二十五の炎
二十五の炎
「お主、森羅万象」という言葉を知っておるか?」
「何となく意味は分かりますが、はっきりと説明しろと言われればできません」
「森の木々が重なり生い茂っている様を『森羅』と言い、この世に存在するあらゆる物を『万象』と言う。森羅と万象の二つの用語を組み合わせることによって、大地を覆いつくす木々のように、この世に存在するあらゆるものがどこまでも無限に広がっている様子を『森羅万象』と言っておるのじゃ」
牛頭が何を言いたかったのか、丈二は即座に理解できなかった。
「……それがどうかしたのですか?」
「天と地の間に存在する数限りのないあらゆる万物は、ワシの父親であり、国産みの男神として人々から敬われている伊弉諾尊と、女神であり、そして、ワシの母親でもある伊弉冉命の二人によって造り出されておると言いたかったのじゃ」
「な、なんですって?」
「あなたのご両親は、日本神話に登場してくる伊弉諾尊と伊弉冉命だとおっしゃるのですか?」
「そうじゃ、その通りじゃ」
「それが証拠に淡路島の多賀には、『古事記』や『日本書紀』に記載されている中では最も古い伊弉諾神社があり、その神社にはワシの父親の伊弉諾尊と母親の伊弉冉命の二柱が祀られておる」
今まで険しかった丈二の表情が一瞬にして笑顔となり、弾むようにして牛頭に言った。
「わかりやすい話になってよかったです」
「伊弉諾神社でしたらよく知っています。私は淡路島生まれの淡路島育ちですから……」
「地元の人たちからは「一宮さん」とか「イザナギさん」と、親しみを込めて呼ばれてますし、地元以外の人たちからも幅広く愛されていて、淡路島の人間は誇りにしている神社です」
嬉しそうに一気にまくし立てる丈二の話を、牛頭はニッコリと微笑みながら満足げに聞いていた。
「うん、うん。そうじゃろうのう」
「話のついでに、ご両親がお祀りされている伊弉諾神社について、もう少し詳しく教えて頂けますか?」
「教えてくれと言われても、その当時はワシもスサノオノミコトとしてまだ生まれてはおらず、正確なことは言えないが、一般的に神話として言い伝えられている淡路島のことでよければ教えて進ぜてもよいが?……」
「それだけで充分です」
遠くを眺めた牛頭は、ノスタルジックな表情を浮かべながら話し始めた。
「……それは遥か遠い昔のことじゃ」
「天上には神様たちが住んでいる高天原というところがあって、ある時、神様たちが高天原から見下ろすと、下界はまだ生まれたばかりで、まったく固まってはおらず、海の上を、何かどろどろ、ふわふわとした、クラゲのようなものが漂っている状態であった」
「このままではいけない」
「そう話し合った高天原の神様たちは、イザナギノミコトとイザナミノミコトという二人の神に、天沼矛という大きな槍を与え、下界をしっかりと固めて、国造りをするようにと命じた」
「そこでイザナギノミコトとイザナミノミコトの二人の神は、高天原から地上へとつながる天浮橋の上に立ち、槍の先で、どろどろとした下界をかき混ぜたのじゃ」
「下界をかき混ぜるたびに『こおろ、こおろ、こおろ』と大きな音が鳴り響いたので、二人が天沼矛の槍をスーと引き上げると、槍の先からぽたぽたと落ちた滴はみるみるうちに固まって、一つの島が出来た」
「何もせず勝手に固まって最初に出来上がったこの島のことを『磤馭慮島』と呼んだのじゃ」
牛頭の話を聞いた丈二は、大きく頷きながら納得した。
「そうか、そうだったのか」
「だから淡路島のことを、今でも別名で『おのころ島』と呼んでいるのか」
納得していたハズの丈二の顔が、フト不審な顔に変化した。
『神話だからどんなストーリーだって一向に気にならないのだが、気になるのは八坂神社の守護神だと名乗っている、この爺ちゃんのここでの存在だ』
『天界や下界にいるハズの神様が、なぜこんな地獄で優雅にクルージングなんかを楽しんでいるのだろう?』
丈二は疑いの眼差しで牛頭を見た。
『刑事って仕事が邪魔をしてしまうのかなぁ。どうしても疑っちまうな。素直に受け取ることができないぜ。古事記や日本書紀のことをよく知っているからって神様だと決まったワケじゃないんだ』
『神様でなければ、妖怪ってことになってくるのだが?……』
不信感を抱いた丈二は、率直に牛頭に尋ねた。
