第四十四話 宿敵たちの黄昏
朝日が昇る。
港原の大地は赤く染まっていた。
それは血の色ではない。
夜明けの光だった。
だが、その場にいる誰一人として美しいとは思わなかった。
今日、多くの命が終わる。
それを全員が理解していた。
朝倉家の最後の日。
港原会戦最後の戦いが始まろうとしていた。
◇◇◇
「進めぇぇぇぇ!!」
朝倉義康の怒号が戦場を裂いた。
三千。
かつて五千を超えていた軍勢は半数近くまで減っている。
疲労も傷も限界だった。
だが兵たちは進む。
恐怖がないわけではない。
死を理解していないわけでもない。
それでも足を止めない。
主君が前にいるからだ。
朝倉義康が馬を進める限り、自分たちも進む。
それが彼らの答えだった。
◇◇◇
「朝倉ァァァァ!!」
黒峰軍も応じた。
宗景の咆哮が響く。
その一声だけで黒峰兵たちの士気が燃え上がる。
長年続いた因縁。
幾度も繰り返された戦。
互いに奪い、奪われ、憎み合いながらも認め合ってきた宿敵。
その全てに決着をつける時が来た。
◇◇◇
そして両軍は激突した。
轟音。
槍衾が砕ける。
馬が倒れる。
兵が吹き飛ぶ。
叫び声と怒号が入り混じり、大地そのものが震えているようだった。
だが、その混乱の中でも二人の武将だけは迷わなかった。
義康は真っ直ぐ進む。
宗景もまた真っ直ぐ進む。
互いに目指す場所は一つだった。
◇◇◇
「どけぇぇぇ!!」
義康の刀が閃く。
黒峰兵が倒れる。
さらに倒れる。
道が開く。
老将とは思えない鋭さだった。
何十年も戦場を生き抜いてきた武。
積み重ねた経験。
磨き続けた技。
全てが刃に宿っている。
鬼神。
そう呼ぶしかなかった。
◇◇◇
「止めろ!」
黒峰軍の武将たちが叫ぶ。
だが止まらない。
朝倉義康。
滅びゆく朝倉家を背負う最後の当主。
その背中には家臣たちの人生が乗っていた。
先祖たちの誇りが乗っていた。
だから退けない。
◇◇◇
一方。
宗景もまた前へ出ていた。
「義隆」
「はっ」
「後ろは任せる」
義隆は無言で頷いた。
言葉は必要ない。
父が何を望んでいるのか分かっていた。
これは他の誰にも譲れない戦いだった。
◇◇◇
宗景は薙刀を握る。
柄の感触を確かめるように。
長年共に戦ってきた相棒を。
そして笑った。
静かに。
だが確かに。
◇◇◇
「来い、義康」
その声は小さい。
だが誰よりも力強かった。
◇◇◇
距離が縮まる。
百歩。
五十歩。
二十歩。
十歩。
そして――
二人は向き合った。
◇◇◇
戦場が静まる。
兵たちも。
武将たちも。
思わず動きを止めていた。
見届けなければならない。
そう思わせる何かがあった。
◇◇◇
宿敵だった。
若い頃から何十年も戦い続けた。
勝ったこともある。
負けたこともある。
だが決着だけはつかなかった。
互いに生き残り続けた。
互いに時代を駆け抜けてきた。
◇◇◇
「久しいな」
義康が言った。
宗景は鼻で笑う。
「毎年会っていただろうが」
戦場で。
何度も。
数え切れないほど。
◇◇◇
義康も笑った。
久しぶりだった。
心から笑ったのは。
「そうだったな」
◇◇◇
しばしの沈黙。
やがて義康が空を見上げる。
雲一つない青空だった。
「負けたよ」
静かな声だった。
宗景は何も言わない。
ただ聞いていた。
◇◇◇
「景隆は退いた」
「橋も落とされた」
「港も守られた」
義康は苦笑する。
「完敗だ」
言い訳はない。
悔しさはある。
だが誤魔化さない。
それが朝倉義康だった。
◇◇◇
宗景の顔にも複雑な色が浮かぶ。
長年憎み続けた敵。
だが同時に誰より理解している相手でもある。
簡単に憎める相手ではなかった。
◇◇◇
「だがな」
義康が刀を構える。
目が変わる。
敗将の目ではない。
武将の目だった。
「最後くらいは付き合え」
宗景も薙刀を構える。
「当然だ」
それが礼儀だった。
宿敵への。
最後の礼だった。
◇◇◇
次の瞬間。
二人が動いた。
轟音。
火花。
衝撃。
空気そのものが震える。
◇◇◇
一撃。
二撃。
三撃。
速い。
重い。
鋭い。
兵たちには見えない。
達人同士の戦いではない。
極みに至った武人同士の殺し合いだった。
◇◇◇
義康が斬る。
宗景が受ける。
薙刀が返る。
義康が躱す。
土が舞う。
血が散る。
傷が増える。
それでも止まらない。
互いに。
一歩も。
◇◇◇
遠く。
悠真はその戦いを見ていた。
何も言えない。
何もできない。
割り込むことも許されない。
これは自分たちの戦いではない。
もっと古いものだ。
もっと重いものだ。
◇◇◇
時代の終わりだった。
古い戦国。
力と武勇で覇を競った時代。
その象徴が今ここで決着をつけようとしている。
◇◇◇
「若様」
宗春も静かだった。
誰も言葉を発しない。
戦場全体が見守っている。
◇◇◇
そして。
数十合。
互いの身体は傷だらけだった。
血が流れ。
息が荒くなる。
それでも刃は鈍らない。
◇◇◇
やがて。
均衡が崩れた。
ほんの僅かだった。
一瞬だった。
だが達人同士だからこそ致命的だった。
◇◇◇
刀と薙刀が交差する。
弾かれる。
生まれる隙。
宗景の目が見開く。
義康も笑った。
互いに理解する。
終わるのだと。
◇◇◇
「さらばだ」
義康が言う。
宗景も頷く。
言葉はそれで十分だった。
◇◇◇
次の瞬間。
薙刀が閃いた。
白い軌跡が朝日に溶ける。
風が走る。
そして――
戦場は静まり返った。
誰も息をすることを忘れたかのように。
港原会戦。
その結末が。
ついに訪れようとしていた。




