第九話 虎は若獅子を試す
大広間は静まり返っていた。
上座には黒峰宗景。
その左右には重臣たちが並んでいる。
誰もが相良悠真を見ていた。
値踏みするような視線。
獲物を見るような視線。
敵を見るような視線。
居心地は最悪だった。
だが悠真は表情を変えない。
会社員時代、理不尽な役員会議や取引先との交渉を何度も経験した。
胃が痛くなる空気には慣れている。
規模が違うだけだ。
今回は失敗すると首が飛ぶが。
「近う寄れ」
宗景が言った。
悠真は数歩前へ進む。
宗景は黙って見つめてくる。
鋭い。
まるで心の中を覗き込まれているようだった。
しばらく沈黙。
先に口を開いたのは宗景だった。
「噂は聞いている」
「光栄です」
「盗賊を処刑せず働かせたそうだな」
「人手不足でしたので」
重臣たちがざわつく。
普通なら情けをかけたと言う。
だが悠真は利益の話をした。
宗景の口元が少しだけ緩む。
「商人とも手を組んだ」
「利益になるので」
「税も下げた」
「民が豊かになれば戻ります」
再びざわめき。
宗景は静かに笑った。
「変わった男だ」
「よく言われます」
宗景は声を上げて笑った。
重臣たちが驚く。
普段の宗景は滅多に笑わない。
「なるほど」
宗景は肘掛けへ身体を預ける。
「では聞こう」
空気が変わった。
試験の本番だった。
「相良は何を目指す」
全員の視線が集まる。
難しい質問だった。
天下統一と言えば警戒される。
領地防衛では弱すぎる。
悠真は少し考えた。
そして正直に答える。
「生き残ることです」
沈黙。
誰も予想していなかった答えだった。
「ほう?」
宗景が目を細める。
「天下ではないのか」
「今の相良にそんな余裕はありません」
「正直だな」
「嘘を言っても仕方ありません」
悠真は続けた。
「民を食わせる」
「領地を豊かにする」
「戦を減らす」
「まずはそれだけです」
重臣たちの顔が微妙になる。
理想論に聞こえる。
甘い考えにも聞こえる。
だが宗景だけは黙っていた。
やがて。
「戦を減らす、か」
ぽつりと呟く。
その声はどこか遠かった。
宗景は若い頃から戦場にいた。
友を失い。
兄弟を失い。
家臣を失った。
勝ち続けたから今がある。
だが戦が良いものだと思ったことは一度もない。
「面白い」
宗景は再び笑う。
そして突然言った。
「義隆」
「はっ」
若武者が前へ出る。
黒峰義隆。
宗景の嫡男だった。
「庭へ出ろ」
評定の間がざわついた。
義隆はすぐに理解する。
「手合わせですか」
「ああ」
宗景は悠真を見る。
「相良殿」
嫌な予感しかしなかった。
「まさか」
「手合わせ願おう」
予感的中である。
◇◇◇
黒峰城の訓練場。
周囲を黒峰家の家臣たちが囲んでいた。
中央には悠真と義隆。
完全な公開処刑の雰囲気だった。
「終わったな」
「若様、武芸は……」
「聞くな」
岩倉と源左衛門が頭を抱える。
一方。
義隆は堂々としていた。
身長は高い。
体格も良い。
歴戦の武人だ。
対する悠真。
元会社員。
終わっている。
「安心しろ」
義隆が木刀を構える。
「怪我はさせん」
「助かる」
悠真も木刀を握る。
重い。
そして分かる。
勝てない。
絶対に勝てない。
開始の合図。
次の瞬間だった。
義隆が踏み込む。
速い。
目で追えるが身体が反応しない。
ガンッ!
木刀が吹き飛んだ。
勝負あり。
一撃だった。
観衆からどっと笑いが起きる。
義隆ですら困惑していた。
弱すぎる。
想像以上だった。
悠真は苦笑しながら木刀を拾う。
「参った」
潔い。
そして恥じてもいない。
宗景はその様子を見ていた。
普通なら取り繕う。
言い訳をする。
怒る。
だが悠真は違った。
負けを認める。
そして平然としている。
「なぜ悔しがらん」
宗景が聞いた。
悠真は首を傾げる。
「悔しいですよ」
「ならば」
「でも勝てないものは勝てません」
周囲が静まる。
「俺は武人じゃありませんから」
宗景の目が細くなる。
「では何だ」
悠真は少し考えた。
そして答える。
「領主です」
風が吹いた。
訓練場が静まり返る。
「兵より強くなる必要はない」
「民を豊かにできればいい」
「戦で勝つより、戦を避ける方が得です」
宗景は笑った。
大笑いだった。
家臣たちは何事かと思う。
黒峰の虎がこんなに笑うことは珍しい。
「なるほど」
宗景は立ち上がる。
そして宣言した。
「気に入った」
ざわめき。
家臣たちが顔を見合わせる。
「相良悠真」
宗景は真っ直ぐ見据える。
「我が黒峰家と同盟を結べ」
空気が凍った。
義隆が目を見開く。
重臣たちも驚愕していた。
まさか。
誰も予想していなかった。
弱小領地との同盟。
だが宗景は本気だった。
戦国乱世。
ここで初めて。
相良家は滅亡寸前の弱小勢力から、一国として認められたのである。




