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快炎鬼  作者: 吉田四郎
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三十三の炎

三十三の炎

いつもの刑事部屋なら、連行されてきた容疑者が大声を張り上げて抵抗するなどして、部屋はごった返して騒々しいのだが、この日は珍しく、女子職員たちの姿も清掃係の人影も見当たらず全ての刑事たちも出払っていたようで、室内は水を打ったようにして静まっていた。

刑事部屋には課長の遠藤が壁際のデスクに一人だけいて、デスクトップのパソコン画面を覗き込んでいた。

「課長」

課長を呼ぶ声に驚いた遠藤が顔を上げると、デスクの前に政岡が一人で立っていた。課長の表情はビックリした顔から、落胆した顔へと変わった。

「何や。誰かと思たら、お前かい?」

政岡はつかつかとデスクの横に歩み寄った。

「随分と仕事熱心なんですね。入ってきたことにも気付かないなんて……」

イスを横に向けた課長は政岡を見上げて、怪訝な顔で聞いた。

「何の用で来たんや。今日は非番とちゃうんかい?」

「ええ、休みです」

「捜査するだけが刑事の仕事とちゃう。休むことも仕事のウチや。非番の時には家でゆっくりと身体を休めて、日頃の疲れを取っておくこっちゃ」

「そうもいかなくなりました。実は丈二のことで……」

丈二の名前が出たことで課長は全てを察したようだった。

「よっしゃ、分った」

「立ったままではしんどいやろ。お前の席で話そう」

課長は政岡を促し、デスクから離れた。

―――

課長は政岡の横の席のイスを手に取ると、イスの背を抱くようにして大きくまたいで腰を掛け、イスの背に両肘を組んでアゴを乗せ、リラックスした状態で政岡に尋ねた。

「……で、どないなったンや?」

「あれから、丈二は……」

すでにイスに腰かけていた政岡は、課長の方に向きを変え、身振り手振りを交えながらこれまでの経緯けいいを事細かく克明に説明した。

「……と言うワケで、高校生が投稿すると思われる動画サイトで、近々(ちかぢか)丈二は姿を現すかもしれません」

課長は呆れた顔で席を立った。

「何を今さらのように言うてんねん?」

イスを元の席に戻しながら課長は呟くようにして言った。

「すでに丈二は姿を現しとるがな」

「えッ?」

「お前は以前、ワシに教えてくれたことをすっかり忘れてしもてるようやけど、丈二は火事場から子供を助け出しとるし、それにお前の手錠で置き引き犯を逮捕までしとるがな」

課長は念を押して聞いた。

「ちゃうか?」

「そ、そうでしたね」

「ま、そんなことはどうでもええことやけど、ワシが心配していることは、丈二がヘタこいたということや」

課長の言葉に納得することができず、政岡は怪訝な顔で聞き返した。

「どういうことでしょうか?」

課長はイスを元に戻して座り直し、真剣な表情で政岡を見据えながら言った。

「丈二が『死の六道』の珍皇寺で災難に遭うたんやったら、魔餓鬼とかいう男を『生の六道』へ来いとか言わんと『死の六道』へ来いと呼びつけるべきやったと言うこっちゃ」

「ダメでしたか?『生の六道』では……」

課長は目の前で片手を左右に大きく振って否定した。

「アカン!アカン!アカン!」

編集ビデオの内容を知っていた政岡は、不満顔で聞いた。

「なぜダメなんですか?」

少し間を置いてから、課長はこう語った。

一口ひとくちに『生の六道』へ来いと言うてもその範囲は広すぎる。『生の六道』というのは、右京区の嵯峨とか嵐山とか化野の念仏寺がある一帯だけを言うのやのうて、枯山水の庭園で有名な龍安寺も、重要文化財の五十塔が建っていて世界文化遺産にもなっている仁和寺も右京区の範囲内やし、東映映画村の太秦うずまさや嵐山の渡月橋かて、右京区の『生の六道』の中に入ってしまうからなんや」

「それは『死の六道』でも同じことが言えるワケで、俵屋宗達の風神雷神の屏風絵で有名な建仁寺も、六波羅蜜寺も珍皇寺も、昔で言うところの鳥辺野一帯が『死の六道』なんやけど、今は『死の六道』と言うたら珍皇寺の代名詞になってるさかいに、『死の六道』で待つと言うたら珍皇寺で待つと言うことになる。そやけど、かりに『生の六道』が福正寺だと仮定しても、その福正寺は明治になってから廃寺になってしもて、清凉寺嵯峨釈迦堂の境内にある嵯峨薬師寺に移ってしもたさかいに、正確に言うたら『生の六道』の福正寺は存在してないということなんや」

課長は間髪入れず、畳みかけるようにして話を続けた。

「もっと詳しく説明させて貰うと『死の六道』を代表する珍皇寺には、地獄への入口の井戸が今でも二つ残っているさかいにまだ話は分かるけど、地獄の出口を代表する『生の六道』の福正寺の方は、昭和になって福正寺の跡と思われる薮の中から七つの井戸が発見されただけであって、その井戸も完全に埋められしもたよってに、今は何一つとしてここが『生の六道』の跡地やということを示すモノが無いというこっちゃ」 

