第十四話 テンプレはいつも主人公の傍にある
森の奥へ消えていった馬鹿を追いかけるために、俺は全力で身体を強化して走っていた。
足に魔想を流し、地面を蹴る。
木々の間を抜け、枝を避け、草を踏み分ける。
だというのに、この森、長くね?
割と本気で走っているのに、まったくあいつの背中が見えてこない。
「助けを求める声が聞こえた」とか何とか言っていたが、俺にはまったく聞こえなかった。
耳を澄ませても、聞こえるのは自分の息と、風に揺れる木々の音だけ。
その時、森の奥から、かすかに何かが聞こえた。
悲鳴のような、獣の唸りのような。
それが何なのかを考えるより先に、左側の茂みが大きく揺れた。
「Guaaaaa!」
赤い瞳によだれを垂らす牙。
木々の間から現れた巨体が、一直線に俺へ向かってくる。
「ぎゃあああああ!」
何で赤眼熊がいるんだよ!
しかも、めちゃくちゃ俺を食べる気満々じゃねえか!
俺は足に込めていた魔想の流れを変え、一気に速度を落とした。
地面を削るようにして止まり、腰のショートソードに手をかける。
赤眼熊、忘れるわけがない。
あの日、湖のそばで出会った魔物。
サラの悲鳴。レンの叫び。何もできなかった自分。
一瞬だけ、足がすくみそうになる。
けれど、今の俺はあの時とは違う。
三年間、ジャンに転がされ続けた。
何度も殴られ、何度も倒され、何度も立ち上がった。
魔想を練り、身体を鍛え、剣を振り続けた。
だから。
「いいぜ、くそ熊」
俺は熊に向けて、抜刀の構えを取った。
「リベンジといこうか」
「Gyaaaaa!」
赤眼熊の巨体が迫る。
振り下ろされる爪は、まともに受ければ身体ごと裂かれる威力だ。
俺は足に魔想を流し、真上へ跳んだ。
爪が地面をえぐる。
砕けた土と草が舞い上がる。
空中に逃げた俺を、赤眼熊は食らわんばかりに口を開けて追ってきた。
遅い。もう鞘の中には、魔想を満たしてある。
鞘の内部で魔想を圧縮し、小さな爆発を起こす。
その衝撃を利用して、一気に剣を抜いた。
「くらえ、魔想斬!」
抜刀と同時に放たれた斬撃が、赤眼熊の左目を切り裂いた。
「Gyaaaaa!」
熊が叫ぶ。
俺はそのまま熊の頭に手をつき、勢いを殺さず背後へ跳んだ。
地面に着地する。
斬られた左目を前脚で覆いながら、赤眼熊が俺を睨んでいた。
その瞳には怒りがある。
けれど、あの日ほど怖くはなかった。
「言ったはずだぜ」
俺は剣を構え直す。
「これはリベンジ戦だってな」
熊の左側へ滑り込む。
視界を潰された熊は、死角を防ぐように身体を左へ向けた。
その動きは大きい。読みやすい。
振り下ろされた爪が地面を叩くより早く、俺は熊の足元を抜けて右側へ回り込んでいた。
巨体で強靭な魔物だ。
力だけなら、今の俺でも正面からは勝てない。
けれど、左目を潰した。
動きも、前に戦った個体より雑だ。
なら、やれる。
熊が俺を探して右側へ腕を伸ばす。
だが、そこに俺はいない。
俺はすでに跳んでいた。
熊の腰を蹴り、頭上へ身体を運ぶ。
「あばよ、熊野郎」
全身に魔想を流す。
腕に、肩に、剣を握る指先に。
俺は熊の顔面に手をかけ、先ほど切り裂いた眼球へ剣を突き刺した。
「Gaaaaaaa!」
赤眼熊が暴れる。
俺は剣を刺したまま地面へ降りる。
熊は前脚で剣を抜こうと暴れた。
木々が揺れ、土が跳ねる。
けれど、それも長くは続かなかった。
やがて、巨体がゆっくりと傾き、地面に倒れ伏す。
森が静かになった。
俺は息を整え、熊に刺さった剣を抜き取る。
「ふう……今回は、俺の勝ちだ」
勝った。
あの時、手も足も出なかった赤眼熊に、今の俺は一人で勝った。
胸の奥が熱くなる。
これなら、俺だって。
俺だって、この世界で――。
そこまで考えて、遠くから人の声が聞こえた。
そうだった。
今は感動している場合じゃない。
森の奥には、俺より先に突っ走った馬鹿がいる。
「……とりあえず、あいつのところに向かうか」
俺は剣についた血を軽く振り払い、声のする方へ走り出した。
◇
少し進んだ先に、レンはいた。
どうやら、あいつの言っていたことは間違っていなかったらしい。
