魔女の特製ベーコンエッグと、お留守番を巡る元英雄たちの壮絶なアピール合戦
ジューーーーーッ、パチパチッ!
翌朝。魔女の城の巨大なキッチンには、食欲を暴力的なまでに刺激する「肉と脂の焼ける音」が響き渡っていた。
フライパンの上で踊っているのは、厚さ三センチはあろうかという『特製マナ豚の厚切りベーコン』。そこへ、コカトリスの新鮮な卵を二つ割り入れる。
白身がジュワッと広がり、縁がカリカリに焼け、黄身が半熟の黄金色に輝き始めた瞬間、私は火魔法を止めた。
「よし、完璧な焼き加減!」
私が鼻歌交じりに朝食を大皿に盛り付けていると、キッチンの入り口から「ズドドドドドドッ!」という、まるで小型の地鳴りのような足音が近づいてきた。
「ガウッ! ハッ、ハッ、ハッ!(朝飯だ! ベーコンエッグの匂いがするぞ!)」
「コォン!(ええい、押すな駄犬! 私を先に行かせなさい!)」
「ニャァッ!(肉、肉、肉……!)」
「きゅあーっ!(ボクもー!)」
昨日あれだけ巨大なハンバーグを平らげたというのに、四匹のモフモフたちは、完全に胃袋をリセットして目をキラキラさせながら整列した。
彼らの顔には「早く飯をくれ」という切実な要求しか浮かんでいない。
「はいはい、順番に並んでね。今日の朝ご飯は『特製マナ豚の厚切りベーコンエッグ〜焼きたて魔力パンを添えて〜』よ!」
私がそれぞれの前にお皿を置くと、凄まじい勢いで食事の音が鳴り響いた。
分厚いベーコンを噛みちぎり、溢れ出す旨味たっぷりの豚の脂。そこへ、半熟の目玉焼きの黄身をトロリと絡ませ、香ばしいパンに乗せて一気に掻き込む。
レオンハルト(あぁぁぁっ……! なんだこのベーコンは! 塩気と燻製の香りが、豚肉の甘みを限界まで引き出している! 黄身のまろやかさが脂のしつこさを中和し、永遠に食べ続けられる無限ループが完成しているではないか……!)
彼はパンで皿の上の黄身と肉汁を一滴残らず拭き取り、見事なまでに完食した。
「ふふふ、みんな朝から元気いっぱいでよろしい。……さて」
食後の冷たいマナ・ウォーターを飲み干した彼らを見て、私はエプロンを外し、少し真面目な声を出した。
「みんな、聞いて。今日は私、ちょっと『お出かけ』してくるわ」
「「「「……?」」」」
「人間の街の方に、新しい調味料とか、布地とか、色々と買い出しに行きたいのよね。だから、今日はみんな……お城で『お留守番』しててね」
お・る・す・ば・ん。
キッチンの空気が、ピシィッ!と凍りついた。
レオンハルト(お留守番……だと? つまり、この魔女が、俺たちを置いて外に行くということか? そ、そんな……俺の今日の『昼下がりの特上ブラッシング&昼寝タイム』はどうなるのだ!?)
シオン(ば、馬鹿な……。数時間もこの女と離れる? もしその間に、私のしっぽの毛並みが乱れたら誰が整えてくれるというのですか!)
クロード(……嫌だ。温かい膝の上が、なくなる……)
彼らの脳裏をよぎったのは、「魔女からの解放」や「逃げるチャンス」などでは断じてなかった。
彼らを支配していたのは、完全なる『分離不安症(飼い主と離れる極度のストレス)』だったのだ。
「それじゃあ、夕方には帰るから、いい子でお部屋で遊んでて――」
私が身支度を整えようと踵を返した、その時だった。
「――ガウゥゥゥゥッ!!」
ドサッ!
