第四十九話 消えた船団
港原会戦からおよそ半年。
朝倉家の滅亡と東雲景隆の死は、この地方の勢力図を大きく塗り替えた。戦の炎に焼かれた相良港も、町人や職人たちの懸命な働きによって少しずつ元の姿を取り戻し始めている。
焼け落ちた倉庫には新たな梁が組まれ、崩れた桟橋には新しい杭が打ち込まれた。市場には再び商人たちの威勢の良い声が響き、港には異国の帆船や各地の商船が絶え間なく出入りしている。
戦に勝ったことで、相良領は今や最も安全な交易地として各地から注目を集めていた。港へ集まる人も荷も以前とは比べ物にならないほど増え、悠真が思い描いた「商いで栄える国」は着実に形となり始めていた。
だが、人と富が集まる場所には、必ずそれを狙う者もまた集まる。
夜明け前の相良港は、普段とは違う静けさに包まれていた。
波は穏やかで風も弱い。海面は鏡のように凪ぎ、水平線には朝焼けがゆっくりと広がっている。本来なら漁船が戻り、商船が入港し始める時間だった。
しかし、その朝は違った。
港には多くの人々が集まっているにもかかわらず、誰一人として笑っていない。
船主。
荷役人。
商人。
船乗りの家族。
皆が同じ方向――南の海を見つめていた。
帰ってくるはずの船が、帰ってこない。
それだけで港全体に重苦しい空気が漂っていた。
「……まだ見えねぇか」
誰かが小さく呟く。
返事をする者はいない。
水平線の向こうに見えるのは、朝日だけだった。
◇◇◇
その頃、相良城では夜明けと同時に評定が開かれていた。
宗春が広げた海図には、相良港から南へ延びる交易航路が細かく記されている。その一角だけが赤墨で大きく囲まれていた。
「昨夜、新たに三隻の商船が消息を絶ちました。」
静かな報告だったが、その重みは十分だった。
悠真は地図から目を離さない。
「……また同じ海峡か。」
「はい。」
源蔵が険しい顔で頷く。
「しかも今回は相良の商船だけではありません。アルフェイド王国の交易船一隻、西方商会所属の商船二隻も同じ航路で消えております。」
「積荷は?」
「鉄材、塩、米。いずれも高値で取引される品ばかりです。」
評定の間に沈黙が落ちた。
偶然ではない。
航路を知り、積荷を知り、出港日まで把握している者がいる。
岩倉が腕を組んだまま低く呟いた。
「……内通者か。」
「その可能性は高いでしょう。」
宗春も静かに続ける。
「積荷の内容も出港の日時も知らなければ、これほど正確に狙うことはできませぬ。」
◇◇◇
悠真は腕を組み、静かに思考を巡らせる。
船ごと消える。
人も消える。
積荷も消える。
まるで最初から存在しなかったかのように海から消えていた。
これまで失踪した船は八隻。
そして今回の三隻を合わせれば十一隻になる。
事故では説明できない。
「源蔵。」
「はい。」
「戦の後、新しく入ってきた商人は多いか?」
「ええ。」
源蔵は頷いた。
「各地から相良へ商人が流れ込んでおります。中には身元の怪しい者も少なくありません。」
悠真は宗春を見る。
「情報は港の中から漏れている。」
宗春も静かに頷いた。
「港役人、荷役人、船乗り、商人……。誰が流していても不思議ではありませんな。」
◇◇◇
その頃、港ではガロンの怒号が響いていた。
「もう待てねぇ!」
拳が机を叩き、鈍い音が港中へ響く。
「黒牙を出す!」
船員たちは困ったように顔を見合わせた。
「親分……敵が見えねぇんですよ。」
「だから探すんだ!」
ガロンは怒鳴る。
「海で俺たちから逃げ切れる奴なんざ存在しねぇ!」
その怒りは敵に向けられたものではなかった。
焦りだった。
黒牙海賊団は長年この海を縄張りとしてきた。
その海で、敵の姿すら掴めない。
海賊王として、それが何より許せなかった。
◇◇◇
夕暮れ。
悠真は一人で港を歩いていた。
修理中の船からは木槌の音が響き、縄を引く掛け声が風に乗る。市場では魚を売る声が飛び交い、一見すれば戦などなかったような平和な光景だった。
だが、人々の表情だけは違う。
皆どこか不安げに海を見ていた。
「若様。」
幼い声に振り返る。
そこには漁師の娘が立っていた。
「お父ちゃん……帰ってくるよね?」
一瞬だけ言葉が詰まる。
少女の父親は消息を絶った船の船員だった。
「……帰ってくる。」
本当かどうかは分からない。
それでも今はそう答えるしかなかった。
少女は安心したように笑い、駆け去っていく。
その小さな背中を見送りながら、悠真は静かに拳を握り締めた。
港を作ると決めた時から覚悟はしていた。
富が集まれば、それを奪おうとする者も現れる。
それでも、この港だけは守らなければならない。
「必ず見つけ出す。」
その呟きは、夕暮れの潮風に溶けて消えた。
◇◇◇
夜半。
楓が音もなく評定の間へ姿を現した。
「若様。」
「動きがありました。」
悠真はすぐに立ち上がる。
「何だ。」
「港へ潜り込んでいた間者を一人捕らえました。」
宗春が目を細めた。
「吐いたか。」
楓は静かに首を横へ振る。
「舌を噛み切って自害しました。」
部屋が静まり返る。
そこまで徹底した訓練を受けた者。
「ですが。」
楓は懐から一枚の木札を取り出した。
黒く塗られた木片。
そこには黒い海鳥が大波の上を舞う、不気味な紋章が刻まれていた。
源蔵の顔色が変わる。
「……その印は。」
悠真が視線を向ける。
「知っているのか。」
源蔵はゆっくりと頷いた。
「十数年前に壊滅したと伝えられていた海賊団です。」
「南海で最も恐れられた船団。」
一度言葉を切り、重く息を吐く。
「その名は――」
誰もが息を呑んだ。
「海鷹海賊団。」
その名が評定の間へ落ちた瞬間、空気が凍りつく。
誰もまだ知らない。
港原会戦を超える新たな戦いが、静かに幕を開けようとしていることを。




