第八話 黄昏が照らす小さな影
俺に妹ができた。
前世の俺は一人っ子だった。
だから、妹という存在がどういうものなのか、正直よく分かっていなかった。
だが、実際に生まれてみると、これがもう可愛くて仕方がない。
小さな手。小さな足。
まだ言葉も話せないのに、泣くだけで家中の大人たちを動かす存在感。
なんだこの生き物は。可愛すぎる。俺は心に決めた。
この子が、不自由なく生きられるようにしよう。
俺みたいに「何者かにならなきゃ」と焦らなくてもいいように。
ただ普通に笑って、普通に幸せに生きられるように。
そのために、兄として強くならなければならない。
ちなみに、将来もし彼氏を連れてきたら、父さんと一緒にお話しする予定である。
俺と父さんより強くなければ認めない。
それこそ勇者様くらいでなければ認めない。
認めないからな。まあ、それは未来の話だ。
今の俺が考えるべきことは、もっと近い未来。
冬が明ければ、あの男が町に来る。
雷窮のジャン。赤眼熊を一撃で沈めた狩人、森で一人、魔物を狩る男。
あの男に弟子入りするためには、一か月後の模擬戦で、一撃でもかすらせる必要がある。
今のままでは勝ち目がない。だから俺は、新しい技を作ることにした。
◇
「ぐぬぬぬ……」
俺は庭の隅で、両手を前に突き出していた。
手のひらの上に、魔力を集める。
身体の中で魔力を動かすのは、もう慣れている。
魔力による身体強化も、今ではかなり自由にできるようになった。
問題は、魔力を身体の外に出した時だ。
「ま、魔力を保つのが、ここまで難しいとは……」
身体の中では、魔力は思った通りに流れる。
たぶん、身体という殻があるからだ。
血管や筋肉、骨や皮膚が、魔力の通り道になってくれる。
だが、体外に出した瞬間、魔力は空気に溶けるように霧散してしまう。
手の周りなら、なんとか保てる。けれど、少しでも距離を離すと、形が崩れる。
俺はまだ魔術が使えない。
だから、魔力を火や水や風に変えることはできない。
ならば、魔力そのものを武器にするしかない。
俺は手元に集めた魔力を、丸く固める。最初はぼやけた霧のようだった。
けれど、何度も繰り返すうちに、少しずつ形を保てるようになってきた。
玉のように集める。肥大化させるのではなく、内側へ押し込む。圧縮する。
「はぁあ……魔想玉!」
俺は木に向かって、魔力の玉を放った。
ぼん、と鈍い音がして、近くの枝がへし折れる。
「おお」
初めての遠距離武器だ。
……いや。
「遠距離、とは?」
三歩先なら枝を折れた。五歩先なら葉を揺らす程度。
十歩離れれば、もう風と変わらない。
遠距離武器と呼ぶには、あまりにも距離が短い。
しかも溜めに時間がかかる。
この距離なら、普通に身体強化で殴った方が早いし強い。
悲しい事実である。実験は失敗だった。
次に試したのは、圧縮だ。玉が大きいから霧散する。
ならば、もっと小さく、もっと硬く、もっと鋭くすればいい。
手のひらに魔力を集める。
今度は玉ではない。弾丸をイメージする。
小さく、硬く、まっすぐ飛ぶもの。圧縮する。
さらに圧縮する。手元の魔力が、ぱちぱちと火花のような音を立て始める。
限界の一歩手前。
そこで、俺は魔力を解き放った。
「撃ち抜け、魔想弾!」
魔力の弾が飛ぶ。ぱん、と音がして、木に生っていた木の実が落ちた。
「おお!」
これは立派な遠距離武器だ。木の実を落とせる。
……木の実を落とせるだけだ。
俺は落ちた木の実を拾い、表面を確認した。
傷はある。だが、皮を裂くほどではない。
威力が弱すぎる。圧縮したせいで形は保てた。
だが、小さくしすぎたせいで、威力が足りない。
木の実を落とす技なんて、身体強化で十分だ。
「あー……だめか」
ここまでやって、さすがに気づいた。
俺の魔力は、基本的に身体強化以外で使うと効率が悪い。
身体の外では、魔力を保つだけで大きな消耗がある。
威力を出そうとすれば溜めが長くなる。
速く撃とうとすれば威力が落ちる。
現実は、なんとも優しくない。
結局、基礎トレーニングが一番効果的というわけだ。
「あー、父さん。俺、もっと強くなりたいよ」
思わずそう呟くと、背後から声がした。
「なら、基礎トレーニングだな」
「父さん」
振り返ると、父さんが立っていた。
仕事の帰りなのか、腰には剣を下げたままだ。
俺の手元と、木の実と、折れた枝を順番に見る。
「また何か試していたのか?」
「うん。でも失敗した」
「そうか」
父さんは笑った。
「失敗したなら、少し前に進んだな」
「失敗なのに?」
「ああ。何ができないか分かったんだろう?」
父さんは俺の隣にしゃがむ。
「勇者様みたいに、ずばーんって魔術を撃ったり、でかい竜巻を出したりしたいんだけど」
「ははは。父さんも昔は憧れたよ」
「父さんも?」
「ああ。誰だって一度は憧れる。けど、人間にはどうしたって限界がある」
父さんは自分の手を見る。
ごつごつした手。剣を握り、町を守ってきた手。
「なら、工夫していくしかない。一歩ずつ丁寧に理解することが、強くなる一番の近道だ」
「地味だね」
「地味だぞ」
父さんは笑う。
「だが、地味なことを続けられる奴は強い」
父さんの手が、俺の頭に乗った。
大きくて、ごつごつしていて、いつも安心してしまう不思議な手だ。
「それに、お前はすでに持っているじゃないか。強い武器を」
「武器?」
「勇気さ」
父さんは真っすぐに言った。
「熊に立ち向かう勇気だ。父さんが小さい頃なんて、角兎にも勝てなかったぞ」
「そ、そうなの?」
「ああ。父さんは地道に鍛えて、実戦経験を積んで、ようやく今の強さになった」
父さんは少しだけ目を細める。
「それに、ダラスが悔しがっていたぞ」
「ダラスさんが?」
「赤眼熊との戦いで、レン君が狙った足より、お前が狙った足の方がダメージが大きかったらしい」
「え?」
知らなかった。レンの方が力は強い。
基礎的な筋力なら、俺より上だ。
それなのに、俺の攻撃の方が効いていた?
