第八話 覚悟
「分かっています」
焔花は、強い眼差しで文蔵を見つめた。
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「よし焔花、今日はもう上がりなさい」
「えっ?どうしたんですか、急に」
「今日は、焔花にとって大切な日だろう?」
「……はい」
焔花は、わずかに目を伏せる。
——今日は、アインが殺された日。
家族の命日だ。
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「でも仕事が──────」
「気にする事はない」
やわらかく、しかしはっきりと遮る。
「むしろ今まで、すまなかったな。こんな大事な日に仕事をさせてしまっていて」
「……文蔵さんは、何も知らなかったんですから」
小さく首を振る。
「謝ることなんて、ないですよ」
文蔵は、ふっと目を細めた。
「たくさん話してくるといい。僕も仕事終わり、花をたむけに行くさ」
一拍置いて、
「他人ではなく、娘の上司としてな」
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焔花は一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を落とした。
「……行ってきます」
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──────
三月四日。
この日は、人生で最悪の日であり、
唯一、家族に会える日だ。
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家族の命日には、毎年多くの人が花をたむけにくる。
亡くなったアインたちの墓は、かつて暮らしていた森の奥にある。
本来、その場所は関係者以外立ち入りできない。
だが——家族が死んでから道は開かれ、今では地図にも載るようになった。
とはいえ、犯人が捕まっていない以上、そこは事件現場。
普段は立ち入り禁止だ。
ただ一日だけ。
三月四日、この日だけは——
警察と炎衛軍の監視のもと、墓前への立ち入りが許される。
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「いらっしゃいませ!」
焔花は、迷うことなく花の前へ向かった。
「すみません。このスターチスを下さい」
「かしこまりました!贈り物用ですか?」
「はい」
「では、お包み致しますので少々お待ちください!」
少しして、包みながら定員が声をかけてきた。
「どなたに贈られるんですか?」
「家族です。母がよく、この花をドライフラワーにしていて」
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「じゃあ、この花もドライフラワーになるんですね!」
「……いえ、もうなりません」
一瞬だけ、言葉が落ちる。
すぐに、
「あっ……たまには普通の花として飾りたいって言ってたので」
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「ありがとうございます、とても素敵です」
金を払い、店を出る。
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外の空気を吸い込み、焔花は小さく息を吐いた。
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母は、花が好きな人だった。
特にこの花を好んで、部屋のあちこちに飾っていた。
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(回想)
「お母さん、この花言葉はなーに?」
「永遠に変わらない愛よ」
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(現在)
焔花は空を見上げる。
光に目を細める。
「……お母さん」
小さく呟く。
「今の私でも——」
言葉が止まる。
ほんのわずかに、唇を噛んだ。
「……愛してくれる?」
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返事はない。
分かっている。
それでも——
胸の奥が、静かに痛んだ。
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現地に着くと、長蛇の列ができていた。
焔花は最後尾に並ぶ。
小さく息を吐く。
(……今年も、変わらない)
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十年間、同じ場所に立ち、同じ言葉を繰り返してきた。
それでも——
来ずにはいられない。
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(……これから、どうなるんだろう)
白炎の情報。
犯人の手がかり。
考えても、答えは出ない。
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一方その頃、文蔵もまた考えていた。
(……本当に、これでいいのか)
アインの生き残り。
白炎。
昨日今日で起きた出来事が、頭の中で整理しきれない。
(あんな本が、本当にあるのか……)
沈黙が落ちる。
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ようやく順番が来る。
焔花は、ゆっくりと前へ出た。
花を供える。
指先が、わずかに震えていた。
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手を合わせる。
目を閉じる。
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(……一年ぶりだね)
(こっちは、なんとかやってる)
少しだけ、眉が寄る。
(ごめん。まだ犯人の情報、掴めてない)
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(でも……一つだけ、変わったことがあってさ)
ほんのわずかに、口元が緩む。
