二十七の炎
二十七の炎
濃霧で視界がゼロの空中を、丈二は悲鳴を上げながら急角度で落下していると、やがて眼下に灰色をした地表がうっすらと霞むようにして現れた。
薄ぼんやりと灰色に見えていた地表の景色は、落下と共に鮮明さを増し、荒涼とした大地に一本の巨木がポツンと生えているのが見えてきた。
―――
巨木の高さは10㍍程と異常に低いが、直径は2㍍ほどもあり、横に大きく伸びた枝は青葉を多く生い茂らせ、サッカーボールほどに巨大化した桃の実が実っていた。
巨木の20㍍ほどの前方にはスフィンクスのように寝そべっている石造りの2匹の白虎が、阿吽の狛犬のように設置されていて、その配置はあたかも桃の実を監視しているようでもあった。
2匹の白虎の間で胡坐を組み、手揉みで荒縄を編んでいる男がいた。
男の正体は裏鬼門を一手に束ねている西獄龍だった。
当時のリュウの容貌は、ヒゲ面でむさ苦しかったのだが、ボディビルダーか金剛力士のように筋肉隆々とした立派な体躯の持ち主で、下半身は膝まである腰布だけで覆っていた。
―――
丈二は空中を大きく藻掻きながら、悲鳴にも似た叫び声と共に落下していった。
濃霧はすでに消えてなくなり、眼下でゴマ粒ほどに小さく見えていた巨木が、次第に大きくなり、やがて丈二の目にもハッキリとその大きさが判るまでに近づいてきた。
―――
何やら叫び声が聞こえてきたので、リュウは荒縄を編む手を止め巨木の上空を見た。
青々と枝葉の生い茂る巨木に、頭から突っ込んでいく丈二の姿が見えた。
「!」
枝葉を折る音と生木を裂く音が、静かな裏鬼門に響き渡った。
「こいつは驚きだ」
「この裏鬼門を訪れた亡者や妖怪どもは、星の数ほどいたが、空から降ってきた野郎は初めてだ」
「大事な木を折りやがったんだ。本来なら痛めつけてやるところだが、大事な桃の実は落下せずに済んだようだ。今回は珍客に免じて許してやる」
―――
折れた枝葉と一緒に尻から落下した丈二は、強かに尾骶骨を打ち付けた。
顔を顰めて尻を擦りながら立ち上がった丈二は、自分の手足をまじまじと見つめて不思議に思った。
「……なぜだ?」
「牛頭天王に金棒で横腹を叩きつけられ、そして激しく木に激突して尻から地面に叩きつけられもしたのに、こうして手足の骨も腰の骨も折れず、俺はなぜ、こんなに無事でいられるんだろう?」
白虎の間に座るリュウに、丈二は気付いた。
「ン?」
「あの人に聞けば、何か分かるかも……」
丈二は躊躇うことなく、足早にリュウに近づいていった。
―――
荒縄を編むリュウの面前で立ち止まり、丈二はリュウに声をかけた。
「私は氷室丈二と申します。失礼だとは思いますが、ここはどこで、貴方のお名前を教えていただけますか?」
リュウは荒縄を編む手を止め、胡散臭そうな顔で丈二を見上げていった。
「ここは幽冥界の裏鬼門。俺はその裏鬼門を一手に束ねている西獄龍だ」
「……裏鬼門?」
「お前にあれこれと裏鬼門について説明をする気は無い。悪い事は言わねぇ。痛い目に遭わねぇうちにとっととここから消え失せろ」
「私だっていつまでもここにいる気はありません。でも、せめて羅獄殿の方角だけでも教えて頂けないでしょうか。伺えば直ぐに立ち去りますので……」
「羅獄殿だとォ?」
「ええ……」
リュウは立ち上がって、怪訝顔で聞いた。
「何の用だ? 羅獄殿に……」
「私の質問に答えて頂けなかったので、私もあなたに説明する気はありません」
「私は直ぐにここから立ち去ることにします。お邪魔しました。では、失礼……」
丈二はクルリと振り返って歩きだした。
リュウは背後から、丈二に声をかけた。
「待て!」
「教えて頂けるのですね?」
「交換条件だ」
「新バージョンの『五欲の縄』が仕上がったところだ。各種パターンの仕上がり具合をお前の身体で試したい。実験代行を引き受ければ教えてやってもいい」
