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異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件  作者: ベルナルド
エピローグ

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第六話 小さな小さな勇者様 後編

 

 よし。なんとか月灯草を必要な数だけ集めることができた。

 アーチさんが言っていたのは十本。

 俺たちは少し余分に、十三本の月灯草をリュックに入れた。

 これだけあれば、もしもの時にも役に立つはずだ。


 湖のほとりでは、まだ月灯草が淡く光っている。

 夕陽は少しずつ森の向こうへ沈み始めていた。

 これ以上の長居は危険だ。それに、母さんや父さんを心配させてしまう。


「よし、あとは静かに帰ろう」

「そうだな」

「うん」


 俺たちは来た道を戻ろうとした。その時だった。

 ぞわり、と背筋が冷えた。なぜだろうか。

 ふと、父さんの話を思い出した。

 以前、父さんが森で怪我をして帰ってきたことがある。

 珍しく顔色が悪く、腕には深い傷があった。


 その時、父さんは言っていた。

 森で赤い眼をした熊の魔物にやられた、と。

 片目を切り裂いたが、仕留めきれなかった、と。

 なぜ、今その記憶が蘇ったのか。まるで、俺に知らせるように。


 次の瞬間。森の奥で、巨大な音が響いた。

 木が折れる音。土が抉れる音。

 何か重いものが、こちらへ迫ってくる音。

 振り返った瞬間、俺の視界に大きな影が飛び込んできた。


 一番後ろにいたサラへ、何かが飛びかかっていた。

 考えるより先に、身体が動いた。

 前世で、少女を助けようと走った時の感覚が蘇る。

 今度も間に合え。俺はサラの身体を抱きしめ、そのまま地面へ転がった。


「きゃっ!」


 サラの小さな悲鳴が耳元で弾ける。

 俺はサラを抱えたまま、何とか体勢を立て直した。

 地面を見る。そこには、巨大な爪が突き刺さっていた。


 爪が抜けた跡の土は、深く抉れている。

 あれがサラに当たっていたら、助かったかどうかを考えるまでもなかった。

 サラはまだ状況を理解できていないようだった。


 当然だ。俺だって、今ようやく現実を理解し始めたところなのだから。

 目の前にいたのは、巨大な熊だった。ただの熊ではない。

 赤い眼。黒く濡れたような毛並み。

 そして、片目に刻まれた痛々しい切り傷。

 父さんが言っていた、赤い眼をした熊の魔物。

 その魔物が、俺たちを見下ろしていた。


「レン、逃げろ」

「なっ……く、クマ!?」


 レンは巨大な熊を見て、動けずにいた。

 俺はサラを背にかばうように前へ出る。

 俺の都合で、二人をここまで連れてきた。


 母さんと妹のため。サラの弟のため。

 理由はあった。でも、危険に二人を巻き込んだのは俺だ。

 二人だけでも逃がさなければならない。

 それだけは考えることができた。それ以外は、考えられなかった。

 俺の頭の中は、恐怖でいっぱいだったからだ。


「ちっ……まったく、ついてない」


 俺は熊の注意を引くため、身体に魔力を流した。

 今では、呼吸を止めなくても魔力で身体を強化できる。

 だが、今回はあえて息を止めた。

 体内の魔力の流れをせき止め、集中的に足へ流す。

 胸の奥にあった熱が、足の筋肉へ染み込む。


 次の瞬間、俺の足元の土が爆ぜた。

 俺は熊の腹に向かって、勢いのまま蹴りを叩き込む。

 重い。硬い。蹴ったのは俺のはずなのに、足の骨が砕けたのかと思うほど痛かった。

 だが、熊は一歩後ずさった。

 効いた、というよりは、予想外の抵抗に驚いたのだろう。

 それでも十分だった。俺へ注意が向く。

 獲物のはずの小さな子供に、思わぬ抵抗を受けた。

 それが、熊の怒りに火をつけた。


「グルルル……」


 熊の喉が低く鳴る。次の瞬間、森を揺らすような咆哮が響いた。


「っ!」


 身体が止まった。音が身体の奥まで突き刺さる。

 頭が真っ白になる。足が動かない。

 熊の爪が振り下ろされる。

 認識した時には、もう避けられる位置ではなかった。

 俺は急いで木剣を構えようとする。


 だが、間に合うはずがない。

 ああ。馬鹿なことをした。

 もっと力があれば。もっと慎重に動いていれば。

 もっと、この世界の危険を知っていれば。


 今さらだ。迫りくる爪が一瞬のはずなのに、やけに長く感じる。

 その時だった。小さな光が、俺の横を駆け抜けた。


「うおおおおお!」


 レンだった。レンの木剣が、熊の爪に横からぶつかる。

 完全に止められたわけではない。

