第三十七話 海賊王の矜持
第三十七話 海賊王の矜持
相良港は燃えていた。
夜空を赤く染める炎。崩れ落ちる倉庫。水桶を抱えて走る住民。怒号と悲鳴と鐘の音が入り混じり、完成したばかりの港町は一夜にして戦場へ変わっていた。
そして海上では、二つの海賊団が激突し
黒牙海賊団。
黒鮫海賊団。
かつて同じ海で覇を競い、互いに沈め損ねたまま別れた荒くれ者たち。その因縁が、相良港の炎を背景に再びぶつかっていた。
その中心で、二人の怪物が刃を交えている。
斧と大刀が激突した。
甲高い金属音ではない。岩同士が砕け合うような轟音だった。衝撃で甲板が軋み、周囲にいた海賊たちが思わず身を引く。ガロンとバルド。どちらも常人の域にはいない。武士の剣技ではなく、海で生き残った獣の戦いだった。技量よりも力。理屈よりも本能。真正面からぶつかり、相手を叩き潰すための戦い。
「はっ!」
バルドが大刀を横薙ぎに振るう。風が裂けた。まともに受ければ、人間など腰から上下に分かれる一撃だった。だがガロンは逃げない。巨大な斧を叩きつけるように合わせる。
火花。
轟音。
次の瞬間、押し返したのはガロンだった。
「相変わらず馬鹿力だな!」
バルドが吠える。
「お前もな!」
ガロンも笑う。
楽しそうだった。本当に楽しそうに笑っていた。周囲の海賊たちは近づけない。近づけば巻き添えで死ぬ。それほどの激戦だった。
◇◇◇
一方、港では消火活動が続いていた。
「水を運べ!」
「倉の荷を出せ!」
「火を市場に回すな!」
住民たちは逃げるだけではなかった。商人も職人も船乗りも、誰もが港を守るために動いている。半年前まで何もなかった場所。だが今は違う。ここは彼らの仕事場であり、家であり、明日の飯を生む場所だった。
そこへリシアが駆け込んでくる。
炎に照らされた顔は煤で汚れていたが、その目は冷静だった。
「船を動かしてください!」
彼女は声を張り上げる。
「港の入り口を塞ぎます!」
周囲の者たちが一瞬戸惑う。だがすぐに意味を理解した。沈めた小舟や傷ついた大型船を港口へ並べる。即席の障害物。敵船の侵入を妨げ、火矢の射線を狭める。
宗春が感心したように目を細めた。
「なるほど。海の城門ですか」
「考えている暇はありません!」
リシアの声に、港の男たちが一斉に動いた。
◇◇◇
その頃、黒峰城。
深夜の軍議は終わりを迎えていた。
東雲景隆本隊が動いた。
朝倉軍も連動している。
そして相良港は海賊に襲われている。
どちらも捨てられない。だが、全てを同時に救うだけの兵はない。景隆はまたしても選択を迫ってきた。港を救うか。決戦場へ向かうか。どちらを選んでも何かを失う。
悠真は地図を見下ろした。
港。
中央平原。
街道。
東雲軍の進路。
そして、燃えているであろう相良港。
しばらく沈黙したあと、悠真は短く言った。
「決戦場へ向かう」
宗春が顔を上げる。
「港は」
「ガロンとリシアに任せる」
迷いはなかった。迷えば両方を失う。港は相良家の心臓だ。だが、東雲景隆を止められなければ、その心臓を守る体そのものが滅ぶ。
「港を信じる」
悠真はそう言った。
あの場所にはもう、ただ守られるだけの民はいない。船乗りがいる。職人がいる。商人がいる。リシアがいる。そして海賊王ガロンがいる。
ならば任せる。
任せて、自分は自分の戦場へ行く。
宗春、楓、隼人、岩倉が続く。黒峰軍からも一部の兵が付けられた。
その時、悠真は振り向いた。
「宗景殿」
黒峰宗景は軍議の間に残っていた。動かない。だが、その顔には獰猛な笑みがある。
「景隆は俺が止める」
静かな声だった。
その一言で場の空気が変わった。
黒峰宗景。
戦国最強と呼ばれた武将。
今まで状況を見ていた男が、ついに自ら盤上へ出る。
「義隆」
「はっ」
「全軍を率いろ」
「御意」
黒峰軍三千五百が動き出す。
東雲景隆。
朝倉義康。
