第19話 猫耳格闘家が来ましたが、お洗濯機のようにグルグル回しておきました
木漏れ日が柔らかく降り注ぎ、我が家の庭は甘く爽やかな花の香りに包まれていた。
庭の南側一面には、ミーシャちゃんが種から手塩にかけて育ててくれた日だまり草が、黄金色の絨毯のように咲き誇っている。
その隣には、ミントやカモミール、ラベンダーが青々と茂り、小さな蝶たちが楽しそうに舞い踊っていた。
「お姉ちゃん、見てください。今朝、新しい薄紫のお花も咲いてくれました」
小さなジョーロを胸に抱え、ミーシャちゃんが満面の笑顔で振り返る。
日差しを浴びて透き通るような銀髪と、潤んだ紫色の瞳。
「まあ! なんて可憐なお花かしら! 花びらの形も色も完璧ね! やっぱりミーシャちゃんは植物を育てる大天才だわ! 息をしてジョーロを持っているだけで百億点満点よ!」
「えへへ……お姉ちゃんに褒めてもらえるのが、一番嬉しいです」
ミーシャちゃんがはにかんで頬を染める。
天使だ。我が妹ながら、どこを切り取っても奇跡のような尊さである。
あのアホっ子勇者のリオンちゃんも、頼んでいた家庭菜園用の土を元気に届けて「お師匠、またお使いに来ます!」と爽やかに去っていったし、我が家には再び平和な日常が戻っていた。
家庭菜園の脇では、白いエプロン姿のキリカちゃんがカゴを抱えてハーブを収穫している。
「我が主とお姉様。今朝のミントは特に香りが立っております。午後のティータイムには極上の一杯をお淹れできますよ」
「キリカちゃん、ありがとう! カゴを持つ立ち姿も美しくて百点満点よ!」
「はっ! 恐悦至極にございます、お姉様!」
縁側では、手のひらサイズの白モフ――古代神獣フェンリシアことポチが、丸くなって「くぴ〜」と呑気に寝息を立てていた。
まさに絵に描いたような楽園。世界で一番温かなスローライフ――そう心から満ち足りた吐息をついた、その時だった。
バシィィィンッッ!!
突如、森の木々を激しく蹴り渡る鋭い破壊音が響き渡った。
「コモレビ村のヤバい奴はどこだにゃーーーッッ!!」
甲高い叫び声とともに、森の木立ちを突き抜けて庭先へ飛び込んできた影があった。
宙返りを三回決め、軽やかに庭の芝生の上へ着地したその人物は――小柄な少女だった。
頭の上には、ピンと立った茶色と白の縞模様の猫耳。
お尻からは、しなやかな細い尻尾が感情に合わせてピンと跳ね上がっている。
素肌を大きく露出した道着のような身軽な装いに、両手足には年季の入った分厚いバンデージ。
引き締まった褐色の肌に、獲物を狙う野獣のように鋭く輝く琥珀色の瞳。
小柄だが、全身が鋼のバネのようにしなやかな筋肉で包まれた、見るからに生粋の武闘派少女だ。
「……猫耳の格闘家さん?」
私が目を丸くすると、その猫耳少女は拳をパチンと打ち鳴らし、八重歯を剥き出しにして獰猛に笑った。
「フハッ! 見つけたにゃ! あたいは東の拳獣ニア! 大陸最強の武芸者を目指して武者修行中の身だにゃ! 王都の酒場で聞いたにゃ。『最果ての村に、魔王軍四天王を叩き伏せ、王国聖騎士団を一瞬で壊滅させた規格外の化け物がいる』ってにゃ!」
また王都の酒場の噂話ね。
話が広がるたびに、私の存在がどんどん凶悪な大魔王みたいに盛られている気がするわ。
「あたいの拳がどこまで通用するか、腕試しに来てやったにゃ! さあ、あたいと命を懸けた勝負をするにゃーーーッ!」
ニアちゃんは地面を蹴り、目にも留まらぬジグザグのステップで庭中を飛び跳ね始めた。
残像が見えるほどの驚異的なスピード。
「……無礼な野良猫め。我が主とお姉様の庭先をドタバタと荒らすでない」
キリカちゃんがエプロンを翻し、冷ややかな紅い瞳で前に躍り出た。
右手には、黒光りする『焦げ付き知らずの頑固汚れ用鉄フライパン』。
「ハッ! メイドのお出迎えかニャ!? あたいの神速連打を食らうにゃーーーッ!」
ジグザグに宙を駆けたニアちゃんが、四方八方から目にも留まらぬ鋭い飛び蹴りと手刀の連打を繰り出す!
