第15話 聖女様が封印に来ましたが、村人たちが立ちはだかりました
爽やかな朝風が吹き抜け、縁側には淹れたてのカモミールティーの甘い香りが漂っていた。
「お姉様、我が主。朝食の後片付けと、お庭の掃き掃除を完了いたしました」
白いフリルのエプロンを着こなしたキリカちゃんが、背筋をピンと伸ばして一礼する。
元・魔王軍四天王最強の暗黒騎士とは思えないほど、すっかり優秀なメイドさんだ。
「キリカちゃん、ありがとう! 流れるような完璧な手際の良さね! 息をしてトレイを運んでいるだけで百点満点よ!」
「はっ……! お姉様からの全肯定、五臓六腑に染み渡ります……!」
キリカちゃんが感無量といった面持ちで胸を押さえる。
その隣の縁側では、ミーシャちゃんが座布団の上に座り、膝の上の小さな白モフ――神獣フェンリシアことポチを専用のブラシで丁寧にブラッシングしていた。
「ポチちゃん、毛並みがとってもツヤツヤですね。気持ちいいですか?」
『ふみゃあ……そこじゃ、耳の後ろを撫でるのじゃ……。我が主のブラッシングは天下一品よのう……』
ポチはお腹を上に向けて「きゅ〜ん」と情けない声を漏らし、完全にただの白い毛玉と化していた。
神獣の威厳など爪の先ほども残っていない。
「まあ! ミーシャちゃん、ポチちゃんのブラッシングまでこんなに上手なんて天才ね! ブラシを持っている手つきが天使そのもの! 生きてそこに座っているだけで一兆点満点だわ!」
「えへへ……お姉ちゃん、ありがとうございます」
ミーシャちゃんがはにかんで頬を染める。
可愛い。今日も世界一可愛い。前世の過労死による疲労物質が、この笑顔一つで宇宙の彼方へ消し飛んでいく。
「さて、それじゃあ今日のおやつはどうしようかしら。ミーシャちゃん、何か食べたいものはある?」
「あの……お姉ちゃん。この前読んだ本に載っていた、雲みたいにふわふわした甘いケーキを食べてみたいです」
「雲みたいにふわふわなケーキね! 任せて頂戴! 卵白をたっぷり泡立てて、生活魔術で極上のスフレシフォンケーキを焼いてあげるわ!」
卵と小麦粉の在庫を買い足しに、村の広場へ行こうかしら――そう言ってエプロンを外そうとした、その時だった。
――カン、カン、カン、カンッ!!
村の中心にある見張り台の鐘が、けたたましく乱打されたのだ。
「……ぬ!? この鐘の音は……ただ事ではないぞ」
キリカちゃんが瞬時に鋭い目つきになり、耳を澄ませる。
遠くから、無数の重い軍靴の足音と、村人たちの怒号が風に乗って聞こえてきた。
「なんだか村が騒がしいわね。買い出しがてら、様子を見に行ってみましょうか」
「はい、お姉ちゃん!」
私たちは急ぎ足で村の広場へと向かった。
*
コモレビ村の入口へ到着すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
白銀に輝く豪奢な甲冑を着込み、ルミナリア王国の紋章が刻まれた大盾と長剣を構えた聖騎士団。
その数は二十人以上。王都から派遣された正規のエリート部隊であることは一目瞭然だった。
そして騎士団の中央には、豪奢な純白の法衣に身を包んだ一人の少女が立っていた。
波打つ黄金色の長い髪に、澄み渡る青い瞳。手には神聖な意匠が施された大聖杖を握りしめている。
絵画から抜け出してきたような、息を呑むほど美しい大聖女様だ。
だが、その聖騎士団の行く手を――なんと、コモレビ村の村人たちが完全に塞いでいたのだ。
「通すわけにはいかん!!」
先頭に立って叫んでいるのは、以前ミーシャちゃんに石を投げ、畑を救われた後に涙を流して土下座した、あの村の長老格のおじいさんだった。
クワを両手で力強く握りしめ、威風堂々と白銀の騎士団を睨みつけている。
その後ろには、種苗店の頑固店主がスキを構え、八百屋のおばちゃんがカブの山を盾にし、パン屋の親父が巨大な麺棒を握りしめてずらりと並んでいた。
完全に一致団結した『村人ガード』である。
