み重ねられていた。

数あるモニター画面の中の一つを、菊池は鋭い眼光で見据えていた。

モニター画面には、屋上の監視カメラが斜め上から撮らえたアングルの中に、窓ガラスが吹っ飛びポッカリと大きな穴が開いた建物の病室が映っていた。

菊池にはどうにも解せないモノが心の中にあった。

『……なぜだ?』

『病院の窓ガラスは車のフロントガラスと同じで、通常のガラスよりも3倍から5倍の強化ガラスだ。風速50㍍の台風が来ても、ガラスは揺れてたわむだけであって風圧で割れるようなことは無い』

『たとえ割れたとしてもガラスは粉々になるだけで、瓦のような大きな破片が中庭に降ってくるワケが無い』

『不思議なのはそれだけじゃない。爆風で吹っ飛んだように見えるが、爆発音を聞いた者は誰もいない』

『どうなっているんだ? あの部屋は……』

とその時、室内にアラーム音が流れて警備員たちに注意を呼び掛けた。

各自の前に設置されているパソコン画面に見入っていた6名の警備員たちが一斉に振り返り、警備員の一人がセンター長の菊池に言った。

「火災発生です!」

「火災報知器が警報を知らせています!」

「誤作動じゃないのか?」

警備員は目の前のパソコン画面を再度チェックした。

パッと振り返って、青ざめた表情で菊池に言った。

「誤作動ではありません!」

「スプリンクラーも作動しています!」

「発生場所はどこだ?」

「東病棟の9階です! 窓ガラスが吹っ飛んだ同じ部屋の階です!」

事態は一変した。

全館内にけたたましく鳴り響く非常ベルの音に驚いた症状の軽い患者たちは、慌てて廊下に飛び出し、トイレを清掃中の従業員たちも病室に配膳していた係の人たちも、そしてエントランスだけでなく各階のナースセンターにおいても騒然として慌てふためている様子が、数多くのモニター画面に映し出されていた。

警備室に設置されていた電話機が一斉に鳴り響いた。

だが、誰一人として受話器を取る者はいなかった。

館内が騒然となっている様子を見ていた警備員が、振り返って菊池に聞いた。

「センター長!」

「大変なことになっています。避難用のアナウンスを流してもいいでしょうか?」

菊池は即座に止めた。

「待て!」

「火災発生確認が先だ!消防に通報するのもアナウンスを流すのも、その後だ!」

菊池は卓上のパソコンに近づくと、9階廊下を映し出し、遠隔操作で廊下の様子を探った。

廊下には立ち込める煙は見えず、非常ベルの音に驚き慌てふためきながら廊下に飛び出し、狼狽えている数人の患者たちの姿が映っていただけだった。

「……煙が出ていない」

「スプリンクラーが作動するくらいだ。煙が出ていてもいいはずなのに?……」

菊池は手元近くに置いてあった電話のプッシュボタンを素早く押すと、電話に向かって呼びかけた。

「菊池だ!」

「東病棟9階の火災報知器が作動した!誤作動かもしれない。そのまま窓ガラスが吹っ飛んだ905号室に直行してくれ。室内のスプリンクラーも作動しているようだ!」―――

警備員の高橋は、廊下で片方の耳に手を当て、菊池の指示をイヤホンで聞いていた。制服の襟元に装着していたマイクに口を近づけ、高橋は応答した。

「こちら、高橋。了解」

相棒の若い警備員の佐々木に対して高橋は、ボヤくと言うよりも怒ったような口調で言った。

「白衣が消えた後は、窓ガラスが吹っ飛んだ。ほんで、今度は火事騒ぎや」

「どないなってんねん? 今日の病院は……」

「そんなこと、ボクに言われても……」

「そやな」

「お前に言うてもしゃあないわな」

高橋は若い佐々木を促した。

「ほな、いそごか?」

「はい!」

―――

前のめりになって廊下を走る二人の動きがピタリと止まった。

マネキン人形のように固く停止状態になっている2人の横を、快炎鬼が先頭を切って走り、その後ろをリュウとエバが縦一列になって時空間を移行していたからだ。


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