黒峰宗景。
怪物たちの戦いが、ついに始まろうとしていた。
◇◇◇
翌朝。
相良港の戦いはまだ続いていた。
夜通しの激戦で双方とも疲弊している。船は何隻も燃え、砕けた木片が海面を漂い、血の混じった波が桟橋へ打ち寄せていた。それでも決着はついていない。
バルドは笑っていた。
「ガァァァァ!」
大刀が振り下ろされる。
ガロンは斧で受け止める。
だが、衝撃で甲板が砕けた。
「ちっ」
初めてガロンが舌打ちした。
強い。
本当に強い。
黒鮫のバルドはただの雇われ海賊ではない。海で名を上げた怪物だった。力も度胸も執念もある。東雲景隆が金を払ってまで使った理由が分かる。
「どうした!」
バルドが笑う。
「衰えたか、ガロン!」
挑発だった。
だがガロンは怒らなかった。むしろ笑った。
「違ぇな」
静かな声だった。
そして港を見る。
燃えた倉庫。消火する住民。港口を塞ぐ船乗りたち。傷だらけになりながら荷を運ぶ職人。泣く子供を抱えて逃がす商人。
昔なら見向きもしなかった光景だった。
奪う側だった頃には、気にも留めなかったものだった。
だが今は違う。
「守るもんができた」
バルドの顔が歪む。
理解できなかった。
海賊に守るものなど不要。奪い、沈め、笑う。それが海賊だ。
「馬鹿か」
バルドは吐き捨てる。
「海賊が守るだと?」
「変だと思うだろうよ」
ガロンは笑う。
そして斧を構えた。
今までより深く。
低く。
重く。
「だがよ」
海風が吹く。
炎が揺れる。
周囲の者たちが息を呑む。
「だから負けられねぇ」
次の瞬間、ガロンが踏み込んだ。
甲板が砕ける。巨体が弾丸のように突っ込む。速い。今までで最速だった。
バルドの目が見開かれる。
「なっ――」
遅かった。
斧が振り抜かれる。
轟音。
衝撃。
そして、バルドの大刀が宙を舞った。
折れた。
完全に。
「馬鹿な……」
バルドは信じられない顔をした。
怪力自慢だった。奪うことだけで海を渡ってきた。奪い、燃やし、沈めることで海賊王を名乗ってきた。
だが押し負けた。
奪う男が、守る男に負けた。
次の瞬間、ガロンの斧がバルドの首元で止まった。
静寂。
勝負ありだった。
「終わりだ」
ガロンは息を吐く。
バルドは悔しそうに膝をついた。
黒鮫海賊団の旗が海へ落ちる。
海戦は終わった。
◇◇◇
歓声が上がった。
港中が沸いた。
船乗りたちが叫び、住民たちが抱き合い、商人たちまで涙を流した。
守り切った。
相良港を。
皆の未来を。
ガロンは血と煤に汚れた顔で、その光景を見ていた。
かつてなら奪う側だった。
今は守る側にいる。
滑稽だと思う。
だが、不思議と悪くなかった。
◇◇◇
その頃、中央平原へ向かう街道を、悠真たちは馬で駆けていた。
港の方角からは、まだ黒い煙が上がっている。
振り返れば戻りたくなる。
だから悠真は振り返らなかった。
「若様」
楓が並走しながら言う。
「港は大丈夫でしょうか」
「大丈夫だ」
根拠はあった。
ガロンがいる。
リシアがいる。
港の人間がいる。
相良港はもう、悠真一人の夢ではなかった。そこに生きる者たち全員の場所になっていた。
だから守れる。
そう信じるしかない。
「俺たちは俺たちの戦場で勝つ」
悠真の声は静かだった。
だが、その目は前だけを見ていた。
◇◇◇
やがて視界の先に土煙が見えた。
東雲軍。
朝倉軍。
そして黒峰軍。
旗が林立し、槍が並び、遠くの平原がすでに戦の気配を孕んでいる。
東雲景隆はそこにいる。
東方最強。
ついに本命が動いた。
悠真は手綱を握り直す。
港ではガロンが守る戦をしている。
ならば自分は、歴史を動かす戦をしなければならない。
「行くぞ」
短い命令。
宗春、楓、隼人、岩倉が頷く。
相良軍は決戦場へ向かって駆ける。
海賊王は港を守り。
転生領主は戦場へ向かう。
乱世最大の決戦の幕が、今まさに上がろうとしていた。




