第二話 夢被れ
電球。
守護神。
アレス・ジョーンズ。
その三つの単語が、赤子の小さな頭の中でぐるぐる回っていた。
いや、もう赤子というほどではない。
俺、ルークスは三歳になっていた。
ひょんなことからトラックに轢かれて、気づけば異世界に転生していた男である。
ここまではいい。いや、よくはないが、異世界転生ものとしてはテンプレだ。
問題は、この世界にはすでに前任者がいたことだ。
アレス・ジョーンズ。
人類の守護神と呼ばれる男。勇者ゼインと共に魔王を討伐した英雄。
そして、電球をはじめとする数々の発明を世界に広めた人物。
どう考えても転生者である。
つまり、俺が異世界でやりたかった現代知識チートは、すでに前任転生者によってやり尽くされていた。
いや、すごい。それは認める。けれど、悔しいものは悔しい。
俺が夢見ていた異世界転生の椅子には、すでに別の誰かが座っていた。
しかも、その誰かはただ座っていただけではない。
世界そのものを変えるほどの偉業を成し遂げて、守護神なんて呼ばれている。
「つまらない」
「どうしたの、ルークス?」
母ミリアが、俺の頭を優しく撫でる。
何度されても心地よい。
これが癒やしの魔術か。
違うな。ただの母性だ。
「僕って、勇者様の子孫だったりしない?」
俺は一縷の望みをかけて尋ねた。
現代知識が駄目なら、血筋チートだ。
勇者の血筋。聖女の血筋。実は伝説の一族。
異世界転生ではよくある逆転要素である。
しかし、ミリアは困ったように笑った。
「また勇者様の真似?」
「違うよ。大事なことだよ」
「ふふ。最近そればっかりね」
ミリアは俺を抱き寄せる。
「残念だけど、私たちは平民よ」
「うーん」
「あなたに勇者様の血は流れていないわ」
そう言われて、俺は少しだけ肩を落とした。
魔王を倒した勇者。世界を変えた守護神。
そのどちらにも、俺は関係がない。
俺はただ、辺境の町に生まれた平民の子供だった。
「でもね、ルークス」
ミリアは俺の顔を覗き込む。
「勇者様の血はなくても、あなたは私とお父さんの大事な子よ」
「うん」
「だから、勇者様みたいじゃなくてもいいの。あなたには、あなたの良いところがきっとあるわ」
ミリアはそう言って、俺の額にそっと口づけた。
「ありがとう、ママ」
「いいのよ、ルークス」
今世の両親も優しい人だった。
前世の両親にも、俺はちゃんと親孝行できなかった。
今世では、できればこの二人に親孝行してやりたい。
勇者の血筋じゃない。貴族でもない。
現代知識チートも、前任者に潰されている。
それでも、俺は強くならなければならない。
この世界には魔物がいる。父の仕事も、町を守ることだ。
なら、ここで弱いということは、それだけで誰かに守られる側になるということだった。
何もできず、守られるだけの人生は嫌だ。
せっかく二度目の人生をもらったのなら、今度こそ、誰かを守れる側になりたい。
つまり、父ガレンだ。
「父さんの仕事って、何してるの?」
その夜、俺は父に尋ねた。
ガレンは待ってましたと言わんばかりに、胸を張った。
「いいか、ルークス。俺の仕事は、この町の警備だ」
「けいび」
「ああ。町の外には魔物がいる。東の森から角兎が降りてきたり、夜になると牙鼠が畑を荒らしたりする。そういう奴らが町に入る前に追い払うのさ」
「すごいね、パパ」
「そうよ。お父さんはすっごく強いのよ、ルークス」
ミリアが嬉しそうに言う。
「最高の人なのよ」
「ミリアだって最高の奥さんだ」
「あなた」
「ミリア」
まただ。両親は優しい。
優しいのだが、すぐに二人だけの世界へ入ってしまう。
まあ、仲が悪いよりはずっといい。
俺としても、両親の仲が良いのはありがたい。
ただし、子供の前でやるには少し濃い。
「ねぇ、パパ、ママ」
「どうした、ルークス」
「眠たくなってきたかも」
「あ、そうだな。もう夜も遅い」
「そ、そうね」
両親はようやく俺の存在を思い出してくれたらしい。
その後、二人は仲良く部屋へ戻っていった。
よし。俺の日課を始めるとしよう。
◇
あれから、俺は毎日魔力炉と向き合っている。
最初の頃に比べると、一回の呼吸で生み出せる魔力の量はかなり増えた。
それだけじゃない。
魔力を一気に流せる量。魔力が流れる速度。身体の中に魔力を蓄えられる量。
