第九話 春の息吹
春の匂いが町に混じり始めた頃。
雷窮のジャンが、約束通り町に現れた。
……はずだった。
ジャンはいつもの何倍も気配を消し、警備隊の詰所で狩った魔物を引き渡して換金すると、足音を殺して町の門へ向かった。
こつ、こつ、と鳴るはずの義足の音すら、ほとんど聞こえない。
そして、何食わぬ顔で町から出ようとする。
「へへ、くそガキども」
ジャンはにやりと笑った。
「約束は守ったぜ。俺はちゃんと町に来た。だが、会うとは言ってねぇ」
ひどい理屈である。
「ガキは所詮ガキよ。一か月もありゃ、普通は忘れるだろうが」
「やあやあ、ジャンさん。どこに行くのかな?」
「うぎゃあ!」
ジャンが飛び上がった。
門の外。 街道脇の木陰に、俺とレンは座っていた。
「な、なんでここにいやがる!」
「やはりだ。この男は絶対に逃げると思っていた」
「うるせぇ、ガキ」
そう、俺はジャンが素直に模擬戦をしてくれるとは思っていなかった。
だから、あらかじめ門の外で待っていたのだ。
俺たちは父さんとの訓練のおかげで、町の近場なら大人の許可つきで外に出られるようになっている。
もちろん、森の奥は禁止だ。
「へへ。おっさん、俺たちから逃げられると思うなよ」
「約束、守ってもらうぞ」
「くそ、ガキめ……」
ジャンは頭をかきむしった。
「分かったよ。やりゃいいんだろ、やりゃ」
そう言うと、ジャンはその辺の木の枝を拾い、地面に大きな円を描いた。
「ルールは簡単だ。五分以内に、俺をこの円から出せばお前らの勝ちだ」
「五分以内……」
「俺は武器も魔術も使わねぇ。それに、お前らには最低限しか攻撃しない」
ジャンは口の端を吊り上げる。
「対して、お前らは何を使ってもいい」
「本当にいいんだな?」
「ああ。魔力だろうが剣だろうが好きにしろ」
ジャンは円の中央に立ち、片手をひらひら振った。
「さあ来いよ、ガキども。大人の怖さを教えてやる」
「痛い目にあっても知らねぇぞ、おっさん」
レンが木剣を構える。
「ま、待てよ。どっちから行く?」
「あん?」
ジャンは本気でおかしそうに笑った。
「かかか。笑わせるなよ。てめぇらなんぞ、まとめてかかってきても勝てやしねぇよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺とレンの息が合った。
こいつ、約束からこそこそ逃げようとしたくせに、ここまで俺たちを舐めている。
絶対に一泡吹かせる。
「勝負開始だ」
◇
いつものように、レンが飛び出した。
速い。前より、さらに踏み込みが鋭くなっている。
「ぶっ飛びやがれ!」
レンの木剣がジャンへ迫る。
だが、次の瞬間。
「なっ!」
レンの一撃は、ジャンの片手に収まっていた。
まるで飛んできた枝でも掴むように、ジャンはレンの木剣を受け止めている。
「ほい」
「うわああああ!」
軽々とレンが投げ飛ばされた。
「おい、ガキども。その程度か」
「なら、こっちだ!」
俺は足に魔力を集中させ、地面を蹴る。
真正面からは行かない。
走りながら、あらかじめ溜めていた魔想玉を放つ。
狙いは顔面。魔想玉がジャンの顔に着弾した。
だが、ジャンは眉ひとつ動かさない。
「痛くねぇな」
「なら、これはどうだ!」
俺は跳躍し、そのままの勢いで木剣を振り下ろす。
しかし、俺の木剣も軽々と片手で掴まれた。
「お前も飛んどけ」
「ぐわあっ!」
俺もレンと同じように投げ飛ばされる。
背中から地面に落ち、息が詰まった。
「かかか。今のは少し面白かったぞ」
ジャンは俺を見下ろして笑う。
「魔力を固めるなんぞ、器用な真似をするじゃねぇか」
「だったら、効いてくれよ」
「だが、魔力を無駄に使うだけのゴミ技だな」
「そうかよ!」
でも、分かっている。ジャンの評価は正しい。
魔想玉は使いどころを間違えれば、ただ魔力を捨てるだけの技だ。
そして、もう一つ分かったことがある。
