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異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件  作者: ベルナルド
エピローグ

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第七話 冒険の対義語は母親

冒険という言葉の対義語は母である。

 

 ガレンはいつものように仕事を終え、町へ戻ってきた。


 陽は傾き始めている。

 森の方から吹く風は冷たく、赤く染まり始めた陽木の葉が、町の道にいくつも落ちていた。

 家に帰る。


 だが、そこに愛する息子ルークスの姿はなかった。

 いつもなら、この時間には家にいるはずだ。

 庭で木剣を振っているか、本を読んでいるか、あるいはミリアに甘えているか。

 しかし、家の中は妙に静かだった。

 妻のミリアは、出産に備えてアーチの家にいる。

 ならば、ルークスもそちらにいるのか。


 そう思いかけた瞬間だった。


 森の方角から、巨大な咆哮が響いた。

 町全体が震えたような気がした。

 恐怖より先に、違和感が走る。

 あの声。あの低く、腹の底を揺らすような咆哮。


「まさか……あの時の熊か」


 ガレンの脳裏に、赤い眼をした熊の魔物がよぎる。

 以前、森で出くわした魔物。

 腕に深い傷を負わされ、片目を斬り裂きはしたものの、仕留めきれなかった相手。

 直後、町の警報が鳴り響いた。


「一体どうなっている」


 ガレンはすぐに町の中心へ向かった。

 警備隊のメンバーが集まっている。

 みな、咆哮を聞いて同じものを想像したのだろう。

 赤い眼をした熊。あれが、また森に出た。


「森へ調査に行っている者はいるか?」


 警備隊長ダラスが鋭い声で尋ねる。


「いえ、警備隊のメンバーは全員帰還しています」

「なら、森にいる者はいないんだな」

「……いえ」


 小さな声が上がった。今日の門番であるガードナーだった。

 若いながらも優秀で、真面目な男だ。

 そのはずの彼が、顔面蒼白になっている。


「います」

「誰だ」

「森には……レン君とルークス君、それからサラちゃんの三人が」

「なに!」


 ダラスがガードナーの胸ぐらを掴んだ。


「どういうことだ!」

「私の責任です。三人が、門の近くの花を見たいと……村長さんから頼まれたような話をして、それで……」


 ガードナーの声は震えていた。


「森の奥には入るなと伝えました。魔よけの鈴も渡しました。ですが、私がついて行くべきでした」


 ガレンは奥歯を噛んだ。大人しい息子がそんなことをするとは思えない。

 けれど、ひとつだけ心当たりがあった。


「おそらく、あいつらは月灯草を採りに行ったんだ」

「月灯草?」

「出産だ」


 ダラスの顔色が変わる。


「アーチさんが、月灯草が少し足りないと言っていた。代用品はあると言っていたが……ルークスがそれを聞いたなら、必要性に気づいたのかもしれん」


「レンじゃないのか?」

「レン君も行く理由はあっただろう。サラちゃんの弟のことを出されれば、あの子は動く」


 ガレンは拳を握った。


「あいつは賢い。だからこそ、余計なことに気づく。父親に相談もせずにな」

「馬鹿どもめ」


 ダラスはガードナーの胸ぐらから手を離した。


「ガードナー」

「はい」

「あとで飯を奢れ」

「え……でも、私は」

「これはお前一人の責任じゃない。馬鹿どもが悪い。だが、飯は奢れ」

「はい!」


 ガレンは自分の相棒である大剣、獅子砕きを手に取った。


「行くぞ」

「おう」


 ダラスも剣を抜く。


「あいつは俺の息子だ。そう簡単には死なない」


 そう言いながらも、ダラスの手にある剣はかすかに震えていた。

 誰もそれを笑わなかった。

 父親とは、そういうものだった。


         ◇


 森に入ると、奥から轟音が鳴った。

 次の瞬間、森の向こうから閃光が走る。

