第十三話 私を照らした日(エリシアside)
私の人生には、勇者様がいませんでした。
幼い頃、まだ元気だったお母様が、よく勇者ゼイン様のお話を聞かせてくださいました。
魔王に立ち向かい、人々を守り、どれだけ絶望的な状況でも決して背を向けない勇者様。
そのお話を聞くたびに、私は胸を躍らせました。
いつか私にも、そんな勇者様が現れてくれるのではないか。
そう信じていた時期が、たしかにあったのです。
けれど、現実はお伽話のようにはいきませんでした。
「お嬢様、私の背後にいてください」
「ダメよ、マリー!」
森の中で、マリーが私を庇うように前へ出ました。
彼女の手には護身用の短剣があります。
けれど、私たちを囲む男たちは一人や二人ではありませんでした。
「まさか、本当に貴族の娘がいるとはな」
「言っただろ、ゴン。情報に嘘はねえって」
「さすがだぜ、ゲン」
下品な笑い声が、森の中に響きます。
どうして、こんなことになってしまったのでしょう。
お母様が病に倒れてから、屋敷の空気は変わってしまいました。
明るかった食堂から笑い声は消え、廊下には薬草の匂いばかりが残るようになりました。
月灯草があれば、お母様の苦しみを少しでも和らげられるかもしれない。
そう聞いた私は、マリーに無理を言って領地の外れの森へ入りました。
ほんの少しだけ。月灯草を採って、すぐに帰るつもりだったのです。
けれど、森の奥で私たちを待っていたのは、薬草ではなく、十人の男たちでした。
マリーは軽い剣術を覚えています。
それでも、多勢に無勢でした。
あっという間に短剣を弾かれ、地面に組み伏せられてしまいます。
「ああ、お母様。お父様……」
声にならない謝罪が、胸の奥でこぼれました。
馬鹿な娘で、ごめんなさい。
「手間かけさせやがってよ」
「あぐっ!」
倒れたマリーの腹を、男の足が蹴りつけました。
「やめて!」
私は叫びました。
けれど、その声に怯える者など、ここにはいませんでした。
「嬢ちゃんは無傷で連れてこいって話だったが」
「この女までは、誰も指定してねえよな」
「マリーは関係ないでしょう! 狙いは私なのでしょう!」
「おいおい、関係ないからいいんだよ」
男の一人が、マリーの髪を乱暴につかみました。
ブロンズ色の綺麗な髪が、無残に引き乱されます。
マリーは、いつも私の世話をしてくれる人でした。
お母様が病気になってからは、本当の母親のように私を支えてくれた人でした。
そのマリーが、今、私の目の前で傷つけられている。
「お嬢様、逃げて……」
「嫌よ。マリーを置いていけるわけないでしょう」
私の声は震えていました。
足も、指先も、情けないほど震えていました。
私はこの世界が嫌いです。
お母様が病に倒れてから、私の世界は黒く染まってしまいました。
どれだけ祈っても、お母様は元気にならない。
どれだけ願っても、誰も助けてくれない。
私の世界には、眩しいほど照らしてくれる太陽様などいなかったのです。
「泣いても無駄だぜ。ここまで来る物好きなんざいねえ」
「領主様の娘ってのも、森の中じゃただの荷物だな」
「高く売れりゃ、それでいい」
男たちの声が森に響きます。
けれど、助けに来る人はいません。
魔物の声も、人の気配もない。
ただ、私とマリーを見下ろす悪意だけがありました。
ここは現実なのだと、嫌でも理解してしまいます。
お伽話のように、誰かが助けてくれるわけではない。
勇者様が現れて、悪い人たちを倒してくれるわけではない。
やっぱり、この世界は私に優しくありませんでした。
「ゆ、勇者様……」
気づけば、私はそう呟いていました。
「勇者様? そんな都合のいいやつが、この森にいるわけねえだろ」
「そうそう。ここにいるのは悪人だけだ」
男たちは笑いました。
その笑い声が怖くて、悔しくて、私はぎゅっと目を瞑りました。
助けてください。
お父様。
お母様。
勇者様。
どうか、マリーを救ってください。
私は祈るように手を組み、ただ願い続けました。
その時です。
「不届き者め!」
明るい声が、森に響きました。
次の瞬間、盗賊の一人の顔面に、誰かの足が突き刺さりました。
「ぐえっ!」
男の身体が地面を転がります。
突然の乱入者に、盗賊たちも、マリーも、私も、唖然としてしまいました。