「何なのでしょうか? 五欲の縄とは……」
「五欲とは愛欲、色欲、財欲、権力欲、名誉欲のことを言い、その五欲を絡めて作ったのが『五欲の縄』で、別名を『強欲の縄』とも言う」
「五欲の縄の使い道は、恥を恥とも思わない汚ねぇ遣り方で『五欲』を手に入れた強欲者どもに対し、『五欲の縄』が恐怖の縄へ変化して、無間地獄の苦しみを間断無く責め続けることだ」
「了解しました。その条件、引き受けましょう」
丈二は後先を考えず、いとも簡単に承諾した。引き受けた理由は、自分はどちらかと言えば無欲であると思ったからだ。
二人は巨木から離れ、リュウは面と向かって丈二に聞いた。
「テストの前に聞いておく。何の用が有るのだ? 羅獄殿に……」
「閻魔さんにお会いしたいのです」
「閻魔だとォ?」
「閻魔さんとお会いできるのでしたら何だってします。ですから、その『五欲の縄』とやらで、早く仕上がり具合を試してください」
「よし、話は決まった」
足元近くに丸めて置いてあった五欲の縄に、リュウが指を差して叫んだ。
「甦れッ!五欲の縄!」
幾重にもなって丸く巻かれていた五欲の縄の先端が、リュウの命令に従いピクリと動いた。
リュウの指先に操られるようにして動き始めた縄に、丈二は度肝を抜かれた。
「マ、マジかよ?」
「動き出したぜ。縄が!……」
荒縄の先端はググッと上に向って伸び続け、途中で伸びが止まると先端がコブラのように丸く大きく膨れ上がった。
「うおッ!」
荒縄の先端が蛇の頭部に変化すると、パッと目と口も出現して、裂けたような大きな口から赤い舌先が、僅かに外にチロリと出た。
「ス、スッゲーッ!」
「どこからどう見たって、本物のヘビだ!」
鎌首をもたげた五欲の縄は、そのまま全身がムクムクと膨張し、縄の編目が鱗へと変化すると、一匹の巨大な蛇に姿を変えた。
巨大化した蛇は、蜷局を巻いていても、10㍍以上はあろうかと思われるほどの長さだった。
丈二は呆然と、巨大化した蛇を見上げていた。
「これはマジックなのか、トリックなのか。それともイリュージョンなのか?……」丈二は怪訝顔でリュウに聞いた。
「五欲の縄をテストするだけならここまで大きくする必要が無いと思います。小さな蛇ではダメだったのですか?」
「どこかで聞いたような台詞だが、これは蛇とは言わねぇ。蛇もここまで図体がでかくなりゃあ、大蛇と書いて大蛇って言うんだ。覚えておけ」
「本物の大蛇を見たことが一度も無いので何とも言えませんが、何だかこれは大蛇では無いような気がします」
「じゃあ、何だ?」
「自分は淡路島生まれで淡路島育ちですから、淡路島の伊弉諾神社もスサノオノミコトも少しは知っているつもりです。スサノオノミコトは国産みの男神の伊弉諾尊と女神の伊弉冉命の間に出来た神の子です。スサノオノミコトに退治された八岐大蛇は、一つの胴体に八つの頭と八つの尻尾を持ち、目の色は鬼灯のように真っ赤で、その腹はいつも血でただれていたと言われてます。ですからこれは大蛇では無くて、大きな蛇でいいと思います」
丈二の話を聞いたリュウは、小首を傾げて訝しんだ。
「淡路島生まれで淡路島育ちでも、そこまで知っている者は少ねー。八岐大蛇だけでなく、随分と詳しいようだな。スサノオノミコトについても……」
丈二は心の底から悔やみ、そしてリュウに言った。
「もっともっと知っていればよかったのです」
「スサノオノミコトが、八坂神社の守護神で牛頭天王だったことを俺は知らなかったです。知っていれば牛頭天王の怒りに触れることもなく、金棒で横腹をブン殴られることもなく、ここまで吹っ飛んでくることも無かった……」
リュウは丈二の話を聞いて思った。
『牛頭天王が怒った理由は、この男が煩悩の塊だと見抜いたからだ。そうだとすれば、五欲の縄でこの男を試す必要はまったく無い。別の方法でこの男を懲らしめてやればいい』