 雷のような光。魔術か。いや、矢だ。


 ガレンたちは足を速めた。

 枝を払い、草を踏み抜き、湖の方角へ走る。

 森が開けた先に見えたのは、巨大な熊の死骸ではなかった。

 いや、湖には確かに赤眼熊が浮かんでいる。

 だが、それ以上に目立っていたのは、湖のほとりで正座させられている三人の子供たちだった。

 そして、その前で片足を鳴らしながら説教している一人の男。


「あのな、くそガキども」

「はい……」

「森は危険な場所だ」

「はい……」

「それを考えなしに入るなんて馬鹿すぎるぞ」

「はい……」

「大体な、門番を連れて来いよ。大人を頼れ。五歳児だけで魔物の出る森に入るんじゃねえ」

「だって」

「だってじゃねえ」


 ガレンは、ひとまず熊ではなく説教が待ち受けていたことに、少しだけ肩の力が抜けた。

 生きている。ルークスも、レンも、サラも。ちゃんとそこにいる。


「ようやく来やがったか」


 男がこちらを振り向いた。

 右目に眼帯。左足は義足。無精髭。汚れた服。

 そして、手にした弓だけが異様な存在感を放っている。


「あ、あなたは?」


 ガードナーが目を見開く。


「ああ? 俺か。俺の名はジャンだ。狩人のジャン」

「たまに町に肉を卸してくれる、あのジャンさんですか」

「そうだ。そのジャンだ」


 ジャンは面倒くさそうに頭を掻く。


「お前らのせいで、俺の獲物だったレッドベアーの価値が落ちたじゃねえか」


 ジャンが湖を指差す。

 赤眼熊の巨体が、水面に浮かび上がっていた。


「このガキどもが下手くそな狩りをしたせいで、毛皮も肉も傷んだ。矢も一本無駄に使った。その辺、分かってるんだろうな」


 口は悪い。態度も悪い。

 だが、この男が子供たちを助けたことは間違いない。

 ガレンは深く頭を下げた。


「もちろんです。ジャンさんに譲ります。助けてもらった恩もあります」

「ならいい。あれを町まで持って帰ってくれ。後で金を取りに行く。こっちもかつかつなんでな」

「分かりました」


 ジャンは正座する三人を見下ろした。


「おい、ガキども」

「はい」

「二度と森の奥に来るなよ」

「はい……」

「俺のテリトリーで死人が出たら、運気が下がるだろうが」


 そう悪態をつくと、ジャンは森のさらに奥へ歩いていった。

 嵐のような男だった。

 その背中が木々の奥に消えたあと、ガレンはようやく息子へ目を向けた。

 ルークスは明らかに目を泳がせていた。


「あ、これは、その」


 その顔を見た瞬間、ガレンの肩から力が抜けた。

 怒りよりも先に、安堵が来た。ガレンは膝をつき、ルークスを抱きしめた。


「え……」


 ルークスが驚いたように固まる。


「ご、ごめんなさい。母さんに何かあったら嫌だったから、その……」

「俺は」


 ガレンの声が少し震えた。


「俺は、お前を失うなんて耐えきれない」

「……ごめんなさい」

「いい。無事ならいい」


 ガレンはルークスの頭を撫でた。


「だが、もっと俺たちを頼ってくれ。お前は賢い。だが、まだ子供だ。父親に心配くらいさせろ」

「うん」


 ルークスの声も震えていた。


「怖かった」

「ああ」

「すごく、怖かった」

「家に帰ろう」


 その横で、レンが胸を張った。


「父ちゃん、俺、熊に勝ったぞ」

「馬鹿息子!」

「あだっ!」


 ダラスの拳骨が、レンの脳天に落ちた。


「心配させやがって!」

「俺は大丈夫だよ、父ちゃん! みんなを守ったんだぜ!」

「大した息子だよ、まったく」


 ダラスは怒った顔のまま、レンを抱き寄せた。

 それからサラへ目を向ける。


「すまんな、サラちゃん。馬鹿どもが迷惑をかけた」

「私も……ごめんなさい」

「いいんだ。全部この馬鹿二人の責任だ」

「そうだぜ、サラ」

「お前もだ、レン」

「あだっ!」


 ガードナーはサラの前で深く頭を下げた。


「サラちゃん、ごめんなさい。ついていかなかったのは俺の責任だ」

「私も嘘ついてごめんなさい」