 だが、軌道がわずかに逸れた。

 爪は俺の横を掠め、地面を叩き割る。


「グアッ!」


 熊が低く唸った。

 自分の攻撃が外されたことを、理解できていないようだった。

 その目の前に、ほのかに光を放ちながら魔力をまとったレンが立っていた。


「おい、ルークス」

「レン……何して」

「俺は逃げない」


 レンの手は震えていた。足も震えていた。

 揺れは木剣にも表れる。プルプル剣先が震えていた。

 それでも、木剣を握る手だけは離していない。


「俺は、勇者様に憧れている」


 レンは熊を睨みつけたまま言う。


「勇者様は、友を決して見捨てない」

「俺は、お前をこんな危険な目に合わせたんだぞ」

「だからなんだ。そんなこと、どうでもいい」

「どうでもよくないだろ」

「俺は確かに馬鹿だ」


 レンは笑った。怖くて、泣きそうで、それでも笑った。


「でも、友を見捨てて逃げるなんて、馬鹿な俺でも分かる」


 レンは木剣を構え直した。


「最低だって」


 こいつは分かっていたのかもしれない。森が危険なことも。

 俺が、サラの弟のことを持ち出して、こいつを焚きつけたことも。

 それでも、自分でここに来ると決めたのだ。

 俺は、こいつを理解していなかったのかもしれない。

 レンは本当に真っすぐで、大馬鹿で。


 最高の男だった。


「馬鹿だな、お前」

「へへ」


 その時、淡い光が俺たちを包んだ。


「うん?」


 振り向くと、サラが地面に座り込んだまま、必死にこちらへ手をかざしていた。

 腰が抜けている。顔は真っ青だ。

 目には涙が浮かんでいる。

 それでも、サラは逃げていなかった。


「わ、私は……戦えないし、すっごく怖いけど」


 サラの手から、淡い白い光がこぼれる。

 後で知ることになるが、それは聖魔術と言われるものだった。


 傷を完全に治すほどの力はない。

 折れた骨を戻すこともできない。

 失った血を補うこともできない。

 けれど、震える身体を少しだけ落ち着かせる。

 痛みをわずかに和らげる。

 恐怖で固まった筋肉を、もう一度動かせるようにする。そんな、小さな癒しの光だった。

 俺の足の痛みが、ほんの少しだけ引いていく。震えていた指が、また木剣を握れる。


「私も……逃げない」


 サラの声は震えていた。

 けれど、その言葉だけははっきりしていた。

 そうか。サラも覚悟していた。みんな、覚悟している。


 この世界は危険だらけだ。

 地球の何倍も、人が簡単に死ぬ世界だ。

 でも、こいつらはそれを分かっている。

 分かった上で、俺に命を預けてくれている。

 なら。俺も覚悟を決める必要がある。

 無理矢理する覚悟ではない。

 真の意味で。俺は、あいつをぶっ飛ばす覚悟だ。


「みんな」

「なんだ」

「勝てるかは分からない」


 俺は熊から目を離さずに言った。


「だが、追い払えるかもしれない」

「それで十分だ」

「付き合ってくれるか?」

「当然だ、ルークス」

「うん」


 レンが、初めて俺の名前をちゃんと呼んだ。

 こんな時なのに、少しだけ笑いそうになる。


「俺とレンで交互に足を狙う」

「おう」

「合図したら、サラがこの魔よけの鈴を鳴らしてほしい」

「分かった」

「レン、ついてこい」

「おう!」


         ◇


 俺とレンは同時に駆け出した。


 互いの武器は、少し長めの木剣。

 殺傷力は足りない。熊を殺すことなどできない。

 だが、痛みを与えることはできる。

 体勢を崩すことならできる。


 狙うのは足。

 レンが熊に狙われている間、俺が足を攻撃する。

 逆に俺が狙われている間は、レンが足を狙う。


 父さんには感謝だ。奴は左目が見えていない。

 左右から攻めれば、必ず片方に死角が生まれる。

 俺は熊の左側へ回る。レンは右側から突っ込む。


「こっちだ!」


 レンが叫び、熊の注意を引く。熊の爪がレンへ向かう。

 俺はその隙に、熊の左後ろ足へ木剣を叩き込んだ。

 硬い。だが、同じ場所を狙う。

 何度も。何度も。小さな傷でもいい。

 痛みが積み重なれば、動きは鈍る。

 熊が俺へ振り返る。


 その瞬間、今度はレンが右足を叩く。


「おらあ!」


 レンの一撃は重い。

 粗くて雑でまだまだ未熟。しかし、力がある。

 熊が苛立ったように吠える。


 だが、問題は熊の強固な身体だ。

 こちらの攻撃は浅い。決定打にはならない。

 これは、こっちの体力が先になくなるか、熊の足が先に鈍るかのチキンレースだった。


 最悪な日だよ、まったく。

 何度も攻撃を浴びせていくうちに、小さくだがダメージは蓄積していった。

