第三十二話 籠城戦
第三十二話 籠城戦
相良城包囲。
その報せは領内を駆け巡り、人々を震え上がらせた。
東雲軍二千。
相良城守備兵三百。
数字だけ見れば勝負にならない。
領民たちは不安に顔を曇らせ、商人たちは財を隠し、農民たちは家族を連れて山へ避難を始めた。
東雲景隆の返礼はあまりにも鋭かった。
港へ意識を向けさせ、その隙に本拠を突く。
戦としては王道。
だからこそ強い。
そして今、相良家はその王道によって追い詰められていた。
◇◇◇
街道を馬が駆ける。
悠真は先頭を走っていた。
後方には宗春。
楓。
ガロン。
そして港から引き抜いた兵たち。
かき集められるだけ集めた。
それでも七百。
東雲軍二千には遠く及ばない。
しかも相手は景隆の嫡男、東雲信綱。
無能なら景隆は別働隊を任せない。
つまり敵もまた一流だった。
「若様」
宗春が馬を並べる。
「このまま救援しても兵力差は覆りません」
「分かってる」
悠真は短く答えた。
数字だけなら勝負にならない。
だが。
数字だけで決まるなら景隆もこんな回りくどい手は使わない。
信綱が狙っているのは城を落とすことだけではない。
悠真を城へ引き戻すこと。
その一点だった。
「なら乗ってやる」
悠真は呟く。
「ただし俺の形でな」
◇◇◇
その頃。
相良城。
源左衛門は城壁の上に立っていた。
風が吹く。
眼下には東雲軍。
無数の旗。
無数の兵。
整然と並ぶ軍列。
その姿には威圧感があった。
二千。
数字以上の圧力だった。
若い城兵たちは緊張で顔を青くしている。
無理もない。
これまで相良家が経験したことのない規模の戦だ。
「怖いか」
源左衛門が近くの兵へ尋ねた。
若い兵は正直に頷いた。
「怖いです」
「そうか」
源左衛門は笑った。
「なら正常だ」
戦を恐れぬ者は早死にする。
恐れながら前へ出る者が生き残る。
老臣は空を見上げた。
若様ならそう言うだろうと思った。
◇◇◇
東雲軍本陣。
信綱は城を見つめていた。
派手な攻撃はしない。
焦りもしない。
相良城は小さい。
守兵も少ない。
時間をかければ落ちる。
それだけの話だった。
「降伏勧告を」
命令が下る。
使者が城へ向かう。
形式的なものだ。
断られることは分かっている。
だが勝者にも礼儀は必要だった。
しばらくして使者が戻る。
「どうだった」
信綱が問う。
使者は苦笑した。
「断られました」
予想通り。
だが次の言葉に信綱は少しだけ口元を緩めた。
「『若様が帰るまで待て』とのことです」
家臣たちが失笑する。
しかし信綱だけは笑わなかった。
むしろ感心していた。
士気とは理屈ではない。
相良家は今、悠真という存在そのものを旗印にしている。
「なるほど」
信綱は頷いた。
「ならば帰ってくる前に落とすとしよう」
◇◇◇
昼。
東雲軍が動いた。
太鼓が鳴る。
角笛が響く。
二千の兵が城へ向かって前進を始めた。
攻城戦。
戦で最も血が流れる戦場だった。
「弓隊!」
源左衛門の声が飛ぶ。
城壁に弓兵が並ぶ。
矢が放たれる。
東雲軍も応じる。
空を覆う矢の群れ。
悲鳴。
怒号。
盾へ突き刺さる音。
戦場が一気に熱を帯びた。
続いて梯子隊が前進する。
城壁へ梯子が掛けられる。
東雲兵が駆け上がる。
相良兵が槍で突き落とす。
石を落とす。
熱湯を浴びせる。
兵数では圧倒的に劣る。
だからこそ城を使う。
守る側が有利な地形を最大限利用する。
それは悠真が以前から徹底していた教えだった。
「押し返せ!」
岩倉が吠える。
城兵たちも叫ぶ。
恐怖を声で押し潰すように。
何度も。
何度も。
東雲兵を城壁から叩き落とした。
◇◇◇
夕暮れ。
東雲軍は一度退いた。
初日の攻撃は失敗。
城はまだ健在だった。
城内では歓声が上がる。
若い兵たちは勝った気になっている。
だが源左衛門は表情を崩さなかった。
敵の損害は百余り。
二千の軍勢から見れば軽傷だ。
対して城兵は三十近くを失った。
交換比だけ見れば不利ですらある。
信綱は試していた。
城の強さ。
兵の質。
士気。
全てを測っている。
「明日からが本番か」
老臣は呟いた。
◇◇◇
夜。
東雲軍本陣。
信綱は報告を受けていた。
「城兵の士気は高いようです」
「当然だ」
信綱は頷く。
「相良悠真がいるからだ」
兵は城のためには死ねない。
だが人のためなら死ねる。
だから危険だった。
「悠真は戻ると思われますか」
家臣が問う。
信綱は迷わず答える。
「戻る」
そして続けた。
「戻らざるを得ない」
城を捨てれば求心力を失う。
救えば港が危うくなる。
どちらを選んでも痛い。
だから景隆はこの策を選んだのだ。
「父上ならそう考える」
信綱は静かに笑った。
◇◇◇
同じ夜。
相良城。
疲れ果てた兵たちが焚き火を囲んでいた。
誰もが疲弊している。
だが不思議と絶望していない。
理由は単純だった。
若様が帰ってくる。
皆がそう信じていた。
その時だった。
見張りの兵が叫ぶ。
「灯です!」
全員が立ち上がる。
遠くの街道。
闇の中に小さな光が見えた。
一つ。
二つ。
十。
百。
数え切れない。
松明の列だった。
さらに。
角笛の音が響く。
馬の蹄が地面を叩く。
兵たちの歓声が風に乗って聞こえてくる。
源左衛門は目を見開いた。
「まさか……」
やがて先頭の騎馬武者の姿が見える。
月明かりに照らされたその顔を見た瞬間。
城壁が揺れるほどの歓声が上がった。
「若様だ!」
「若様がお戻りになった!」
「相良様だ!」
歓声が夜空を震わせる。
希望が帰ってきた。
たった一人の若き領主が。
◇◇◇
城外。
悠真は相良城を見上げていた。
包囲する東雲軍。
二千。
容易な敵ではない。
だが。
その視線は城ではなく敵陣へ向いていた。
信綱は優秀だ。
だからこそ景隆の考えもある程度見える。
これは単なる籠城戦ではない。
景隆からの問いだ。
城を守るか。
港を守るか。
どちらを選ぶか。
だが。
悠真は口元を僅かに上げた。
「両方守る」
宗春が苦笑する。
「無茶を言いますな」
「いつものことだろ」
ガロンが豪快に笑う。
楓も小さく頷いた。
仲間たちはもう慣れていた。
若君が無茶を言うことに。
そしてそれを実現してしまうことに。
悠真は東雲軍の陣を見つめる。
その向こうには信綱。
さらにその先には景隆がいる。
知将同士の戦いはまだ終わらない。
むしろここからが本番だった。
東方最強の返礼に対し。
転生領主・相良悠真は次なる一手を打とうとしていた。