「な、何をしているのですか、村の皆様……!」
黄金の髪の聖女様が、透き通った美声で困惑の声を上げる。
だがよく見ると、彼女の手は聖杖を強く握りしめたまま小刻みに震えており、視線も泳いでいた。
「我らはルミナリア王国王立教会の命を受け、この最果ての地に観測された『世界を滅ぼす邪気』と『謎の大魔力』を浄化・封印しに参ったのです! 道を開けてください……!」
聖女様の言葉に、長老のおじいさんがカッとなってクワを地面に突き立てた。
「何をわけのわからんことを抜かしとるんじゃ! 世界を滅ぼす邪気じゃと!? この村にあるのは、日だまりと美味い野菜と、天使のように優しいミーシャちゃんがおるだけじゃ!」
「そ、そうです! あの子がどれだけ畑を大切にして、私たちの作物を救ってくれたと思ってるんですか!」
「王都の偉いお偉方か聖女様か知らんが、ミーシャちゃんに指一本でも触れさせやしないよ!」
八百屋のおばちゃんもパン屋の親父も、口々に怒声を浴びせる。
かつては「不吉な子」と遠巻きにされていたミーシャちゃんが、今では村中から愛され、守るべき宝物として庇われているのだ。
その様子を見て、私の隣にいたミーシャちゃんの瞳が潤んだ。
「み、村の皆さん……私のために……」
「ふふ、ミーシャちゃんがみんなに優しくしてきた証拠ね! 愛される才能も百点満点よ!」
私がミーシャちゃんの頭を優しく撫でると、村人たちが私たちの姿に気づいた。
「あっ、クレアさん! ミーシャちゃん!」
「ミーシャちゃん、危ないから後ろに隠れていなさい! こいつらは私たちが追い払ってやるからね!」
村人たちがサッと道を開け、私たちを温かく囲んで守ろうとしてくれる。
本当に温かい人たちだわ。
だが――その時だった。
白銀の聖騎士団をかき分け、黄金の髪の聖女様が一歩前に進み出た。
彼女の青い瞳が、私の背中に隠れたミーシャちゃんを真っ直ぐに捉える。
「……っ! み、見つけました……! 大地を覆うほど深く、底知れぬ漆黒の魔力……! 間違いありません……予言に示された、いつか世界を暗黒に沈める災厄の申し子……!」
聖女様は必死に胸を押さえ、震える声で叫びながら聖杖をミーシャちゃんへと突きつけた。
「出でよ……世界を滅ぼす、邪悪なる者よ……! ルミナリア王国の名において、我が神聖なる力で貴女を封印いたします――ッ!」
静まり返る広場。
怯えたように私の服の裾をギュッと握りしめるミーシャちゃん。
――そして。
「…………あら?」
私の口から、とても穏やかで、澄み切った声が零れ落ちた。
邪悪なる者?
世界を滅ぼす災厄?
うちの、こんなに健気で、お花が大好きで、お昼寝しているポチちゃんを一生懸命ブラッシングしてくれる、世界一可愛い妹ちゃんのことを……?
パキリ。
私の頭の奥で、何かが静かに音を立てて外れた。
私の口元に浮かんでいた笑みが、ピタリと――何があっても絶対に崩れない、完璧な角度のまま**固定**された。
額の端に、ピキピキと青筋が浮かび上がっているかもしれないけれど、顔は極上のスマイルである。
「お、お姉様……!?」
私の隣で、キリカちゃんがお姉ちゃんの恐るべき笑顔の圧に息を呑みつつも、ミーシャちゃんを守るべく瞬時にエプロンから愛用の鉄フライパンの柄を握りしめた。
足元のポチも『ひえっ……! ぬ、主の姉の笑顔が……笑っておるのに目がまったく笑っておらん……!! じゃが、主とこの村に害をなす者は神獣としても看過できんのう!』と牙を剥いて低く唸り、前衛へと歩み出る。
「あのね、金髪の聖女様?」
私は一歩、前へと踏み出した。
春のそよ風のように柔らかく、けれど山をも吹き飛ばすほどの絶対的な圧力をまとった声で、微笑みかける。
「今……うちの可愛い可愛い妹ちゃんのことを、なんとおっしゃいましたかしら?」
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