服を乱されたメイドらしき女性。そのそばで震えている少女。
そして、レンにボコボコにされている盗賊らしき男たち。
あいつのセンサーはどうなってるんだよ。
ここまで綺麗なテンプレ展開を、どうして正確に感じ取れるんだ。
俺にもその才能を分けてくれ。
そう思った瞬間、倒れていた男の一人がレンの背後から近づいていることに気づいた。
レンも気づいている。
なのに、あいつは振り返らない。
こっちを信じているのか。
「仕方ねえな」
俺は手のひらに魔想を集める。
「魔想玉」
圧縮した魔想の球体を放つ。
球体は男の顔面に直撃し、そのまま勢いよく吹き飛ばした。
「お前、何やってんだよ」
「来てくれると思ってたぜ、ルーク」
「面倒事の天才かよ」
是非とも、その才能を俺に分けてほしい。
まあ、それもこれも、こいつらをぶっ飛ばした後だ。
「さて、ルーク。後ろは頼んだぜ」
「はぁ……分かったよ。いくか」
「やってやるぜ、ちくしょう!」
「盗賊魂ーー!」
涙目で叫ぶ盗賊たちが向かってくる。
いや、盗賊魂って何だよ。
そんな魂、今すぐ捨てろ。
結果から言えば、盗賊たちは見事に全員地面に伏した。
殺しはしていない。
ただ、ほとんどレンがボコボコにしていた。
うん。因果応報である。
◇
「身体は平気ですか?」
俺は、服を破かれていたメイドの人へ近づいた。
自分が羽織っていた外套を脱ぎ、そっと差し出す。
「俺ので悪いけど、これ使ってください」
「申し訳ございません。ありがとうございます」
メイドの人は震える手で外套を受け取った。
顔色は悪い。目元には涙が残っている。
それでも、俺に礼を言おうとしている。
「あいつらは何なんですか?」
「分かりません。突然襲いかかってきて……あいつらに服を破かれて……」
そこまで言ったところで、メイドの人の声が詰まった。
記憶がよみがえったのだろう。
彼女は口元を押さえ、ぽろぽろと涙をこぼした。
俺は一瞬、どうすればいいのか分からなくなった。
さっきまで熊と戦っていた時より、こっちの方が難しい。
「あ、えっと……」
何か言おうとして、言葉が出てこない。
仕方なく、俺は彼女の背中をそっとさすった。
大丈夫です、なんて軽々しく言えなかった。
実際、大丈夫ではないだろうから。
そんな慌てる俺をよそに、レンは少女へ話しかけていた。
どうやら、少女は病気の母のために月灯草を取りに来たらしい。
そこを盗賊に襲われた。
何というテンプレ展開。
まあ、俺も昔、似たようなことをしたから何も言えないけど。
ただ、二人とも生きていた。
それだけで、まずはよかったと思う。
それはそれとして。くそ。
俺も熊なんか相手にしていなかったら、勇者様とか言われていたのだろうか。
次会ったら、もっとボコボコにしてやるからな、熊。
「とりあえず、森を出よう、レン」
「そうだな、ルーク」
「あ、森を出るなら、この道をまっすぐ行けば街道に出られます」
俺の外套を羽織ったメイドの人が、震える指で木々の間を示した。
「歩けますか?」
「はい。ありがとうございます」
メイドの人は頭を下げた。
俺は少しだけ困って、頬をかく。
礼を言われるのは苦手だ。
助けたのはほとんどレンだし、俺が来た時にはもうだいぶ終わっていた。
……まあ、赤眼熊と戦っていたから遅れたんだけどな。
「おい、ルーク。何してんだよ」
「お前が勝手に突っ走るからだろ」
「だって、呼ばれたんだよ」
「そのセンサー、俺にも分けろ」
「センサー?」
「なんでもない」
レンは首を傾げた。
こいつには、本当に助けを求める声が聞こえていたのだろう。
俺にはまったく聞こえなかった声が。
ますます勇者みたいだな、こいつ。
「レン様」
少女が、レンの服の裾を小さく掴んだ。
「本当に、ありがとうございました」
「無事ならよかったぜ」
「はい」
少女は小さく笑った。
けれど、その笑顔はどこか危うかった。
俺には、そう見えた。
「それにしても、まさかキャンウィング領のお嬢様とはな」
見るからに平民ではなさそうだった。
けれど、まさかこれから向かう場所の領主の娘だとは思わなかった。
メイドの名はマリー。
