第2話 森で拾った女の子は、自分を不吉だと言った
翌日の午後。
私は腰に小さなカゴを下げ、鼻歌まじりに村はずれの森へと向かっていた。
「今日は薬草とキノコを摘んで、干し肉と一緒にコトコト煮込んだシチューにしようかしら」
木漏れ日が揺れる小道を歩いていると、澄んだ森の空気が胸いっぱいに広がる。
やっぱりこの場所を選んで正解だったわ、なんて思いながら歩みを進めていた――その時だった。
「――おい、この疫病神め!」
「村から出ていけって言ったのが聞こえねえのか!」
森の入り口、木立の影に隠れるように佇む粗末な掘っ立て小屋の近くから、荒々しい怒声が響いてきた。
(……なにかしら?)
足を止めて木陰からそっと覗き込むと、そこには数人の老人たちが立っていた。
村の中でも特に頑固で迷信深い、一部の年長者たちだ。
彼らは手に小石や木の枝を握りしめ、地面にうずくまる小さな人影に向かって、容赦なくそれを投げつけていたのだ。
「お前がいるから凶暴な魔物が森に近づくんだ!」
「不吉な目で見つめるんじゃねえ! 気味の悪いガキめ!」
パラパラと乾いた音を立てて、小石が小さな体に当たる。
少し離れた街道沿いでは、農作業へ向かう途中の村人たちが数人、眉をひそめて足を止めていた。けれど、彼らは困ったような顔で遠巻きに見ているだけで、止めに入る様子はない。関わりたくない、といった雰囲気だった。
小石を投げつけられているのは、ボロボロの布きれのような服をまとった、小柄な少女だった。
銀糸のように繊細な髪を泥で汚し、膝を抱えて小さく震えている。
年齢は十二歳くらいだろうか。折れそうなほど華奢な体だった。
――村はずれの掘っ立て小屋に、身寄りをなくした『不吉な子』が追いやられている。
そういえば、村の中心でそんな噂を小耳に挟んだことがあった。
けれど、まさかこんな理不尽な扱いを受けているなんて。
「……っ」
カゴを握る私の指先に、ぎゅっと力がこもる。
前世の記憶を取り戻してから、私はもう二度と怒ったり焦ったりせず、穏やかに生きようと決めていたはずだった。
でも――ダメだ。
あんな小さな子が怯えて泣いているのを前にして、見過ごせるほど私の心は枯れ果てちゃいない。
ただ、今の私は魔力省エネ中の身。
それに、相手を痛めつけるような攻撃魔法なんて、私の生活魔術では使えないし、使う気もない。
でも――『お掃除』なら、話は別だ。
「……ずいぶんと、道端が散らかっているわね?」
すっと息を吸い込み、私は木陰から優雅に歩み出た。
そして、手近に落ちていた手頃な木の枝を、まるで愛用の箒のようにスッと構える。
「あらあら、おじいさんたち。道にそんなゴミや小石を散らかしちゃダメじゃない」
「な、なんだお前は……! あ、あいつは、村はずれのイカれた生活魔術師……!」
老人たちの一人が私の顔を見て、引きつった声を上げた。
ご名答。でも、イカれてるのはそっちの頭のほうよ。
「公共の通路を汚す不届きなゴミは――綺麗さっぱり掃き清めなきゃね。『生活魔術・強力掃除』!」
カッと、手にした木の枝から淡い魔力の風が迸る。
あくまで『掃除』だ。飛んできた小石をホコリとして認識し、老人たちの足元にある泥をチリとして認識する。
するとどうだろう。
ザザーーーーーッ!!
