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アイン  作者: さき
8/10

第八話 覚悟

「分かっています」


焔花は、強い眼差しで文蔵を見つめた。



「よし焔花、今日はもう上がりなさい」


「えっ?どうしたんですか、急に」


「今日は、焔花にとって大切な日だろう?」


「……はい」


焔花は、わずかに目を伏せる。


——今日は、アインが殺された日。

家族の命日だ。



「でも仕事が──────」


「気にする事はない」


やわらかく、しかしはっきりと遮る。


「むしろ今まで、すまなかったな。こんな大事な日に仕事をさせてしまっていて」


「……文蔵さんは、何も知らなかったんですから」


小さく首を振る。


「謝ることなんて、ないですよ」


文蔵は、ふっと目を細めた。


「たくさん話してくるといい。僕も仕事終わり、花をたむけに行くさ」


一拍置いて、


「他人ではなく、娘の上司としてな」



焔花は一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を落とした。


「……行ってきます」



──────


三月四日。


この日は、人生で最悪の日であり、

唯一、家族に会える日だ。



家族の命日には、毎年多くの人が花をたむけにくる。


亡くなったアインたちの墓は、かつて暮らしていた森の奥にある。


本来、その場所は関係者以外立ち入りできない。

だが——家族が死んでから道は開かれ、今では地図にも載るようになった。


とはいえ、犯人が捕まっていない以上、そこは事件現場。

普段は立ち入り禁止だ。


ただ一日だけ。


三月四日、この日だけは——

警察と炎衛軍の監視のもと、墓前への立ち入りが許される。



「いらっしゃいませ!」


焔花は、迷うことなく花の前へ向かった。


「すみません。このスターチスを下さい」


「かしこまりました!贈り物用ですか?」


「はい」


「では、お包み致しますので少々お待ちください!」


少しして、包みながら定員が声をかけてきた。


「どなたに贈られるんですか?」


「家族です。母がよく、この花をドライフラワーにしていて」



「じゃあ、この花もドライフラワーになるんですね!」


「……いえ、もうなりません」


一瞬だけ、言葉が落ちる。


すぐに、


「あっ……たまには普通の花として飾りたいって言ってたので」



「ありがとうございます、とても素敵です」


金を払い、店を出る。



外の空気を吸い込み、焔花は小さく息を吐いた。



母は、花が好きな人だった。


特にこの花を好んで、部屋のあちこちに飾っていた。



(回想)


「お母さん、この花言葉はなーに?」


「永遠に変わらない愛よ」



(現在)


焔花は空を見上げる。


光に目を細める。


「……お母さん」


小さく呟く。


「今の私でも——」


言葉が止まる。


ほんのわずかに、唇を噛んだ。


「……愛してくれる?」



返事はない。


分かっている。


それでも——


胸の奥が、静かに痛んだ。



現地に着くと、長蛇の列ができていた。


焔花は最後尾に並ぶ。


小さく息を吐く。


(……今年も、変わらない)



十年間、同じ場所に立ち、同じ言葉を繰り返してきた。


それでも——


来ずにはいられない。



(……これから、どうなるんだろう)


白炎の情報。

犯人の手がかり。


考えても、答えは出ない。



一方その頃、文蔵もまた考えていた。


(……本当に、これでいいのか)


アインの生き残り。

白炎。


昨日今日で起きた出来事が、頭の中で整理しきれない。


(あんな本が、本当にあるのか……)


沈黙が落ちる。



────────────


ようやく順番が来る。


焔花は、ゆっくりと前へ出た。


花を供える。


指先が、わずかに震えていた。



手を合わせる。


目を閉じる。



(……一年ぶりだね)


(こっちは、なんとかやってる)


少しだけ、眉が寄る。


(ごめん。まだ犯人の情報、掴めてない)



(でも……一つだけ、変わったことがあってさ)


ほんのわずかに、口元が緩む。



(あるおじいさんにバレちゃった)



(ただのおじいさんだと思ってたのに)


小さく、息をこぼす。



(なんでかな)


(あの人には——)


言葉が、少しだけ詰まる。



(言ってもいいって、思えたんだ)



「時間でーす」


監視の人が言う



焔花は、ゆっくりと目を開けた。



一瞬だけ、墓を見つめる。


まるで——


まだそこに、誰かがいるかのように。


しばらくして——


焔花は、公園のベンチに座っていた。


どれくらい時間が経ったのかは分からない。

気づけば、空はすっかり暗くなっていた。



時雨堂で働き始めてから、命日はいつも仕事だった。


忙しさに追われて、考える暇なんてなかった。


(……どうやって過ごしてたっけ)


