三十二の炎
三十二の炎
「冗談じゃねぇッ!」
政岡が発した怒りの一声が、リビングルームに響き渡った。
リビングではアララとリュウがテーブルで向かい合って話し込んでいた。ソファーではエバと快炎鬼が並んで座って話し込み、部屋は僅かにザワついていたのだが、エバと快炎鬼たちの前に立って一気に不満をぶちまけた政岡の怒りの一声で、その場は一瞬にして緊張の糸が張ったのだ。
額に青筋を立て血相を変えて怒るほどでもなかったが、政岡の怒りの口調は鋭く語尾に力が籠っていた。
「魔餓鬼に復讐するのだったら、自分たちだけの力で実行しろ!」
「巻き込むならこの俺だけにしろ!」
不満をぶちまけ続ける政岡の言葉を快炎鬼たち4人は黙って聞いていた。
「ったく、感心するぜ」
「よくもそんなウソが平気でスラスラと言えたもんだ」
政岡は、快炎鬼たちの前を右に左にクマのようにウロつきながら、険しい表情で不満を快炎鬼たちにぶちまけ続けた。
「少しは心ってモノが痛まねぇのか?」
「事情を知らない高校生たちを利用するんじゃねぇよ!」
徐にソファーから立ち上がり、怒れる政岡に快炎鬼が答えた。
「お前の言ってることは正しい」
「できることなら、俺たちだけで魔餓鬼を倒したいと思っているのが本心だ。だがしかし、悲しいかな、俺たちに残された時間は残りが少ない。短期間で魔餓鬼を捜し出すことは不可能に近いと言ってもいい。それなら、どこにいるか分からない魔餓鬼を俺たちが捜し出すのではなく、俺たちの居場所を魔餓鬼に知らせ、魔餓鬼が俺たちを捜し出すように仕向けるってのはどうだろうと、俺が思っていたことをリュウが皆に提案してくれた。そんなことをすれば一人ずつ抹殺して下さいと魔餓鬼に言っているようなものかもしれないが、お前の意見と同様に、リュウの意見もまた正しいと俺は思っている。なぜなら、魔餓鬼をこのままこの世にのさばらせておけば、この世は地獄と化してしまうことだろう。そうなれば、この世に生きる人々は現世で地獄を見ると同時に『苦獄』をも見てしまうことになってしまうからだ」
「魔餓鬼を倒すのはもちろん俺たちだが、彼らに少しは力を借りてもいいのではないかと思っている。なぜなら、俺たちが魔餓鬼退治に成功すれば、彼らは陰のヒーローでなく、真の正義の味方となってくれるからだ」
リュウとともにテーブル席にいたアララが、イスに座ったままで政岡の方を見た。
「そりゃあ、事前にあんたに相談しなかった私たちも悪かったと思うけどさあ。眉間にシワを寄せてそんなにガミガミ言うほどのことでもないじゃん?」
アララに続いてリュウも言った。
「彼らが協力してくれると決まったワケじゃねぇよ」
「部活で忙しいとか、それに期末試験でサブリミナルの編集どころじゃねぇかもしれないだろ?」
ソファーに座っていたエバが、政岡を見上げながら言った。
「協力するのがダメだとなればテレビ局の編集室に侵入して、コマーシャル枠の中に細工するのも一つの手かもしれないわね?」
エバは笑いながら、直ぐに否定した。
「ま、今のは冗談だけど……」
快炎鬼たちの言葉で不平と不安が綯い交ぜになってしまった政岡は、心配顔でエバの横に腰を下した。
「協力してくれるかなあ? 彼らは……」
「ホントに分かんないわねぇ?」
「昭和や平成の時代の子供たちは、人さまに物事を依頼されると信頼を得たと感じてよく動いてくれたけど、いつの間にやら今の子供たちは、頼まれること自体がイヤになってきているようね。逆に、やる気さえ起きれば必要以上に人一倍動いているようなんだけどね?」
茶化し気味にリュウが言った。
「彼らのフォローがダメだと判ったら、深夜番組でも乗っ取ってオン・エアするか?」アララはマジに怒った。
「ダメじゃん!」
