第七話 通過点
「……っ!」
焔花の瞳が揺れる。
文蔵は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに静けさを取り戻した。
「……そうか」
低く、落ち着いた声。
「君は、アインの生き残りなんだね」
「……えぇ」
焔花はわずかに視線を逸らす。
「……驚かないんですね」
「言ったろう?」
文蔵は小さく息を吐く。
「確信だと」
焔花は、ふっと力の抜けた笑みを浮かべた。
「……あんただけですよ」
自嘲気味に呟く。
「アインは正体を隠して生きてる。その正体を暴いた人間なんて……歴史に載りますよ」
「そうか」
文蔵は肩をすくめる。
「こんな老いぼれでも、本に載る夢が叶いそうだな」
「……ふふ」
小さく笑う焔花。
だが、その表情はすぐに消えた。
「……全部、話します」
ゆっくりと顔を上げる。
「私のことを」
その瞳に、覚悟が宿る。
⸻
焔花は語った。
白炎によって家族を失ったこと。
日記を探していること。
そして——
「……だから私は、犯人を殺す」
拳を強く握る。
「復讐するんです」
沈黙。
焔花は、わずかに笑った。
「……驚きました?」
目を細める。
「人を守ってきた“アイン”が、復讐なんて考えてる」
視線が、どこか遠くへ向く。
「私は父や母みたいな優しい人じゃない」
ゆっくりと、言い切る。
「むしろね……この国を、恨んでる」
空気が重く沈む。
「言ったでしょう?」
唇を歪める。
「私は、そんなもんじゃないって」
目を伏せる。
「ただの、人を殺す逆炎者になろうとしてる」
小さく、吐き出すように。
「……私は、アインの汚点です」
文蔵は、何も言わずに聞いていた。
ただ静かに、受け止めるように。
⸻
焔花はポケットから目薬を取り出す。
目薬を持ちながら、ぽつりと呟く。
「この目薬だってね……本当は必要ないんです」
視線を落とす。
「私は“最強の炎”を持った“最弱”」
わずかに、自嘲するように笑う。
「一族で唯一、この力をうまく扱えなかった」
目元に触れる。
「この目にするのも、苦労したんです」
まばたきを一つ。
「ようやく慣れたと思ったら……今度は乾いて、痛くなる」
ぎゅっと握る。
「……手放せないんですよ、これ」
少しだけ、声が弱くなる。
「十年」
ぽつりと落ちる。
「そのうち七年は……ただ強くなるために過ごしてきた」
顔を上げる。
「三年前、やっと他のアインくらい肩を並べられる程になって……ここに来たんです」
静かに言い切る。
「あんただって、復讐に至るまでの通過点に過ぎなかった」
一歩、引く。
「……これで全部です」
文蔵を見る。
「どうします?」
わずかに挑発するように。
「警察?炎衛軍?政府?それとも——SNSでばらしますか?」
⸻
「一つ、聞いてないことがある」
静かな声だった。
「……なんです?」
「僕を助けた理由だ」
まっすぐに見つめる。
「ただの通過点の人間を、何故助けた?」
沈黙。
長い、沈黙。
焔花は視線を逸らす。
そして——
「……もう答えましたよ」
小さく呟く。
「さっきね」
目を伏せたまま。
「あんたを見てたら……離れられなくなってた」
苦く笑う。
「長年、人に触れてなかったせいかな」
息を吐く。
「通過点のはずが……それ以上になってた」
⸻
文蔵は、わずかに目を細めた。
「僕は、君を優しいと言った」
穏やかな声。
「それは本当だ」
焔花の肩が、ぴくりと揺れる。
「本を嫌ってるはずの君が、本を丁寧に扱う姿」
「子どもにだけ見せる、その顔」
「この店を、いつも綺麗にしていること」
一つ一つ、言葉を重ねる。
「焔花」
静かに呼ぶ。
「君は“なれない”んじゃない」
少しだけ、優しく。
「もうなっているんだ」
焔花の目が見開かれる。
「アインの血ではなく」
ゆっくりと。
「家族の血を、ちゃんと受け継いでいる」
「……っ」
息を呑む音。
そんな風に、考えたことはなかった。
⸻
「言っておくが」
文蔵は軽く肩をすくめる。
「君のことを誰かに話すつもりはない」
「……」
「復讐も、止める気はない」
少しだけ笑う。
「これからもここで情報を集めるといい。僕も協力する」
「……なんで」
思わず、声が漏れる。
「失望したでしょ?」
震える声。
「あんたを騙してたのに……なんで」
「失望?」
文蔵は、くすりと笑った。
「逆だよ」
優しく言う。
「人を救う存在だと思っていた。僕たちとは違う、遠い存在だとね。そんなアインが復讐を望む」
少しだけ目を細める。
「それが分かって、安心した」
「……え?」
「人を憎んだり、恨んだり……そういう汚い部分も、ちゃんと持っている」
柔らかく、言い切る。
「僕らと変わらないじゃないか」
⸻
「……文蔵さん」
焔花は小さく笑う。
「変わってるね、あんた」