ジャンは、俺やレンの魔力の流れを感知している。
どこに魔力が集まるか。どの足に力が入るか。
次にどこを攻撃しようとしているか。
それを見抜いている。俺の魔想円とは違う。
もっと無駄がなく、自然な感知技術だ。
やはり、この男は強い。
「レン。がむしゃらに戦っても勝てない」
「おう」
「息を合わせるぞ」
「分かった!」
ジャンは円の中央に立っている。
俺は左。レンは右。二人で挟むように動く。 赤眼熊の時と同じだ。
互いに注意を引きつけ、反対側から攻撃を入れる。
「おらあ!」
レンが右から突っ込む。 ジャンがそちらを見る。
俺は左後ろから足元を狙う。だが、ジャンは見てもいないのに半歩ずれた。
俺の木剣は空を切る。
「遅い」
「くっ!」
やはり、死角からでも避けられる。
なら、逆手に取らせてもらう。
「魔想円」
俺は全身から魔力を解放した。
薄く、広く。
周囲に魔力を満たす。
魔想円は、本来なら俺の魔力に触れたものを感知する技だ。
だが、使い方はそれだけじゃない。
周囲を俺の魔力で満たせば、相手の魔力感知を乱す煙幕にもなる。
父さんにも一度だけ届いた戦法だ。
まあ、次の日には対応されたけどな。
「おら!」
「せい!」
ジャンの反応が一瞬だけ遅れた。
その隙に、俺とレンの同時攻撃がようやくジャンに届く。
木剣が脇腹と肩に当たる。
ジャンが小さく後ずさった。
「かかか」
ジャンが笑う。
「なんて無茶苦茶な技だ。自分の魔力で周囲を埋めるとはな」
笑っている。
だが、目が少し変わった。
「少し、お前らを甘く見すぎていたようだ」
ジャンの周囲から、ひりつくような魔力が溢れた。
俺の魔力が飲み込まれていく。
こいつ、もう対応してきた。
その時、レンが俺を見る。
「ルーク」
「なんだ」
「時間を稼いでくれ」
レンは木剣を握り直した。
「あれを出す」
あれ。
勇者の技を真似た、レンの必殺技。
一度だけ見せてもらったことがある。
溜めは恐ろしく長い。
だが、威力は凄まじい。
地面は抉れ、木剣は半壊した。
あんなものを模擬戦で食らったら、俺なら死ぬ。
だからこそ、信用できる。
「分かった、レン」
「頼んだ」
「そっちもな」
レンは円の端近くへ下がり、木剣を真上に掲げた。
ジャンは円の中央より少しレン寄り。
俺はジャンの左側を走る。
目的は倒すことじゃない。
レンの一撃が入る位置まで、ジャンの注意を俺に向けさせることだ。
◇
ジャンは内心で笑っていた。
長い長い隠居生活。
たまに魔物を狩り、町に肉を卸す。
金を受け取り、また森へ戻る。
そんな退屈な日常で、たまたま出会った妙なガキども。
一人は、剣を真上に掲げている。
分かりやすい溜め技。
隙だらけ。普通なら潰せば終わりだ。
だが、あれをまともに食らえば、さすがのジャンでも円の中には留まれない。
もう一人。
魔力を固める器用な真似をするガキ。
ただし、あのガキの一番の脅威はそこではない。あの魔力量。
鍛え抜かれた身体が、あの魔力で強化されている。
身体強化こそが、あのガキの最大の武器だ。
あれを好きに動かし続けるわけにはいかない。
「くらえ、ジャン! 魔想玉!」
ルークスが魔想玉を放つ。
ジャンは軽く首を傾けてかわした。
この程度の魔力の塊なら、どうとでもなる。
魔力感知は邪魔されている。
だが、所詮はガキ。貴族でもない平民のガキだ。
剣の技術など、たかが知れている。
「どうした、ガキ」
ジャンは笑う。
「強くなりたいんだろ」
「ああ」
ルークスが地面を蹴った。
「俺はお前に勝って、もっと強くなる」
若い。若すぎる。
だが、ジャンは口角を上げる。
俺も雷窮のジャンだ。
ガキに負けては名が廃る。
◇
ジャンの拳が地面を叩き割った。
「うわっ!」
衝撃が地面を走る。
俺はそれを避けるために跳んだ。
空中では自由に動けない。
ジャンの蹴りが、俺の腹へ迫る。