政岡は狼狽した。

「じ、じゃあ、丈二は存在しない寺で魔餓鬼を待つということですか?」

課長は頷いた。

「そう言うこっちゃ」

課長は静かに席を立って、政岡を促した。

「早よ、丈二に教えたれ」

「魔餓鬼を待っている寺は、今はもう無いということを……」

政岡は青ざめた顔で答えた。

「そ、それが……」

「どないしたんや?」

「連絡はいつも丈二からの一方通行なんです。会いたくてもこちらからアクセスすることができないのです」

「な、なんやて?」

イスに座ったままで向きを変えた政岡は、デスクを叩いて悔しがった。

「クッソーッ!」

「動画が拡散してくれたって丈二が魔餓鬼と出会えなきゃ『サブリミナル入り作戦』は大失敗ってことじゃねーかッ!」

―――

『百人一首』で知られる右京区・常寂光寺じょうじゃっこうじは、嵯峨小倉山の中腹の斜面に立っている寺で、新緑や紅葉のシーズンともなると開門前から観光客たちの行列ができ終日混雑するが、季節外れとなると寺を訪れる観光客は少ない。

運慶の作とも言われる茅葺かやぶきの仁王門から続く急な石階段の参道は、熊野古道のように不揃ふぞろいでいびつになっていて苔むし、雑草がまばらに生えるほどの古びた石階段であった。

エバと快炎鬼の二人が横並びになって苔むした石階段を上がりきると、伏見城の客殿を移築した本堂が建っていて、その背後には見事に均整のとれた重要文化財の二重の塔の多宝塔たほうとうが建立されていた。

多宝塔の周囲は、腰ほどの高さの木の柵で取り囲まれて保護され、塔の周辺には外国の観光客たちの姿がチラホラと見られる程度で、境内は閑散とした状態だった。―――

多宝塔に近づいた快炎鬼は、感銘を受けたような顔で二重の塔を見つめた。

「ここもそうだったのか?」

「京都に住んでいながら改めて知ったよ。広いンだなあ、右京区ってのは……」

「そうよ。広くて大きいのよ。右京区は……」

「前にも言ったと思うけど、京都には北の蓮台野れんだいや。西の化野あだしの。東の鳥辺野の『三大風葬地』があって、左京区の鳥辺野の六道珍皇寺は『死の六道』としてよく知られているけど『生の六道』の福正寺はもう廃寺になってしまっているから、右京区全体が『生の六道』と言っても過言じゃないのよね」

快炎鬼はエバに頭を下げて謝った。

「素直に『死の六道へ来い!』と言えば済むことだったのに、無理な願い事を言って済まなかった」

「いいのよ」

「もしかすると彼女が戻ってくるかもしれないと思っている場所だから、珍皇寺の境内だけは荒らすことなく残して置きたいと願うのは、彼氏として当然の願いだと私は思っているわ。それに私たちは魔餓鬼と闘う場所を探しているのではなく、ここでは魔餓鬼と闘いたくないという場所を探しているの」

「罪の無い人間を巻き添えにしたくないけど、全くゼロにすることなんてできないですからね。最小限に食い止めたいのよ、被害者の数を……。だから、そんなに気を使わなくてもいいのよ」と慰めた。

とその時、快炎鬼の背後で声がした。

【お前だったのか?】

【快炎鬼だと名乗る、恐れ知らずのバカ者は?……】

驚いた様子も見せずに平然とした顔で快炎鬼が振り返ると、舞い落ちて一葉の枯れ葉も残っていない紅葉の枝に懸衣翁が止まっていた。

「……どうだ?」

「驚いたか?」

快炎鬼は不機嫌そうな顔で言った。

「俺の背後に立つのはよせ」

「近づく気配で相手が何者かが分ったからいいようなものの、危うく頭と首が上と下にサヨナラしていたところだ」

「そう尖んがるな。闘う前に擦り減っちまうぜ。神経が……」

懸衣翁は小さな境内を見渡しながら聞いた。

「……お前ら、こんなところまで魔餓鬼と闘う場所を探しに来ていたのか?」

「当然じゃないの」

「魔餓鬼に『生の六道へ来い!』って招待しておきながら、出迎える場所が無ければ失礼ってものじゃない。だからリュウは化野あだしのへ……。そしてアララは太秦の映画村まで行ってるわ」

サッと木の枝から飛び立ち着地した懸衣翁は、肩を大きく左右に揺すりながらトコトコと二人に近づいた。

「残念ながら俺は、お前たちと一緒に時空間を自由に移動することが出来ねぇ」

「だからといって文句を言っているワケじゃねぇが、別行動を取るのはこれをラストにしたらどうだ。そうでもしねぇと誰かが先に怪物・魔餓鬼に気付かれて、一人ずつもてあそばれながら始末されるのがオチってもんだ」

