十一の炎
十一の炎
懸衣翁は止まっていた枝を飛び立ち、エバの近くの木の枝に飛び移った。
飛び移ると同時に、懸衣翁は大きな声でエバを叱りつけた。
「バカヤローッ!」
「何だ!その服装は?」
「ちょっと待って!」
乱れた髪を雑に後ろに一つに纏め、エバはピン止めしながら懸衣翁に聞いた。
「私を叱るのは後回しにして、先に答えてくれないかしら?」
「何が知りたい。言ってみろ」
「三途の川に縣衣翁在りと獄卒たちから恐れられていた人物が、なぜ魔餓鬼によってそんなヘンテコリンなカラスにされたのか。そして、なぜ私がここにいるのを知っていたのか、そのワケを言ってからにしてよ」
「よし、判った。教えよう」
「魔餓鬼が現世へ行く目的で『浄玻璃の鏡の部屋』へ忍び込んだことは、お前も知っているな?」
「ええ……」
「改めてお前に言うことでもないが、浄玻璃とは水晶のことで、以前は死者の生前の行いを『浄玻璃の鏡』に映し出し、輪廻転生となる六道の世界へと導いていたのだが、今では瞬時に罪を識別でき、衆生たちの寿命も統括管理することが可能となって、今では地獄の中枢をなしている最も重要なコンピューター室だ」
「それほどまでに地獄では重要なコンピューター室でセキュリティ対策も完璧だったハズなのに、魔餓鬼は楽々と侵入し、数あるファイルの中から『輪廻転生』を選び出し、更に『畜生』『餓鬼』『地獄』の三悪道の中から『畜生道』をチョイスした」
「現世に行ける方法を調べるだけで侵入したのだったら許せるが、魔餓鬼のクソガキは俺だと直ぐに判るように、頭の白いカラスにインプットして、現世へ送り込みやがったと言うワケだ」
「だが、魔餓鬼は一つのチョンボをした」
「俺をカラスにはしたが視覚と嗅覚を人間並みにしておくことを怠っていたようだ。お陰で視覚は人間の十倍近くもあり、この長い嘴は鼻の役目も兼ねていて、嗅覚は犬の鼻よりも数倍以上に嗅ぎ分けられるってことだ」
「だから、南禅寺の水路閣にいるお前を難なく捜し出せたと言うワケだ」
エバは懸衣翁の話を聞いて納得した。
「魔餓鬼が「浄玻璃の鏡の部屋」で悪さをしたのは知っていた」
「人間ならまだしも、よくも私の夫をこんな醜いカラスに……」
エバは拳を強く握りしめて悔しがった。
「許さない!」
「どんなことがあっても、あの魔餓鬼だけは絶対に……」
「許されねぇのは、お前も魔餓鬼も一緒だ」
「私が何をしたってのよ!」
懸衣翁はエバの近くの地面に舞い降りて来て、エバを見上げて言った。
「何だ。その恰好は?」
「そんな服で魔餓鬼と対決できるとでも思っているのか!」
エバは、鼻で笑うようにして懸衣翁を見下した。
「あら、知らなかったのね?」
「チャイナ服は元々は馬に乗りやすいように、スカートの両脇にスリットが入っていることを?……」
「バカヤロー 知らねぇのはお前の方だ!」
「お前が言っているチャイナ服ってのはズボンを履いた上から着るもので、実用性を上げるために考えられた満州族の知恵の結晶だ。お前のように男に媚びを売るように見える服じゃねぇ。だからズボンを履いて魔餓鬼に挑めと俺は言っているんだ」
エバは不服そうな顔で懸衣翁に言った。
「はいはい。分かりましたよ。ズボンを履きますよ」
懸衣翁は又も怒った。
「ハイとヨは余分だ!」
「分かりました。ズボンを履きますと言え!」
―――
京都府警本部前の駐車スペースに、一台の白いセダンが停止して、エンジンを切った。車の外に出ようとした政岡が、車の前を見て仰天した。車を停止させるような格好でボンネットに両手を置いた氷室丈二が、笑顔で車内の政岡を見ていたのだった。
政岡は、泣き出しそうな顔で呟いた。
「丈二が笑っていやがるぜ」
「ダメだ。いよいよ、俺は重症だ」
快炎鬼(氷室丈二)が政岡に声をかけた。
「久し振りだな。政岡……」
政岡は自分を責めるようにして、自分の頭をゲンコツでゴツンゴツンと叩いた。
「ダメだ、こりゃあ」
「幻覚だけでなく、幻聴までもが始まってきやがった」
快炎鬼はボンネットから離れ、運転席に近づいてきた。
政岡は車内で叫んだ。
「く、来るな!寄るな!近づくな―ッ!」
快炎鬼は車内を覗き込みながら、運転席の窓ガラスをコン、コンとノックした。
横目で快炎鬼の顔を見た政岡は、目と目が合って呟いた。
「風貌はすっかり変わってしまっているが、どう見たって氷室丈二だ」
「ああ、気が狂いそうだ」
「いや、すでに俺は狂っているのかも?」
快炎鬼は政岡に言った。
「話がある」
政岡は快炎鬼を見ず、正面を向きながら答えた。
「俺に話しかけるな」
「なぜそんなに俺を避ける?」
政岡は運転席のサイドウインドウを下げて言った。
「俺は狂っている。お前と話せば症状が悪化するだけだ」
「お前は至って正常だ」
「俺の話を聞けば正常だってことが判ってくれるだろう」
政岡は返事をせずに、暫く、車内で黙っていた。
快炎鬼は無言を続けている政岡に聞いた。