その全部が、少しずつ増えている感覚がある。
これは大きな成果だ。
だが、問題があった。作った魔力を、使えない。
身体の中に温かい力はある。
呼吸によって生まれ、胸の奥から全身へ広がる感覚もある。
けれど、それを魔術として外へ出そうとすると、途端に分からなくなる。
まるで、蛇口がない。
水はある。タンクもある。
でも、それを外へ流すための管も蛇口も見つからない。
そんな感覚だった。
「むむむむ」
俺はベッドの上で小さな手を前に出す。
まずは王道だ。
「ファイヤーボール」
何も起きない。
手のひらに魔力を集める。
酸素が燃えるイメージ。
熱が集まり、火となり、球となるイメージ。
「酸素は燃え、火は弾となる」
即興詠唱である。
もちろん、格好いいからやっているわけではない。
魔術にはイメージが大事だと、異世界小説で学んできたからだ。
「ファイヤーバレット」
だが、手に集まった魔力は俺を嘲笑うように、すぐ身体の外へ薄く抜けていった。
火は出ない。煙も出ない。焦げた匂いすらしない。
「ダメだ〜」
俺はベッドに倒れ込んだ。
何度も試した。何度も失敗した。
焦りが、胸の奥にじわりと滲む。
俺は前世では、ただの異世界小説好きの大学生だった。
何かを成し遂げたわけでもない。何かに全力で生きたわけでもない。
物語の主人公に憧れながら、物語の外側で生きていた普通の人間だ。
そんな俺に、二度目の人生が与えられた。
今度こそ。今度こそは。
そう思っているのに、現代知識は前任者に潰されていた。
勇者の血筋もない。そして魔術さえ今は使えない。
ふざけるな。
ここで終わってたまるか。
俺は物語のかっこいい主人公に憧れてきた。
そのチャンスが、今、目の前にあるんだ。
絶対に掴んでみせる。
俺は小さな拳を強く握りしめた。
その瞬間だった。
拳に、魔力が流れ込んだ。
「……ん?」
今まで俺は、魔力とは外に出して魔術にするものだと思い込んでいた。
火を出す。
水を出す。
風を操る。
雷を落とす。
魔力とは、そういう形で使うものだと。
だが、俺にはそのための蛇口がない。
なら、外に出さなければいい。内側に流せばいい。
俺は息を止めた。
新しい空気を吸わなければ、空気中の魔粒子も入ってこない。
魔力炉による変換も止まる。
そして同時に、今体内にある魔力の流れも滞る。
胸の奥にあった熱が、行き場を失ったように内側で膨らんだ。
それは臓器の周りに留まるだけではない。
腹から肩へ流れ、腕に伝わり、足の指先に届く。
血と一緒に流れるように、筋肉の奥へ染み込んでいく。
熱い。全身が熱い。けれど、不快ではない。
むしろ、身体が軽くなるような感覚がある。
俺はその熱に、感情を乗せた。
強くなりたい。勇者みたいに。守護神みたいに。物語の主人公みたいに。
その瞬間、足に流れ込んでいた魔力が一気に膨れ上がった。
俺は目を閉じたまま、一歩だけ足を踏み出した。
軽く。本当に軽く。ただ一歩、進むつもりだった。
だが、現実は違った。足が床を押した瞬間、俺の身体はふわりと浮いた。
「へ?」
宙にいた。
たった一歩。たった一歩踏み出しただけで、俺の身体はベッドから飛び出した。
まずい。そう思った時には遅かった。
俺にできたのは、とにかく頭を守るように腕で覆うことだけだった。
次の瞬間、何もない辺境の町の夜に、情けない子供の声が響き渡った。
「いったーーーー!」
階段をせわしなく上る音が聞こえた。
「何事だ、ルークス!」
「どうしたの、ルークス!」
父と母が勢いよく部屋に飛び込んでくる。
俺は床の上を転がっていた。
いや、違う。転がりたくて転がっていたわけではない。
俺だってびっくりしたのだ。許してほしい。
「何を騒いでいるんだ、ルークス。夜中に大きな音を立てるんじゃない!」
「ご、ごめんなさい。これは、その」
「まったく。おとなしい子だと思っていたが、急にどうしたんだ」
父は怒っている。
当然だ。夜中に三歳児が大声を出して、床に転がっていたのだから。
だが、母は俺ではなく、床を見ていた。
「ねぇ、あなた。これ」
「ん?」
「見て」
ミリアが床を指さす。そこには、木の床にくっきりと残った小さな足跡ある。
踏み抜いたわけではない。
だが、柔らかい泥に足を押しつけたように、木目がへこんでいる。