そして少女は、キャンウィング領主の娘らしい。
「私は、エリシア・キャンウィングと申します」
少女は丁寧にスカートを摘まみ、頭を下げた。
汚れた服に乱れた髪。それでも、その仕草には貴族らしい品があった。
「助けていただいたご恩は、父にも必ず伝えます」
「いや、別にそこまでしなくても」
「いえ。あなた方は、私とマリーの命の恩人です」
エリシアはそう言って、真っ直ぐレンを見た。
いや、こっちも見てくれていいんだけど。
少しは。
「レン様は、私の勇者様です」
「そ、そうかなあ」
レンが照れた。
胸の奥が、少しだけちくりとした。
別に、俺が礼を言われたいわけじゃない。
いや、少しは言われたいけど。
ただ、こういう時に真っ先に誰かの記憶に残るのは、いつもレンみたいなやつなのだろう。
まっすぐ走って、まっすぐ助けて、まっすぐ笑うやつ。
俺は、その隣で文句を言う役。
……いや、なんでだよ。
◇
メイドの言葉通り、森の道をまっすぐ進むと、思ったより早く街道へ出た。
森を抜けた瞬間、空が一気に広くなる。
木々に遮られていた春の光が、街道の白い土を明るく照らしていた。
そこには、俺たちの馬車が止まっていた。
「ようやく帰ってきたか、レン、ルーク」
ジャンが馬車の横で腕を組んでいた。
その顔はいつも通り笑っている。
だが、目だけは少し細い。
たぶん、森の中で何があったのか、だいたい察しているのだろう。
「もう、どこに行ってたの!」
サラが駆け寄ってくる。
その瞳には、不安がはっきりと浮かんでいた。
けれど、俺たちの姿を見ると、その表情が少しだけ緩む。
怒っている。でも、それ以上に安心している。
「ご、ごめん」
「サラ、でも俺は呼ばれたんだ」
「レン君」
「はい」
サラの一言で、レンが背筋を伸ばした。
うん。サラは強い。
「し、心配しましたよ、まったく」
ガードナーさんも胸を撫で下ろしていた。
たぶん、馬車の護衛としては胃が痛かったに違いない。
十歳の子供が二人、突然森に消えたのだ。
俺が大人なら泣いている。
「すみません、ガードナーさん」
「無事ならいいんだ。でも、次からは勝手に飛び出さないでね」
「はい」
俺とレンは同時に頭を下げた。
ジャンだけが、かかか、と楽しそうに笑っている。
相変わらず腹立つな。
蹴り飛ばしたくせに。
「おん? レン。そいつがお前を呼んだのか?」
「そうみたいだ」
ジャンの視線がエリシアへ向く。
エリシアは少し怯えたように、レンの後ろへ隠れた。
ジャンは見た目が悪い。
いや、顔が悪いというより、雰囲気が悪い。
山賊が善人の皮を被っているような男だ。
「ふうん」
ジャンはエリシアを見た後、マリーを見た。
そして最後に、森の奥へ視線を向ける。
「盗賊か」
「ああ。十人くらいいた」
「十人?」
ガードナーさんの顔色が変わる。
「それを二人で?」
「俺も強くなったわけだ。なあ、ルーク」
「いや、その……まあ、成り行きで」
ガードナーさんの声が裏返った。
サラの目がさらに怖くなった。
終わった。
俺は心の中で自分の墓を建てた。
「ルークス君」
「はい」
「あとで、ちゃんと話を聞かせてね」
「はい……」
これは怒られる。
母さんと違う方向で怒られる。
ここに熊の話をトッピングしたら、俺の墓は二個必要になってしまう。
黙っておこう。
あれは夢だった。よし。
ガードナーさんが慌ててマリーに水を渡し、サラがエリシアに怪我がないか確認する。
幸い、エリシアに大きな怪我はなかった。
マリーは腹を蹴られていたが、歩けないほどではないらしい。
サラが手をかざすと、淡い光がマリーの身体を包んだ。
「ありがとうございます……」
「無理しないでください」
マリーは深々と頭を下げた。
その姿を見て、エリシアの表情が少しだけ歪む。
自分のせいでメイドが傷ついた。
たぶん、そう思っている。
それが分かったから、俺は何も言えなかった。
◇
結局、エリシアとマリーは俺たちの馬車に乗せることになった。
当然だ、領主の娘を森に置いていくわけにはいかない。
それに、目的地は同じキャンウィング領だ。
問題は、馬車の中の空気である。
「レン様は、私の勇者様です」
