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快炎鬼  作者: 吉田四郎
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十六の炎

十六の炎

鴨川の四条大橋のたもとでは、四条通りを挟んではす向かいに「出雲いずも阿国おくに」のブロンズ像が、南座に向かって建っている。

阿国は女性でありながら、男性用の陣羽織じんばおりを身にまとい、左の肩にひょいと刀をかついで右手に広げたおうぎを持ち、腰には瓢箪ひょうたんを付けてひざを少し曲げ、あでやかな舞い姿でポーズを決めていた。

二十歳くらいの女性が一人で阿国の像の前に立って見上げていた。

像を見上げていた女性は、横に近づいてきた五十歳代の女性に聞いた。

「お母ちゃん、この人、誰なん?」

「ママと言いなさい。ママと……」

娘は笑いながら、母親に言った。

「笑わせんとってよ」

「その顔、ママと言う顔とちゃうわぁ」

「じゃあ、何やの?」

『ワガママでもええんやけど、そんなにキツい我儘わがままでもないから、どっちかと言うと、そのママかな?』

「そのママ」

「どういう意味やの? そのママて」

「そんなことどうでもええやん。それよりもこの銅像が誰なんかを教えてよ」

「台座に書かれてあるように、この女性の名前は「出雲の阿国」と言うてね。元は巫女みこさんなんよ」

「……巫女さん?」

娘は怪訝な顔で聞き直した。

「巫女さんが、何で銅像になってんの?」

「……昔はね」

「出雲大社の修理で物凄くお金が必要になってね。それでもって巫女さんたちがお金を稼ぐために全国に散らばっていったってワケやの」

「大変やったんやね。当時の巫女さんたちって……」

「あんたは知らんと思うけど歌舞伎のルーツはね、巫女さんだった【出雲の阿国】が四条河原で演じた【かぶき踊り】が始まりと言われてて、歌舞伎の語源は【かぶく】からきているんやて」

「……なにそれ?」

「かぶくとは【かたむく】が語源で、常識から離れた者を「傾き者」と言うて、阿国は男装をしてすそをまくり上げ、その当時では前代未聞のエロっぽい舞いを、この京都で舞ったことから有名になったってワケやの」

「へえ、そうなんや?」

「ほら、見てみぃ」

「阿国はこれからお姉ちゃんと待ち合せをしてる歌舞伎の南座の方をいとおしそうに見上げてるやろ?」

娘は阿国の視線のその先を追った。

「うわっ! ホンマや」

「この像、南座の方を向いてるわぁ」

娘は尊敬の眼差しで母親に言った。

「お母ちゃんって、見かけに寄らず物知りやったんやね?」

母親は今まで後ろ手に隠し持っていた一枚のパンフレットを、娘の目の前でパッと広げた。

「ジャーン!」

娘は怪訝そうな顔で、母親に聞いた。

「何それ?」

母親は像の近くに置いてあったパンフレットが入っている箱を指差した。

「この箱の中にあったパンフレットを読んで覚えていただけで~す」

娘は呆れた顔で母親に言った。

「やっぱりお母ちゃんは……」

「何やの?