木々の間から現れたのは、一人の少年でした。
年は、私とそう変わらないように見えます。
けれど、その少年は一切怯えていませんでした。
「俺の名前はレン」
少年は剣を抜き、私たちの前に立ちました。
「助けてって聞こえた。だから来た」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が震えました。
「こ、この人たちが、突然襲ってきたんです」
震える声で、どうにかそれだけを伝えました。
レンと名乗った少年は、周囲を見渡します。
倒れているマリー。
私たちを囲む盗賊たち。
そして、怯える私。
それだけを確認すると、少年は剣を構えました。
「よし。なら、かかってこい」
木々の隙間から差し込んだ陽光が、少年の背を照らしていました。
まるで、そこだけ森ではないみたいでした。
黒く沈んでいた私の世界に、初めて光が差した。
その時の私には、本当にそう見えたのです。
「ちょ、調子に乗りやがって!」
ようやく状況を理解した盗賊たちが、武器を手に取りました。
一人、二人、三人。
次々とレン様へ斬りかかります。
「悪いが、今の俺は絶好調だぜ」
レン様の身体が、淡く輝いたように見えました。
私の目がおかしくなったのかもしれません。
恐怖で、現実とお伽話の区別がつかなくなっていたのかもしれません。
でも、たしかにその時、私には彼が光って見えたのです。
盗賊たちの攻撃は、レン様には当たりませんでした。
剣が振られる。
けれど、そこにもう彼はいない。
槍が突き出される。
けれど、彼は半歩ずれて避けている。
そして、避けた次の瞬間には、盗賊の一人が地面に転がっていました。
「なんなんだ、このガキ!」
「聞いてた話と違うぞ!」
「どうした、お前ら」
レン様は剣を構えたまま、堂々と笑いました。
「俺は、まだまだやれるぞ」
「くそ、つえぇ……」
盗賊たちが後ずさります。
勝てる。そう思ってしまいました。
あれほど絶望でしかなかった状況が、今はまるでお伽話の一場面のように変わっていく。
勇者様が現れ、悪者たちを倒す。
幼い頃に聞いた物語が、私の目の前で本当になっていく。
「よくも蹴りやがったなぁ!」
最初に蹴り飛ばされた男が、背後からレン様へ近づきました。
なのに、レン様は振り返りません。
どうして、危ない。
そう思った瞬間、私たちの背後から何かが飛んできました。
「魔想玉」
球体のような光が、男の顔面に直撃しました。
男は勢いよく吹き飛ばされ、地面を転がります。
私が振り返ると、そこにはもう一人の少年が立っていました。
息を切らし、服に土をつけながらも、まっすぐレン様の背中を見ています。
「お前、何やってんだよ」
「来てくれると思ってたぜ、ルーク」
「面倒事の天才かよ」
ルークと呼ばれた少年は、深いため息を吐きながらレン様の隣へ並びました。
文句を言っているのに、逃げようとはしていません。
呆れているのに、背中を向けようとはしていません。
ただ自然に、レン様の足りない場所を埋めるように立っていました。
それが、少し不思議でした。
勇者様は一人で戦うものだと思っていました。
けれど、目の前の勇者様には、隣に立つ人がいました。
ただでさえ押されていた盗賊たちは、もう完全に逃げ腰になっていました。
「やべぇ、ゲンさんがやられた。に、逃げるぞ」
「逃げたら殺されるぞ!」
「でも、ゲンさんを倒したやつらに勝てるわけねえだろ!」
レン様とルーク様が、盗賊たちへ武器を向けます。
「さて、ルーク。後ろは頼んだぜ」
「はぁ……分かったよ。いくか」
二人の少年が、私たちの前に立っていました。
一人は、太陽みたいに真っ直ぐな勇者様。
もう一人は、文句を言いながらも、その背中を支える人。
その時、私は思いました。
お伽話は、全部が嘘ではなかったのだと。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
前回あばばばばしていたとは思えない男。それはそうと、新たな登場人物、エリシアさんとマリーさん。
マリーさんは多少であれば戦えますが、戦闘能力は低めです。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。