「もう一度だけ、質問してもよろしいですか?」
「何だ。言ってみろ」
「古事記と日本書紀の違いは何でしょうか?」
「ナ、ヌー?」
牛頭は腑に落ちぬと言った顔で丈二を見た。
「……お主、まだこのワシを疑っておるのか?」
丈二は慌てて両手を左右に振って否定した。
「と、とんでもない!」
「京都に住んでいる多くの人たちは、八坂神社のことを『八坂さん』とか『祇園さん』と呼んで、心の底から親しくさせて貰ってます。ですから、八坂神社の守護神でしたらそれくらいのことは簡単に教えて頂けると思ったもので、つい、気安く聞いてしまいました」
「要らざる斟酌はするなと言いたいが、どうも疑っているような目付きなので答えよう」
牛頭は徐に答えた。
「古事記と日本書紀は、どちらも天武天皇が部下に命令して作らせておるが、古事記と日本書紀は似て非なるもので、全く内容が違っておる」
「日本書紀は全30巻からなっており、歌は128首が記載され、編纂期間は39年を費やしておる。片や古事記の方は、十分の一の3巻で、歌においても112首、そして編纂期間は僅か4ヶ月だけじゃ。日本書紀は国家の公式な歴史を記し、古事記は天皇家の歴史を記しておると思っておけばよい」
丈二は黙って牛頭の説明を聞いていた。
『真央と違って俺は歴史に疎い。だからジィちゃんの説明が正解なのかどうか分からない。でも、スラスラと説明してくれているから、本物の神様なのかもしれない』
『いや、待てよ?』
『妖怪だったら、これくらいの説明はできるのかも?……』
操舵室から出てきた老婆が、話し込んでいる二人の背後から声をかけた。
「おやおや、これはどうしたことじゃ?」
「知りおうて間が無いというのに、何がきっかけでそのようにして親し気に話ができるのじゃ?」
牛頭は自慢げに婆さんに言った。
「我が一族のヒストリーを、この若者に教えておったところじゃ」
「そうかえ。では、ワシも自己紹介をしておこう」
「若者よ。ワシの名前は馬頭じゃ」
「……メズ?」
「おや?」
「知らぬと言うのか? 馬頭の名を……」
丈二は恐縮して、頭を下げた。
「申し訳ないです。知らないです」
「これまで耳にしたことはあるが気にも止めなかっただけのことで、旅の無事と馬の病気や安全を願って競馬場などで祀られている馬頭観音の馬頭だと言えば分って貰えるハズじゃが?」
丈二は再度、馬頭に向かって深々と頭を下げた。
「御免なさい。馬頭観音も知りませんでした」
馬頭は、やんわりと丈二に聞いた。
「京都の競馬場へ足を運んだことは?……」
「ありますが……」
「だったら知っておろうが。ライスシャワー碑の横に、馬頭観音の碑があることを……」
「五冠馬だったシンザンの像でしたら、覚えているのですが……」
馬頭はその一言で、サッと血相を変えた。
「な、なんじゃとォ?」
「シンザンを知っておりながら、この馬頭を知らぬと言うのか?」
丈二はますます恐縮した。
「本当に申し訳ありません」
牛頭は横から耳打ちするようにして、小声で丈二にアドバイスした。
「嘘でもいいから言え」
「え?」
「馬頭の碑なら知っていると……」
丈二はボソボソと小声で、牛頭に反論した。
「そんな嘘、今さら言えませんよ」
「言えぬというのか? 嘘でもいいと言っておるのに……」
「言えませんね」
「嘘でもいいと言われたら、余計に言えませんよ」
「嘘も方便と言うのに、バカか? お前は……」
「ええ、おっしゃる通りです。融通の利かないバカなんですよ。この俺は……」
二人のやり取りを見ていた馬頭は、投げ捨てるように言った。
「爺さんや。わしゃ、気分が悪うなってしもうたわい」
「ワシも思いは同じじゃ。胸糞が悪い」
牛頭は馬頭に同意を求めるようにして聞いた。
「どうする? 婆さん……」
馬頭は即答で応えた。
「何も迷うことなどありゃせんわい」
「三途の川に投げ戻してやればよいのじゃ! このように胸糞の悪い糞ガキは……」
丈二は驚いた。
「な、なンだって!」
牛頭は大きな声で、丈二を怒鳴りつけた。
「サッサと降りろッ!今すぐ飛び降りるのじゃーッ!」
「じょ、冗談じゃないッ!」
丈二は一歩、前に詰め寄った。
「約束はどうなるんだッ!」
「何の約束じゃ?」
「羅獄殿へ連れていってやると言ったあの言葉は、その場凌ぎの大嘘だったと言い逃れする気かッ!」