ぼんやりと空を見上げる。


(やっぱり、仕事してた方がいいな)


小さく息を吐く。


そう呟くように思いながら、焔花はゆっくりと立ち上がった。



その時——


ポツン、と頬に何かが当たる。


雨だった。


見上げた空から、静かに降り始めた雨は、やがて次第に強くなっていく。



(……そういえば、降るって言ってたっけ)


呟きにもならない声が、雨に紛れて消えた。



「……帰ろう」


焔花は、走ることなく、いつもと変わらない歩幅で歩き出す。



しばらく歩いた、その時——


「……焔花」


雨音に混じって、声が聞こえた。


足が、わずかに止まる。



「……焔花」


さっきよりも、近い。


焔花は、ゆっくりと振り返る。



「焔花!」


その瞬間——


視界に、差し出された傘が入った。


雨を遮る音が、すぐ頭上で変わる。


「……文蔵さん」


そこには、息をわずかに乱した文蔵が立っていた。


「どうしたんですか?こんな所で」


「アインの墓に、花をたむけに行った帰りでね」


「……そうなんですね」


「焔花こそ、どうした。こんな所で」


「いえ、別に……」


言葉を濁す。


雨が、肩を濡らしていく。



「こんなに濡れてるじゃないか」


文蔵は静かに言った。


「家へ来なさい」


「……えっ?」


「飯も食べていないんだろう?」


少しだけ目を細める。


「遠慮するな」



「……はい」


焔花は、わずかに間を置いて頷いた。


断ることもできた。


それでも——


(……今は、誰かといたい)


そのまま、文蔵の後ろを歩き出した。



文蔵の家は、時雨堂の二階にある。


三年ここで働いているが、一度も入ったことはなかった。



「入りなさい」


「おじゃまします」


部屋に入ると、必要最低限の物しかない空間が広がっていた。


「……質素ですね」


「老いぼれ一人じゃ、こんなもんだよ」


文蔵は肩をすくめる。



「チャーハンは好きか?」


「……作れるんですか?」


少しだけ意外そうに聞き返す。


「こう見えて、毎日自炊だよ」


「……食べられなくはないです」


わずかに、口元が緩んだ。



「ほれ、できたよ」


湯気の立つ皿が、目の前に置かれる。


誰かの手料理を食べるのは、いつぶりだろうか。




「……いただきます」


一口、運ぶ。


温かさが、ゆっくりと体に染みていく。



会話はなかった。


ただ、スプーンの音だけが静かに響く。



「……ごちそうさまでした」


「口に合ったかい?」


「はい」


短く答える。



沈黙が、落ちる。



「……文蔵さん」


焔花が、ゆっくりと口を開いた。



「分かっているんです」


視線を落とす。


「私が探してる本なんて、ないに等しいって」


唇を、ぎゅっと噛む。



「でも……これしかないから」


声が、わずかに揺れる。


「もう、どうすれば——」


言葉が途切れた。



その時。


文蔵が、静かに立ち上がる。


持っていた鞄から、何かを取り出した。



俯いた焔花の前に——


一枚の紙が、そっと置かれる。



「焔花、ここに名前を書きなさい」



「これは……」


視線を上げる。



それは、炎衛軍の入隊志願書だった。



「焔花」


文蔵の声が、少しだけ低くなる。


「正直、このままじゃ復讐どころか、犯人にすら辿り着けない」



「君が人を避ける理由も、馴れ合いたくない理由も分かる」


「だが、人が多い場所に行けば、何かしらの情報は入る」



「特に炎衛軍は、逆炎者と関わることが多い」


一拍置く。


「首相にだって、近づけるかもしれない」



(……確かに)


焔花は、志願書を見つめた。



だが——


(炎衛軍に入るってことは……)


胸の奥が、わずかに重くなる。



「焔花」


文蔵が、静かに言う。


「炎衛軍に入れば、人を守らなければならない」



図星だった。



「でも、それも——」


文蔵は続ける。


「復讐への通過点だと思えばいい」



「通過点……」


小さく、繰り返す。



「そうだ」


文蔵は微かに笑った。


「僕と同じようにね」



「……」


焔花は、黙ったまま志願書を見つめる。



しばらくして——


ゆっくりと、息を吐いた。



そして、隣に置かれていたペンを手に取る。



迷いはなかった。



名前を書く。



「……文蔵さん」


顔を上げる。



「私、炎衛軍に入ります」



その瞳には、迷いはなかった。

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