元英雄たちの抗えない『獣の本能』と、討伐軍をドン引きさせる朝活
チュン、チュン、という鳥の可愛らしいさえずりと、柔らかな陽光。
そして何より、全身を包み込む「圧倒的なモフモフの重量感」によって、私は最高の目覚めを迎えた。
「んんっ……ふぁぁ、よく寝たわぁ……」
大きく伸びをしようとしたが、身体が動かない。
見れば、私の足元には巨大な黒狼がどっしりと重石のように丸まっており、頭の上では白狐の九本のしっぽがターバンのように私の頭部を包み込んでいる。そして背中には雪豹が湯たんぽのごとく張り付き、胸元にはカーバンクル(ルカ)が私のパジャマのボタンをちゅぱちゅぱと吸いながら爆睡していた。
(あぁ……ここは天国かな? 前世で徳を積んだ記憶はないけど、過労死の慰謝料として神様が用意してくれたボーナスステージに違いないわ)
私は至福の溜め息を吐き、すぐ横でスースーと寝息を立てているクロードの大きな耳の後ろを、指先で優しくカリカリと掻いた。
「……ん……ゴロゴロ、ゴロォ……」
無口な暗殺者であるはずの彼から、猫科特有の甘えるような振動音が響く。
その直後だった。
「……ッ!!!!!(な、私は何を……っ!?)」
自身の出しているゴロゴロ音でハッと覚醒したクロードが、バネ仕掛けのおもちゃのように跳ね起きた。彼は信じられないものを見るような目で自分の前足と私を交互に見て、全身の毛をブワッと逆立てた。
その激しい動きに連鎖して、他の三匹も次々と目を覚ました。
レオンハルト(ガウッ!? し、しまった! 敵の寝首を掻くはずが、あまりの居心地の良さに朝まで熟睡してしまっただと!?)
シオン(……っ! 一生の不覚……! この私が、魔女の寝顔を見ながら安眠してしまうなど……っ!)
ルカ(きゅぁっ!? よ、よだれ垂らしてないよね!?)
四匹は蜘蛛の子を散らすようにベッドから飛び降り、部屋の四隅にダッシュして「俺は何もしていない」「お前が寝返りを打ったからだ」と言わんばかりの気まずい視線を交わし合っている。
「おはよう、みんな。そんな隅っこに行かなくてもいいのに。朝のブラッシング、する?」
「「「「ガルルルルルッ!!!(断る!!!)」」」」
全力の拒絶である。
しかし、彼らの瞳の奥には、昨日までの「純粋な殺意」とは違う、「自分自身の抗えない本能への戸惑い」が色濃く浮かんでいた。
無理もない。極上の食事とスパ、そして魔力回復効果のあるベッドで一晩を過ごした彼らの毛並みは、昨日出会った時とは別格の輝きを放っている。身体の隅々まで魔力が満ち溢れ、獣の身体のポテンシャルが限界突破しているのを、彼ら自身が一番実感しているはずだ。
私がベッドから降りて、洗面台へ向かおうとしたその時だった。
――ズドォォォォォォォォォンッ!!!!!
突如、城全体が激しく揺れ、昨日から張っていた『防音結界』を突き破るほどの凄まじい轟音が響き渡った。
シャンデリアが大きく揺れ、棚に置かれていた魔導具のいくつかが床に落ちて割れる。
「……きゃっ!?」
思わずよろけた私を、とっさに動いたレオンハルトが背中で受け止めてくれた。
「あ、ありがとう、レオンちゃん」
「ガウッ!?(ち、違う! 身体が勝手に動いただけで、貴様を助けたわけではない!)」
黒狼は慌てて私から離れたが、その視線は鋭く窓の外へ向けられていた。
私も窓際に駆け寄り、外の様子を確認する。
「ああ、なるほどね……」
瘴気の森の上空。昨日からちまちまと魔法を撃ち込んできていた五万人の討伐軍の中心に、巨大な飛行船のようなものが現れていた。
その船首には、太陽のような輝きを放つ超巨大な魔法砲門が据え付けられており、銃口から白煙を上げている。どうやら、国家予算の数年分を注ぎ込んで作られた伝説の兵器『聖神砲』を持ち出してきたらしい。
魔女セルリアの無敵の結界に、ほんの数ミリだが、ヒビが入っていた。
もちろん、私の魔力自動回復によって一瞬で修復されたが、防音結界の一部が破られたため、外からの大音声が寝室にまで届くようになってしまったのだ。
『――聞け、凶つの魔女の落とし子よ!!』
魔法によって拡声された、若く熱い男の声が響く。
『我らは人類解放軍! 貴様に囚われたレオンハルト殿、シオン皇子、そして多くの犠牲者たちを救うため、今ここに最終決戦を挑む! 大人しく降伏し、呪いを解け! さもなくば、この聖神砲の第二射で、貴様の城ごと吹き飛ばす!』
外からの熱い演説に、魔獣たちの顔がパッと明るくなった。
レオンハルト(おお……あれは我が国の第一王子! ついに本気を出されたか!)