リュウはニッコリ笑って丈二に言った。
「そうかい。八坂神社の守護神を怒らせたのかい?」
「だったら予定を変更して、別のテストをさせて貰うすることにするぜ」
「予定変更だって?」
丈二の顔色がサッと変わった。
「な、何に変更するんだッ!」
「ウルセーッ!」
「捕まえろ!」
大蛇は素早く尻尾を伸ばして丈二の身体をグルリと捕まえると、地面近くに何層もの蜷局の段を作り、上部の蜷局の中へ押し入れた。
蜷局の間から丈二の頭と両手足が出てきて、丈二は文字通りに大の字にされた。
蛇腹の隙間から外に出ている頭と両の手足は、異常に長く伸びていた。
アッという間に、突然、拉致されたように身体を巻き上げられ、横に突き出た手足を大きく動かしながら丈二はリュウを怒鳴りつけた。
「何だ!この手と足はーッ!」
「俺は案山子じゃねーぞ!元の身体に戻せーッ!」
蜷局に巻かれた丈二を見上げながら、リュウは笑いながら答えた。
「見た目は異常だが、中身は正常だ。分かりやすく漫画チックにデフォルメしているだけだ。ガキのようにギャーギャー騒ぐんじゃねぇよ」
「こんなのイヤだ。オロチてくれ―――ッ!」
リュウは怪訝顔で問い返した。
「……何だ。それは?」
丈二は不貞腐れた顔で言った。
「こんなのはイヤだから、降ろしてくれと言ってんだよ!」
「余裕のつもりで言っているのか知らねぇが、クソ面白くもねーオッサンギャグが言えるのもそこまでだ」
大蛇は、擡げた鎌首を丈二の顔に近づけ、赤く長い舌先で丈二の頬をチョロリと舐めた。
丈二はビックリした。
「ウワーッ!」
驚く丈二を大蛇は目を細めてニタリと笑い、再度、丈二の顎から頬にかけてねっとりと舐め上げた。
丈二は激怒する思いが先走ってしまい、怒る言葉が正常に追いつかなかった。
「お、お、お、俺を……」
丈二は眉間に青筋を立てて、大蛇を怒鳴りつけた。
「舐めんンじゃね―――ッ!」
大蛇はまたも丈二を舐めようとして、舌を顔に近づけていった。
「ヒーッ!」
リュウは大蛇を止めた。
「やめろ!」
「お遊びはそこまでだ」
丈二はリュウを急かせた。
「お願いだ。頼むからテストを早く終わらせくれ」
「羅獄殿へ行きたい。閻魔さんに会いたいんだ」
丈二を見上げながら、リュウは笑顔で応えた。
「そうはいかねぇ」
「時間はタップリとあるんだ。こっちのペースで進めることにするぜ」
「そ、そんな……」
リュウはパチンと指を鳴らして、大蛇に命令を下した。
「さあ、テスト開始だ」
「ゆっくりでいい。絞め上げていけ」
大蛇はググッと身を縮めて、丈二を絞り上げていった。
幾重にも巻かれた蜷局の中で、丈二は痛みと苦しみで悲鳴を上げた。
「ギャア―――ッ!」
「手足が千切れるーッ!」
丈二を見上げていたリュウは、呆れた顔で言った。
「おいおい。判定結果も出てないのに、もう音を上げやがったのか?」
「見掛け倒しだ。こんなに根性のねぇ野郎とは思わなかったぜ」
丈二は苦痛に耐えかね顔を大きく歪めながら、リュウに聞いた。
「お、教えてくれ」
「何なんだ。このテストは?……」
「五常の徳ってのを知っているか?」
「し、知らない」
「聞いたこともねぇよ。何なんだよ、それは?……」
「五常の徳とはな。人が生きていくための、一番大切な人間関係の徳のことで、このテストはお前が、仁、義、礼、智、信の五つの徳を持っているかどうかを調べるためだ」
「な、何のためにそんなテストをするんだッ!別のテストをするなら俺の了解を得てからテストしろ!勝手に予定を変更するンじゃねーッ!」
「テメーにイチイチお伺いを立てる必要はねぇよ」
「第一問目のテストは【仁】の徳の高さの査定だ」
医術に全く心得の無い丈二は、心配そうな顔で聞いた。
「あんたの言っている仁とは『医は仁術』の仁のことか?」