「なんで……」
「それを考えるのも修行だ」
父さんは立ち上がった。
「焦るな、ルークス。一歩ずつだ」
◇
その夜。
ベッドの中で、父さんの言葉が何度も頭の中を回っていた。
レンより俺の方が、赤眼熊に大きなダメージを与えていた。
なぜだ。身体強化の練度か。
狙った場所の違いか。それとも、他に理由があるのか。
目を閉じて、あの時の戦いを思い出す。
俺とレンは同時に赤眼熊の足を狙った。
木剣を振った。最大限、魔力を流した。
そうだ。
あの時、俺の木剣は弾け飛んだ。
熊の硬い皮膚に負けたのだと思っていた。
だが、よく思い出せ。
レンの木剣はボロボロだった。
でも、弾け飛んではいなかった。
俺の木剣だけが、内部から破裂したように砕けた。
「……まさか」
次の日、俺は倉庫から昔使っていた木剣を取り出した。
熊との戦いを思い出す。
あの時は必死すぎて気づかなかった。
俺は自分の身体だけでなく、力んだ拍子に木剣にも魔力を流していたのだ。
同じように、木剣へ魔力を流してみる。
魔力は木剣の中に入る。だが、すぐに抜けていく。
木は魔力の通りが悪い。
なら、入れ続けるとどうなるのか。
俺は木剣へ、無理やり魔力を流し続けた。
最初は何も起きなかった。
だが、少しずつ木剣が膨らんでいく。
内部に魔力が溜まっているのだ。
さらに流す。ぴきり。小さな音がした。
「やば」
俺は反射的に木剣を空中へ放り投げた。
次の瞬間、地面に落ちた木剣が、ぱん、と音を立てて内部から弾け飛んだ。
「うわっ!」
破片が地面に散らばる。
「持ってたら大変なことになるところだった……」
危ない。かなり危ない。
だが、使える。
木や石は魔力の通りが悪い。
だから、無理やり魔力を流し続けると、内部に魔力が溜まる。
限界を超えた瞬間、内側から破裂する。
つまり、武器を壊す代わりに、威力を底上げできる。
魔力を纏わせるのではない。
無理やり流し込み、溜めて、叩きつける。
「魔想撃」
俺はその技に名前をつけた。欠陥だらけの技だ。
武器は壊れる。溜めが必要。使うタイミングを間違えれば、自分の手も危ない。
でも、今の俺に足りない決定打になり得る。
その後も、俺はこの現象を検証した。
木や石は魔力の通りが悪い。水やガラスは魔力の通りが良い。
だが、通りが良いものは魔力が抜けやすい。
逆に、通りが悪いものは溜められるが壊れやすい。
なかなか都合よくはいかない。
「魔力の通りがよくて、壊れにくい武器が欲しいな」
もしそんなものがあるなら、かなり高価だろう。
今の俺には、木剣を壊しながら工夫するしかない。
◇
「おい、ルーク! 今日もやるぞ!」
「なんだ、レンか」
「ふっ、もちろんだ」
「そう来なくちゃな」
冬の空の下、レンが木剣を構えていた。
最近のレンは、さらに強くなっている。
赤眼熊との戦いを経て、こいつは明らかに変わった。
勢いだけではない。身体が頑丈になった。踏み込みが深くなった。
何より、目が前より真剣になっている。
「今日こそ俺が勝つ!」
「まだまだ譲らねぇよ」
レンの十八番は先手の一撃。
魔力を足に流し、一気に距離を詰めて叩き込む。
当たったら終わりのクソ技だ。
しかも、年々速度が増しているせいで、どんどんやりづらくなっている。
「いくぞ!」
レンが地面を蹴った。
速い。だが、見えないほどではない。
俺は後ろへ下がり、レンの初撃をかわす。
以前なら、ここで終わっていた。
だが、今のレンは止まらない。
「まだだ!」
初撃をかわされた直後、レンはそのまま連撃へ繋げた。
横薙ぎ、袈裟斬り、突き、振り上げ。
粗いが、勢いがある。避け続けるのは難しい。
そこで俺は、全身から一瞬だけ魔力を解放した。
魔力が薄く広がる。自分の魔力に触れたものの位置を、感覚で捉える。
魔想円。目で見るのではなく、魔力で周囲を感じる技。
範囲は狭い。持続時間も短い。