鋭い風切り音とともに放たれる武芸者の本気の一撃。
――だが。
カコォォンッ! バシィィンッ! ガガガガガッッ!!
「な、ニャんだとぉぉぉっ!?」
金属の澄んだ打撃音とともに、ニアちゃんの怒涛の連撃が、すべてキリカちゃんの鉄フライパンと最小限の体術によって完璧に弾き返され、空中でことごとく軌道を逸らされた!
元・魔王軍四天王最強の暗黒騎士。その防御技術は、もはや神域の鉄壁である。
「手数を増やすだけで軸がブレております。これでは庭先の落ち葉も掃ききれませんね」
「くっ……な、何ニャこのメイド!? めちゃくちゃ硬くて強すぎるニャ!!」
正面突破が不可能と悟ったニアちゃんは、キリカちゃんのフライパンの裏を掻こうと、足裏で大気を蹴ってアクロバティックに空中高く跳躍した。
キリカちゃんを大きく迂回して後方へ回り込もうとしたのだ。
「こうニャったら、必殺、飛燕連脚――って、あにゃ!?」
焦りのあまり跳躍の目測を誤ったのか、ニアちゃんは空中で体勢を崩した。
そして――あろうことか。
その落下地点の真下には、ミーシャちゃんが朝からお水をあげていた、あの日だまり草とハーブの満開のお花畑があったのだ。
「あっ……! わ、私のお花さんが……っ!」
ミーシャちゃんが息を呑み、悲しげに紫色の瞳を潤ませて両手を胸の前で握りしめた。
――その、刹那だった。
ゴクゥッ……!
空中で落下しかけていたニアちゃんの全身の毛が、文字通り針のように逆立った。
ニアちゃんの琥珀色の瞳孔が、恐怖のあまり極限まで細く縦に裂ける。
野生の獣人としての極限の直感が、ミーシャちゃんの可憐な姿の奥底――魂の深淵に眠る**「世界を闇に沈め、すべての神魔を塵芥へと変える終焉の魔王」**の、底知れぬ漆黒の気配を一瞬だけ直感してしまったのだ。
「ヒッ……!? な、何だあの子……!? ちっこくて可愛いのに……魂の奥が、世界の終わりみたいに真っ暗でヤバすぎるにゃああぁぁぁ……!?」
本能の警報が脳内でけたたましく鳴り響き、全身の血が凍りつくニアちゃん。
だが、ニアちゃんの恐怖はそれだけでは終わらなかった。
パキリ。
私の顔の上に浮かんでいた笑みが、ピタリと――何があっても絶対に揺るがない、完全無欠のスマイルのまま**固定**された。
静かに、額に青筋が浮かび上がる。
「あ、危ない……! お姉様が……また笑顔を固定された……ッ!」
背後でキリカちゃんが顔面蒼白になってポチを抱えて退避する。
ポチも『ひえっ……! ミーシャの植物を荒らそうとする奴には容赦がないのじゃ……!』とブルブル震えている。
私はスッと、落下してくるニアちゃんの真下へと滑り込んだ。
春の陽だまりのように優しく、けれど絶対に逃れられない神の重圧をまとった声で、微笑みかける。
「……今、うちの可愛い妹ちゃんが大切に育てたお花畑を、泥だらけの足で踏み荒らすおつもりかしら?」
「ひゃ、ひゃいぃぃぃっ……!? じょ、冗談にゃーーーッ!」
空中で悲鳴を上げるニアちゃん。
私は静かに両手を広げ、家事魔術の極致を解放した。
「泥だらけの靴と道着は、綺麗サッパリお洗濯してから着地なさい! 『生活魔術・高速全自動お洗濯&竜巻超回転スピン』!」
――ズガアァァァァァンッッ!!
庭の大気が、まるで巨大な全自動洗濯機のドラム缶の内部のように猛烈な渦潮となって巻き起こった。
清冽な水流と石鹸の清々しいアロマが、空中のニアちゃんを優しく、けれど逃げ場のない超回転で包み込む!
「目が回るにゃああぁぁぁーーーーーッッッ!!!!」
空中で毎分三千回転の猛烈な脱水スピンをかけられ、ニアちゃんの目が渦巻き状になって白目を剥く。
怪我は一切なし。ただ、泥汚れだけが分子レベルで洗い流され、空中でグルングルンと高速回転し続ける猫耳格闘家さんの絶叫が、コモレビ村の青空へと高らかに吸い込まれていったのだった。
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