元英雄たちの失われた尊厳と、極悪魔女の異世界最高峰トリミング
お散歩から帰り、美味しいおやつを堪能した日の午後。
私は、まったりとソファでくつろぐ四匹のモフモフたちを前に、ある重大な宣告を下した。
「みんな、お外を歩いて少し毛が埃っぽくなっちゃったわね。というわけで……これから『お風呂』に入りましょう!」
その言葉が響いた瞬間。
四匹の魔獣たちの間に、かつてないほどの激しい動揺が走った。
レオンハルト(お、お風呂だと!? つまり、この女と一緒に入浴するということか!? ば、馬鹿な! 俺は騎士だぞ! いかに相手が悪辣な魔女とはいえ、未婚の女性の裸を見るなど、紳士として、いや騎士道に反する!!)
シオン(……水……! 水に濡れると、私のこの完璧なシルエットが崩れてしまう! あの『濡れネズミ』のような無惨な姿を他人に晒すなど、皇子としてのプライドが許しません!)
クロード(……水、嫌い。絶対に、嫌だ)
犬科特有の「水浴びは嫌いじゃないが、女性と一緒なのは倫理的にヤバい」という照れと、猫科特有の「とにかく水が嫌い」という本能的恐怖。
三匹の巨漢たちは、一斉に後ずさりを始めた。
「きゅ? お風呂? ボク、あったかいお湯すきー!」
唯一、ルカだけは無邪気に喜んで私の足元にすり寄ってくる。
「あー、こらこら、逃げないの。レオンちゃんもクロちゃんも、毛の奥に森のダニとかついてたら痒くなっちゃうでしょ? 私がピカピカに洗ってあげるから!」
「ガウッ!?(よせ、やめろ魔女! 俺をその気安さで風呂場に連行するな!)」
「シャァァッ!(触るな! 私は自浄作用で――)」
必死に抵抗し、部屋の隅へ逃げ込もうとする彼らだったが、私から逃げ切れるはずがない。
「『強制浮遊』!」
私が指を鳴らすと、三匹の巨体はポワァンと宙に浮き上がり、手足をバタバタと空掻きしながら、私の後ろを風船のようについてくることになった。
「にゃ、にゃあぁぁっ……(降ろせ、降ろしてくれ……!)」
暗殺者のクロードが、本物の猫のように悲痛な鳴き声を上げているが、私は心を鬼にして大浴場へと向かった。
ここで甘やかしてはいけない。ペットの清潔を保つのは、飼い主の絶対的な義務なのだから!
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魔女セルリアの城の地下には、火山脈から直接引き込んだ魔力温泉を利用した、ローマの公衆浴場のような巨大な大浴場が存在する。
湯気と共に漂うのは、ほんのりと香るリラックスハーブの匂い。
「よし、みんなここで待っててね」
私は彼らを洗い場のタイルに降ろし、脱衣所へ向かった。
(さて、私もお風呂に入るわけだけど……さすがに真っ裸で彼らを洗うのは、ちょっと恥ずかしいわね。中身は人間の男の人たちだし)
彼らを完全に「ペット」として可愛がっている私だが、前世の貞操観念は一応残っている。
私は空間収納から、魔力繊維で作られた『漆黒のワンピース型水着(露出少なめ)』を取り出し、それに着替えることにした。
「お待たせー! それじゃあ、順番に洗っていくわよ!」
私が水着姿で意気揚々と洗い場に戻ると。
「「「「ッッッ!!!」」」」
レオンハルト、シオン、クロードの三匹は、私の姿を見た瞬間、バッ!と一斉にそっぽを向いた。
レオンハルト(み、見ないぞ! いくら布地面積が多いとはいえ、女性のあのような姿を直視するなど……っ! 俺の騎士としての良心が咎める!)
シオン(……ふん、はしたない。私を誘惑しようとしても無駄ですよ。……ですが、その、意外とスタイルが……い、いや、私は何を見ているのだ!)
