十二の炎
十二の炎
八坂神社の西側に位置している西楼門の石階段の中央付近に、快炎鬼と政岡が並んで座り、京都市内を南北に走っている東大路通の祇園交差点を目の前にして、四条通り方面を眺めていた。
人の流れと車の流れを見ながら快炎鬼は嬉しそうに言った。
「後ろは八坂神社で右手は祇園の先斗町。そして左は舞妓さんたちが芸に 励む歌舞練場。前方には歌舞伎の南座と四条大橋があって、その先は四条河原町だ」
「だから俺はこの場所が好きだ」
政岡は不機嫌そうな顔で快炎鬼に言った。
「お前の好みを聞きにここへ来たワケじゃねぇ。俺に話があるならとっとと話しやがれ」
「何から話していいのか判らない。だから結論から先に話す」
「実は俺は人間であって、人間じゃないんだ」
政岡は驚きもせずに平然と応えた。
「そうかい」
快炎鬼は唖然とした表情で政岡に訊ねた。
「なぜ驚かない?」
政岡はニヤリと笑って、快炎鬼に応えた。
「実を言うと……」
「俺は宇宙人なんだ」
政岡は快炎鬼の顔を覗き込むようにして言った。
「……どうだ?」
「驚いたか?」
快炎鬼は残念そうに言った。
「俺の話を信用していないようだな?」
政岡は投げ捨てるようにして、快炎鬼に言った。
「寝言は寝てから言え」
「そんなバカげた話を信じろって言う方が、無理な注文って言うもんだ」
―――
八坂神社の近くの円山公園の枝垂れ桜の花は既に散って葉桜となり、公園を訪れる国内外の観光客たちの姿は少なく、散歩とウォーキングを楽しむ人たちが通り過ぎて行く程度の閑散とした公園となっていた。
枝垂れ桜の前には坂本龍馬とその横で左手に刀を握って片膝をついた中岡慎太郎の銅像が建立されていて、銅像の近くには立派な柳の木があり、その柳の木の傍で楕円形をした石作りの腰掛けに五十歳前後の女性が二人並んで座り、二人は腰かけの間に紙袋とセカンドバックが置いて、おしゃべりに花を咲かせて楽しんでいた。
二人の女性から少し離れた休憩場所の腰掛けでは、地元の人間らしき一人の男性が頭の後ろに両手を組んで日なたぼっこのようにして寝転んでいた。
若いカップルがペアルックのトレーニングウエアで円山公園に向かって走っていると、先程まで石作りの腰掛けで寝転んでいた男がむっくりと起き上がり、楽し気に会話を弾ませている二人の女性の背後に近づく姿が見えた。
起き上った男は二十歳前後の短髪の青年で、おしゃべりに夢中になっている彼女たちの背後でさりげなく腰を落とし、片手を伸ばしてセカンドバッグを引き抜いた。
ペアでランニング中だった女性が、併走する男の腕を掴んで立ち止まった。
「待って!」
「どうした?」
バッグを小脇に抱えて逃げて行く男の後ろ姿を指差しながら、彼女は言った。
「あの男、置き引きかも?」
「俺は見てなかった」
「私もハッキリと目撃したワケじゃないけど、どうも様子がおかしいの」
「だったら被害に遭ったかどうか、あの二人に直接聞いた方がいい」
カップルは慌てて走り寄り、男がおしゃべりに夢中になっている女性たちに聞いた。「……すみません」
「何か無くなっている物はありませんか?」
年上らしき女性の方が、バッグが無いのに気づき青ざめた。
「バ、バッグが有りません!」
「ここに置いていたバックが無くなっています!」
八坂神社に向かって逃げて行く青年の足は速く、その姿はすでに小さくなっていた。「京都の恥だ!」
「とっ掴まえてやるぞ!」
若い男はその場に彼女を残して大声で、逃げる置き引き犯に向かってダッシュした。「うおおおお~~~ッ!」
―――
置き引き犯が八坂神社の境内に逃げ込むと、若い男が背後で叫んでいた。
「ドロボーッ!」
追って来る若い男の声で気付いた置き引き犯は、セカンドバッグの中から財布を取り出すとバッグをその場に投げ捨て、観光客たちが疎らな本殿前の舞殿に向かって逃げて行った。
若者が追いかけながら、叫んだ。
「待て―ッ!」
置き引き犯は振り返り、鼻で笑いながら走り続けた。
「バーロー」
「待てと言われて待つヤツがおるとでも思ってるんか?」
―――
八坂神社の西楼門は、鮮やかな朱色に塗られていて、階段の左右にはブロンズ製で鬼の顔にも似た物凄い形相の阿吽の狛犬が一対で置かれ、左側の狛犬には一本角が生えているのだが、八坂神社を訪れる観光客たちの中でそのことを知っている人は意外と少なく、幼稚園児くらいの男の子と一緒にいる若い夫婦が、一本角の生えている狛犬の近くで立ち止まり、夫はガイドブックを広げながら悩んでいた。
「迷うなあ」