「言った覚えは無い!」
「遠慮なく船に乗れとは言ったが、お前が都合よく勝手にそう受け取っただけのことじゃ!」
「き、汚ねーぞッ!」
「閻魔に会いたいと言っているこの俺を快く乗船させたってことは、羅獄殿へ連れて行くのと同意語じゃねーかッ!」
「バカなことを申せ!」
「バカなことを言っているのは、そっちの方だ!」
乗船させて貰った恩を忘れた丈二は、後先を考えずに喧嘩腰で言い返した。
「羅獄殿へ連れて行く気が無いなら、余りにも無責任過ぎる言葉だろうが!」
「キサマ!このワシに向かって無責任だと?」
「親切で乗船させてくれたのはいいが、気に入らなきゃ下船しろとは随分と勝手すぎるぜ。無責任にもホドってものがある!」
丈二は鼻で笑いながら言った。
「ハッ! それが神だと名乗る者の言い種かよ?」
「お、おのれ、この糞ガキッ!」
「言わせておけば!」
「ウッセ―――ッ!」
「あんたも京都の八坂神社の守護神として自認するくらいの人物だったら、もっと責任持てよ!」
牛頭は、クワッと物凄い形相で、丈二を睨みつけた。
「この大罰当たり者めがーッ!」
「神に向かって楯突くだけでなく、冒涜まで犯すとはッ!」
「何が冒涜だッ!」
「迷える人間を救ってやってこそ神だってのに、名前を知らないと言った理由だけで、この俺をあっさりと見捨てようとしただろッ!」
丈二は牛頭と馬頭を交互に指差し、大声を上げた。
「何が牛頭と馬頭だッ!」
「神様の名を騙る、この大ペテン師めッ!」
「な、なんじゃとォーッ!」
「何者なんだッ! お前らの正体は―――ッ!」
「その実体を現せ―――ッ!」
牛頭と馬頭の怒りは凄まじく、怒髪天を衝く形相となって、交互に言った。
「お、おのれッ! この糞ガキ小癪なヤツめッ!」
「神をも恐れぬ、その所業!」
「許しがたきヤツじゃ、神罰を下してやるわ!」
「覚悟しやッ!」
丈二は負けじとばかりに、二人に食ってかかった。
「ふざけんなーッ!」
「約束を破っておきながら、何が神罰だッ!」
「罰を受けるなら、約束を反故にしたテメーたちの方だろッ!」
「おのれッ! 糞ガキ言わせておけばいつまでも……」
「糞ガキ、糞ガキとクソ扱いしやがって、その言葉、そっくりそのまま返してやるぜ。クソ喰らえってんだーッ!」
牛頭は片腕を高く上げ、指先をパチンと鳴らした。
指先の音と同時に大型のクルーザーは、巨大なタンカーへと一気に姿を変えた。
丈二は周囲を見渡して、慌てふためいた。
「な、なんだ、なんだ、なんだ!」
「ど、どうなってんだーッ!」
一瞬の閃光が、真昼のように広いデッキを強烈に照らし出すと、マリンルックから一転して、勇壮たる武将姿(天平時代・四天王の武士ような容姿)に変化した牛頭人身と馬頭人身の二人の獄卒が立っていた。
牛頭人身の下半身は人間で、顔は獰猛で凶暴そうな物凄い形相の牛の顔に変わり、手にはしっかりと鉄尖棒(鬼が持っている金棒)が握られ、同じく、馬の顔となった馬頭人身が手にしていたのは、身幅が広く反りの大きい薙刀だった。
丈二は度肝を抜かれるほどに仰天した。
「ウワ―――ッ!」
「テ、テメーら、やっぱり、思ってた通りだ!」
「ついに本性現したな!」
丈二は二人に向かって、大声で叫んだ。
「そんな姿と形にこの俺がビビるとで思ってるのかッ!」
牛頭人身と馬頭人身も、丈二と同じように驚いた。
「あな、おそろしや」
「神々の存在すらも否定するその言動!」
「我々に畏敬の念を抱くどころか逆鱗にまで触れ、さらにそのうえ、逆撫でまでしてこようとは……」
物凄い形相で丈二を睨みつけたまま、牛頭人身は人差し指を上に指して叫んだ。
「突風よ、吹け―ッ!」
「豪雨よ、降れ―ッ!」
今まで穏やかだった大海に突然、突風が轟音と共に渦を巻いて吹きすさび、波は大きく畝って、巨船のタンカーは大きく左右に揺さぶられた。
丈二は両足を開いて踏ん張り、大きく揺れる船と強風に耐えた。
「な、なんだ、こんなもの!」
「そよ風の中でサーフボートを楽しんでいるようなもんじゃねーか!」
横殴りに叩きつけてくる嵐のような豪雨が、丈二とデッキを激しく叩き続けた。
間断なく吹きつける暴風雨の中で両足を大きく踏ん張って耐えながら、二人の獄卒を物凄い形相で睨みつけて対峙している丈二に、荒れ狂う烈風と豪雨は一層の激しさを増して襲い掛かって来た。
