第十九話 流れの学者
「天下を変えに来ました」
海風が吹き抜ける。
漁村の桟橋に微妙な沈黙が流れた。
村人たちはぽかんとしている。
源左衛門は困惑している。
楓は警戒している。
そして悠真は思った。
――また変なのが来た。
最近、本当に多い。
「帰ってもらっていいか?」
思わず本音が出た。
しかし男――九条宗春は笑顔を崩さない。
「ひどいですね」
「初対面で天下を変えるとか言い出す方もどうかと思う」
「それは確かに」
あっさり認めた。
少し変わっている。
いや、かなり変わっている。
◇◇◇
その日の夜。
村長宅を借りて話を聞くことになった。
囲炉裏を囲む。
宗春は湯飲みを片手にのんびりしていた。
「で」
悠真が口を開く。
「結局何者なんだ」
「学者です」
「さらに詳しく」
宗春は少し考えた。
そして肩を竦める。
「元は朝倉家の食客でした」
空気が止まった。
楓の手が腰の短刀へ伸びる。
源左衛門も警戒する。
朝倉家。
つい最近戦った相手である。
「待て待て」
宗春が慌てる。
「別に朝倉の間者ではありません」
「証拠は」
「ありませんけど」
最悪だった。
◇◇◇
しかし話を聞くうちに少しずつ分かってきた。
九条宗春。
三十二歳。
学問好きで、諸国を放浪して様々な知識を学んでいる。
兵法。
農学。
商学。
土木。
いわゆる知識人だった。
「なぜ朝倉を出た」
悠真が聞く。
宗春は少し笑った。
「嫌われたからです」
「嫌われたって何をした」
「税を下げろと言いました」
沈黙。
「そしたら追い出されました」
「だろうな」
納得した。
◇◇◇
翌朝。
悠真は宗春を連れて海岸を歩いていた。
港予定地を見るためだ。
「ほう」
宗春が感心したように頷く。
「良い場所ですね」
「分かるのか」
「もちろんです」
そして地形を眺める。
海流。
風向き。
入り江。
じっくり観察する。
やがて言った。
「成功しますよ」
即答だった。
「根拠は」
「三つあります」
指を立てる。
「まず天然の入り江」
「次に黒峰との交易」
「最後に」
宗春は笑った。
「領主が変わり者」
失礼である。
だが楓が吹き出した。
源左衛門も笑いを堪えている。
最近よく言われる気がする。
◇◇◇
その後。
宗春は村の周囲を歩き回った。
畑を見る。
漁場を見る。
倉庫を見る。
そして夕方。
戻ってくるなり紙へ何かを書き始めた。
「何してる」
「設計です」
紙を見せる。
そこには港町の図面が描かれていた。
市場。
倉庫。
船着場。
職人区画。
居住区。
整然としている。
悠真は目を見開いた。
「お前、すごいな」
「割とできる人間なので」
宗春が頷く。
楓が呆れたように言う。
「自分で言いますか」
「事実ですので」
否定できなかった。
◇◇◇
その夜。
悠真は一人で考えていた。
宗春の図面を見る。
よくできている。
いや。
かなり優秀だ。
前世の感覚でも分かる。
計画性がある。
物流も考えられている。
何より。
自分と発想が近い。
「若様」
源左衛門がやってくる。
「彼の者をどう思われます」
「優秀だ」
即答だった。
「私もそう思います」
老人は頷く。
「ですが」
「元朝倉家か」
「はい」
信用できるかどうか。
そこが問題だった。
悠真は窓の外を見る。
港予定地。
静かな海。
人手は足りない。
知識人も足りない。
そして。
宗春のような人材は貴重だった。
「雇う」
源左衛門が目を見開く。
「よろしいので?」
「監視は付ける」
楓がいる。
忍びとしては優秀だ。
問題ない。
「何より」
悠真は笑った。
「優秀な人間を逃がす方が損だ」
源左衛門も笑った。
最近の若様らしい答えだった。
◇◇◇
翌朝。
宗春は桟橋で海を見ていた。
そこへ悠真がやってくる。
「九条宗春」
「はい」
振り返る。
「相良家で働く気はあるか」
一瞬。
宗春の目が見開いた。
そして。
ゆっくり笑う。
「あります」
迷いはなかった。
「給金は安いぞ」
「構いません」
「仕事は多いし、課題は山ずみだぞ」
「むしろ歓迎ですな」
「面倒事も多い」
「わかっていますよ」
宗春は深く頭を下げた。
「これからよろしくお願いしますよ」
こうして。
相良家に新たな家臣が加わった。
真壁楓。
九条宗春。
少しずつ人材が集まり始める。
弱小領地だった相良家は、確実に変わり始めていた。
だが。
その頃。
東方の朝倉家では。
「九条宗春が見つかっただと」
朝倉義康が報告書を握り潰していた。
その顔には怒りが浮かんでいる。
「よりにもよって相良か」
宗春はただの学者ではない。
朝倉家でも特別な存在だった。
しかし変わり者ゆえにその扱いの難しさ。
だからこそ追放した。
「放っておけんな」
義康の目が細くなる。
龍哭平原の敗北。
黒峰との同盟。
そして九条宗春。
相良家は確実に朝倉家の障害になりつつあった。
新たな火種が生まれる。