少女に向かって投げられた小石が、まるで目に見えない巨大なハタキに叩かれたかのように、空中で綺麗にパパパッと弾き飛ばされた。
それだけではない。
老人たちの足元から巻き起こった猛烈な清浄の突風が、彼らの泥だらけのズボンや靴をゴシゴシと強烈に拭い去り――その勢いで、老人たちはすてーんと見事に尻餅をついた。
「うわあああっ!? な、なんだこの風は!?」
「ズ、ズボンがピカピカに……いや、そうじゃなくて!」
「ひ、ひぃぃっ! やっぱりあの女、頭がおかしいぞ!」
怪我ひとつ負っていないけれど、全身の汚れを暴力的なまでの洗浄力で剥ぎ取られた老人たちは、真っ青な顔で後ずさりした。
「ふふ、お洋服が綺麗になってよかったわね? 次からゴミをポイ捨てしたら、おじいさんたちごと泡立ててお洗濯しちゃうから、気をつけてね?」
私が満面の笑顔で木の枝をスチャッと構え直すと、老人たちは悲鳴を上げて跳び起きた。
「お、覚えてろよ! 疫病神にイカれた魔術師め、勝手にしやがれ!」
捨て台詞を残して、老人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
遠巻きに見ていた村人たちも、「あちゃあ、またクレアさんが突飛なことを……」と苦笑いしながら足早に立ち去っていく。
ふう、と息を吐いて木の枝を下ろす。
体内を巡る魔力が少し減ったのを感じた。やっぱり、寝ても覚めても魔力は勝手には戻らない。でも、後悔なんて微塵もなかった。
私はくるりと振り返り、うずくまったままの少女の元へと歩み寄った。
「大丈夫? 怪我はなかったかしら」
できる限り優しく、柔らかい声で話しかけながらしゃがみ込む。
すると、少女はビクッと肩を跳ね上がらせ、泥まみれの腕で必死に顔を覆い隠した。
「こ、来ないで……っ!」
悲痛な、震える声だった。
「わたしに……近寄っちゃダメ……! 呪われちゃうよ……っ!」
「呪われる? どうして?」
「だって……わたしのこの目は、不吉だから……!」
少女は拒絶するように首を振りながら、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
「わたしの目には……見えるの。みんなの心の中にある、黒いモヤが……!」
震える唇から、切々とこぼれ落ちる告白。
少女の紫色の瞳――それは、他人の悪意や嘘、拒絶の感情が『黒いモヤ』となって見えてしまう目なのだという。
「みんな、口では優しいことを言ってても……心の中には真っ黒なモヤが渦巻いてるの。『不気味だ』とか、『関わりたくない』って……全部見えちゃうの……! それに、わたしは悪い魔物を引き寄せちゃう体質だから……だから、わたしはここに一人でいなきゃいけないの……っ!」
泣きじゃくりながら、自分を責め立てる少女。
これが、村で「不吉な子」と呼ばれ、森の入り口に追いやられていた理由だったのだ。
人の悪意が見えてしまう目。魔物を呼んでしまう体質。
どれほど孤独で、どれほど恐ろしかっただろう。信じられる大人が誰一人としていない世界で、たった十二歳の女の子が、どれだけの絶望に耐えてきたのか。
「ねえ」
私は静かに声をかけた。
少女は怯えたように、恐る恐る腕の隙間から私を見上げた。
その瞬間――。
少女の紫の瞳が、見開かれた。
「……え?」
少女は呆然と息を呑み、私の顔を凝視した。
まるで、あり得ないものを見てしまったかのように、その瞳が激しく揺れている。
「な、んで……?」
少女のか細い呟きがこぼれる。
「黒いモヤが……ない……? 嘘……ひとつも、塵ひとつもない……?」
少女の目に見えている世界を、私は知る由もない。
けれど、当然だ。
私の心の中に、この子への悪意や拒絶なんて、探したって埃ひとつ見つかりはしない。
だって、目の前にいるのは――。
泥だらけで、ボロボロで、それでも息を呑むほど透き通った銀髪と、宝石のように綺麗な紫の瞳を持った、奇跡のように愛らしい女の子なのだから。
「呪いなんて、あるわけないでしょう」
私はにっこりと微笑み、地面に膝をついて、少女の泥だらけの小さな手をそっと包み込んだ。
「こんなに綺麗で可愛い子が、不吉なはずないじゃない。ねえ、あなたのお名前は?」
「……み、ミーシャ……」
「ミーシャちゃんね。とっても素敵なお名前」
少女――ミーシャちゃんの手は、驚くほど冷たくて、小さかった。
前世で、繋いであげられなかった妹の手の温もりを思い出す。
もう二度と、後悔なんてしない。
目の前で泣いているこの小さな手を、放してなるものか。
「ミーシャちゃん。こんな冷たい地面にいたら風邪を引いちゃうわ」
「え……?」
「私の家、すぐそこなの。あったかいお風呂に入って、美味しいごはんを食べましょ?」
「で、でも……わたし、不吉で……魔物も呼んじゃうのに……っ」
「いいのよ、そんなこと」
私はぐっとミーシャちゃんの手を握り直し、とびきりの笑顔を向けた。
「誰がなんと言おうと、私があなたを放っておけないんだから。さあ、おうちに帰りましょ!」
引っ張られた小さな体が、ふらりと私の胸元に飛び込んでくる。
こうして私は、森で出会った『不吉な子』の手を引いて、夕暮れの我が家へと歩き出したのだった。
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