「それでも有るがそれだけでは無い。【仁】とは己自身を愛する心だけで無く、妻と子を愛し、両親を愛し、友人や職場など身近な人間を慈しみ、相手を思いやる心のことを【仁】と言う」
「お前に【仁】の徳の高さが無ければ、愛欲、色欲、財欲、権力欲、名誉欲の『五欲』のいずれかが反応して悪い結果が出てくるかもしれないが、徳さえ積んでいれば心配することは無い。お前の身に何も起こりはしないだろう」
「ここで中止してもいいぜ。閻魔に会いたく無いのならな……」
「わ、分かった。やってくれ」
リュウは大蛇に命令した。
「ゆっくりと絞め上げろ。判定結果が出るまでゆっくりだ」
仁の徳に対して自信を持っていた丈二はクイと横を向き、大蛇に向かって叫んだ。「スローじゃダメだッ!」
「一気にマックスまで絞め上げてくれ! 直ぐに判定結果を出してくれ―ッ!」
大蛇は目を細めてニッコリ笑って頷くと、ググッと丈二を一気に絞め上げていった。
苦痛に顔を歪めながら耐え続けている丈二を見上げ、リュウは判定結果が出るのを待っていた。
「果たして、【仁】の査定結果は、如何に?……」
プチンと千切れる音がした。
下層の蜷局から外に出ていた丈二の左足の膝から先は、餅でもネジ切ったように、一滴の血も流れずに綺麗に千切れ、地面にボトンと落ちると砂埃りが小さく舞い上がった。
膝から上の残された部分は、蜷局の中に消えてなくなり、跡形さえも残ってはいなかった。
状況を呆然と眺めていた丈二は我に返り、大きな声で悲鳴を上げた。
「ギャア―――ッ!」
丈二の悲鳴を聞きつけた阿形と吽形の白虎の耳が、同時に小さな耳をピクリと動かした。
2匹の白虎はゆっくりと身を起こし、阿吽の呼吸で互いに顔を見合わせると、蜷局の下で無造作に落ちている丈二の左の足に向かって、猛ダッシュで飛び出していった。
丈二の足に辿り着いた2匹の白虎は、互いに頬を寄せ合って足に喰らいつき、一気に半分に喰い千切って、貪るようにしてガツガツと喰い始めた。
仰天した丈二は必死の形相で、2匹の白虎に向かって叫んだ。
「や、やめろ―――ッ!」
「喰うなッ!吐き出せ―ッ!」
2匹の白虎は早々と足を喰い終わると、美味しかったとばかりに口元をペロリと舌先で舐め上げ、大蛇の蜷局の下層に近づき、仲良く横に並んで座った。
すでに左の足を喰われてしまった丈二は諦めた表情で、小声で呟くことしかできなかった。
「……バカげている」
「余りにも現実離れしている。俺は信じない。これは俺を惑わせるためのトリックか、それともイリュージョンのハズだ」
2匹の白虎は鋭く眼光を光らせ、舌なめずりをしながら虎視眈々(こしたんたん)と右足を狙っていた。
丈二は張り裂けんばかりの大声でリュウに言った。
「なぜだッ!」
「なぜ、餅でも千切るようにして足が簡単にブチ切れてしまったんだッ!その理由を言えーッ!」
リュウは素っ惚けた表情で答えた。
「理由は簡単だ。お前に仁の徳が無かったからだ」
「そ、そんなハズねぇッ!」
「五欲の縄は正直だ。次の査定をするぜ。覚悟しろ」
「ま、待て!」
「ためグチを叩くンじゃねーよ。待って欲しけりゃ『待って下さい』と言いやがれ」
「ま、待って下さい」
「何の用だ。言ってみろ」
丈二は、右手の人差し指を下に向けて言った。
「何ですか? この虎は……」
「阿虎と吽虎だ」
「アコとウンコ?」
「な、何だ、そりゃあ?」
「幽冥界の裏鬼門と、輪廻転生を自在に早められることが可能な桃の実を守っている阿形の虎と、吽形の虎だ。阿吽の虎だから阿虎と吽虎って言うんだ。覚えておけ」
丈二はキレ気味に叫んだ。
「虎の名前なんか聞いてねぇよ!」
「この虎は何だと俺は聞いてんだ―――ッ!」
リュウは鼻でせせら笑うようにして答えた。
「お前の査定結果を待ち望んでいる」