「こちらこそ悪かった」


 その時だった。


 ぐう、と腹の音が鳴った。

 しかも、三つ同時に。ルークス、レン、サラの腹だった。

 森の空気が、少しだけ緩んだ。


「そうだな。腹が減ったな」


 ガレンは小さく笑う。


「何はともあれ、全員無事でよかった」


 赤眼熊を引っ提げ、彼らは町へ帰った。


         ◇


 もちろん、家に帰ってからは説教祭りだった。

 父さんにも怒られた。ガードナーさんにも謝った。

 アーチさんにも怒られた。村長グリムさんにも、静かに怒られた。

 そして何より、母さんが一番怖かった。


「ルークス」

「はい」

「あなたが私のことを心配してくれたのは嬉しいわ」

「はい」

「妹のために月灯草を採ってきてくれたことも、嬉しい」

「はい」

「でもね」


 母さんは笑っていた。

 笑っていたのに、俺は赤眼熊と向き合った時よりも恐怖を感じていた。


「あなたに何かあったら、私はどうすればよかったの?」

「……ごめんなさい」

「次に同じことをしたら、母さん、本気で怒ります」

「もう怒ってるよね?」

「まだよ」

「ごめんなさい」


 正直、熊より母さんの方が強敵だった。

 それでも、母さんは最後に俺を抱きしめてくれた。


「無事でよかった」


 その一言だけで、俺はもう何も言えなかった。


         ◇


 そして、それから数日後。


 小さいながらも大きな二つの産声が、町を包んだ。

 俺の妹ルーシー。サラの弟ベン。二人とも、無事に生まれた。


 月灯草があったおかげで、母さんもルサリアさんも大きな危険を越えられたらしい。

 特にサラの弟は、生まれながらにかなりの魔力を持っていた。

 そのため、出産時にルサリアさんの身体への負担が大きかったという。

 月灯草がなければ危なかったかもしれない。

 アーチさんはそう言った。


「だからって、子供だけで森に入ったことは許さないよ」

「はい」

「でも、助かった。ありがとうね、ルークス」


 怒られた。けれど、感謝もされた。

 小さな赤ん坊の泣き声を聞いた時、俺の胸の奥に熱いものが広がった。

 前世の俺は、何もできないまま死んでしまったと思っていた。

 誰かのために何かを為した実感なんて、ほとんどなかった。

 だが、今世でようやく他者を助けることができた。


 母さんを。妹を。ルサリアさんを。サラの弟を。

 もちろん、無謀だった。

 間違いもあった。大人を頼るべきだった。


 それでも、俺たちが採ってきた月灯草は、確かに役に立った。

 俺は初めて、自分が何者かになれたような気がした。

 だが同時に、はっきりと分かった。


 俺一人では、何もできない。

 レンがいなければ、俺は死んでいた。

 サラがいなければ、身体は動かなかった。

 ジャンがいなければ、全員死んでいた。


 前世の記憶があるからといって、俺は万能ではない。

 もっと強くならなければならない。今度は、誰かを危険に巻き込まないために。


 今度こそ、本当に守れるように。


         ◇


 さらに数日後。


 町に一人の男がやって来た。


「さすがだ、村長。こんなにくれるとはな」

「あなたのおかげで、娘も息子も助けられました」

「そりゃよかった」


 村長の家の前で、グリムさんがジャンに金を渡していた。

 どうやら、レッドベアーの素材代と救助の礼らしい。

 ジャンは袋の中を覗き込み、満足そうに口角を上げる。


「俺もほくほくだ。互いに得したってやつだな」

「感謝してもしきれません」

「いいってことよ。俺は金さえもらえればな」


 ジャンは雑に手を振る。


「この金で、久しぶりに王都でうまい酒でも飲むか」


 その男の後ろを、俺とレンはこっそり覗き込んでいた。


「おい、レン」

「なんだ、ルーク」

「俺たち、怒られたばっかだぞ」

「お前も見ただろ。あの人の強さ」

「まあ、見たけど」

「あの強さの秘密を知れれば、俺たちも強くなれる」