「そ、そうかなあ」
エリシアはレンの腕にぴったりとくっつき、遠慮なく寄り添っていた。
さっきまで盗賊に襲われていたとは思えないほど、目を輝かせている。
いや、思えばこそ、なのかもしれない。
彼女にとってレンは、絶望の中に現れた分かりやすい救いだったのだ。
だから、今は少しでも離れたくない。
その気持ちは分かる。
分かるのだが。
「レン君も、なんだね」
サラがぽつりと呟いた。
その声は穏やかなのに、なぜか馬車の温度が一度下がった気がした。
「サ、サラ? これは違うぞ」
「私は何も言ってないよ」
「レンは女たらしだな」
「ルークス君、何か言った?」
「何も言ってません」
俺は即答した。
生存本能である。
「かかかかか!」
ジャンが腹を抱えて笑っていた。
ガードナーさんは困ったように笑い、マリーは恐縮したように何度も頭を下げている。
「お嬢様、あまりご迷惑をおかけしては」
「で、でも、マリー。レン様は私たちを助けてくれたのよ」
「それはそうですが」
「それに、レン様は本当に勇者様みたいだったの」
エリシアは胸の前で手を組む。
その横顔は、年相応の少女のものだった。
ただ憧れている。
ただ救われたことに舞い上がっている。
そう見える。
サラはエリシアを見ていた。
怒っている、というより、少し困っているようにも見えた。
助かったばかりの女の子に、強く言えるはずがない。
でも、レンにくっつかれて平気でいられるほど、サラも大人ではない。
うん。これは、かなり面倒な空気である。
「レン、調子に乗るなよ」
「の、乗ってねえよ」
「顔が乗ってる」
「顔ってなんだよ!」
「緩んでる」
「うるせえ!」
レンが顔を赤くして叫ぶ。
エリシアはそれを見て、楽しそうに笑った。
サラは、にこにこと笑っている。
だが、目が笑っていない。
俺は窓の外を見ることにした。
こういう時は、外の景色に逃げるに限る。
馬車は街道を進んでいく。
森は少しずつ後ろへ遠ざかり、草原の向こうに石造りの道が伸びていた。
その先に、町が見えてくる。
いや、町というより、街だった。
街道の先に、ようやくキャンウィング領が見えてきた。
最初に目に入ったのは、町をぐるりと囲む高い外壁だった。
石を積み上げた分厚い壁が、春の日差しを受けて白く光っている。
俺たちの町にある木の柵とは、まるで比べものにならない。
その中央には、馬車が何台も通れそうなほど大きな門が構えていた。
門の前には槍を持った兵士が立ち、出入りする人や荷馬車を一つひとつ確認している。
門の奥には、赤茶色の屋根がいくつも重なるように並んでいた。
煙突から白い煙が上がり、風に乗って人々の声らしきざわめきまで聞こえてくる。
そして、そのさらに奥。
町の建物よりも高い位置に、空へ向かって伸びる鉄の線路が見えた。
その先には、大きな駅舎のような建物があり、屋根の上から白い煙を吐き出している。
俺は思わず窓から身を乗り出した。
「……あれが、キャンウィング領」
俺が本でしか知らなかった、アレスの発明が息づく町。
その入口が、今、目の前に広がっていた。
田舎の町とは違う。
便利で、進んでいて、きっと俺の知らないものに溢れている。
胸が高鳴る。
「ルーク、すげえな!」
「ああ」
レンは目を輝かせていた。
エリシアはその隣で、少し誇らしげに微笑んでいる。
サラは静かに街を見つめていた。
ジャンだけは、街ではなく、遠くの森を見ていた。
いつものように笑っていない。
あの男が笑っていないだけで、妙に嫌な予感がした。
だが、俺が何かを聞く前に、馬車は大きな門へ近づいていく。
こうして俺たちは、キャンウィング領へ辿り着いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
レンとルークスの強さは同じくらいですが、火力はレンの方が高く、ルークスは応用力が高いです。
赤眼熊と正面からやると楽勝には勝てないです。そのため、二人の実力は熊より少し強い程度です。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。




