第五話 最初の敵
相良領の改革が始まって十日。
城下の空気は確実に変わりつつあった。
用水路の修復は順調に進み、荒れていた農道も少しずつ整備されている。
働いた者へ米を支給する制度は予想以上に好評だった。
最初は半信半疑だった領民たちも、実際に米を受け取ると口コミで広まり、今では希望者が後を絶たない。
「若様、今日の参加者は六百を超えました」
源左衛門が嬉しそうに報告する。
評定の間に集められた帳面には数字が並んでいた。
十日前の倍近い。
「良い傾向だな」
悠真は頷いた。
人が集まるということは期待されている証拠だ。
そして期待は経済を動かす。
これは前世でも同じだった。
「ただ問題もあります」
「米か?」
「はい」
源左衛門が苦い顔をする。
備蓄米の消費は想定以上だった。
もちろん無駄ではない。
領地は確実に良くなっている。
だが蔵の中身は減り続けていた。
「あとどれくらいだ」
「このままでは二か月ほどです」
悠真は腕を組んだ。
予想より早い。
商人たちから借りた資金で他領から米を買い付けているが、焼け石に水だった。
根本的な解決が必要だ。
「塩はどうなっている」
「塩?」
「塩商との話だ」
源左衛門は少し考える。
「沿岸部との取引量は増えております」
「よし」
悠真は地図を広げた。
相良領は内陸だが、南方には海がある。
問題は輸送だった。
道が悪い。
盗賊も出る。
商人が寄り付かない。
だから物価が高い。
なら答えは簡単だった。
「街道を整備する」
「街道を?」
「物流を増やす」
源左衛門はまた聞いたことのない言葉を聞いた顔をした。
だが今は慣れてきている。
若様の言葉は分からないことも多い。
しかし結果は出ている。
それが重要だった。
「南街道の修復を優先しろ」
「承知しました」
その時だった。
評定の間の障子が勢いよく開く。
「若様!」
駆け込んできたのは侍大将の岩倉だった。
顔色が悪い。
嫌な予感がした。
「何があった」
「北の村です!」
「北?」
「村人が襲われました!」
空気が変わった。
「盗賊か」
「はい」
岩倉は頷く。
「二十人ほどの武装集団です」
悠真は目を細めた。
この時代では珍しくない。
戦乱で職を失った浪人や農民が盗賊になる。
どこの領地にもいる問題だ。
だが今の相良領には余裕がない。
せっかく回り始めた経済を止めるわけにはいかなかった。
「被害は」
「負傷者数名」
「死者は?」
「おりません」
それだけが救いだった。
悠真は立ち上がる。
「出るぞ」
源左衛門が目を見開いた。
「若様自らですか!?」
「当然だ」
「危険です!」
「だから行く」
評定の間が静まり返る。
誰もが止めたかった。
だが悠真の目を見て言葉を失う。
覚悟が見えた。
前の悠真には絶対になかったものだ。
「兵を集めろ」
「はっ」
「数は?」
岩倉が答える。
「五十おります」
十分だ。
相手は盗賊。
正規兵ではない。
「俺も行く」
源左衛門が頭を抱えた。
「若様!」
「安心しろ」
悠真は笑った。
「無茶はしない」
その言葉が一番信用できなかった。
◇◇◇
北の村へ到着したのは昼過ぎだった。
村の様子は酷かった。
壊された荷車。
荒らされた倉庫。
泣いている子供たち。
そして怒りを押し殺している村人たち。
悠真は村長から話を聞く。
「盗まれたのは?」
「主に食料です」
「また来ると思うか」
村長は悔しそうに頷いた。
「必ず」
悠真もそう思った。
盗賊は一度成功した場所を狙う。
だから待った。
村へ兵を潜ませる。
見張りを立てる。
そして夜。
月明かりの下でそれは現れた。
「来たぞ!」
見張りの声。
森の奥から人影が現れる。
一人。
二人。
十人。
二十人。
粗末な鎧を着た男たちだった。
手には槍や刀。
完全な盗賊集団だ。
「始めるぞ」
悠真は低く呟く。
盗賊たちは村へ近づく。
そして――。
「今だ!」
松明が一斉に灯った。
周囲から兵が飛び出す。
盗賊たちは完全に不意を突かれた。
「なっ!?」
「囲まれた!?」
混乱が広がる。
悠真は思わず笑った。
戦国時代だからといって正面から戦う必要はない。
勝てばいいのだ。
「降伏しろ!」
声を張り上げる。
「武器を捨てれば命は取らん!」
盗賊たちは動揺した。
だが一人の大男が叫ぶ。
「怯むな!」
頭領だろう。
巨体の男が刀を抜く。
「突破するぞ!」
その瞬間だった。
ヒュン。
矢が飛ぶ。
男の足元へ突き刺さった。
あと一歩で命中する距離。
大男の顔色が変わる。
周囲を見る。
五十の兵。
完全包囲。
逃げ道なし。
そして悠真は静かに言った。
「選べ」
「死ぬか」
「働くか」
盗賊たちは顔を見合わせた。
意味が分からない。
当然だった。
盗賊に向かって働けと言う領主など聞いたことがない。
悠真は続ける。
「働けば飯を食わせる」
「真面目に働くなら罪も軽くする」
ざわめきが広がる。
盗賊たちの目が揺れた。
彼らの多くも元は農民だった。
飢えた結果、盗賊になっただけだ。
「若様……」
岩倉が驚いている。
普通なら処刑だ。
見せしめにする。
だが悠真は違った。
人手が足りない。
なら使う。
それだけの話だった。
長い沈黙の後。
大男が刀を地面へ落とした。
「……本当に食わせるのか」
「約束する」
男は膝をついた。
それを見て次々と武器が落ちる。
戦いは終わった。
誰も死ななかった。
相良家最初の勝利だった。
そして悠真は気づいていなかった。
この出来事が後に領内へ大きな影響を与えることを。
盗賊すら受け入れる若き領主。
その噂は瞬く間に広がり始めていた。