彼らは必死に壁のタイルを見つめ、絶対に私と目を合わせようとしない。
そんな彼らの(元人間の男性としての)葛藤などつゆ知らず、私は鼻歌交じりに『お風呂セット』を展開した。
「さーて、まずはレオンちゃんからね! お湯の温度、これくらいで大丈夫?」
「ガ、ガウゥゥ……(お、俺の身体に触れるな……っ)」
私がシャワーヘッドから温かいお湯を出し、レオンハルトの背中から優しくかけていく。
「ふふふ、前世でトリマーの動画を見るのが趣味だったのよ。極上の泡立ちを見せてあげるわ」
私が取り出したのは、エルフの森の奥深くで採れる『世界樹の若葉』と『清らかな精霊の涙』をブレンドして作った、魔女特製・最高級ボタニカルシャンプーだ。
それを手のひらでモコモコに泡立て、レオンハルトの漆黒の毛並みにたっぷりと乗せる。
「それじゃあ、洗っていくわよ〜。ワシャワシャワシャ……」
「……ッ!!!」
私の指先が、レオンハルトの分厚い毛皮の奥、地肌に到達した瞬間。
黒狼の身体が、ビクゥッ!と大きく跳ねた。
「ガ、グルル……?(な、なんだこの指の動きは!? ただ撫でられているだけではない……筋肉の凝り固まったツボを、的確に、そして絶妙な力加減でもみほぐしてきているだと……!?)」
当然である。
前世の社畜時代、私は肩こりと腰痛のあまり、月に一度の整体に通うことだけが生きがいだった。「ここを押せば気持ちいい」というツボの知識と、魔女セルリアの指先の魔力コントロールが融合した『究極のマッサージ・シャンプー』。
激務に追われていた騎士団長の凝り固まった身体に、これが効かないはずがなかった。
「耳の後ろ、痒いところない? ここ、気持ちいいでしょ?」
ワシャワシャ、キュッキュッ。
「ガウ……あ、くぅ〜〜〜〜ん……っ」
レオンハルトの口から、ついに完全に情けない声が漏れた。
彼の太い後ろ足が、気持ちよさのあまり「パタパタパタパタ!」と勝手に床を蹴り始めている。犬特有の反射運動だ。
レオンハルト(だ、だめだ……意識が、溶ける……っ。これほどまでの至福が、この世に存在したというのか……。王都の最高級スパの熟練マッサージ師でも、この女の足元にも及ばない……っ。もっと、もっとそこを……あぁ、そこだ……)
目を固く閉じていたはずの彼は、いつの間にか恍惚とした表情で床に寝そべり、私の手に完全に身を委ねていた。
「はい、お湯で流すわよー。……わぁ、毛並みがツヤツヤ! 黒真珠みたい!」
泡を洗い流されたレオンハルトは、もはや抵抗する気力もなく、ふにゃふにゃになってお湯を浴びている。
「さて、次はクロちゃんね! 水が嫌いなのはわかってるから、手早く済ませるわよ」
「シャァァッ!(く、来るな! 私は猫だ! 風呂など必要ない!)」
威嚇するクロードだったが、私が泡立てたボタニカルシャンプーの『マタタビ・アロマ成分』が鼻をかすめた瞬間、彼の動きがピタリと止まった。
「にゃ……?」
「ほら、怖くないでしょ? 温かくて気持ちいいわよ〜」
私は彼を優しく抱き寄せ、首元から丁寧に泡でマッサージしていく。
「……ゴロゴロ、ゴロゴロゴロ……」
数秒後、大浴場に響き渡ったのは、雪豹の巨大なモーター音(ゴロゴロ音)だった。
クロード(……水は憎悪すべき敵のはずだ。だが、この泡の弾力と、マタタビの香り……そして、地肌を滑るこの指先の、神がかった心地よさ……。私は、暗殺者……いや、もう何でもいい……この永遠に続くかのようなマッサージを……もっと……)
暗殺者の彼は、自ら私の手に顎を擦り付け、「もっと撫でろ」と要求してくる始末だった。
「はい、クロちゃんも完了! 次はルカちゃんね」
「きゅっ! あわあわ、楽しいー!」
ルカはシャボン玉のように泡を飛ばして遊びながら、あっという間に洗い終わった。
「さあ、最後はシオンちゃんよ。おいで」
「……」
シオンは、部屋の隅で前足を交差させ、震えていた。
「コ、コンッ!(私は遠慮します! 私の毛は非常にデリケートで、特殊な香油でしか洗ってはならないと帝国法で定められて――)」
「はいはい、捕獲」
「コンッ!?」
私は有無を言わさずシオンを抱き上げ、シャワーのお湯を容赦なく浴びせかけた。
シュゥゥゥゥゥ……。
お湯を含んだ瞬間、シオンの自慢のフワフワな九本のしっぽと、豊かな毛並みが、見事にぺちゃんこになった。
「あ」
「…………」
そこにいたのは、威厳ある白狐ではなく。
毛のボリュームが消え失せ、骨と皮だけのようにヒョロヒョロになった、まるで『巨大な白いフェレット』のような、なんとも情けなく貧相な生き物だった。
「ぶっ……ふふっ、あはははは!」
私はたまらず吹き出してしまった。
「シオンちゃん、濡れるとそんなに細かったのね!? なんか……チワワみたいで可愛いわ!」
「コォォォォォンッ!!!!!(笑うな!! 見ないでください! この無惨な姿だけは、誰にも見られたくなかったのにぃぃぃっ!)」
シオンは前足で必死に自分の顔(と細くなった身体)を隠し、大粒の涙をこぼした。高貴な皇子のプライドは、ここに完膚なきまでに粉砕されたのである。
「ごめんごめん、でも本当に可愛いわよ。さあ、シオンちゃんはトリートメント多めで洗ってあげるからね」
私はヒョロヒョロになったシオンを優しく洗い、最高のトリートメントを擦り込んだ。
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「よし、みんな綺麗になったわね! 最後はこれよ!」
洗い終わり、脱衣所に戻った私たち。
三匹の巨漢たちは、全員が「濡れネズミ」状態になり、自分たちの細くなった身体を見てはショックを受けて震えていた。
「風魔法『極上温風乾燥』!」
ゴォォォォォォォッ!!