突如、レオンハルトの巨大な黒狼の身体が、キッチンの出入り口を完全に塞ぐように横たわった。
「えっ? レオンちゃん、通れないんだけど……」
「クゥ〜ン、クンクン……(行くな。俺を置いて行くな……っ。王国の騎士団長である俺が、これほどまでに誰かにすがりついたことなどない……だが、行かないでくれ……っ!)」
レオンハルトは、上目遣いで私をウルウルと見つめながら、情けない鼻鳴らし声を出して通せんぼをしている。
「コンッ! コォォンッ!」
すると今度は、シオンが私の足元にすり寄り、九本のしっぽで私の両足をガッチリとホールドし始めた。
「(私も連れて行きなさい! ただの留守番など、皇子である私に対する侮辱です! 荷物持ちでも何でもしますから、あのおやつのプリンが食べられない時間など耐えられません!)」
「ちょ、シオンちゃん、歩けない! ああっ、クロちゃんまで!?」
「ニャァァ……(離さない……絶対に、離さない……)」
クロードに至っては、私の背中に飛び乗り、肩に顎を乗せてコアラのようにガッチリとしがみついてしまった。
四匹の巨獣(+一匹の珍獣)による、壮絶な「行かないでアピール」の始まりである。
「も、もう! みんな甘えん坊なんだから! でもダメよ、街に行くのよ? あんたたちみたいな魔獣がウロウロしてたら、街の人たちがパニックになっちゃうでしょ!」
私は彼らを引き剥がそうとしたが、元・最強の英雄たちのフィジカルには到底敵わない(魔法を使えば一瞬だが、怪我をさせたくないので使えない)。
「ガウッ、ガウガウッ!(パニックなど起こさせん! 俺は絶対に吠えないし、噛まない! 完璧な『お利口な犬』を演じ切ってみせる!)」
レオンハルトは立ち上がり、シャキッと姿勢を正して「伏せ」「おすわり」「お手」のコンボを猛スピードで実演し始めた。もはや騎士のプライドなど宇宙の彼方である。
「コ、コンッ!(ええ、私もです! 狐の魔獣ではなく、少し大きくて毛深い『珍しい犬』として振る舞います! ですから、どうか!)」
シオンも必死に私の顔を舐めようとしてくる。
(……この子たち、本当に私のこと好きなのね)
私は彼らの必死すぎる姿を見て、思わずため息をつきながらも、顔がにやけてしまうのを止められなかった。
前世で、朝出勤する時に「行かないで!」と玄関で泣き叫んでくれる存在などいなかった。それが今や、イケメン(中身)たちが、私と離れるのをこれほどまでに嫌がってくれているのだ。
母性本能、あるいは飼い主としての承認欲求が、限界突破で満たされていく。
「……はぁ。わかったわよ。そんなに行きたいなら、連れて行ってあげる」
「「「「ガウッ!?(パァァァァッ!!)」」」」
四匹の顔が、一瞬で「お散歩に連れて行ってもらえる犬」のそれになり、尻尾が千切れんばかりに振られた。
「でも、条件があるわ。ただ歩いて行くんじゃ、やっぱり目立ちすぎるもの」
私が空間収納から取り出したのは、巨大で、そしてやたらとフリフリのレースやリボンで装飾された『超大型・魔導ペットカート(乳母車のようなもの)』だった。
「これに乗って、絶対に外に顔を出さないこと。そして、昨日のお洋服を着ること。これが条件よ!」
「「「「……………………」」」」
英雄たちの顔が、再び凍りついた。
フリフリのお洋服を着て、さらにフリフリの乳母車に詰め込まれて街を移動する。
それはつまり、もし知り合い(王国の兵士や帝国の密偵)に見られでもしたら、社会的な死(黒歴史)どころの騒ぎではない。
レオンハルト(……カートに乗る……赤子のように……。俺は、サンディレ王国の最高戦力だぞ……?)
シオン(……皇子である私が、そのような乗り物に詰め込まれて……)
彼らはギリッと歯を食いしばり、深い、深い葛藤に沈んだ。
尊厳を取るか。それとも、魔女とのお出かけ(と外出先での特別なおやつ)を取るか。
数秒の沈黙の後。
「……ガウッ(……乗る)」
「……コン(……乗り、ます)」
彼らは自ら進んで、昨日のお洋服(ミニチュア騎士服とフリルケープと泥棒ポンチョ)を口にくわえて持ってくると、すごすごと巨大なペットカートの中へと潜り込んでいった。
「ふふっ、みんなお利口さんね! それじゃあ、街に向けてしゅっぱーつ!」
こうして、極悪魔女と、フリフリのカートにギューギューに詰め込まれた元英雄たちは、初めての人間界(お買い物)へと出陣することになった。
彼らの尊厳は、今日も無慈悲に、そして平和的に削られていくのである。