「お前の近辺で起きている異常な現象の原因を、知りたいとは思わないのか?」
「知りてぇよ。山ほどにな」
「真相を話す。場所を変えよう」
「ここで話せ!」
快炎鬼は半身を開き、政岡が府警本部の正面玄関が見えるようにした。
「俺の姿が見えているのは、お前だけなんだ」
「ここで話してもいいが、誰かがお前を見ていると、お前は見えぬ相手と会話しているように見えるだろう。余計に狂ったように見えてしまうが、それでもいいのか?」
「分かった。場所を変えよう」
―――
レンガ造りの水路閣の横の広い通りでエバが前を歩き、その後ろから懸衣翁がトコトコと付いて行きながらエバの話を聞いていた。
「待て!」
エバは振り返って聞いた。
「何よ?」
「たったそれだけの理由で、お前たちはその男と別れたって言うのか?」
エバは悪びれる様子も無く、胸を張って答えた。
「ええ、そうよ」
「後先を考えずに身勝手な行動を取る快炎鬼なんて、私たちにとっても大きな障害であったし、足かせでもあったの」
「バカヤローッ!」
懸衣翁は飛び立ってエバの近くの木の枝に止まり、エバを見下しながら言った。
「お前はアホか?」
エバは懸衣翁を見上げながら言った。
「あらま。酷い言われ方だわね?」
「後先考えずに行動したのはどっちの方だ。お前たちの方じゃねーか?」
「なぜ私たちが責められなきゃならないのよ!」
「快炎鬼が私たちに何の相談も無く身勝手な行動を取ってくれるから、こんな結果になってしまったのじゃないの!」
「正当化しようってのかい? お前たちの愚かな行動を……」
「何とでもお好きなように。私たちは間違った行動は取ってないのですから……」
懸衣翁は再び枝を飛び立ち、エバの目の高さの位置の枝に止まって言った。
「閻魔と十三王たちはその男の性格を承知の上で、お前たち3人にサポートを依頼 したのじゃなかったのか?」
「それを、後先考えなかったからと取るに足らねぇ理由で、閻魔たちとの約束を簡単に反故にしやがって……」
「お前たちは最初からその男をサポートする気などまったく無く、上からの目線で 『お手並み拝見』などと、高見の見物を決め込んだのじゃないのか?」
エバは図星を突かれてドキッ!とした。
「もしそうだったのなら、その男に『好きにしろ』と言われて当然だ」
「信頼と相手の気持ちを思いやる心の無い仲間だったら、何人集まろうとその男に とっては烏合の衆で、寧ろ邪魔な存在だ」
「たとえ結果が徒手空拳になったとしても、一致団結して力を貸してくれる仲間だったら信頼も置けるが、何のアシストも無く一挙手一投足にイチャモンをつけてくるような仲間だったら、いない方がマシってもんだ」
エバは不満顔で言った。
「そんな言い方しないでよ!」
縣衣翁は大きな声で、エバを一喝した。
「ウルセ―――ッ!」
「お前は何が目的で現世へ来たんだッ!」
「この俺に会いにきたとは言わせねぇぞッ!」
「も、勿論、魔餓鬼を倒すためよ」
「魔餓鬼を倒して地獄に送り返せば、『浄玻璃の鏡の部屋』であなたを元の縣衣翁に戻すことが出来るんだから……」
「だったら、なぜ無条件で閻魔と地獄の十三王たちが選んだその男をサポートしてやらなかった?」
「その男と一緒になってマスコミに知られることもなく、秘かに素早く手際よく子供を救い出そうとなぜしなかったのだ?」
「4人が協力しあっても、怪物・魔餓鬼が相手ではやっと互角の勝負ができるかどうかだってのに、何の考えもなしにあっけらかんと別れやがって……」
「魔餓鬼を倒すという『必死』さが足りねぇンだよ。ノータリンなお前たち 3人には最も重要な『必死』さってやつが……」
「‥‥‥‥」
「お前のような思慮の無い女房に魔餓鬼を倒す資格はねぇッ!」
「とっとと地獄へ失せやがれッ!」
「何と言われようと、私は戻りません!」
「憎っくき魔餓鬼を倒して、地獄へ連れ戻すまでは……」
「じゃあ聞くが、お前はどうやって怪物・魔餓鬼を倒す気だ?」
「充分に練り込まれた特別な作戦でもあるってのか?」
「そ、それは……」
「だったら、悪いこと言わねえ」
「今からでも遅くはない。土下座してでもその快炎鬼とやらに協力を申し出ることだ」「えッ?」
懸衣翁は鋭い眼光でエバを睨みつけた。
「俺の意見が聞けねぇってのか?」
「そ、そうじゃないわ」
エバは険しく眉を顰めながら言った。
「私は土下座することができても、アララとリュウがどう出て来るかが心配なのよ」
別の木の枝に飛び移り、懸衣翁はエバに訊ねた。
「自ら仲間別れを言い出したリュウは別として……」
「なぜ、アララはお前と別れた?」
「奈良の東大寺へ行きたいと言っていたわ。父親の天邪鬼が現世でどんな無残な姿の像になってるのかを、この目でしっかりと確かめたいって……」
「……大丈夫なのか?」
「心配ないわよ。あのアララですから……」
懸衣翁は空を仰ぎ、白雲にアララの笑顔を思い浮かべた。
「俺が心配しているのは、アララではない」
「アララと接する人間たちの方だ」




