第十七話 帰還
黒峰城を発ったのは、それから二日後だった。
龍哭平原の戦いは終わった。
黒峰家は勝利し、朝倉家は撤退した。
同盟も結ばれた。
五百両もの資金も得た。
さらに忍びの真壁楓まで加わった。
成果だけを見れば大成功である。
だが。
「やっと帰れる……」
悠真は馬上で心底安堵していた。
戦場はもう十分だった。
内政領主に戦国の最前線は刺激が強すぎる。
「若様は戦がお嫌いですか」
隣を進む楓が尋ねる。
黒峰家から正式に相良家へ仕えることになった少女だ。
黒髪を後ろで束ね、旅装束に身を包んでいる。
「嫌いだな」
即答だった。
楓が少し驚く。
「武士らしくありませんね」
「元から武士らしくないだろ」
「それはそうですね」
楓が小さく笑った。
失礼である。
だが否定できなかった。
「戦で勝っても人が死ぬ」
悠真は空を見上げる。
「できればやりたくない」
龍哭平原で見た光景が頭に残っていた。
倒れる兵。
響く悲鳴。
流れる血。
勝った側ですら多くの死者が出た。
あれを何度も経験したいとは思わない。
楓はしばらく黙っていた。
やがて静かに言う。
「変わった殿様です」
「よく言われる」
「でも」
楓は少しだけ微笑んだ。
「嫌いではありません」
二度目だった。
どうやら本当にそう思っているらしい。
◇◇◇
数日後。
相良領。
城下町。
「若様だ!」
誰かが叫んだ。
次の瞬間。
歓声が上がる。
悠真は目を丸くした。
人が集まってくる。
農民。
商人。
職人。
子供たち。
以前なら考えられない光景だった。
「お帰りなさい!」
「戦に勝ったそうですね!」
「黒峰様と同盟を結んだとか!」
噂が広がっている。
恐ろしく早い。
戦国時代なのに情報伝達速度がおかしい。
「若様!」
その時。
人混みを掻き分けて一人の老人が現れた。
源左衛門だった。
「ご無事で!」
「何とかな」
老人は目を潤ませる。
「本当に……本当に……」
悠真は苦笑した。
そこまで心配されるとは思っていなかった。
「土産もあるぞ」
そう言って五百両の入った箱を見せる。
源左衛門が固まった。
「ご……」
「ごひゃ?」
「五百両!?」
周囲も騒然となる。
当然だった。
相良家にとっては大金である。
「しばらく資金繰りは楽になる」
「若様!」
源左衛門が泣きそうになっている。
財政担当としては感動ものらしい。
◇◇◇
帰城したその日の夕方。
評定の間。
重臣たちが集められていた。
久しぶりの正式な評定である。
「まず報告だ」
悠真が口を開く。
「黒峰家との同盟が成立した」
ざわめきが起こる。
何度聞いても信じられない話だった。
黒峰家。
十五万石。
相良家の何倍もの大勢力。
その同盟相手になったのだ。
「さらに」
悠真は続ける。
「交易路の共同利用も決まった」
「おお……」
「食糧支援も受けられる」
今度は歓声が上がる。
飢饉対策として大きすぎる成果だった。
山内など感動で震えている。
「そして」
悠真は地図を広げた。
「次の改革を始める」
全員の表情が引き締まる。
ここからが本題だった。
「街道整備は順調です」
山内が報告する。
「農地も徐々に増えております」
「なら次だ」
悠真は地図の南部を指差した。
海に近い地域。
「港を作る」
沈黙。
全員が固まった。
「港?」
源左衛門が聞き返す。
「そうだ」
「しかし若様」
「我が領には大きな港など……」
「だから作る」
簡単に言う。
だが重臣たちは頭を抱えた。
港建設。
とんでもない事業である。
金も人も必要だ。
「交易路だけでは足りない」
悠真は言う。
「海と繋がればさらに人と物が集まる」
前世の知識だった。
物流の要は交通。
陸だけより海も使えた方が圧倒的に強い。
「金はある」
五百両。
黒峰家からの褒美。
「人もいる」
元盗賊たち。
集まった領民たち。
「今しかない」
評定の間が静かになる。
また始まるのだ。
若様の改革が。
だが。
誰も反対しなかった。
今まで全て成功してきた。
税の引き下げ。
街道整備。
同盟締結。
結果を出している。
なら信じるしかない。
「承知いたしました」
源左衛門が頭を下げる。
他の重臣たちも続く。
「若様の命に従います」
悠真は頷いた。
第二段階。
相良改革は次の局面へ進む。
◇◇◇
その夜。
真壁楓は城の屋根に座っていた。
忍びの習性だった。
高い場所は落ち着く。
月を見上げる。
そして思い出す。
黒峰宗景の言葉を。
『あの若造を見てこい』
『きっと面白いものが見られる』
最初は意味が分からなかった。
だが今なら少し分かる。
普通の領主なら戦の話をする。
兵の話をする。
領土の話をする。
だが相良悠真は違う。
民。
商人。
港。
そんな話ばかりしている。
「変な人ですね」
誰もいない夜空へ呟く。
だが。
その口元には小さな笑みが浮かんでいた。
そして遠く東方。
敗北した朝倉家でもまた、新たな動きが始まろうとしていた。
戦は終わった。
だが乱世は続く。
次に動くのは誰なのか。
その答えは、まだ誰にも分からなかった。




