三十一の炎
三十一の炎
カチッと小さな音がした。マウスを操作している音だった。素早くキーボードを叩く音がマウスを操作した後にテンポよく続いた。
机上に置かれている23・8インチのデススクトップのパソコン画面の上部には、以前に高台寺近くで録画されたアララと懸衣翁の画像が映し出され、下部は音量やBGMなどを分類しているレベル調整ラインが表示されていて、一つの画面の中に収録されたビデオテープを自在に操作することができる編集画面になっていた。
エバはパソコン画面を見ながらアララと懸衣翁の編集を進め、アララとリュウはエバの背後に立って画面を見つめ、アララとリュウの間から政岡と快炎鬼がエバによって巧みに編集されていくパソコン画面に見入っていた。要するに、6畳ほどの狭い部屋の片隅で、快炎鬼を含めた5名が1台のパソコンを無言で取り囲み、エバの作業を熱心に眺めていたのだった。
キーボードから手を離し、イスに背もたれたエバがため息まじりに言った。
「はい。OK」
「ここまでくれば完成したも同然。アトはサブリミナルを入れるだけね」
パソコン画面の上部に映っているアララと懸衣翁のラストシーンを見ながら、政岡がエバの肩越しから訊ねた。
「……何ですか。サブリミナルって?」
怪訝顔をしている政岡を、快炎鬼が誘い出した。
「俺が説明するよ。部屋を出よう」
「後はエバにお任せだ」
―――
マンション屋上のフェンス越しから眺望できる京都三山の山並みは、深まり行く秋で木々の色彩はより一層に鮮明さを増し、壮観さえ感じられる景色であった。
色鮮やかに紅葉した山並みを、二人は並んで眺めていた。
快炎鬼は羨望を込めて、政岡に言った。
「お前が羨ましい。こんなにいいマンションで暮らせることが出来て……」
「親父が残してくれた唯一の遺産だ。独り身なので売却も考えたが、親父との思い出を消し去ってしまうような気がしたので、このままここで居続けているってワケだが、お前が羨ましがるほどいいマンションじゃない。外壁塗装工事を終えたばかりで、見た目は新築のように見えるが築年数も相当に経っていて、そろそろ建て替えてもいいほどの中古マンションだ」
「マンションの状態がどうであれ、俺が羨ましいなあと思っているのは壮大なるこの眺望だ。夏になれば『五山の送り火』が拝めそうだし、神社仏閣だけでなく静かな公園の樹々も近くに見えていて絶好の環境だ」
「京都ってのはどこに住んでいても絶好の場所だ」
「お前も知っていると思うが、京都市内の建物の高さは市の景観条例で9階建てまでと規制されているだけでなく、三方を山に囲まれた盆地になっているから、どこからでも五山の送り火の一つや二つの文字は見えるってことだ」
快炎鬼は山から政岡に向きを変え、改めて言い直した。
「さっき言っていたサブリミナルの件だが……」
快炎鬼に言われるまでも無く政岡はサブリミナルについて知っておきたかった。だが、それ以上に知っておきたかった興味深いものが政岡には有った。
「それを説明する前に教えてくれ」
「……何が知りたい?」
「エバはなぜあんなにパソコンを巧みに使いこなすことができるんだ?」
「地獄には『浄玻璃の鏡の部屋』というのがあって、そこは死者が生前に行った罪を一瞬にして判別するだけでなく、輪廻転生となる天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六道の世界へ導くことができ、今では地獄の中枢をなしている最も重要なコンピューター室なんだ」
「お前も知っての通り、エバの正体は三途の川の奪衣婆だ」
「奪衣婆のいる三途の川の淵には、衣領樹と言う名の大きな樹が生えていて、奪衣婆は亭主の懸衣翁とともに死者から剥ぎ取った衣類を衣領樹の枝にぶら下げ、枝の撓み方によって生前の罪を計っていたのだが、増え続ける死者を扱い切れなくなって改善され、現在では『三途の川』も『浄玻璃の鏡の部屋』も近代化され、すべての罪はスーパー・コンピューターが処置するようになったそうだ。エバは三途の川を担当していただけでなく、死者たちから教わったコンピューターを自由自在に操作できるまでに上達して『浄玻璃の鏡の部屋』を統括管理する責任者になった。それなのに『浄玻璃の鏡の部屋』は魔餓鬼に楽々と侵入されてデータは荒らされ、その上、夫の懸衣翁は行方知れずになってしまった。エバは怒り心頭、怒髪天を衝く思いで魔餓鬼・退治のメンバーに加わったってワケだ」
