第二十九話 東方最強
「東雲景隆が出る」
その報せが黒峰城へ届いたのは五日後だった。
軍議の間は静まり返っている。
黒峰宗景ですら腕を組んだまま黙っていた。
東雲景隆。
東方三十万石を率いる当主。
齢六十を超えてなお現役。
若い頃から幾度も戦場を駆け抜け、一度も領土を失ったことがない。
「本物の化け物ですね」
宗春が珍しく真顔だった。
「私が知る限り、東で最も恐れられている武将です」
悠真は地図を見つめる。
東雲家三十万石。
朝倉家二十万石。
合計五十万石。
規模だけなら圧倒的だった。
「兵数は」
宗景が尋ねる。
家臣が答える。
「東雲軍七千」
「朝倉軍五千」
「合計一万二千」
以前と変わらない。
だが意味が違う。
東雲景隆本人が出る。
それだけで脅威度が跳ね上がる。
◇◇◇
「面白い」
沈黙を破ったのは宗景だった。
家臣たちは頭を抱える。
また始まった。
この男は強敵が出るほど楽しそうになる。
「父上」
義隆が呆れる。
「笑っている場合ではございません」
「そうか?」
宗景は豪快に笑った。
「六十を超えて尚まだ戦場へ出る」
「嫌いじゃない」
むしろ嬉しそうだった。
武人としての血が騒ぐらしい。
理解できない。
少なくとも悠真には。
◇◇◇
軍議の後。
宗景は悠真を呼び止めた。
城の天守。
風が強い。
遠くまで見渡せる。
「若造」
「何だ」
「お前ならばどうする」
またそれだった。
最近完全に癖になっている。
だが今回は重い。
相手は東方最強。
簡単な話ではない。
「戦わないですね」
悠真は答えた。
宗景が笑う。
予想通りだったらしい。
「理由は」
「勝てないからです」
即答だった。
一万二千対三千九百。
しかも相手は東雲景隆。
まともに戦えば負ける。
「正しい」
宗景は頷く。
「だが戦は避けられん」
それも事実だった。
相手が攻めてくる以上、完全回避は難しい。
「なら」
悠真は地図を見る。
朝倉。
東雲。
そして海。
「勝つ必要はないのです」
宗景の目が細くなる。
「ほう」
「負けなければいい」
◇◇◇
同じ頃。
東雲軍本陣。
東雲景隆は地図を見ていた。
白髪。
鋭い眼光。
老いてなお衰えない威圧感。
家臣たちは誰も口を挟まない。
「相良か」
ぽつりと呟く。
最近よく聞く名前だった。
弱小領主。
港町。
大坂屋。
黒峰同盟。
「面白い」
景隆も笑った。
奇妙なことに。
宗景と同じ反応だった。
強者は変人が多い。
「殿」
家臣が頭を下げる。
「先に黒峰を攻めますか」
景隆は首を振った。
「違う」
静かな声だった。
「先に相良だ」
家臣たちが驚く。
予想外だった。
普通であれば黒峰家を狙う。
主力だからだ。
だが景隆は違った。
「黒峰は変わっていない」
地図を見る。
そして。
相良領を指差した。
「変わったのはここだ」
静寂。
誰も反論できない。
確かにそうだった。
半年前まで無名。
今は誰もが知る。
「危険な芽は早いうちに摘む」
景隆の声は冷静だった。
感情ではない。
合理的判断。
だからこそ恐ろしい。
◇◇◇
数日後。
相良領。
港町。
工事は順調だった。
海賊たちも働いている。
船も増えた。
市場もでき始めている。
人も増えた。
だが。
「若様」
楓がやって来る。
表情が硬い。
「どうした」
「黒峰から急報です」
嫌な予感。
最近本当に多い。
「東雲軍が動きました」
悠真は頷く。
予想通り。
だが。
続く言葉は予想外だった。
「進路が違います」
「違う?」
楓は地図を広げた。
指差す。
相良領。
まっすぐ。
こちらへ向かっている。
沈黙。
宗春が固まる。
源左衛門も顔色を失う。
「……本気か」
悠真は呟いた。
東雲景隆。
東方最強。
その軍勢七千。
目標は。
黒峰ではなく。
相良家だった。
◇◇◇
その夜。
評定の間は緊迫していた。
「なぜです」
源左衛門が震える。
当然だった。
相良軍は四百。
東雲軍は七千。
勝負にならない。
「若様」
宗春が地図を見る。
「逃げますか」
逃げる。
現実的な選択だった。
だが。
悠真は首を振る。
「無理だ」
領地は逃げられない。
民もいる。
港もある。
捨てられない。
「なら戦うしか」
「違う」
悠真は立ち上がる。
そして。
港を指差した。
「海だ」
全員が顔を上げる。
海。
港。
船。
ガロン。
リシア。
大坂屋。
今まで集めてきたもの。
全てが繋がる。
「東雲景隆は陸の怪物だ」
悠真は笑った。
「なら海へ引きずり込む」
宗春の目が見開く。
理解したらしい。
楓も気付いた。
そして。
港の外では。
海賊王ガロンが豪快に笑っていた。
「面白ぇ」
巨大な斧を担ぐ。
「やっと俺の出番か」
七千の大軍。
東方最強。
相良家最大の危機。
しかし。
悠真の頭には既に一つの策が浮かび始めていた。
戦国の常識では勝てない。
なら。
常識の外で勝てばいい。