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(あるおじいさんにバレちゃった)
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(ただのおじいさんだと思ってたのに)
小さく、息をこぼす。
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(なんでかな)
(あの人には——)
言葉が、少しだけ詰まる。
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(言ってもいいって、思えたんだ)
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「時間でーす」
監視の人が言う
焔花は、ゆっくりと目を開けた。
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一瞬だけ、墓を見つめる。
まるで——
まだそこに、誰かがいるかのように。
しばらくして——
焔花は、公園のベンチに座っていた。
どれくらい時間が経ったのかは分からない。
気づけば、空はすっかり暗くなっていた。
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時雨堂で働き始めてから、命日はいつも仕事だった。
忙しさに追われて、考える暇なんてなかった。
(……どうやって過ごしてたっけ)
ぼんやりと空を見上げる。
(やっぱり、仕事してた方がいいな)
小さく息を吐く。
そう呟くように思いながら、焔花はゆっくりと立ち上がった。
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その時——
ポツン、と頬に何かが当たる。
雨だった。
見上げた空から、静かに降り始めた雨は、やがて次第に強くなっていく。
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(……そういえば、降るって言ってたっけ)
呟きにもならない声が、雨に紛れて消えた。
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「……帰ろう」
焔花は、走ることなく、いつもと変わらない歩幅で歩き出す。
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しばらく歩いた、その時——
「……焔花」
雨音に混じって、声が聞こえた。
足が、わずかに止まる。
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「……焔花」
さっきよりも、近い。
焔花は、ゆっくりと振り返る。
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「焔花!」
その瞬間——
視界に、差し出された傘が入った。
雨を遮る音が、すぐ頭上で変わる。
「……文蔵さん」
そこには、息をわずかに乱した文蔵が立っていた。
「どうしたんですか?こんな所で」
「アインの墓に、花をたむけに行った帰りでね」
「……そうなんですね」
「焔花こそ、どうした。こんな所で」
「いえ、別に……」
言葉を濁す。
雨が、肩を濡らしていく。
「こんなに濡れてるじゃないか」
文蔵は静かに言った。
「家へ来なさい」
「……えっ?」
「飯も食べていないんだろう?」
少しだけ目を細める。
「遠慮するな」
「……はい」
焔花は、わずかに間を置いて頷いた。
断ることもできた。
それでも——
(……今は、誰かといたい)
そのまま、文蔵の後ろを歩き出した。
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文蔵の家は、時雨堂の二階にある。
三年ここで働いているが、一度も入ったことはなかった。
「入りなさい」
「おじゃまします」
部屋に入ると、必要最低限の物しかない空間が広がっていた。
「……質素ですね」
「老いぼれ一人じゃ、こんなもんだよ」
文蔵は肩をすくめる。
「チャーハンは好きか?」
「……作れるんですか?」
少しだけ意外そうに聞き返す。
「こう見えて、毎日自炊だよ」
「……食べられなくはないです」
わずかに、口元が緩んだ。
「ほれ、できたよ」
湯気の立つ皿が、目の前に置かれる。
誰かの手料理を食べるのは、いつぶりだろうか。
「……いただきます」
一口、運ぶ。
温かさが、ゆっくりと体に染みていく。
会話はなかった。
ただ、スプーンの音だけが静かに響く。
「……ごちそうさまでした」
「口に合ったかい?」
「はい」
短く答える。
沈黙が、落ちる。
「……文蔵さん」
焔花が、ゆっくりと口を開いた。
「分かっているんです」
視線を落とす。
「私が探してる本なんて、ないに等しいって」
唇を、ぎゅっと噛む。
「でも……これしかないから」
声が、わずかに揺れる。
「もう、どうすれば——」
言葉が途切れた。
その時。
文蔵が、静かに立ち上がる。
持っていた鞄から、何かを取り出した。
俯いた焔花の前に——
一枚の紙が、そっと置かれる。
「焔花、ここに名前を書きなさい」
「これは……」
視線を上げる。
それは、炎衛軍の入隊志願書だった。
「焔花」
文蔵の声が、少しだけ低くなる。
「正直、このままじゃ復讐どころか、犯人にすら辿り着けない」
「君が人を避ける理由も、馴れ合いたくない理由も分かる」
「だが、人が多い場所に行けば、何かしらの情報は入る」
「特に炎衛軍は、逆炎者と関わることが多い」
一拍置く。
「首相にだって、近づけるかもしれない」
(……確かに)
焔花は、志願書を見つめた。
だが——
(炎衛軍に入るってことは……)
胸の奥が、わずかに重くなる。
「焔花」
文蔵が、静かに言う。
「炎衛軍に入れば、人を守らなければならない」
図星だった。
「でも、それも——」
文蔵は続ける。
「復讐への通過点だと思えばいい」
「通過点……」
小さく、繰り返す。
「そうだ」
文蔵は微かに笑った。
「僕と同じようにね」
「……」
焔花は、黙ったまま志願書を見つめる。
しばらくして——
ゆっくりと、息を吐いた。
そして、隣に置かれていたペンを手に取る。
⸻
迷いはなかった。
名前を書く。
「……文蔵さん」
顔を上げる。
「私、炎衛軍に入ります」
その瞳には、迷いはなかった。