シオン(ふん、遅い到着ですが、あの砲撃なら結界を破れるかもしれない。いよいよこの屈辱の生活ともお別れですね)
彼らは「助かった!」という顔をして、窓に前足をかけ、外に向かって尻尾を振っている。
だが私は深く、深く溜め息を吐いた。
「もう……せっかくの気持ちいい朝なのに。近所迷惑にも程があるわ」
「ガルッ?(近所迷惑? 何を言っている、貴様は今、絶体絶命の――)」
私がパチンと指を鳴らすと、一瞬で寝間着のネグリジェが、魔女としての正装――漆黒のドレスと、星空を織り込んだような美しいマントへと変化した。
窓を大きく開け放ち、バルコニーへと出る。
「ちょっと、あいつら黙らせてくるわ。みんなはそこで待っててね」
「きゅっ!?(外に出るの!? やられるよ!)」
ルカが慌てて鳴いたが、私は振り返らずにバルコニーの縁に立った。
上空の飛行船から、こちらを見下ろす第一王子や将軍たちの姿が見える。
彼らは私が自ら姿を現したのを見て、勝利を確信したようにニヤリと笑った。
『どうやら降伏する気になったようだな、魔女よ!』
「あの……」
私は魔力で声を増幅させ、彼らに向かって言い放った。
「朝の八時から大砲ぶっ放すとか、常識ないの? うちの子たちが怯えちゃったじゃない。あと、昨日洗ったばかりのシーツ干そうと思ってたのに、火薬の匂いがつくからやめてくれる?」
『は……?』
五万人の軍隊が、一瞬でポカンとした。
世界を滅ぼしかけた極悪魔女から出た言葉が「うちの子」だの「シーツ干す」だのという、あまりにも所帯染みたクレームだったからだ。
『ふ、ふざけるな! 我々を愚弄する気か! 全軍、第二射の充填を急げ! 同時に全魔導士は一斉攻撃の準備だ!』
怒り狂った王子が剣を振り上げる。
数万の魔法陣が空を埋め尽くし、色とりどりの破壊の光が再び私の城へと向けられた。
だが、前世で理不尽なクレーマー客を何百人もあしらってきた社畜の私にとって、彼らの怒りなど「あーはいはい、上の者を出せってやつね」程度の威圧感しかない。
「口で言ってわからないなら、実力行使させてもらうわよ」
私は右手をスッと空へ向けた。
セルリアの記憶にある、最も広範囲で、最も「平和的」な無力化魔法。
「『絶対綿飴化』!!」
パァァァァァンッ!!!!!
私の指先から放たれた虹色の魔法陣が、空を覆う五万人の軍勢の真下に展開された。
次の瞬間。
『な、なんだ!? 身体が……っ!?』
『うわぁぁぁぁっ! 剣が! 鎧が!!』
討伐軍の兵士たちの悲鳴が響き渡る。
彼らの持っていた剣、槍、弓、大砲、そして着ていた硬い金属の鎧が、一瞬にして「フワフワのピンク色の綿あめ」に変換されたのだ。
さらに重力反転魔法により、浮遊戦艦や飛竜に乗っていた兵士たちは空へ落ちるのではなく、地上に敷き詰められた「巨大なトランポリン状の魔力クッション」の上へと、ポンポンと優しく落とされていった。
ボインッ、ポヨンッ、ボフゥッ!
