第四十八話 黄金の稲穂を育てる者
相良領の改革は、翌日から始まった。
悠真は評定で施策を決めるだけでは終わらない。
必ず自分の目で現場を見る。
それが彼のやり方だった。
朝靄の立ち込める頃、悠真は宗春、楓、源蔵を伴い、城下近くの村を訪れていた。
見渡す限りの田畑。
まだ青い稲が風に揺れている。
村人たちは突然領主が現れたことに慌てて頭を下げた。
「わ、若様!」
「そのままでいい」
悠真は笑いながら田へ足を踏み入れた。
ぬかるみに足を取られ、草鞋が泥に沈む。
武将らしからぬ姿に、農民たちは思わず目を丸くした。
「若様、汚れますぞ」
源左衛門が慌てる。
「汚れなきゃ分からないこともある」
悠真はしゃがみ込み、一株の稲を手に取った。
葉の色。
茎の太さ。
水の量。
前世では農家ではなかった。
それでも知識だけはあった。
農業は経験だけではなく、理屈でも改善できる。
「水が深すぎるな」
村長が首を傾げる。
「深い方が良いのでは?」
悠真は首を横に振った。
「ずっと深いと根が育たない。」
「成長に合わせて水位を変える。」
村人たちは互いに顔を見合わせる。
そんなことを教える領主など聞いたことがなかった。
◇◇◇
「若様。」
宗春が小声で言う。
「皆、半信半疑ですよ。」
「当然だ。」
悠真は笑う。
「いきなり昨日までと違うことを言われても信じられない。」
だからこそ。
結果を見せるしかない。
悠真は村人たちへ向き直る。
「一枚だけ田を貸してくれ。」
「俺のやり方で作る。」
「もし収穫が増えなかったら責任は俺が取る。」
静まり返る村。
やがて一人の老人が前へ出た。
皺だらけの顔。
長年田を守ってきた百姓だった。
「……やってみなされ。」
「失敗しても構いません。」
「どうせ百姓は毎年、空と勝負しております。」
悠真は深く頭を下げた。
「ありがとう。」
◇◇◇
その日のうちに工事が始まった。
まずは用水路。
川から水を引く溝を掘り直す。
高低差を測り、水が自然に流れるようにする。
村人たちは最初こそ不思議そうだったが、次第に声を掛け合い始めた。
「もっと右だ!」
「そこを掘れ!」
子どもまで泥だらけになって手伝っている。
悠真も鍬を持った。
「若様!」
岩倉が驚く。
「俺も働く。」
そう言って土を掘り始めた。
領主が泥まみれになっている。
その姿を見た農民たちは笑った。
「殿様が働いてるぞ!」
「負けてられねぇ!」
誰からともなく鍬を握る手が早くなる。
◇◇◇
昼。
汗だくになった一同へ、村の女たちが握り飯を運んできた。
塩だけの素朴な握り飯。
悠真は一口食べて笑った。
「うまい。」
「腹が減っておりますからな。」
宗春も笑う。
「違う。」
悠真は首を振る。
「米がうまい。」
村人たちが照れくさそうに笑った。
「今年は豊作でしたから。」
「来年はもっと豊作になる。」
悠真が言う。
「皆で作る。」
その一言に、農民たちの顔が引き締まった。
◇◇◇
夕方。
源蔵が港から戻ってきた。
「若様。」
「塩田の方も順調です。」
新しく広げた塩田では、職人たちが汗を流していた。
塩は保存食を支える。
保存食は商売を支える。
そして商売は国を支える。
「米と塩。」
悠真は静かに呟く。
「この二つがあれば、人は生きられる。」
源蔵は深く頷いた。
「商人にとっても、それが一番の宝でございます。」
◇◇◇
その夜。
相良城。
評定の間には再び重臣たちが集まっていた。
村々の進捗が報告される。
「用水路整備、十二村で開始。」
「新田開発希望、二十三戸。」
「牛の貸し出し希望、多数。」
宗春が笑う。
「思った以上ですな。」
悠真も頷いた。
人は利益が見えれば動く。
その仕組みを作るのが領主の仕事だった。
◇◇◇
しかし、その時だった。
城門が騒がしくなる。
伝令が息を切らして飛び込んできた。
「若様!」
「報告です!」
評定の間の空気が張り詰める。
「どうした。」
伝令は荒い息を整えながら叫んだ。
「南海諸島へ向かった商船が……!」
全員が息を呑む。
「また一隻、消息を絶ちました!」
源蔵の表情が険しくなる。
「やはりか……。」
悠真は静かに立ち上がった。
平和は長く続かない。
港が栄えれば、それを狙う者が現れる。
海の向こうで、新たな火種が確かに燃え始めていた。
悠真は窓の外を見た。
夜の港には無数の灯火が揺れている。
守るべきものは、また一つ増えていた。
そして、その灯火を狙う者もまた、静かに近づいていた。