「幽冥界を彷徨って裏鬼門に迷い込んでくる亡者たちよりも、お前の方がご馳走だってことだ」
「お、俺は虎の餌か?」
「まだそうだと決まったワケじゃないが、場合によっちゃあり得る話だ。次のテストに行くぜ。次なるテストは人の道の【義】だ」
「義とは決して他人の弱みにつけ込まず、相手のことを思いやり、人間として正しき正義の道を貫くことだ」
リュウは大蛇に命令を下した。
「絞め上げろ!」
丈二は二匹の白虎に向かって叫んだ。
「振るな―――ッ!」
リュウは訝しがった。
「何を言っているンだ? 虎に……」
「恐怖で気でも狂ったのか?」
丈二はリュウに言った。
「振るのをやめさせてくれ」
「何のことだ?」
「虎が嬉しそうに尻尾を振っているんだ。俺の手足が落ちてくるのを期待しているようだ。気分が悪い。尻尾を振るのを止めさせてくれ」
「分かった」
リュウは吽虎に言った。
「吽虎よ。嬉しい気持ちは判るが尻尾を振るのはやめろ」
吽虎は「ウン」と頷き、尻尾を振るのをピタリと止めた。
リュウは再び大蛇に命令を下した。
「絞め上げろ!」
リュウの命令を聞いた2匹の白虎は、長くて太く大きな尻尾をゆっくりと上げ、嬉しそうに左右に揃えて振った。
丈二は了解したハズの吽虎に向かって、大声で叫んだ。
「振るな―ッ!」
吽虎は丈二を煽るようにして、また振った。
「汚ねーぞ! ウンコーッ!」
リュウが怒った。
「ウルセーッ!」
大蛇を見上げたリュウは、強い口調で大蛇に言った。
「マックスだ!絞め上げろ!」
吽虎の態度に苛立っていた丈二は後先を全く考えず、不満をリュウにぶちまけた。
「ざけンじゃねーッ!」
「な、なんだとォ?」
リュウは物凄い形相で丈二を睨みつけたが、丈二は怯むことも無く大きな声で吠えた。
「何が仁だッ! 何が義だッ!」
「正義感を持ってないヤツが、正義を振りかざして大きな顔をしてんじゃねぇよ! 薄汚い野郎が綺麗ごとぬかすな!」
リュウは不敵にせせら笑って、丈二を見上げた。
「……言ってくれるじゃねぇか?」
丈二の怒りのトーンが僅かに落ちた。
「お前の魂胆は見え見えだ」
「羅獄殿へ行きたいと願う俺の弱味につけ込み、お前はヒマつぶしのように弄びながらテストしているだけじゃないか!俺の手足がどうなるか、お前は結果を知っているんだろ?」
「結果が判ってるのだったら、残り三つの徳を同時にテストしろよ!蘊蓄や能書きが言いたいんだったら、一度に三つを説明してからやれよ!五常の徳を説こうとする者がいつまでもチマチマとせこいやり方で責めてくるんじゃねーよ!」
丈二はリュウを見下しながら、吐き捨てるようにして続けて言った。
「みっともねーぜ」
「これが幽冥界の裏鬼門を一手に束ねている男のすることか?」
リュウは激怒することも無く、丈二を見上げて平然と言った。
「口は災いの元って言うが……)」
「牛頭と馬頭を怒らせたと言ってたが、少しはその理由が分かったような気がするな」
「ま、そんなこたぁどうでもいい。残り三つの徳を言って、このテストは終了だ」
「【礼】とは、己自身を謙遜し、両親や目上の人に礼儀を尽くすこと」
「【智】とは、人物や物事などの善悪を正しく判断する知恵のこと。人は学問に励むだけでなく、様々な経験で得た知識はやがて『智』となり、正しい判断を下せるようになる。だから人は知識を蓄えながら成長していくことが必要だと言うことだ」
「【信】とは、欺かず、偽らず、約束を守ること」
「仁も義も礼も智もすべては『信』から成り立っていると言ってもいいだろう。なぜなら相手を信じる心が無ければ慈愛は生まれず、道徳と倫理を信じなければ義は無意味となり、礼は本来の意義が失われて名ばかりのモノとなるだけだ」
リュウは五常の徳を淡々と言い終えると、改めて大蛇に命令を下した。
「絞め上げろ!」