政岡は大きく頷いて納得した。
「なるほど」
「エバがお前と一緒に現世に来た理由も、パソコンを上手く使いこなせる理由もこれでよく分かった。だからビデオ編集なんてものはお茶の子さいさい、屁の河童みたいなものだってことか?」
「話が横に逸れてしまったので元に戻すが、エバの話ではサブリミナルってのは潜在意識に訴える広告手段の一種であって、伝えたい商品を映像の中に100分の2秒以下で画像を挿入すると、人は無意識のうちに頭の中に商品がすり込まれてしまうらしい。それがサブリミナル効果だ」
政岡は表情を曇らせ、快炎鬼の話を咄嗟に理解することが出来なかった。
「……潜在意識に訴えるだって?」
快炎鬼は政岡の表情を素早く読み取り、そして話を続けた。
「これだけでは判り難いと思う。映画に例えて話すことにするよ」
「そうしてくれ」
「映画を見ていると急にポップコーンとコーラが欲しくなり、休憩時間に売店へ行くとポップコーンとコーラを買い求める客がズラリと並んでいることがある。その原因は、映像の中にポップコーンとコーラの画像を抽入し、無意識下に働きかけるサブリミナル効果を狙ったものだったと言われているんだ」
政岡は驚いた。
「そ、それって、凄い宣伝効果じゃないか?」
快炎鬼はアッサリと否定した。
「ところがどっこい、そうじゃなかった。それは大きな嘘だったことが判明した」
「な、なんだって?」
「エバの話ではそんな実験なんて、映画館で一度もやったことはなく、サブリミナル効果があったというデータはすべてがでっち上げだったそうだ」
「ちょっと待て!」
政岡は表情を険しく変え、強い口調で快炎鬼に聞いた。
「お前たちが考えた計画だ。きっといいことなのだろうと深くは考えずに参加したが、お前たちはまったく効果の無いアナログのサブリミナルを、多くのモノがデジタル化されているこの時代に再利用するつもりで行動してたのか?」
快炎鬼は大きく頷いた。
「そうだ。時と場合によっては古いモノが逆に新鮮に見える時がある」
「使い物にならない効果だからこそ、使い物になることがあるってことだ」
政岡はニヤリと笑った。
「少しは読めてきたぜ。お前たちが何を企み、そして、なぜ大袈裟にロケを敢行したのか、そのワケが……」
快炎鬼は僅かに安堵の表情を見せた。
「それが少しでも判ってくれたのだったら有り難い。計画の本質を詳しく知らずに俺たちを信じて職をサボり、ロケに参加してくれた現職の刑事さんをどうやって説明し、どうやって納得させるかが問題だったんだ」
―――
パソコンの画面は数カットで仕切られていた。大小の全てのカットの中には翼の白いカラスが様々なアングルで撮られていた。
京都での修学旅行を終えた丸刈り頭の倉本少年は、寝室を兼ねた6畳ほどの勉強部屋で、今まで覗き込んでいた卓上のデスクトップのパソコンから身を遠ざけ、後ろのイスに背もたれて両手を頭の後ろで組み、パソコン画面の翼の白いカラスの画像を眺めながら、物思いに耽るようにして独り言を言った。
「……島根県の益田市の水田地帯では翼の白いカラスが目撃されている。そして、何枚も写真に収められている」
「自然界では別に珍しいことではない。色素の遺伝子が突然変異を起こせば、身体の一部が白化してしまった野鳥は全国でも時々目撃されていて写真にも撮られている。ホワイトタイガーだって、ベンガルトラの遺伝子が突然変異を起こしたものだ」
身を起こした倉本は腕を前で組み、小首を小さく傾げて訝しがった。
「あれは……。どう考えてもおかしい」
「テーマが『京都魔界巡り』なのだから、頭の白いカラスを利用して腹話術でリポートするのはインパクトがあって物凄く面白いと思うけど、あのカラスは奇を衒った腹話術用のカラスなんかじゃない。信じられないけど、あのカラスは人間の言葉が理解することができて、自在に話すこともできる、バケモノ的なハシブトガラスだったのでは?……」
とその時、卓上に置かれていたスマホが鈍い振動音とともに揺れ動いた。
倉本は送信相手を確かめず、スマホを耳に当てがった。
「倉本ですが……」
『今、いいかしら?』
相手は若い女性の声だった。倉本は怪訝顔で聞き返した。
「どちらさまでしょうか?」
『名前を言っても分かってくれないと思うので、京都でロケをしていた時のクルーののメンバーの中の一人だと言えば判ってくれるかしら?』