私が魔法を発動すると、四方八方から、熱すぎず冷たすぎない、完璧な温度の心地よい温風が彼らを包み込んだ。
それと同時に、私は両手に持った『幻獣の猪毛ブラシ』で、凄まじいスピードで彼らの毛を解き、乾かしていく。
ブワァァァァッ!
水分が飛ぶにつれ、彼らの毛並みは、元の状態の三倍ほどのボリュームを持って膨れ上がっていった。
「わあ……っ!」
乾燥が終わった彼らの姿を見て、私は思わず感嘆の声を上げた。
レオンハルトの黒毛は、闇夜の星空のように深い艶を放ち。
クロードの灰色の毛は、高級なシルクの絨毯のように滑らかに。
ルカの毛は綿あめのようにフワフワになり。
そしてシオンに至っては、発光しているかのように真っ白で、九本のしっぽが神々しいほどに膨らんでいた。
「コンッ……!(な、なんというボリューム感……! それに、毛の一本一本にまで魔力が満ち、信じられないほどの弾力と手触りを実現している……! これが、私の究極の美……っ!)」
シオンは備え付けの大きな鏡の前でポーズを取り、うっとりと自分の姿を見つめている。濡れネズミの屈辱はすでに忘れたらしい。
「みんな、お疲れ様! お風呂上がりはやっぱりこれでしょ!」
私は空間収納から、キンキンに冷えたビンを取り出した。
魔力山羊のミルクに、エルフの森の果実をたっぷりブレンドした『特製フルーツ・マナ・ミルク』だ。
「さあ、腰に手を当てて……あ、みんなは四つ足だから無理か。とにかく、一気に飲んでね!」
「「「「…………ゴクッ」」」」
全員がビン(の代わりのボウル)に顔を突っ込み、フルーツミルクを一気飲みした。
「ぷはぁぁぁっ!」
レオンハルトが、風呂上がりのオッサンのような完璧な溜め息を吐いた。
レオンハルト(……もう、駄目だ。俺はもう、あの野営の泥水と硬いパンには戻れない……。温かいお風呂、極上のマッサージ、そして冷たいフルーツミルク……。これが、これが真の平和というやつなのか……!)
すっかり骨抜きになった彼らは、寝室の巨大なソファにドサッと倒れ込み、信じられないほど無防備なヘソ天(仰向け)のポーズで、完全に脱力してしまった。
「ふふっ、みんなフワフワでいい匂い〜」
私はソファに寝転がる彼らの隙間に潜り込み、シオンのしっぽを毛布代わりに被りながら、クロードのお腹に顔を埋めた。
漂ってくるのは、世界樹のボタニカルな香りと、お日様のような温かい匂い。
(あぁ……最高。やっぱりペットのケアは、手間をかければかけるほど癒やされるわね)
前世で疲れ果てていた私の心は、この究極のモフモフセラピーによって、完全に浄化されていた。
一方、元英雄たちは、もはや抗う気力を完全に喪失し、ただただ「気持ちいい……」と半目で虚空を見つめていた。
もし仮に今、彼らの呪いが解けて人間の姿に戻ったとしたら。
騎士団長も、皇子も、暗殺者も、全員が「魔女にヘソ天で腹を撫でられ、フルーツミルクを飲んで昇天している全裸のイケメン」という、地獄のような大惨事になっていたことだろう。
「……絶対に、人間に戻してはいけないわね」
私は彼らの平和な顔を見つめながら、改めて心に固く誓うのだった。




