やりたいこと
# 才能とは何なのか? 努力とは何なのか?
今、主人公の幼少期について考えている。
主人公は、幼い頃から魔法を覚えるのが早かった。
前世の記憶があるわけでも、特別な知識を持っているわけでもない。ただ、少しだけ成長が早く、物事を覚えるのが早かった。
それだけなのに、周囲からは天才だと褒められてきた。
本人も、自分には才能があるのだと思っていた。
けれど、そんな主人公が、やがて自分の限界にぶつかる。
「僕はすごいと思っていたのにそうでもなかった」
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主人公は十歳になり、学び舎へ通うようになる。
それまでに四大元素の初級魔法をおおむね使えるようになっていた。火、水、土、風。幼い頃から魔法に触れてきた主人公にとって、それらを覚えることは難しいことではなかった。
だからこそ、自分は魔法が得意なのだと思っていた。
けれど、学び舎には自分と同じように魔法を使う子供たちがいる。
今まで自分よりもできなかった子が、少しずつ追いついてくる。
そして、いつの間にか、自分よりも上手に魔法を使う子まで現れる。
それまで「できる子」だった自分が、必ずしもそうではないと知る。
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「才能って、何なんだろうね」
魔法を覚えるのが早いこと。それは才能なのだろうか。
だとしたら、主人公には確かに才能があったのだと思う。
実際、幼い頃は周囲よりも早く魔法を覚えていた。できなかったことができるようになるまでの時間も、周囲より短かった。
けれど、魔法の難易度が上がるにつれて、状況は変わっていく。
周囲の子供たちは、基礎を何度も練習してきた。
同じ魔法を使っていても、その練度には違いがある。
最初に覚えるのが早かったことと、何度も練習を重ねて上達してきたこと。それらは、同じものではなかった。
才能があることと、何でもできることも、同じではない。
では、才能があるというのは、どういうことなのだろう。
生まれつき何かが得意であることなのか。
ほかの人よりも早く覚えられることなのか。
それとも、ほかの人ができないことを、できるようになることなのだろうか。
そもそも、どこまでできれば才能があると言えるのだろう。
ここには、まだ一つの答えを置くことができない。
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「じゃあ、努力って何なんだろう」
主人公は、それまで努力をしてこなかったわけではないのかもしれない。
魔法を覚えるために練習をしたことはあっただろうし、できるようになるまで繰り返したこともあっただろう。
ただ、主人公にとって、それは苦労して何かを身につけるという経験ではなかった。
練習すれば、できるようになる。
できるようになることが楽しい。
だから、また練習する。
主人公にとっては、それが自然なことだったのだと思う。
けれど、学び舎で出会う子供たちは違った。
すぐにはできなくても、何度も練習を続けている子がいる。
主人公よりも早く魔法を覚えたわけではない。それでも、基礎を繰り返し、少しずつ技術を身につけてきた。
その積み重ねが、主人公との差になって現れ始める。
主人公は、そこで初めて、自分が思っていたほど何でもできるわけではないと知る。
そして、同時に、今まで自分が意識してこなかったものを知ることになる。
努力だ。
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努力をすれば、必ず才能のある人に追いつけるのだろうか。
努力を続ければ、誰でも同じところまでたどり着けるのだろうか。
それも、簡単には言い切れない。
同じ時間だけ練習しても、同じように上達するとは限らない。
得意なことも違えば、覚える速さも違う。努力を続けられる環境だって、人によって異なる。
だからといって、努力に意味がないわけでもない。
主人公が周囲に追いつかれたのは、それまでの経験が無意味だったからではない。
早く覚えられたことも、これまで魔法を使ってきたことも、なくなったわけではない。
ただ、それだけでは届かない場所があった。
そして、その場所にたどり着くために、今までとは違うことをする必要が出てきた。
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「ここで主人公は、努力を知るんだね」
自分が特別ではなかったと知ること。
自分よりも優れた人がいると知ること。
それは、きっと悔しいことだと思う。
今まで自分が信じていたものが、少しずつ崩れていくのだから。
けれど、主人公は努力することそのものを否定するわけではない。
周囲の子供たちが練習を積み重ねてきたことを知り、その積み重ねによって自分よりも上手に魔法を使えるようになったのだと理解する。
ならば、自分ももっと上手くなりたい。
今までよりも練習を重ねて、できることを増やしていこう。
そう考えて、努力を始める。
ここで大切なのは、主人公が突然、努力の尊さを理解した立派な人間になることではないのだと思う。
悔しさはある。
自分が思っていた自分と、実際の自分との違いもある。
それでも、周囲が積み重ねてきたものを否定せず、自分もそこへ向かおうとする。
主人公にとって、努力は新しく知ったものなのだ。
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では、才能と努力は、どちらが大切なのだろう。
そもそも、二つを比べることに意味はあるのだろうか。
才能があっても、努力をしなければ届かない場所がある。
努力を重ねても、才能のある人と同じ結果になるとは限らない。
それでも、才能があるから努力をしなくていいわけではないし、努力をしているから才能がないわけでもない。
主人公は、才能を失ったわけではない。
ただ、自分が才能だと思っていたものだけでは、これから先に進めないと知った。
そして、これまで知らなかった努力というものに出会った。
その先で、主人公がどこまで成長できるのか。
どれだけ努力すれば、どこまでたどり着けるのか。
それは、まだわからない。
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才能とは何なのか。
努力とは何なのか。
僕たちは、主人公の成長を通して、その問いを考えようとしているのかもしれない。
けれど、物語の中で、才能とはこういうものだ、努力とはこういうものだと、答えを決めてしまう必要はないのだと思う。
主人公にとっての才能と、別の誰かにとっての才能は、同じものとは限らない。
努力を続ける理由も、その努力によって得られるものも、人によって違うだろう。
ある人は、できなかったことができるようになるのが楽しくて努力する。
ある人は、誰かに追いつくために努力する。
また別の人は、どうしても諦められないものがあるから、努力を続けるのかもしれない。
同じように努力しているように見えても、その内側にあるものまで同じとは限らない。
主人公が努力を始めたとき、彼は何を求めているのだろう。
失ったと思った自分を取り戻したいのか。
周囲に追いつきたいのか。
それとも、ただ、もっと魔法が上手くなりたいのか。
その答えだって、最初から一つに決めなくてもいいのかもしれない。
主人公自身も、まだ自分の気持ちをすべて理解しているわけではないのだから。
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才能があることと、努力できること。
早く覚えられることと、時間をかけて身につけること。
自分ができると思っていたことと、実際にできること。
それらの違いを知ったとき、人は何を思うのだろう。
そして、自分が思っていたほど特別ではなかったと知ったあと、人はどこへ向かうのだろう。
主人公は、そこで立ち止まるのではなく、もう一度、魔法と向き合おうとする。
今までとは違う自分で。
それが、才能を失った人間の物語なのか。
それとも、才能というものを初めて知る人間の物語なのか。
あるいは、そもそも才能を失ったという考え方自体が、正しくないのか。
その答えは、まだわからない。
ただ、主人公が初めて自分の限界を知り、努力を重ねることを覚えた。
そこから、彼の新しい歩みが始まる。




