第四十六話 古き英雄たちの残したもの
港原会戦は終わった。
朝倉義康は討たれた。
東雲景隆は北方へ向かう帰路の途中、長年抱えていた病によって息を引き取った。
ほんの数日の出来事だった。
だが、その数日でこの地方の勢力図は一変した。
朝倉義康。
東雲景隆。
幾度となく戦場を駆け、乱世を支えてきた二人の英雄が同じ時代に姿を消したのである。
勝者となった黒峰軍にも、歓喜だけはなかった。
誰もが理解していた。
一つの時代が終わったのだと。
◇◇◇
港原では撤収作業が続いていた。
勝ったから終わりではない。
戦は終わった後の方が忙しい。
傷兵の治療。
戦死者の埋葬。
武具の回収。
兵糧の整理。
崩れた陣地の片付け。
どれだけ大勝しようと、その全てをやらなければならない。
悠真は静かに戦場跡を歩いていた。
昨日まで人が殺し合っていた場所とは思えないほど静かだった。
あちらこちらに木札が立てられ始めている。
仮埋葬地だった。
敵も味方も関係ない。
死ねば皆同じである。
相良兵が朝倉兵の亡骸を運び、黒峰兵が東雲兵の埋葬を手伝う光景すら見られた。
昨日まで刃を向けていた相手だ。
だが戦が終われば、そこに残るのは同じ乱世を生きた者たちの亡骸だった。
「若様」
宗春が静かに声を掛けた。
悠真は足を止める。
「東雲家から正式な使者が到着しております」
「信綱か」
「おそらく」
悠真は小さく息を吐いた。
景隆亡き今、東雲家を率いるのは嫡男である東雲信綱しかいない。
港原では敵だった。
だが、あの男は愚かではない。
むしろ優秀だ。
景隆ほどの老獪さはなくとも、武将としても統治者としても十分な才覚を持っている。
「会わないわけにはいかないな」
「ええ」
宗春も頷いた。
戦は終わった。
しかし政治は終わらない。
むしろここからが本番だった。
◇◇◇
その日の夕刻。
黒峰城では大規模な評定が開かれていた。
黒峰宗景を中心に重臣たちが集まり、相良家からも悠真と宗春が招かれている。
広間は静まり返っていた。
勝利の評定とは思えないほど重い空気だった。
宗景は上座に座っている。
だがいつものような豪快さはない。
酒も飲んでいなかった。
腕を組み、黙ったまま座っている。
やがて宗景が口を開いた。
「義康が死んだ」
短い言葉だった。
だが、その一言だけで広間はさらに静かになる。
「景隆も死んだ」
誰も返事をしなかった。
返せなかった。
二人とも敵だった。
だが同時に、この地方の乱世を支え続けた英雄でもあった。
宗景は目の前の盃を持ち上げた。
そこに酒は入っていない。
空だった。
「馬鹿共が」
ぽつりと呟く。
「先に逝きやがって」
その声に怒りはなかった。
寂しさだけがあった。
若い頃から刃を交え続けた宿敵。
何度も命を奪い合いながら、最後まで生き残った男たち。
宗景にとって義康も景隆も、もはや単なる敵ではなかったのだろう。
◇◇◇
しばらくして宗景は盃を置いた。
そして悠真を見る。
「若造」
「何だ」
「時代が変わるぞ」
義康が最後に残した言葉と同じだった。
悠真は黙って聞く。
宗景は地図を広げた。
朝倉領。
東雲領。
黒峰領。
相良領。
以前とは全く違う勢力図がそこにあった。
「朝倉が消えた」
宗景の指が地図をなぞる。
「東雲も弱る」
景隆という支柱を失った以上、それは間違いない。
そして朝倉家の滅亡によって巨大な空白地帯が生まれた。
二十万石。
広大な土地。
豊かな農地。
街道。
山林。
河川。
誰が見ても魅力的な獲物だった。
「周囲の連中は必ず動く」
宗景が言う。
「黒峰もな」
隠す気などない。
武将らしい言葉だった。
宗春も頷いた。
「東雲も動くでしょう」
「信綱なら必ずな」
宗景は断言する。
当然だった。
朝倉領を巡る争いは避けられない。
乱世とはそういうものだった。
◇◇◇
だが。
悠真だけは別の場所を見ていた。
朝倉領ではない。
その向こう。
海だった。
「若造?」
宗景が眉を上げる。
悠真は地図の海岸線を指差した。
「俺は朝倉領はいらない」
広間が静まり返る。
重臣たちも顔を見合わせた。
宗春でさえ少し驚いている。
二十万石。
戦国大名なら誰もが欲しがる土地だ。
それを不要と言ったのである。
「正気か?」
宗景が聞く。
「正気だ」
悠真は頷いた。
そして海岸線をなぞる。
「欲しいのはこっちだ」
港。
海路。
交易路。
朝倉領を巡れば血が流れる。
だが海は違う。
船が増えれば利益が増える。
商人が集まる。
物が流れる。
金が流れる。
人が流れる。
戦わずとも豊かになれる。
悠真にはそれが見えていた。
◇◇◇
宗景はしばらく黙っていた。
やがて。
腹の底から笑い出す。
「ははははは!」
久しぶりの笑いだった。
広間の空気が少しだけ軽くなる。
「本当に変な奴だな」
誰も否定できなかった。
そして、その変人がここまで乱世を動かしてきたのも事実だった。
◇◇◇
同じ頃。
東雲領。
信綱は一人で座っていた。
目の前には父の遺品が並んでいる。
景隆の刀。
景隆の鎧。
景隆の軍配。
部屋には静寂しかない。
新たに東雲家当主となった男は、父が最後に残した言葉を思い返していた。
『相良悠真を侮るな』
たったそれだけだった。
景隆ほどの男が、死の間際まで気に掛けていた相手。
港を作った男。
戦場を変えた男。
時代を変えようとしている男。
◇◇◇
信綱は窓の外を見る。
夕日が沈んでいた。
その向こうには海がある。
そして相良領がある。
「父上」
小さく呟く。
「あなたの言う通りかもしれません」
武力だけの時代は終わる。
港。
交易。
商人。
情報。
それらを支配する者が新しい時代を作る。
信綱は静かに立ち上がった。
東雲家も変わらなければならない。
生き残るために。
時代に置いていかれないために。
◇◇◇
港原会戦は終わった。
だが、その戦いが生み出した変化は今も広がり続けている。
朝倉義康。
東雲景隆。
古き英雄たちは去った。
しかし彼らが守り、戦い、築いたものは残された。
そして今、その遺された世界を受け継ぐ者たちの時代が始まろうとしていた。
乱世は終わらない。
ただ、その主役が変わるだけだった。