 だが、こちらも限界が近い。俺の魔力はまだ持つ。

 魔力炉を鍛えてきた分、持久力はある。


 だが、レンの動きは見るからに悪くなっていた。

 肩で息をしている。足の踏み込みが浅い。木剣を振る速度も落ちている。

 俺たちの身体にも、少しずつ爪や土の破片がかすり、傷が増えていく。

 このままでは先にこっちが尽きる。


 その時、熊の身体が赤く染まり始めた。


 血管が浮き上がる。筋肉が膨れ上がる。

 赤い魔力のようなものが、毛の隙間から漏れている。

 これを見過ごせば殺される。だからこそ今しかない

 俺はサラに視線を送った。

         ◇

 赤眼熊の中で、別の怒りが燃え上がっていた。


 小さく、弱い獲物のはずだった。

 簡単に裂けるはずだった。簡単に潰せるはずだった。

 なのに、傷が増えている。見えない左側から、何度も攻撃が来る。

 そのたびに、古い記憶が蘇る。


 片目を奪った男。初めて味わった敗北。

 群れの中でも特別強かった自分が、初めて逃げ出した日の記憶。

 それだけは許せなかった。

 再び敗北することだけは、許してはならない領域だった。

 赤眼熊は全身に魔力を流す。

 血管が躍動する。筋肉がさらに肥大化する。肉体が赤く染まり始める。


 その刹那。


 視界の端に、小さな鈴が映った。

 一番弱いはずの小さなメス。

 そのメスは、何故か妙に狙いたくなる。

 そのメスが、鈴を地面に叩きつけた。


 次の瞬間。

 身の毛がよだつような音が、森に鳴り響いた。


「グアアアアアッ!」


 赤眼熊は、思わず耳を塞ぐように頭を振った。


         ◇


「待ってたぜ、くそ野郎」


 熊の動きが止まった。今しかない。


「レン!」

「おう!」


 俺とレンは同時に踏み込む。

 残った魔力を足へ。腕へ。木剣へ。

 最大限、叩き込む。


「ぶっ飛べ!」


 俺とレンの木剣が、同時に熊の足元へ直撃した。

 衝撃とともに、木剣が砕ける。


 だが、熊の巨体も大きく傾いた。

 足元は湖のほとり。濡れた土。苔の生えた石。

 熊の足は踏ん張りがきかない。


「グアッ!?」


 熊は俺たちへ手を伸ばそうとした。

 だが、届かない。その巨体は、深い湖へ吸い込まれるように沈んでいった。

 水しぶきが上がる。湖面が大きく揺れる。

 俺もレンも、その場に膝をつきそうになった。


「やったか……?」

「レン、お前それはフラグだろ」


 その瞬間、轟音とともに湖面が割れた。

 熊が湖をかき分け、顔を出す。


「この馬鹿野郎! 最後の最後にフラグを立てるな!」

「ふ、フラグって何だよ!」

「今はどうでもいい!」


 どうする。

 もう木剣は砕けた。

 レンも限界。サラも魔術と鈴で体力を使っている。

 俺の魔力も、さすがに底が見え始めている。

 熊が岸へ上がろうとする。


 その瞬間だった。

 音もなく、一本の矢が熊の額に突き刺さった。

 次の瞬間。矢が破裂した。

 強烈な光が森を白く染める。

 雷でも落ちたのかと思うほどの衝撃が、湖面を叩いた。


 熊の巨体がびくりと跳ねる。

 そして、再び湖へ沈んでいった。

 今度こそ、浮かんでこない。俺たちは唖然としていた。

 何が起きたのか、理解できなかった。

 やがて、森の奥から足音が聞こえてくる。


 こつ。こつ。重く、乾いた音。現れたのは、一人の男だった。

 右目には眼帯。左足は義足。髭は手入れされておらず、服も汚れている。

 完全に不審者である。

 だが、手に持つ弓だけは異様な存在感を放っていた。

 男は湖を見て、それから俺たちを見下ろした。


「おいおい」


 低く、呆れたような声だった。


「いつからガキだけで森に入れるようになった」


 男は舌打ちする。


「だからガキは嫌いなんだ」


 口は悪い。見た目も悪い。態度も最悪。

 だが、今この瞬間、俺たちの命を救ったのは確かだった。

 緊張が切れた。

 足から力が抜ける。

 俺はその場に倒れ込んだ。


 遠くで、サラの泣き声とレンの荒い息が聞こえる。

 こうして俺たちの小さな冒険は、一人の不審者との出会いによって幕を閉じた。

 その時の俺には、まだ分からなかった。


 この口の悪い不審者こそが、俺の人生を大きく変える男になるのだと。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

次回は主人公の父、ガレン視点です。

特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。

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