エバはかさずに応えた。

「勿論、そのつもりの束の間の別行動ですよ。拡散される動画のスピードは早く、すぐに魔餓鬼に知られるハズですからね」

「そうかい。それが分かっての別行動ならこれ以上何も言うことはねぇぜ」

「じゃあこの俺も、アララやリュウに負けずに『生の六道』の右京区をひとっ飛びして、魔餓鬼と闘う場所を探すことにするかぁ?」

二人に背を向けた懸衣翁は、羽音を立てずに飛び上がった。

飛び去る懸衣翁を見送ることもなく、二人は狭い常寂光寺の境内を後にした。

―――

化野念仏寺は、嵐山の渡月橋を越えた嵯峨野の奥の『竹林の道』を過ぎて嵐山から3キロほど奥に入った奥嵯峨野にある寺院で、周囲を大きな木立に囲まれた墓地には、無数の石塔や石仏が並んでいた。

三途さんずの川に「さいの河原」があるが、風葬地でもあった化野念仏寺が『西院さいいんの河原』と呼ばれている理由は、石仏の多さから「賽の河原」をイメージして名付けられたとも言われている。

松尾芭蕉の句に「しずかさや 岩にしみ入る 蝉の声」という名句があるが、リュウが一人で佇む念仏寺は風も止み、人の気配はまったく無く、鳥たちのさえずる声さえも聞こえず、この時の墓地は芭蕉の句に劣らぬほどの静けさであった。

壮大なスケールの石仏群を眺めながらリュウは呟いた。

「あだし野の『あだし』とは、はかないとか、むなしいと言った意味だ」

ほうむられた人たちの墓が八千基を超えているっていうのに『墓無はかない』とはどういうことだ。ったく洒落しゃれにもならないぜ」

石仏群の前方に建立されている「五輪塔ごりんのとう」に近づこうとしていたリュウの足がピタリと止まった。

「……引き返そうか?」

人気ひとけが無くて、ここなら魔餓鬼と闘うには最適の場所だと思ったが、闘いで墓を荒らしてしまうのには気が引ける。できることなら避けたい場所だ」

とその時、リュウの足元で子供のような声がした。

【魔餓鬼は来ないよ。いくら待っても……】

むなしい時が、ただ通り過ぎていくだけだよ】

声の主は高さが30㌢程の羅漢の石仏で、仲良く並んで二体が置かれていた。

石仏の顔のほりはどちらも浅く、作りは粗雑だったが、どちらの石仏にもどこかに少年の面影が残されていた。

「何だ? お前ら……」

細く閉じられていた石仏の両眼が開き、二体はリュウを見上げながら答えた。

【おいらたち、『又聞鬼またぎき』って言う名の兄弟なんだ】

【おいらたち、手も足も出すことはできないけど、何にでも憑依ひょういして話すことができる妖怪なんだ】

リュウは呆気に取られた顔で石仏を見下した。

「テメーでテメーのことを、妖怪だと名乗っているのか?」

【呼び名なんて一怪いっかいでも二怪にかいでもいいのだけど、誤解が多いから誰が聞いても分かるように妖怪と名乗ってるんだ】

「妖怪と名乗る理由は分かった」

「次はなぜお前らが魔餓鬼のことを知ってるのか、その理由を言え」

【知っている理由なんて簡単だよ】

魑魅魍魎ちみもうりょうだけでなく、妖怪仲間でも知らないのは残り僅かだと思うよ。だって、ネットに投稿された動画の再生回数がすでに230万回を超えているし、300・400万回だってアッという間に達成だよ】

「それなら尚更なおさらのことだ。魔餓鬼がここに来ないとなぜ断言できるんだ?」【最初から相手にしていないと思うよ】

【魔餓鬼がその気になっていたら、あんたはここに立っていられないはずだよ。無事に立っていられるってことは、魔餓鬼に、相手にされていないということじゃないかな?】  

リュウは憮然とした表情で言い返した。

「魔餓鬼はまだ動画には気付いてないかもしれないだろ?」

【おいらたちでさえしってるんだ】

【あの魔餓鬼がしらないはずないじゃないか】

リュウは不安顔で「又聞鬼」兄弟に聞いた。

「無視してるってことか。魔餓鬼は俺たちを?……」

【……多分ね】

【そうだと思うよ】

リュウの表情は強張こわばり、暫く沈黙が続いた。

リュウは心の中で呟いていた。

『……魔餓鬼は来ない』

『いくら待っても……か』

リュウは告げることなく、二体の石仏の前からスッと姿を消した。

弟の又聞鬼が横目で兄に聞いた。

【怒ったように消えてしまったけど、教えてよかったのかな? お兄ちゃん】

【おいらたちは又聞きしたのをそのまんま伝えただけだ。もっと尾ひれを付けてオーバーに話してもよかったくらいだ。だから気にすることなんてないよ。何も……】

【そうだね】

【余計なことを言って心配させるのって、すんごく面白いからね】

又聞鬼兄弟の目は同時に閉じられ、二体の小さな石物は、古びた元の粗雑な羅漢像に戻った。


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