大蛇はリュウの命令を待っていましたとばかりに、一気に身を細めて蜷局の長さと層を増やし、蜷局をギュギュッと絞り込むようにして丈二を絞め上げていった。
蜷局の下層の蛇腹から外に突き出ていた丈二の右足は、丈二が悲鳴を上げると同時にプチンと音がして膝から先がブチ切れた。
下で待ち構えていた吽虎が、落ちてくる足に飛びつきガブリとカブりつくと、一足出遅れた阿虎がアッと驚いた表情で吽虎を見た。
2匹の白虎の様子を見下していた大蛇は、再度丈二を絞め上げた。
丈二が断末魔のような悲鳴を上げると、左右に伸ばしていた両手の肘から先が、足と同じようにしてブチ切れ、蜷局の下層の段の蛇腹に当たって地面に落ちた。
阿虎が右手に喰らいつくと、右足を喰い終わった吽虎が素早く左手に回って左手にカブりついた。
頭だけが蜷局の上部に残された丈二が、リュウに向かって叫んだ。
「こんなのウソだッ!まやかしだ―ッ!」
「俺の身体を元に戻せ―ッ!」
「早く復元しろ―ッ!」
リュウは騒ぎ立てる丈二を無視して、大蛇に言った。
「ご褒美だ」
「早く喰っちまえ。その頭を……」
大蛇はコブラのように鎌首を上げ、大きく口を開けると丈二の頭にパクリと喰らいつき、強引に丈二の頭を引っ張った。
丈二は大蛇の口の中から叫んだ。
「や、やめろ―ッ!」
「首が千切れる―――ッ!」
長く伸びきった丈二の首がブチンと音を立て、一滴の血も流さずに綺麗に千切れた。
大蛇は口の中で必死に叫び続けていた丈二の頭を、ゴクリとそのまま丸飲みにした。とその時、2匹の白虎が耳をそばだて、鋭い視線で周囲の様子を伺った。そして、2匹の白虎は阿吽の呼吸でコソコソとその場から逃げるようにして、艶やかな色彩の裏鬼門の方に向かって歩き始めた。
白虎の様子に異変を感じたリュウは、元の場所に戻ろうとする2匹を呼び止めた。
「おい。どうした?」
「いつもならやめろと言うまで遊び続けているってぇのに……」
吽虎は振り返ってリュウを一瞥すると、何も答えずに裏鬼門へと近づき、桃の大樹を見守るスフィンクスのように地に伏せて、2匹は石造りの白虎へと戻った。
さり気なく裏鬼門を見たリュウの表情が一変した。
「何だか得体のしれないモノが近づいてきてるな」
「それも……。複数のようだ?」
リュウは裏鬼門から桃の巨木に目を移すと、そこには丈二が落下してヘシ折ってしまった枝葉の付いた数本の木が散らばって落ちていた。
睨みつけるようにして落ちていた枝をリュウが見つめると、その中の一本だけがフワリと浮き上がり、枝は地上から1㍍ほどの高さの空中でピタリと止まった。
枝はゆっくりと矛先をリュウに向けると、突然、物凄い勢いで飛行を始め、小枝と葉は飛行中に綺麗に削ぎ落され一本の杖のようになり、そして杖は棒へと変化した。
リュウを直撃してくるように見えた棒は、尚も飛行中に変化をし続け、リュウの目前で棒は青龍偃月刀になった。
青龍偃月刀とは、中国古代の武器で、刃が弓張り月の形をしていて長い柄が付いていて、三国志において武将の関羽が愛用していた武器で日本の薙刀に似ており、名前に青龍とあるのは、幅広の刃の部分に絡み合った二匹の昇り龍の青龍の装飾が施されているからで、別名を半月刀とも呼ばれている。
鋭く風を切って勢いよく飛んできた偃月刀は急激にスピードを落とし、リュウの目前まで迫ると、漂うようにして空中でプカリと浮かんで止まった。
リュウは偃月刀の長柄を鷲掴みにすると素早く上段に構え、ウオーミングアップを兼ねて、袈裟懸けで勢いよく風を切って振り下ろした。
リュウはその後も何度も偃月刀をビュンビュンと振り回すと、長柄の先を地面にドンと突き立て、彩りも艶やかな裏鬼門を睨みつけ、近づいてくる正体不明の二つの物体を、今や遅しとばかりに待ち構えていた。
「とっとと正体を現しやがれ!」
「物の怪だったら一刀両断でぶった斬り、偃月刀の錆にしてやるぜ!」