「がはっ!」
衝撃が腹に突き刺さる。
息が抜ける。視界が揺れる。
だが、ここだ。
「ぐぅ……魔想撃!」
俺は握っていた木剣を、ジャンの顔へ向かって投げつけた。
魔想撃。武器に魔力を流し込み、内部から破裂させる技。
本来は叩きつける瞬間に使う。
だが今回は、木剣を爆弾のように投げた。
苦し紛れの一撃に見えただろう。
ジャンは避けるまでもないと判断し、拳に魔力を込めて木剣を叩き落とそうとする。
その瞬間、ジャンの表情が変わった。
近づいたことで気づいたのだ。
木剣に魔力が注がれていることに。
「まず――」
木剣がジャンの目前で炸裂した。
木片と魔力の衝撃が広がる。
だが、ジャンの強化された肉体には、大したダメージにならない。
そう、一対一なら。
「よくもルークを蹴ってくれたな」
光が揺れた。
金色の光をまとったレンが、ジャンの懐に踏み込んでいる。
木剣が、ジャンの腹へ突き刺さるように振り抜かれた。
「ぶっ飛べ、聖破斬!」
「がはっ!」
ジャンの身体が初めて大きく揺らいだ。
全力で強化したはずの肉体が、ただのガキの一撃に押される。
ジャンは足に力を込めた。
だが、左足は義足。踏ん張りが、わずかに遅れる。
円の端。あと少しでジャンはなんとか踏みとどまった。
「やってくれるじゃねぇか、クソガキ」
ジャンの身体から漏れ出た魔力が、雷に変わり始める。
空気が焼けるような匂いがした。あれを使われたら終わる。
だから、その前に。俺は地面に転がりながら、右手を上げた。
親指を上へ。人差し指をジャンへ。
狙うのは、ジャンの最も弱い場所、義足。
「あばよ、ジャン」
指先に溜めていた魔力を解き放つ。
「魔想弾」
小さな魔力の弾が、ジャンの義足へ衝突した。
本来なら、意味のない一撃だ。
だが、今のジャンは円の端で踏みとどまっている。
重心は崩れ、義足に負荷がかかっている。
そこへ、魔想弾が当たった。
「なっ――」
ジャンの身体が傾く。
次の瞬間、ジャンは円の外へ尻もちをついていた。
沈黙。風が吹く。俺たちを祝うように。
「……やった?」
レンが呟く。
「やったぜ、レン!」
「さすがだ、ルーク!」
俺たちは思わず手を打ち合わせた。
作戦成功だ。
もう少し魔想撃を溜めたかったが、ジャンが想定以上に強かった。
急いで撃たなければ、先に潰されていた。だが、それでも勝った。
円の外へ出せば勝ち。その条件は、ちゃんと満たした。
「さあ、ジャン」
俺はふらふらと立ち上がる。
「約束通り、俺たちを弟子にしてもらうぞ」
「そうだぞ!」
「……かか」
ジャンが笑い始めた。
「かかかかかか!」
その笑い方に、少しだけ恐怖を覚える。
「おい、ガキども」
「な、なんだよ」
「いいだろう。俺の弟子にしてやる」
「本当か!」
「ああ。ただし」
ジャンはゆっくり立ち上がった。
「俺に尻もちをつかせたんだ」
ジャンの身体から、再び魔力が漏れ出す。
「師匠として、生意気な弟子を教育しなければならねぇよな?」
「え、いや、それは別では」
「師匠の言葉は絶対だ」
「横暴すぎる!」
その後。
俺たちは何度も模擬戦をやらされた。
そこからのジャンは武器こそ使わなかったが、魔術も普通に使ってきた。
雷が地面を抉り、風が身体を吹き飛ばし、気づけば俺とレンは二人そろって地面に突き刺さっていた。
勝ったはずなのに、勝った気がまったくしない。
「ごめん、レン」
「何がだ、ルーク」
「師匠を頼む人を間違えたかもしれない」
「奇遇だな。俺もそう思ってた」
こうして俺たちは、雷窮のジャンの弟子になった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
技術のルークス、力のレン、つよつよおじさん、ジャンです。
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