だが、乱戦の中で一瞬だけ隙を拾うには使える。
レンの連撃の中で、生まれたわずかな隙。
そこへ、俺はカウンターを合わせた。
木剣がレンの腹へ入る。
「へへ」
「なっ!」
止まった。
レンの腹で、俺の木剣が止まった。
次の瞬間、レンの重い一撃をまともに食らう。
「ぐえっ!」
俺は地面を転がった。
「どうした、ルーク!」
レンが得意げに笑う。
「そんなもんかよ!」
「くそ、化け物かよ……」
こいつの身体、明らかに頑丈になっている。
俺の攻撃が通らなくなってきた。
だが、俺も成長していないわけじゃない。
俺は立ち上がり、駆け出した。
全身を強化するのではなく、必要な部位だけを強化する。
足、膝、腰、腕。
部位ごとに魔力を流すことで、消費を抑えながら瞬間的に最大強化する。
「こい、ルーク!」
「魔想玉!」
俺は短く溜めた魔想玉を放つ。
「ふん!」
レンが木剣で弾く。
だが、それは囮だ。
最大まで溜めた魔想弾なら威力は出るが、時間がかかりすぎる。
逆に、短く溜めた魔想玉なら威力はない。
だが、防がせることで一瞬の隙を作れる。
その一瞬で十分だった。
俺は木剣に魔力を流し続ける。
内部に魔力を溜める。ぴきり、と木剣が悲鳴を上げる。
「ぶっ飛べ、魔想撃!」
レンは俺の木剣を受け止めようと、自分の木剣の腹を合わせた。
次の瞬間。
俺の木剣が炸裂した。
内側から弾けた魔力が衝撃となり、レンを吹き飛ばす。
俺は爆発の直前、自分から後ろへ跳んで衝撃を逃がした。
それでも手が痺れる。
まだ危ない。まだ荒い。
でも、使える。
「どうだ、レン」
俺は痺れる手を振りながら笑う。
「俺の必殺技だ」
煙の向こうで、レンが立ち上がる。
「さすがだぜ、ルーク」
「まだ立つのかよ」
「俺のライバルなだけあるぜ」
レンは木剣を真上に掲げた。
「お返しだ。俺だって強くなったんだぜ」
その瞬間。
レンの周囲に、金色の光が揺れた。
金粉が舞うように、きらきらと輝いて見える。
魔力とは違う。いや、魔力なのかもしれない。
でも、俺が知っている魔力とは質が違う。
温かく、まっすぐで、見ているだけで胸がざわつく光。
「くらえ、聖破―!」
レンの木剣が振り下ろされようとする。
俺はその前に、溜めていた魔力を解き放った。
「魔想弾!」
「ほげっ!」
魔想弾がレンの額に当たり、レンはその場にひっくり返った。
「ひ、卑怯だぞ、ルーク!」
「勝負に卑怯もくそもないんだよ」
「くそー! また負けた!」
「まだまだよ」
俺は笑ってみせた。
だが、内心では笑えなかった。レンは前より強くなっている。
それだけではない。さっきの光。あれは何だ。まるで、勇――
「いや、まさかな」
レンに限って、そんなわけがない。
……いや。
レンだからこそ、あり得るのかもしれない。
勇者に憧れて、真っすぐで、大馬鹿で、友を見捨てない男。
もし物語の中心に立つ人間がいるとしたら、きっとああいう奴なのだろう。
そう思うと、胸の奥が少しだけ重くなった。
「負けてられないな」
俺も、新技の研究を続けるしかない。
◇
冬は、特訓しているうちにあっという間に過ぎていった。
魔想弾は、まだ決定打にはならない。
魔想撃は、威力はあるが武器が壊れる。
魔想円は、使える時間が短い。
どれも未完成だ。だが、何もなかった頃よりは、確かに前へ進んでいる。
春の匂いが、町に混じり始めた頃。
門の向こうから、こつ、こつ、と乾いた音が聞こえた。
義足の足音。俺は振り返る。
右目に眼帯。左足は義足。
手には、雷を宿したような弓。
雷窮のジャンが、約束通り町に現れた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ああ、どこかに魔想の通りが良い素材ないかな~
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。