「勝つためには手段を選ばないなんて……」
エバもアララと同じ思いだった。
「そうよ。その通りよ。それをやっちゃあ、オシマイよ。どこかの国の国会議員じゃないんだから……」
「どこの国の議員だ?」
エバは笑いながらリュウを諭した。
「知っていながら聞くのは野暮ってものよ。よした方がいいわ」
―――
黒いリュックを背負って歩道を一人で登校している倉本の背後から肩越しに、何名かの同級生たちが「おはよう」と声をかけて通り過ぎていった。
前方に見える小さな公園の前で、野球帽を被った大谷が倉本を待っていた。
大谷は近づいた倉本に挨拶をした。
「オス!」
二人は歩道からスッと逸れて、公園の中に入っていった。
住宅と公園の境界を仕切るようにして設置された金網のフェンスの近くには、多くの葉を生い茂らせた十数本の大きな樹木がフェンス沿いに植えられていて、樹々の間には背もたれ付きの木製ベンチが等間隔に置かれていた。
朝の公園を利用する人たちの数は少なく、ベンチに腰かけているのはセーラー服を着た二人の女子校生たちだけで、彼女たちは時たま大きな笑い声を上げて話していた。
倉本は話に夢中になっている女子校生たちに声をかけた。
「おはよう」
ぽっちゃり型の綾香と細身の涼子が同時に倉本を見上げて聞いた。
「心配したわよ」
「やっとできたようね。サブリミナルの編集?……」
「悪かった。連絡が遅れて」
倉本は背負っていたリュックを降ろしながら答えた。
「ボクは勘違いをしていたんだ。フィルム映画のコマ送りは1秒間に24コマを送って放映されていたのを知っていたから、そのつもりでパソコン内のスクリーンアプリを利用したんだけど、技術的に慣れないものだから上手く編集できなくてかなり手間取ってしまって……」
「京都から送信されてきたビデオテープを何度も再生して編集していると、ノイズやチラツキを無くすためだと思うけど、カウントは100分の1秒刻みで編集してくれてて、サブリミナルの挿入は100分の2秒間隔で入っていることが分かったんだ。それが分かった時点で、オートチャプター設定でチャプターだけを削除することができるようにチャプターポイントに指示すると、サブリミナルの摘出作業は思った以上にスムーズに進んで綺麗に再編集することができた」
綾香は涼子に同意を求めた。
「だったら、もっと早く連絡して欲しかったわよねぇ?」
「そだねー」
「みんなに完成したテープを見て貰うのが遅れてしまった原因は、他にも色々と調べるモノがあったからなんだ」
大谷は怪訝顔で聞いた。
「何だよ。色々な他の調べ物って?」
「それは後で話す」
倉本は、地面に置いたリュックの中からノートパソコンを取り出し、二人の女子校生が座っているベンチの間に置いた。
「見てくれ」
大谷と二人の女子高生たちは倉本の背後で取り囲むようにしてしゃがみ込み、ベンチに置かれたパソコンの画面を興味深そうな目で覗き込んだ。
「これが編集したビデオテープだ」
パソコンを広げていた倉本は、勢いよくエンター・キーをポンと押した。
―――
画面は一変した。
ノートパソコンに映し出された映像には、黒光りしている床に俵屋宗達作の「風神・雷神の屏風絵」のレプリカが実物大でセットされていて、薙刀に似た青龍偃月刀を右手に持った快炎鬼が仁王立ちで立っていた。
偃月刀を上段に構えて袈裟懸けで一気に振り下ろすと、空気が切り裂かれる鋭い音がした。
偃月刀の刃先をカメラに向かってグイと差し向け、強い口調で快炎鬼は命令した。「魔餓鬼に告ぐ!」
「俺の名前は快炎鬼!」
「生の六道へ来い!」
偃月刀を持った右腕を横にグイと伸ばして柄を床にトンと置くと、屏風絵の上部に止まっていた懸衣翁が飛び立ち、仁王立ちの快炎鬼の右腕の上部で大きく翼を広げ羽音を立てずに静かに舞い降りた。