少しだけ、肩の力が抜ける。
「そんなこと言う人、初めて」
「焔花」
文蔵も微笑む。
「僕を通過点にしたのは、正しかったよ」
(あぁ……本当に、この人は)
焔花は目を細める。
「……自意識過剰ですよ」
ふっと笑う。
その瞬間——
二人は、初めて同時に笑った。
⸻
「焔花」
少し真面目な声。
「人を頼りなさい」
一歩、近づく。
「今は僕だけでいい」
静かに、しかし力強く。
「白炎のことも調べる。だから——」
まっすぐに見る。
「僕の前では、素直でいなさい」
「……」
焔花は視線を落とす。
「……人を避けてきたのは」
ぽつりと。
「大切な人を作りたくなかったからです」
拳を握る。
「失うのが、怖いから」
一呼吸。
「だからこれからも、誰とも関わるつもりはない」
顔を上げる。
「一匹狼でいます」
少しだけ、間を置いて——
「……でも」
小さく息を吐く。
「あんた……文蔵さんだけは」
視線が柔らぐ。
「不覚にも、“大切な人”の枠に入ってしまった」
目を逸らす。
「とっくにそんな枠は捨てたと思ってたのに」
「だから」
強く言う。
「私が復讐を果たして、死ぬまで」
一歩、踏み出す。
「あなたは、絶対に死なせない」
まっすぐに見つめる。
「あなたの前だけは——守炎者でいるって、約束します」
⸻
文蔵は、静かに頷いた。
「そうか」
穏やかな笑み。
「言っとくが、僕もその枠に焔花は入っているよ」
「約束しよう」
目を細める。
「君の目的が果たされるまで、僕はいなくならない」
そして——
「死なないことをね」
「……ほんっと変わった人ですね」
焔花は困り顔で笑った。
「さぁ、より仲が深まったところで、今日はもう帰りなさい」
「焔花、本当に今日はありがとう」
「いえ、気にしないで下さい」
少しだけ口元を緩める。
「まだ通過点の役目、果たしてもらってませんから」
冗談めかして言う。
「そうだな」
文蔵は、穏やかに笑った。
⸻
家に帰ると——
焔花は、静かに息を吐いた。
靴を脱ぎ、そのまま部屋へ入る。
今日の出来事が、頭の中で何度も繰り返されていた。
(……どうして)
ベッドに腰を下ろす。
自分が、なぜ正体を明かしたのか。
言い逃れることだって、できたはずだ。
なのに——
(……本当は)
目を伏せる。
(誰かに、話したかったのかもしれない)
家族が死んでから、初めてだった。
こんなにも——
感情が動いたのは。
胸に手を当てる。
静かに、息を吐く。
(でも……)
ゆっくりと、目を開ける。
後悔は——なかった。
それどころか。
(……よかった)
そう思っている自分がいる。
焔花は、首元のネックレスを握りしめた。
きゅっと、力を込める。
「……これで、よかったんだよね」
小さく呟く。
そして——
「みんな」
⸻
次の日。
焔花は、考え事をしながら歩いていた。
けれど——
その足取りは、どこか軽い。
昨日よりも、少しだけ。
⸻
カランッ
「おはようございます」
「おはよう」
文蔵は、いつも通りだった。
何も変わらない。
本当に、何も。
まるで昨日のことが嘘みたいに——
いつも通り、仕事をする。
客の対応をして、本を並べて、掃除をする。
静かな時間が流れる。
(……変わらない)
それが、少しだけ不思議で——
そして、どこか安心した。
⸻
昼頃になって、ようやく。
“昨日とは違うこと”が起きた。
「焔花」
文蔵が、本を閉じる。
「白炎のことだが——」
少しだけ、表情が引き締まる。
「僕は聞いたことも、見たこともない」
「……そうですか」
焔花も、自然と声を落とす。
「何十年と本を読んできたが、あの炎について書かれているものはなかった」
静かな店内に、その声だけが響く。
「だが——」
文蔵は続ける。
「アインについて記された本は、確かに存在している」
焔花の視線が上がる。
「僕も一度見たことがあるからね」
「だから、白炎についての記録があってもおかしくない」
「……」
「いつ生まれた炎なのかは分からない。だが——」
一瞬、言葉を切る。
「誰にも知られていない、というのは不自然だ」
空気が、わずかに張り詰める。
「誰かは、見ているはずだ」
「アインが突然青い炎を出したように」
低く、言う。
「だがそれが残っていないとすれば——」
焔花の喉が、わずかに鳴る。
「……見た者が、伝える前に死んだか」
一拍。
「あるいは——」
ほんのわずかに、視線を落とす。
「白炎を使う者に、消されたか」
⸻
(……っ)
焔花の胸が、ざわつく。
(確かに……)
文蔵の言う通りだった。
「あのアインを殺した存在だ」
文蔵はコーヒーを一口飲み
静かに続ける。
「ただの相手じゃない」
文蔵が焔花を見つめる
⸻
店内に、沈黙が落ちる。
本の匂いと、静寂。
その中に——
いつもの時雨堂に、不穏な気配が混じっていた。