「虚勢を張っておれるのも、そこまでじゃ!」
「今に目に物見せてくれてやるわ。覚悟せい!」
突然に下船を命じられ、怒りに任せて後先考えずに反発した丈二であったが、牛頭人身が巻き起こした天変地異に恐怖を感じ、顔を引き吊らせながら大声で聞いた。
「俺をどうする気だ?」
「助けるばかりが神ではないわ!」
「キサマにとって厄病神だったということを思い知れ!」
雨と風が止み、タンカーの動きも止まって元の静けさに戻ると、馬頭人身は丈二の鼻先に薙刀の切っ先をグイと突き付けた。
「甘んじて受けよ!」
「我らの制裁を!」
「こ、殺す気かッ!」
「戯け者めが! キサマはすでに死んでおるわ!」
「神をも恐れぬキサマのような不埒千万。不得心この上もない奴は、この黄泉の国から追放するだけでは決して怒りの炎は消えはせぬ!」
「八大地獄の中のどこへなりと落ちて行きさらせ!」
「八つ裂きどころか肉片にまで切り刻んでやるから、腹を空かせた餓鬼どもに、寄って集って骨の髄まで喰われてしまえ!」
「ひ、卑怯だぞッ!」
「二人が本物の神様だったら、武器を持たない丸腰の人間に対してそんな酷い仕打ちするはずがない!」
「黙れ、小童ッ!」
「受けてみよ! これが我らの下す神罰じゃ!」
馬頭人身の薙刀は鋭く風を切って、袈裟懸けに振り下ろされた。
馬頭人身は驚いた。
「な、なんと!」
袈裟懸けにして、バッサリと二つに切断したはずの丈二の姿はそこに無く、馬頭人身は空を切っただけで終わっていた。
難を逃れた丈二の方も驚いた。
「み、見えたぜ!」
「薙刀の切っ先が……」
馬頭人身が振り下ろした薙刀のスピードが超スローに見え、造作も無く簡単に後ろにポンと飛び退くことができたのだ。
馬頭人身は薙刀を持って身構えることもなく、呆然とした顔で聞いた。
「なぜじゃ?」
「なぜ、ワシの太刀をかわすことができた?」
「知らねーよ」
丈二は馬頭人身をからかうようにして言った。
「耄碌してっからじゃねーの?」
「おのれ、ふざけおって!」
薙刀を下段に構え直した馬頭人身は、物凄い形相で、鋭い気合とともに丈二に襲いかかった。
馬頭人身が目の色を変えて振り回し続けている薙刀は、丈二の身体をただ掠めるだけに終わり、切っ先は空しく空を斬るだけであった。
すっかり息の上がってしまった馬頭人身は、攻撃をピタリと止め、下段に薙刀を構えながら鋭い形相でジリジリと丈二に迫っていった。
鉄尖棒を持った牛頭人身が、背後で待ち構えていることにまるで気付かず、丈二は馬頭人身に間合いを詰められながら、ジワジワと後退していった。
鉄尖棒を振り回す範囲内に入った丈二に向かい、牛頭人身はバットを振り回すようにして振った。
ブンと鈍い唸り音を立てて、鉄尖棒は丈二の横腹に深く食い込んだ。
「うげッ!」
横腹を強打された丈二の身体は、「くの字」になって大きく折れ曲がり、遥か遠くへ吹っ飛んでいった。
「うわあああ~~~」
牛頭人身と馬頭人身はタンカーの甲板上で、その姿を見送った。
「これは驚き、桃の木、山椒の木じゃ」
「本来ならば木っ端微塵に砕け散ったはずなのに、ゴルフボールのように吹っ飛んでいったわい」
馬頭人身は不思議そうに小首を傾げながら、牛頭人身に聞いた。
「妖怪の出来損ないだったのじゃろか?」
「ワシには普通の人間のように見えたのじゃが……」
即座に返答できなかった牛頭人身は、間を置いてから答えた。
「何かの拍子で本人も気付かずに、三途の川の水を飲んでしもうたのかも知れんな」「地獄に落ちた亡者が三途の川の水を飲めば、ワシらのように僅かではあるが、時空間を移動することができるらしい。だからあの男は、お前の攻撃を身軽に避けられたのかもしれんぞ」
馬頭人身は牛頭人身の返答に反発した。
「そうじゃろか?」
「ワシは地獄の十王たちか、それとも閻魔の仕業のように思えてならんのじゃが?」「なぜに、そう思う?」
「勝手気ままに自由を満喫しているワシらを快く思っていない連中どもは、この地獄にはわんさかとおる。地獄の十王たちと閻魔があの男に肩入れをして助けたとしてもおかしゅうはない」
馬頭人身は念を押すようにして訊ねた。
「……そうは思わぬか?」
「何とも言えん」
鉄尖棒をバットのように素振りしながら、牛頭人身は答えた。
「そうであるとも、そうでないとも……」