「そのままやん」

母親はどこ吹く風とばかりに素知らぬ顔で娘に言った。

「かなり時間を潰したつもりなんやけど、お姉ちゃんと会うのにはまだちょっと時間があるから、デパートか喫茶店へ行って、アイスクリームでも食べて時間を潰さへん?」

「そやね。そないしよう」

仲の良い親子は「出雲の阿国」の像から離れ、四条大橋の方に向かった。

―――

10名ほどが入れる長方形の小さな会議室で、政岡と課長の二人だけが机を間にして、たがいにつのを突き合わせるような恰好で小声で話し込んでいた。

課長の遠藤は、机の上に身を乗り出すようにして政岡に聞いた。

「……ほたら、何かい?」

「丈二は八坂神社の石階段で置き引きとぶつかって弾き飛ばされた子供を助け、それと同時にお前の手錠で置き引きの手首と足首に手錠を掛けたと言うんかい?」

「ええ……」

政岡も身を乗り出すようにして、課長に応えた。

「不思議なことはそれだけでは無いのです」

「……他に何があんねん?」

「丈二を知る者には丈二の姿が見えず、丈二を知らない者には丈二の姿が見えているのです」

「それ、ちょっとおかしいやないか?」

「……おかしいですか?」

「お前は丈二を知ってるのに、何でお前が丈二を見ることができるねん?」

「大事なところを言い忘れていました」

「丈二は閻魔さんに『二つの約束』を取り付け、その一つに私が見えるようにして貰ったと言っていました」

課長は呆れた顔で、机から身を遠ざけた。

「……ホンマかいな?」

政岡も課長と同じようにして、机から離れた。

「やはり信じて頂け無いようですね」

課長は腕を組んで考え込み、暫しの時間をてから政岡に言った。

「半信半疑と言うよりも、七三しちさんぐらいでうたごうとる」

「お前の話を信じたらすべてにおいて辻褄が合うて納得もできるけど、丸っきり信じなかったら、不思議な出来事の連続で頭の中がこんがらがってしもて、訳の分らんことばっかりや」

腕組みをいた課長は、両手を机について政岡に聞いた。

「お前はどっちやねん?」

「私は勿論100㌫信じてますよ。実際に丈二が一瞬にして消えてしまうのをこの目で目撃してしまったのですから……」

政岡は課長から視線を逸らし、部屋の片隅を見ながら思案顔で呟いた。

「でも、あの人はどうでしょうかねぇ?」

「誰やねん。あの人て?」

「丈二と一緒に失踪した糸川真央の大の友人で、伊藤静香という女性です」

課長は机から手を離し、怪訝顔で聞いた。

「どうでしょうかねぇって、話すつもりかいな? 丈二のことをその女性に……」

「そのつもりです」

「なぜなら、彼女はまったく私と同じ立場の女性だからです。親しくしていた人物が、ある日突然、理由も無く、まるで神隠しにでも遭ったように忽然と姿を消してしまったのですから……」

課長は躊躇いながら政岡に聞いた。

「……丈二は、もう、人間とちゃうのやろ?」

「ええ、本人はそう言ってます」

「知らぬが仏と言う言葉もあるでぇ?」

「彼女には言わん方がええのとちゃうかぁ?」

「知ってよかったって事もあります。それに、これはいずれ何らかの形で表面に出て来ることだと私は思っています。その時に、なぜ教えてくれなかったのですかともなりますし、私でしたら例え悪い知らせであったとしても、丈二のことはしっておきたいのです。ですから私は彼女に話すつもりでいます」

―――

あでやかな朱色に塗られた八坂神社の西楼門を前方に見ると、四条大橋の近くの右側に、桃山風の建築物で豪華な造りの「京都四条・南座」が建っているのが判る。

南座の「まねき」は冬の風物詩になっていて、毎年十一月の初めになると、吉例顔見世興行で大入りを祈願して、白木の看板に歌舞伎役者の名前が勘亭流の独特の文字で書かれることで有名であり、そのことによって南座の玄関先は、待ち合わせスポットとしてもよく利用されている場所になっていた。

西日にしびかたむき暮れなずんで来た京都の街には、きらびやかな看板の電飾や街灯などのあかりがポツリポツリとともり始め、南座の玄関先には、いくつかのグループと何名かの個人たちが適度に距離を置きながら、まだ来ぬ人を待っていて、その待ち人たちの中に伊藤静香の姿があった。

四条通の道路近くで立っていた静香は、自分自身をふるい立たせるために、心の中で呟いた。

『やったわね。静香』

『理由はどうであれ、あこがれの政岡さんともう一度逢えるってことは、親密になれるチャンスが来たってことなのよ』

『どこに行きたいのかと聞かれたら、恥ずかしがらずに自分の方から河川敷へ行きたいと言うのよ。鴨川の河川敷にはたくさんのカップルが等間隔とうかんかくで並んで座っていて、僅かな期間だけでもあなたは恋人気分を味わえるだけでなく、もしかしたら二人はそれ以上の仲に発展してくれるかもしれないのだからね』