「この子、魔力を使ったのよ」
「馬鹿な。まだ三歳だぞ」
ガレンの目が大きく見開かれる。
「でも、これは魔力を初めて使う子がやるものよ」
「……夢被れか」
父は、さっきまでの怒りを忘れたように、俺を見た。
「夢被れ?」
「すごいぞ、ルークス!」
なぜか父の顔が、心配と怒りから一転して喜びに変わった。
「え? 怒ってないの?」
「夜中に大声を出したことはよくない。そこは反省しなさい」
「はい」
「だが、夢被れとはな」
父は懐かしそうに笑った。
「父さんも最初はそうだった」
「お母さんもよ。ここまで強くはなかったけれど」
なぜだ。なぜ二人とも、そんな慈愛に満ちた目を向けてくるのだ。
どういうことだ。あと、夢被れって何だ。
◇
翌朝。
俺は父から、夢被れについて教えてもらうことになった。
「いいか、ルークス。魔力は感情に深く関係している」
「感情?」
「ああ。特に子供はそうだ。英雄譚や勇者の話を聞いて、自分もあんなふうになりたいと思う。すると、その気持ちに引っ張られて、無意識に魔力が身体へ流れることがある」
「それが夢被れ?」
「そうだ」
父は庭の丸太に腰を下ろしながら続ける。
「勇者みたいに走りたい。守護神様みたいに強くなりたい。そう思って、息を止めるほど夢中になる。すると、身体の中の魔力が行き場を失って、筋肉に流れ込む」
俺は黙って聞いていた。
昨日の感覚そのものだった。
息を止めたことで、魔力の流れが滞った。
逃げ場を失った熱が、筋肉へ染み込んだ。
そこに「強くなりたい」という感情が重なった。
だから、身体強化のような現象が起きたのだ。
「大抵の子供は壁にぶつかるか、床を踏みしめて泣く」
「僕も泣いた」
「泣いていたな」
父は楽しそうに笑った。
「だが、お前のは少し強かった。床に足跡が残るほどの夢被れは、父さんも初めて見た」
「そうなの?」
「ああ。普通はもっと弱い。お前、何かしていたのか?」
「えっと、呼吸の練習?」
嘘ではない。魔力炉を鍛えていた、とはさすがに言えない。
そもそも、この世界でその名称があるのかも分からない。
「呼吸か。なるほどな。魔力の巡りが良いのかもしれん」
父はそう言って、俺の頭を撫でた。
「ちなみに、守護神様も子供の頃に夢被れをやったらしいぞ」
「アレス様も?」
「ああ。英雄の真似をして壁に突っ込んで、かなり恥ずかしがっていたと伝記に書いてあった」
あいつもやったのか。
完璧超人みたいな前任転生者も、子供の頃には壁に突っ込んでいたらしい。
少しだけ親近感が湧いた。いや、湧いてたまるか。
俺の現代知識チートを奪った男だぞ。
「ルークス。お前は勇者様派か、守護神様派か?」
父が急に尋ねてきた。
「どっち派?」
「ああ。このゴルゴン王国では、子供なら一度は通る話題だ」
父は誇らしげに胸を張る。
「父さんは勇者様派だ。なにせ、このゴルゴン王国は勇者様の生まれた国だからな」
「そうなんだ」
「勇者様は慈愛に満ちたお方で、勇者の剣を手に世界を救った。しかも奥方一筋の純愛だ」
「あなた、守護神様も素敵よ」
ミリアが横から口を挟む。
「数々の大発明で、世界を照らしたお方よ。夜に明かりがあるのも、遠くの国の食べ物が食べられるようになったのも、守護神様のおかげなの」
「む。そうだった。君は守護神様派だったな」
父と母がこちらを見る。
「ルークス、お前はどっち派だ?」
「どっち……」
勇者ゼイン。
魔王を倒した本物の勇者。
この国において、憧れの中心にいる人物。
守護神アレス。
前任転生者。
俺がやりたかったことを、全部やり尽くした男。
本当は、素直に好きとは言いたくない。
だが、俺はその存在が気になって仕方がなかった。
「ぼ、僕は、守護神様かな」
母は父に向かって、勝ち誇ったような顔をした。
父は少しだけ悔しそうに俺を見る。
すまない、父さん。
母には今世でも勝てないのだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
夢被れ、最初の案はチューニ病でした。まあ,うん。夢被れで良かったと心底思います。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。