『い、痛くない……?』
『なんちゅう弾力だ……っ、うおっ、跳ねる! 跳ねるぞ隊長!!』
『ええい、陣形を立て直せ……綿あめが口に入って……甘っ!? うまっ!?』
『聖神砲が……ただの巨大なイチゴ味の綿あめに……!!』
五万人の屈強な戦士たちが、ピンク色のフワフワ空間でトランポリンのように跳ね回りながら、甘い綿あめを口の周りにつけて呆然としている。その光景は、もはや戦争ではなく「狂気のお遊戯会」だった。
「メルヘンっぽくなったけど、血と泥のダークファンタジーよりマシよね。はい、これで静かになった」
私は満足げに手をパンパンと払い、バルコニーから寝室へと戻った。
「「「「……………………」」」」
部屋に戻ると、四匹の魔獣たちが、窓の外の惨状(お遊戯会)を見たまま、完全に石化していた。
レオンハルト(我々の希望が……トランポリンで跳ねている……)
シオン(……これほどの広域魔法を、無詠唱かつ一瞬で……しかも兵器を綿あめに変えるなどという、ふざけた極大魔法を……。勝てるわけがない、こんな規格外の化け物に……っ)
彼らは改めて「魔女セルリアの理不尽すぎる強さ」を思い知り、完全に絶望のどん底へと叩き落とされたのだった。
「よし、外のゴミ掃除も終わったし、私たちも朝の運動と行きましょうか!」
ドレスから再び動きやすい部屋着(魔力繊維のジャージのようなもの)に着替えた私は、空間収納魔法から『あるもの』を取り出した。
「じゃーん! 魔獣専用のおもちゃセット〜!」
私の手には、二つのアイテムが握られていた。
一つは、世界樹の枝と幻鳥の羽で作られた、絶対に折れない『究極の猫じゃらし』。
もう一つは、ドラゴンの骨を削り出して作った、空気抵抗を完全に無視して飛ぶ『神速のフリスビー』である。
「「「「……は?」」」」
「いくらお部屋が広くても、ずっと寝てばっかりじゃストレス溜まるわよね。今日は私が、たっぷり遊んであげるわ!」
私は無邪気な笑顔で(前世からずっと犬や猫と遊ぶことに憧れていたのだ)、広大な寝室の端から端へ向かって、フリスビーを軽く構えた。
「さあ、レオンちゃん! 取ってこーい!!」
シュパァァァァッ!!
私が手首のスナップを効かせて投げたフリスビーは、音速を超え、衝撃波を撒き散らしながら壁際へ向かってカッ飛んでいった。
「ガ、グルルルッ!!(ふざけるな! 私をそこらの駄犬と一緒に――)」
レオンハルトが怒りの咆哮を上げようとした、次の瞬間。
彼の黒狼としての『狩猟本能』と『動くものを追う習性』が、完全に理性を上回った。
「――ッ!!!」
ダァァァァンッ!!
レオンハルトの巨体が、絨毯を蹴り裂くほどの勢いでロケットのように発進した。
彼は音速で飛ぶフリスビーを猛烈なスピードで追いかけ、壁に激突する寸前で信じられない跳躍力を見せ、空中で見事に「カプッ!」とフリスビーをキャッチした。
着地も完璧。四つ足でピタリと止まった彼の姿は、まさにドッグスポーツの王者の風格であった。
「わあぁぁっ! すごいすごい! レオンちゃん天才!! ナイスキャッチ!!」
私が全力で拍手喝采を送ると、フリスビーをくわえたままのレオンハルトは、自分のしでかした行動に気づき、瞳孔を極限まで開いて固まった。
レオンハルト(ア、アァァァァッ!? お、俺は騎士団長だぞ!? なぜ空飛ぶ円盤ごときを、全力で取りに行ってしまったのだ!? しかも、完璧なフォームで……っ! 身体が、身体が勝手に……!!)