静香は自分に対して強く言い聞かせると、小さくガッツポーズを取った。

『静香、ファイト! 静香、がんばれ!』

母親と娘の二人が四条大橋の上を通り、南座へと向かっていた。

ニヤリと薄笑いを浮かべながら一人でガッツポーズを取っている静香を目撃した娘は、咄嗟に異様を感じて母親に言った。

「お母ちゃん。あの人、何だか少し変だと思わない?」

プイと顔を右に向け、鴨川を見ている素振りをしながら娘に言った。

「ダメよ」

「……何がダメなん?」

「季節の変わり目になると変な人間が急に増えてきて、突然、凶暴になって何をされるか判らないの」

「だから、絶対に目を合わせちゃダメよ」

「お母ちゃん」

「どうしたのよ?」

「あの人、こっちを見て笑っているわ」

母親は鴨川を見ずに下を向き、歩きながら娘に言った。

「意味なく笑う人は特に怖いから、早く目を伏せなさい、目を……」

「お母ちゃん」

「あの人、手ェまで振って笑ってるわよ」

「もしかして、お母ちゃんの知り合いじゃないの?」

「知り合い?」

立ち止まって顔を上げた母親は、笑っている静香の顔をまじまじと見つめた。

母親は小首を傾げた。

「記憶に無いわ。誰かしら?……」

立ち止まっている親子の横を、政岡が足早に通り過ぎていった。

政岡は笑顔で待っている静香に声をかけた。

「申し訳ない。すっかり遅くなってしまって……」

静香は笑顔で応えた。

「さっき来たところなんですよ。私も……」

母と娘は呆然とした顔で、政岡と静香の様子を眺めていた。

「笑ったのは、私たちに対してじゃなかったみたいね?」

「……のようね」

「お母ちゃん」

「うるさいわね。お母ちゃん、お母ちゃんと何度も……」

「何なのよ、今度は?……」

「ほら、見て。お姉ちゃんが待ってくれてるわ」

若い女性が親子に手を振っている横で、政岡が静香に言った。

「今夜はお酒でも飲みながら話をしたい気分です」

「付き合って頂けるでしょうか?」

静香は戸惑いながら、作り笑いで政岡に答えた。

「は、はい、喜んで……」

「……どこかいいお店をご存じですか?」

「無いです」

「そうですか」

「狭いですが行きつけの居酒屋がこの近くにあります。そこでもいいでしょうか?」「はい」

政岡は花見小路の方に足を向けた。

母と娘は立ち去っていく政岡たちの後姿を見送りながら、待っている姉に近づいた。

姉はふくれっつらで二人に聞いた。

「今日の主人公を待たせるなんて、いつ伊丹を出たのよ?」

姉の剣幕に驚いた妹は母親に聞いた。

「お母ちゃん、いつごろやったぁ?」

母親は扇子せんすで胸元をあおぎながら、とぼけた顔で応えた。

「同じ関西でも京都は三方を山で囲まれた盆地になっているから、暑いわねえ、伊丹よりも……」

「そんなこと、聞いてなーい!」

妹は周囲を気にしながら、怒れる姉をなだめに入った。

「お姉ちゃん。お誕生日、おめでとう」

「今日は誕生祝いにミシュランの三ツ星を獲得した日本料理店『祇園・彩』で三人の予約を取っておいたから、はよ行こう。お腹がペコペコやから……」

妹は姉の手を強引に引っぱりながら、八坂神社の方に向かった。

「ウチの誕生日の食事会やったのに、お父ちゃん、何でぃひんかったのよ?」「お父ちゃん、女ばっかりでイヤなんやてぇ」

んでもええやん。お祝いのお金、預かっておいたから……」

姉はニッコリと笑って、妹に小声で言った。

「そやね?」

「それだけで充分やね?」

笑顔の母親は扇子で顔を扇ぎながら、仲良く会話しながら前を歩く姉妹の後に従った。


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