第三十一話 東方最強の返礼
港を餌にした策は見事に機能していた。
海ではガロン率いる船団が東雲軍の海上輸送を脅かし、陸では黒峰軍が各地に姿を現して圧力をかける。補給隊は襲撃され、橋は落とされ、街道は封鎖される。
七千という大軍は強力だ。
だが大軍であるがゆえに大量の兵糧を必要とする。
兵糧が滞れば軍は鈍る。
それは前世でもこの世界でも変わらない戦の原理だった。
港町の陣所では次々と報告が届いていた。
「補給隊二隊襲撃成功」
「海上輸送路の封鎖継続中」
「東雲軍の進軍速度低下」
宗春が満足そうに頷く。
「効いておりますな」
「ああ」
悠真も頷いた。
ここまでは想定通りだった。
東雲軍は確実に動きを制限されている。
このまま時間を稼ぎ続ければ兵糧不足が始まる。
七千の軍勢は自ら重荷となる。
本来ならそうなるはずだった。
だが。
悠真の表情は晴れなかった。
地図を見つめる目はむしろ険しくなっている。
「若様?」
宗春が首を傾げた。
悠真は小さく息を吐く。
「順調すぎる」
その一言で空気が変わった。
「東雲景隆だぞ」
部屋が静まる。
東方最強。
数十年に渡り敗北を知らない老将。
その男がここまで一方的にやられるだろうか。
「何かを見落としてる気がする」
楓も頷いた。
「私もそう思います」
嫌な予感。
それは楓だけではなく悠真自身も感じていた。
◇◇◇
同じ頃。
東雲軍本陣。
景隆は静かに茶を飲んでいた。
家臣たちは焦っている。
「補給への被害が拡大しております」
「海賊どもが好き放題暴れております」
「黒峰軍も動いております」
景隆は報告を聞き終えると小さく笑った。
「なるほど」
その声に焦りはない。
むしろ楽しんでいるようだった。
「殿?」
「相良悠真は優秀だ」
家臣たちは顔を見合わせる。
敵将を褒めるとは思わなかった。
景隆は地図へ視線を落とした。
港。
海岸線。
街道。
河川。
相良側の行動は非常に合理的だった。
だからこそ読める。
「若者は優秀なほど同じ過ちを犯す」
「過ちですか」
「自分が見ている場所を相手も見ていると思う」
景隆は指を動かした。
港。
海。
補給路。
そして。
そこから大きく外れた場所。
山岳地帯。
「相良悠真は港を戦場にした」
「ならば我らは港以外で戦う」
静かに言う。
それだけだった。
だが家臣たちは理解した。
景隆は最初から別の勝ち筋を見ていたのだ。
◇◇◇
その夜。
東雲軍本陣では密かな軍議が開かれていた。
集められたのは選抜された二千。
重装備は持たない。
兵糧も最低限。
機動力重視の別働隊だった。
その先頭に立つのは景隆の嫡男。
東雲信綱。
父と同じく冷静な知将として知られている。
景隆は息子へ視線を向けた。
「信綱」
「はっ」
「相良悠真は優秀だ」
信綱は頷く。
自分も同じ評価だった。
「だから正面から勝負するな」
家臣たちが驚く。
だが景隆は続けた。
「敵の得意な場所で戦うな」
港は今や相良の戦場だった。
海賊。
船団。
補給破壊。
全てが準備されている。
そこへ付き合う必要はない。
「城を落とせ」
信綱は静かに頭を下げた。
「御意」
◇◇◇
翌日。
港町。
悠真は朝から地図と睨み合っていた。
何かがおかしい。
だが答えが出ない。
その時だった。
外が騒がしくなる。
伝令だ。
馬を飛ばしてきたらしい。
息を切らしながら飛び込んでくる。
「若様!」
「何だ」
「東雲軍に動きあり!」
全員が身を乗り出した。
「どこだ」
伝令は地図を指差す。
その場所を見た瞬間。
悠真は立ち上がった。
宗春も目を見開く。
楓は顔色を変えた。
「山か」
「はい!」
東雲軍別働隊。
約二千。
山中を進軍中。
目標は――。
「相良城」
伝令の言葉に部屋が静まり返った。
◇◇◇
悠真は目を閉じた。
ようやく全てが繋がった。
港を見せる。
海賊を見せる。
補給戦を見せる。
自分はそこへ意識を集中させられていた。
だが。
それは景隆も同じだった。
いや。
景隆はその先を見ていた。
「返されたな」
悠真は苦笑した。
宗春も同意する。
「見事に」
戦力差を覆すために港を戦場へ変えた。
景隆はその戦場そのものを無視した。
そして本命を叩く。
極めて単純。
だが強力。
「さすが東方最強か」
悠真は思わず笑った。
敵ながら見事だった。
◇◇◇
山中。
東雲信綱率いる別働隊は静かに進んでいた。
軍旗は最低限。
狼煙も上げない。
徹底した秘匿行動。
目指すのは相良城。
兵四百しか持たない小領主にとって本拠地は生命線だ。
港は失っても取り返せる。
だが城を失えば終わる。
信綱は父の狙いを理解していた。
これは兵糧戦ではない。
心理戦だ。
相良悠真に選択を迫る戦いだった。
◇◇◇
その日の昼。
相良城から急使が到着した。
「東雲軍確認!」
「推定二千!」
「明日にも城へ到達します!」
報告を聞き終えた宗春が問う。
「どうします」
港を守るか。
城を守るか。
どちらかを選ばなければならない。
東雲景隆はそこを突いてきた。
悠真は地図を見つめた。
港。
東雲本隊。
相良城。
別働隊。
そしてゆっくり笑う。
「なるほど」
景隆は自分を試している。
ならば応えるしかない。
「宗春」
「はっ」
「景隆は俺が城へ戻ると思っている」
宗春も理解した。
それが常識だ。
だが。
悠真は地図の別の場所を指差した。
「だったら常識を外す」
宗春の目が細まる。
楓が微かに笑った。
どうやら若君は既に次の一手を見つけたらしい。
東方最強の老将が放った返礼。
それに対する転生領主の返答。
知将と知将。
二人の戦いはまだ始まったばかりだった。