「だからって、こんなこそこそ」

「勇者ゼイン伝記にも、こういう感じで悪いやつを追う場面があった」

「それは悪いやつにするんだよ」


 俺はジャンの背中を見つめた。

 父さんは強い。父さんは俺に身体の使い方を教えてくれる。

 走ること、振ること、鍛えること。その大切さを教えてくれる。


 でも、父さんは町を守る人だ。

 ジャンは違う。森の中で、たった一人で魔物を狩る人間だ。

 あの森で死なないための力。魔物の気配を読む力。

 相手の急所を射抜く技術。生き残るための判断。

 今の俺に必要なのは、それだった。

 だから、俺はあの男から学びたかった。


 その瞬間、俺の背後の壁に矢が突き刺さった。


「ひっ!」

「ど、どうしたんだ……うわっ!」


 バランスを崩した俺たちは、道端へ転がり落ちた。

 目の前に、義足の足が落ちる。


「おい、ガキども」


 見上げると、ジャンが俺たちを見下ろしていた。


「何の用だ」

「うわ……」


 俺たちは思わず後ずさる。


「てめぇら、俺に命を助けられたことを忘れたのか?」

「でも、熊にダメージを与えたのは俺だ!」

「おい、レン。馬鹿」

「ほう」


 ジャンの目が細くなる。


「てめぇらのせいで、こっちは無駄に矢を消費させられたんだが?」

「俺たちがいたからだ!」

「このクソガキめ」


 ダメだ、このままだと話が進まない。

 俺の脳裏に、手っ取り早い計画が浮かんだ。


「なあ、あんた、強いんだろ」

「ああん? そりゃそうだ。この俺は雷窮のジャンだぜ」

「それほどの男であるあんたに、頼みがある」

「あ?」

「俺たちを弟子にしてくれ」

「えっ、俺、こいつ嫌だよ」

「馬鹿。頭下げろ」


 俺は無理やりレンの頭を押さえつけ、自分もその場に土下座した。

 それを見たジャンは、呆気に取られていた。


「ま、待ちやがれ。俺は弟子なんて取らねぇし」

「お願いします」

「やめろ。俺がガキに土下座させてるみたいじゃねえか」

「弟子にしてくれるまで頭を上げません」

「この野郎……」


 ジャンは頭をかきむしった。


「ああ、もう。だからガキは嫌いなんだ」


 それから、しばらく俺たちを睨む。


「分かった」

「本当か!」

「春だ」


 ジャンは指を一本立てた。


「冬が明けた春、俺はまたこの町に来る。その時、俺と模擬戦をしろ」

「模擬戦?」

「勝てとは言わねえ。お前らが俺を円から出せれば、考えてやる」

「やった!」

「まだ弟子にするとは言ってねえ!」


 ジャンは不機嫌そうに吐き捨てる。


「か、帰るぜ俺は。ったく、面倒なガキどもだ」


 大股で、ジャンは町を歩いていった。

 その背中を見ながら、レンは不満げに頬を膨らませる。


「俺、師匠は父さんか勇者様って決めてたのに」

「勇者様は無理だろ」

「夢くらい見させろよ」

「でも、見えてなかったか?」

「何が」

「あの人の魔力」


 俺はジャンの背中を見つめる。荒っぽくて、口が悪くて、見た目は完全に不審者。

 だが、あの男の内側には、濃く鋭い魔力があった。

 父さんとは違う。重く、大きいというより、細く研ぎ澄まされている。


「あの人、父さんより強いかもしれない」

「うえぇ。あのおっさんが?」

「ああ」


 俺は笑った。


「これは勝ち馬だ」

「勝ち馬ってなんだよ」

「強くなれるってことだ」


 そうして俺たちは、来年の春の模擬戦に向けて、二人で鍛え合うことになった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

レンは強さの秘密を知りたいだけで、別に師匠までは考えていませんでした。

この町の強さ順の一番はジャンですが、ブランクがあるのでガレンやダラスの方が安定性はあります。

特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。

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