倉本はパッ!と目を輝かせ、喜び勇んで聞いた。
「ディレクターさんですね?」
『ええ。そうよ』
「お、終わったのですか? 編集が……」
スマホから申し訳なさそうに謝るエバの声がした。
『ごめんなさいね』
「なぜ、謝るのですか。何かあったのですか?」
『結論から先に言うわね。あの時の収録ビデオがボツになってしまったの』
「ええ―――ッ?」
『ボツになった理由は二つあってね。一つは頭の白いカラスの登場が何だかフェイクっぽいと文句を言われ、もう一つは収録テープの中に誰かが悪戯でサブリミナルを挿入していたことが判明したの』
予期せぬエバの言葉に倉本は言葉を失い、黙ってエバの話を聞いていた。
『……サブリミナル効果って知っている?』
「知りません」
怒りを押さえているのを察したエバは、倉本を宥めるようにして、サブリミナルについて優しく説明を始めた。
『……サブリミナル効果ってのはネ』
『映画館内で映像を鑑賞中に、ポップコーンを進めるメッセージをホンの一瞬だけど、それを何度も繰り返して挿入し、観客に『ポップコーンを食べたい』という気持ちを植え付けて無意識に誘導することをサブリミナル効果っていうの』
『実験の結果、ポップコーンを直接宣伝したワケでもないのに『ポップコーンを食べたい』と感じた人が、なんと58%も増えちゃったそうなのよ』
「す、凄いじゃないですか。ホントですか、それ?……」
『本当かどうかを疑問に感じた人が再実験して、テレビ番組の中に352回もメッセージを差し込んだけど、サブリミナル効果はまったく得られなかったの』
「だったら、何の問題もないじゃないですか?」
『それはそうなんだけど……』
『以前に起こった出来事で、誰もが知っている有名なアニメ番組に、宗教団体の代表者の画像が挿入されていたことが判明して大問題になったことがあって以降サブリミナルは今でも放送禁止になっているの』
倉本は力なく答えた。
「……そんなことがあったのですか?」
『私たちの収録作品にサブリミナルの挿入は初めてされた悪戯なんだけど、この手の嫌がらせは業界では別に珍しいコトではないの』
「そうだったのですか。怖い業界ですね?」
『私たちは下請けのまたその下請けの小さな芸能事務所だから、誰に何をされても泣き寝入りすることが多いの。それに収録テープはシッカリと保管管理していたつもりだったから、仲間の犯行だってことも多いに考えられるので、表立って公にすることができないのよ』
エバは改まって、再度謝った。
『ごめんなさいね。そういう事情だから、京都での収録ビデオは放送できなくなってしまったの』
倉本は残念そうに呟いた。
「分りました。そういうことでしたら……」
『お詫びの代償と言っては何だけど、映像の著作権をキミたちにプレゼントするわ』「どういうことでしょうか?」
『言葉通りに受け取っていいのよ』
『京都の思い出として友達とビデオを共有してもいいし、 どんなことに使用してもキミたちの自由だってことよ』
『サブリミナルはワンパターンの間隔で音声も同時に挿入されているようだから、キミたちでサブリミナル映像だけを取り出して再編集して、そしてもし内容が面白いと感じたら好みの動画サイトに投稿してみてはどうかしら?』
『チャンスってどこに転がっているか判らないから、もしかするとキミたち一躍有名人になれるかもよ?』
倉本はエバの誘いに、笑顔で乗った。
「それって、面白そうですね。一度、チャレンジしてみます。サブリミナルを入れた犯人探しに一役買うことになってくれるかもしれませんから……」
『じゃあアトでこちらのIPアドレスを教えるから、そのウェブサイトにアクセスしてダウンロードしてくれてもいいし、キミのプライベートIPアドレスを教えてくれればリモートアクセスでミーティングしてもいいのよ?』
「リモートアクセスでお願いする前に、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
『……何かしら?』
「どうしてお姉さんは投稿しないのですか?」
『イヤなのよ』
『ボツになってしまった作品を再編集すること自体が……』
倉本は納得した。
「判りました。そういう事情でしたら僕たちだけでビデオを共有し、サブリミナルの映像だけを取り出し再編集することにします」
『無理に取り出さなくてもいいのよ。気にさえしなければ十分なビデオですからネ』