「ここからだと知恩院もいいし……」
「本物じゃなくレプリカでもいいから俵屋宗達の「風神雷神図」の建仁寺にも行きたいし、三十三間堂の千手観音像も見たいからなあ」
妻は優柔不断な夫を急かせた。
「早くどこかに決めて下さいよ」
「私は三ヶ所とも行きたい場所ですから……」
子供が母親の手を離れ、左の狛犬に近づいたり、右の狛犬に近づいたりして遊んでいると、苛立っていた妻は大きな声で子供を叱った。
「走っちゃだめよ!」
「じっとしていなさい!」
石階段の中央付近で政岡と並んで座っていた快炎鬼が、叱りつけている母親の声を背で聞きながら言った。
「現世に戻れば、俺を知っている者は俺の姿は見えず、俺を知らない者には俺の姿が 見えていると言われた。だから、俺は閻魔さんに頼んだ」
「せめて政岡だけには、俺の姿が見えるようにしてくれ……と」
政岡は驚きもせず、平然とした顔で答えた。
「そうかい」
「バルタン星人のこの俺も、エンタープライズ号のカーク船長とスポックに地球に行かせてくれと頼んだら、京都府警の刑事にしてくれたぜ」
「嬉しかったねぇ、あの時は……」
快炎鬼は何も言わず、ただ苦笑しているだけだった。
西楼門に向かって左側の狛犬から、右の狛犬に向かって子供が走った。
西楼門に向かって逃げて行く置き引き犯は、突然、横から飛び出して来た子供を避けることが出来なかった。
石階段の上部で、二人は激しく音を立ててぶつかった。
置き引き犯を追い駆けて来た若者は、目の前で起こった出来事に驚いた。
「あッ!」
子供は吹っ飛ばされて、宙を飛んでいった。
石階段の下の路面に向かって我が子がフッ飛んで行く姿を目撃した母親は、悲鳴を 上げた。
「キャア―――ッ!」
政岡は石階段を飛んでいく子供の姿を目撃して驚いたが、一瞬の出来事でどうする ことも出来ず、パッと立ち上がりはしたが直視することが出来ず、思わず両手で顔を覆ってしまった。
階下の路面に激突すると思われた子供のスピードは急激に落ち、スローモーションのようにゆっくりと着地して、階段を見上げるようにして子供は立っていた。
指の隙間から元気な子供の姿を見て、政岡は仰天した。
「ええ―――ッ?」
しかも狛犬の近くでは、後ろに回した右手首と左足首を一つの手錠で繋がられていた置き引き犯の青年が転がっていた。
青年は手足首に掛けられた手錠を取り外そうとして、何度も身体をくねらせながら 必死になって足掻いていた。
「な、何だ!」
「何だ、この手錠は―――ッ!」
青年を追って来た若者は、異様な犯人の姿を怪訝な顔で見下していた。
「……なぜだ?」
「なぜ、こいつに手錠が掛けられているんだ?」
子供は両親に向かって、笑顔で階段を駆け上がっていった。
「パパ―――!」
「ママ―――ッ!」
夫婦は、階段を駆け上がってくる我が子を疑いの目で見ていた。
「ウソだろ?」
「どうなっているの?」
夫婦は駆け上がって来た子供の前でしゃがみ込み、子供の身体を撫で擦って身体の無事を確かめた。
「だ、大丈夫か?」
子供は笑顔で元気よく答えた。
「うん」
石階段で座っていた快炎鬼が、政岡に言った。
「子供とぶつかった男は置き引き犯だ」
「そして、手錠はお前のモノだ」
「な、なんだとォ?」
政岡は慌てて服の内ポケットを弄った。
「無い!」
「俺の手錠が無い!」
快炎鬼は徐に立ち上がって、政岡に言った。
「手錠だけでなく、子供が無事などからして、少しは察して欲しい」
「俺とお前は、生きている時空が違っている。だからお前の一秒と俺の一秒は違うってことも判ってくれ」
何も言わずに、政岡は快炎鬼の話を黙って聞いていた。
「…………」
「犯人の詳しい情報は、追い駆けてきた彼から聞けばいい」
「また会おう」
快炎鬼は残像を残し、政岡の前からスーと姿を消した。
政岡は気が抜けたように、呆然と立っていた。
「……ウソだろ?」
「煙のように消えちまったぜ。跡形も無く……」
石階段を上がりながら、政岡は自分自身に問うた。
「この現実をどう受け止めりゃいいんだ?」
階段を昇り切った政岡は、子供の無事を喜ぶ夫婦と、後ろ手に右手首と左足首を繋がれた手錠を取り外そうと、必死に足掻き続ける置き引き犯を見下しながら答えた。
「信じられないが、丈二が人間じゃねぇと思えば、すべてにおいて辻褄が合ってくる」
「子供が無事に助かったのも、この男に俺の手錠が掛けられたのも、そして妹の純子が丈二を見ることが出来なかったことも、納得できる出来事だってことだ」