激しい羞恥心に震えながらも、犬の習性とは恐ろしいもので、彼は「フリスビーを主人の元へ持ち帰る」という動作までオートマティックにこなしてしまった。
私の足元にトコトコと戻ってきて、ポトリ、とフリスビーを落とす。そして、期待に満ちた目で私の顔を見上げ、尻尾をブンブンと振ってしまったのだ。
「もう一回ね! そーれっ!」
「ガ、ガウゥゥッ!!(やめろぉぉぉ! これ以上俺の尊厳を奪うなァァァッ!)」
心の中の悲痛な叫びとは裏腹に、レオンハルトは再び猛ダッシュでフリスビーを追いかけていった。
「次はクロちゃんね! ほーら、猫じゃらしよ〜、ヒュンヒュン!」
私はレオンハルトが走っている間に、もう片方の手で『究極の猫じゃらし』を振り回した。
世界樹の枝のしなりを利用した、予測不能なフェイントの連続。
「シャァァッ!!(馬鹿にするな! その程度の子供騙し、暗殺者であるこの私が――)」
クロード(雪豹)は冷徹な目で鼻で笑おうとしたが、彼の瞳孔は、猫じゃらしの先端の羽の動きに完全にロックオンされていた。
「ほーら、こっちこっち!」
「……ッ!!」
ザシュッ! ズバァッ!
クロードの前足が、音を置き去りにする速度で猫じゃらしを捉えようと空を切る。
暗殺術の奥義とも言える絶技だが、私は魔女の動体視力と手首のスナップで、ギリギリのところでそれを躱し続ける。
「あははは! クロちゃん動きが早い! でも当たらないわよー!」
「ニャァァァァッ!!(クソッ、なぜ当たらない! 殺す、絶対に仕留めてやる……! ああっ、羽の動きが、たまらない……っ!)」
気づけば、孤高の死神は完全に「猫じゃらしに夢中になる巨大な猫」と化し、床を転げ回り、ジャンプし、両手で必死に羽を捕まえようとじゃれついていた。
「ふふふ……野蛮なことですね。獣に身を落とすと、ここまで理性を失うとは」
部屋の隅で、白狐のシオンが涼しい顔をして二人を鼻で笑っていた。
「私のような知性派には、あのような物理的なおもちゃなど一切通用しま――」
「あ、シオンちゃん。これ、魔界から取り寄せた『特製レーザーポインター(魔力光)』なんだけど、光の点が動くのって面白いわよ。ポチッ」
私が壁に向かって赤い光の点を照射し、チョロチョロと動かすと。
「……ピクッ」
シオンの九本のしっぽが、バチッと静電気を帯びたように逆立った。
「ほーら、ウネウネ〜」
「コンッッ!!(な、なんだあの得体の知れない光は! 軍師として、あれの正体を突き止めねば……!!)」
ダァァァァンッ!!
シオンもまた、壁に向かって一直線に飛び掛かり、赤い光の点を前足でバンバンと叩き始めた。しかし光は当然掴めず、壁際で必死にシャドーボクシングをする白狐が誕生した。
「みんな元気でいいわね〜」
「きゅあぁぁ……(ボク、あの人たちみたいになりたくない……)」
ルカだけは、大人たちの狂態を見て震えながら、私のお腹のポケットに潜り込んで身を隠した。
約一時間の激しい「朝活」が終了した。
広大な寝室の床には、息も絶え絶えになり、舌を出して完全に燃え尽きた三匹の元英雄たちが転がっていた。
彼らの肉体は極限まで酷使され、凄まじい疲労感に襲われていたが、同時に「全力で遊んだ」という強烈な満足感とエンドルフィンが脳内を満たしており、もはや私に対する敵対心など考える余裕すらない状態だった。
「はぁ……はぁ……(くそっ……あんな円盤を追いかけるだけで、なぜこれほど心が満たされてしまうのだ……。俺は、もうダメかもしれない……)」
レオンハルトは、手放すまいとフリスビーを前足で抱え込みながら、静かに涙を流した。
「にゃ、にゃぁ……(羽……捕まえられなかった……悔しい、もう一回……)」
クロードは完全に語尾が猫になり、虚空を見つめている。
「コォォン……(あの赤い光……絶対に……私の頭脳で計算して……ハァハァ……)」
シオンは壁際で倒れ伏し、放心状態だ。
「よし、みんないい汗かいたわね! じゃあ、冷たいお水を飲んだら、ブラッシングの続きとおやつにしましょうか!」
私がニッコリと微笑むと、三匹はビクッと身体を震わせた後、諦観と、ほんの少しの「期待」が入り混じった目で、力なく尻尾を振るのだった。
魔獣(元イケメン)たちのプライドは、確実に、そして無慈悲に、私の「究極のモフモフお世話力」の前に削り取られていく。
外の軍隊(お遊戯会中)のことはすっかり忘れ、極悪魔女の平和なスローライフは、今日も全力で進行中である。