懸衣翁はカメラに向かって嘴を大きく開くと、魔餓鬼を嘲笑うかのような甲高い声でリズムよく歌うようにして言った。
【魔餓鬼はきっと来る来る】
【クルクルクルのパーだから……】
懸衣翁が言い終わると同時に画面はフェードアウトして、元の黒いノートパソコンの画面に戻った。
―――
倉本はパソコンを閉じながら、呟くようにして言った。
「これで終わりだ」
倉本を背後から取り囲むようにしてしゃがみ込み、ベンチの上に置かれていたノートパソコンを覗き込んでいた3人が一斉に立ち上がり、倉本の頭越しに不平と不満を一気に浴びせ続けた。
「マジかよ。信じられないよ?」
「何これ?」
「それに、誰だよ? マガキって」
「まるで自分が鬼でもあるかようにカイエンキと名乗っていたけど、あれは何なのよ? カラスと一緒だった変な男の正体は……」
「おかしいのはそれだけじゃないわ。待ち合わせの場所だけを指定しておいて、待ち合わせの時間も日にちも言わないなんて、何が言いたいのかサッパリ意味わかんないじゃない?」
「それに、来いと言われてノコノコ出てくるバカがいるとでも思っているのかしら?」「冗談じゃないわよ!」
「めっちゃ頭に来たわ。こんなふざけた動画をサブリミナル入りにしてビデオをボツにしてしまうなんて……」
「そうだよ。何が動画サイトに投稿してみれば?だよ」
「意味不明のこんな変な動画、恥ずかしくって誰にも見せられやしないじゃないの」「そうよ。頭の白いカラスが登場するから、見るからにCGっぽいし、内容にしたってフェイクっぽいというよりも、フェイクそのものじゃないの」
おもむろに立ち上がった倉本はクルリと振り返って、問い詰め続ける3人に答えた。「それでも、ボクは投稿する気だ」
大谷は倉本の言葉が信じられなかった。
「おいおい。それ、マジで言ってんの?」
綾香と涼子の二人も大谷と同じ思いだった。
「バカなことを言わないでよ」
「私、投稿するなんて絶対に反対よ。投稿しても笑われるだけで誰も相手になんかしてくれないわ。投稿するだけ無駄だと思う。いいことなんて何もないから、やめた方がいいと思う」
倉本は頷いた。
「最初はボクもそう思っていたんだ」
「完成したテープを見た時、編集ができた時の喜びよりも、逆に怒りを覚えたホドだ。投稿する気なんてこれっぽちもなかったンだ」
綾香は怪訝顔で聞いた。
「……それなのに、どうして投稿する気になったの?」
「話せば長くなるので結論から先に言う」
「カラスと一緒にいた彼の名前は氷室丈二。京都府警の現職の刑事さんだ」
大谷たちは目を丸めて驚いた。
「な、なんだって?」
「ウソでしょ?」
「どうして、そんな大事なことが分かったのよ?」
倉本は得意げに胸を張って言った。
「分かった理由は簡単だった」
「出来上がったテープを何度見ても、彼が何を言いたいのか全く理解することができなかったから、ボクは思い切ってテープを送ってくれた女性に編集ビデオを送信した。すると『マガキってのは誰だか知らないけど、カイエンキだと名乗っている男の正体は京都府警の現職の刑事さんで、名前は氷室丈二』だと教えてくれたンだ。なぜ、彼女がその刑事さんの名前を知っていたかというと、数ケ月ほど前に、京都市内で男女三名が同時に、まるで神隠しにでも遭ったように忽然と姿を消すといった、一大センセーショナルな事件が起きたそうで、当時の新聞や各週刊誌は連日のようにこぞって特集を組んで報道されていたから京都市民なら誰もが知っている事件なんだそうだ。そして彼女は『氷室丈二という刑事は、行方不明になった三名の中の一人だから、もし動画をSNSに投稿するつもりでいるのだったら、ウェブが炎上するだけでなく、警察の人たちが事情聴取に訪れるのは確実で、週刊誌の記者たちだけでなくテレビ局の取材陣だってどっと押し寄せてくるのは目に見えているから、氷室刑事の失踪に関しては事前に徹底的に調べておいた方がいいわよ』って、サブリミナル入りで作品がボツにされてしまったのに彼女は怒りを見せるどころか、ボクにアドバイスまでしてくれたんだ」
「だから、氷室丈二という刑事について、当時の新聞と週刊誌だけでなく片っ端からネットで情報を調べてみると、彼女が教えてくれた事件は事実だった。氷室刑事が姿を消したと思われる六道珍皇寺の境内では所持品の拳銃がまるで粘土細工のようにグニャリと捻り潰されてたように現場に残っていて、遺留品はそれだけじゃなく、翼の折れたハトやカラスの死骸が、灼熱の牙を持った獣に襲われたように真っ黒焦げになって転がっていたそうだ」
「氷室刑事について他にも色々と調べた。だから連絡するのが遅れた」
興味深そうに綾香が聞いてきた。
「他に何か分かったの?」
「新しく判ったことは何もない。だけど、一つだけ言えることがある」
「それは、京都府警も週刊誌も、まだ何も把握していないということだ」
「どうしてそんな重要なことが断言出来るの?」
「テープを編集したのはこのボクだ。氷室刑事を完全なる映像にしたのもこのボクだ。だから、氷室刑事の存在を知っているのは、京都の女性とボクたちだけだってことだ」
倉本は感慨深げに呟いた。
「ボクがこんなことを思うようになった原因は、真相を知らされたからかもしれないし、編集に携わっていたからかも知れないけど、何度もテープを再生して見ていると、たった三行だけの短いセリフだったのにすっかり感情移入してしまって、心の底から怒りのようなモノが沸々(ふつふつ)と突き上げてくるのを感じた。氷室刑事がマガキと言う人物に対して、深い怨念とか情念を持ち続け、ボクには、今まさにそれを晴らそうとしているような気がしてならないんだ」
ゆっくりとノートパソコンをリュックに収めた倉本は、リュックを背負いながら大谷たちに言った。
「フォロワー数を増やしたいとか、インフルエンサーになりたいとかが目的じゃない。あの刑事さんは、自分が氷室丈二だと名乗れなかった深い事情があったのに違いない。ボクの勝手な想像だけで、大きな思い違いをしているのかもしれないし、ブログが炎上して袋叩きに遭うかもしれないけど、そうなってもいいからボクは氷室刑事をフォローしたくなったんだ。どうしてもマガキと言う人物を『生の六道』に来させたかった。だからボクは投稿することを決めた」
綾香はニッコリ笑って、倉本の意見に賛同した。
「いいわね。私、投稿するの大賛成よ」
大谷は目を輝かせ、意気揚々とした表情で言った。
「これは大スクープだ!動画は一気に拡散するぞ。ワクワクするなあ。楽しみだ!」喜ぶ大谷を見ていた涼子の目から、大粒の涙が頬を伝って落ちた。
倉本は怪訝な顔で涼子に聞いた。
「どうしたんだよ? 急に泣いたりなんかして……」
指先で流れ落ちる涙を拭いながら、涼子は不思議がった。
「私、こんなの初めてよ。まるで誰かの代わりに泣いているみたいなの。私は嬉しくも悲しくもないのに、涙が勝手に出てくるの」
流す涙がピタリと止まると、涼子の顔から笑顔が溢れた。
「でも、もう大丈夫。涙腺が止まってくれたようだから……」
大谷は笑顔の涼子を見ながら、小首を傾げた。
『……不思議な現象だ?』
『嬉し涙だとしたら、一体、誰の涙だろう?』
倉本は大谷たちを促した。
「授業中でも放課後でもいい。衝撃的なインパクトのあるタイトル名とか、テロップが浮かんだらラインして欲しい。みんなで相談して決定したら、即、投稿するから」
倉本たち4人は足取りも軽やかに、朝の公園を後にした。




