第36話:恒一の過去と能力の理由
「聞く」
拓海は意を決したような顔で、恒一を正面から見る。
「そんな、大した話じゃないから。緊張するなよ」
「そりゃ、するだろ……いろいろありすぎて、次に何が出てくるか」
恒一は思わず苦笑する。
「本当に大した話じゃないぞ。少なくとも俺のいた環境では、当たり前のことばっかりだ」
拓海は真剣な顔でじっと聞いている。
恒一は穏やかな気持ちで、ゆっくりと話しだした。
須々木家は、父と母と恒一の3人家族だった。
普通に仲のいい家族で、いろいろ遊びに行った楽しい記憶がある。
しかし、恒一が9歳の頃、両親が亡くなった。
両親の棺の前で泣きじゃくる恒一の側で、今まで会ったこともない親戚が話をしていた。
「うちは、子供が2人もいるから……」
「うちだって、家が狭くて」
子供なりに、自分が厄介者になったことがわかった。
だけど、子供だったから、何もできないのもわかっていた。
「でも、生命保険が……」
ゾワ、と背筋が冷たくなる。
気持ちの悪い何かに、吐き気がした。
「う、うげっ、げえっ」
我慢しきれずに嘔吐してしまった。
その途端、気持ちの悪いものが、嬉しそうに気持ちの悪い笑みを浮かべるのを感じた。
「きゃっ、なに、汚い」
「まあまあ、子供だから、緊張したんだろう。おいで、坊主、綺麗にしてやろう」
気持ち悪いものの気配が一層強くなった。
「ああ、怖がらなくていいよ。おじさんは、お父さんの弟だよ」
思わず見上げた男は、俺を見て歪んだ顔で笑った。
声は普通なのに、笑顔なのに、心が凍りつきそうだった。
葬儀のあと、おれは父の弟だという男性の家庭に引き取られた。
保険金目当てだと、誰の目にも明らかだった。
ただ、救いはあった。
父の学生時代からの友人だという弁護士が、両親の残してくれた財産と保険金を守ってくれた。
引き取られてすぐの頃、叔父は優しかった。
俺を引き取れば、金を好きにできると思い込んでいたんだろう。しかし、金が手に入らないとわかった途端、態度を豹変させた。
体裁が悪いと思ったのか、すぐに追い出されることはなかった。しかし、傷が残るような暴力こそなかったが、風呂には入れず、飯も抜かれた。一言でも話せば、数倍の罵倒が返ってきた。金にならない甥っ子は、精神的なサンドバッグにされた。
汚い子供は学校でも虐められたが、給食が生命線だった。
両親のいた暖かな家を思い出して、恒一は夜中に一人、こっそりと泣いた。虐められるのは我慢できた。ただ、寂しさだけは、どうしようもなかった。
そんな日々を送る中、恒一はあることに気がついた。
気持ちの悪いものが、ひどく気持ち悪い時と、まだマシな時がある。
すごく気持ち悪い時はダメだ。何をやっても傷つけられる。でも、マシな時はご飯をくれたり、お菓子をくれたりする。
そこで、恒一は相手を観察することにした。
すごく気持ち悪い時は、どうして気持ち悪く感じるのか。見極めようと思ったからだ。
気持ち悪いものは、叔父の近くにいる時と、いない時がある。いない時は叔父の機嫌が良かった。
どうやら叔父は賭け事をしているようだった。
負けた時は気持ち悪いものが近くにいて、勝った時はいない。さすがに直接聞くわけにはいかないので、どれだけ正確かはわからない。
そして、弱点もわかってきた。気持ち悪いものは、警察と借金取りが嫌いらしかった。
督促状が届くと、しばらくは消えている。
恒一は気持ち悪いものの側には近寄らなかった。単純に気持ち悪いからだ。
ドロドロとした赤黒いアメーバみたいで、いつも何かを飲み込もうとしている。時に奥さん、俺の従兄弟だという小学生にまで、アメーバはへばりついていた。
ずっと観察していると、アメーバに何か、感情のようなものがあるのに気付いた。
遠くからじっと見つめていると、ゾワッとした気持ち悪さと同時に、イメージが頭に広がった。
――お金、好き、欲しい……興奮する、たくさん、欲しい……
不快な、感情というには明らかに異質なものだった。
だが、それでも役には立った。遠くから気配を読んで、本当にヤバそうな時には逃げることができるようになった。
そういう時は家を抜け出して、公園で一晩過ごす方が何倍もマシだった。
夏休みのある日。学校がないことで給食にありつけず、俺はさすがに衰弱してしまっていた。その日は運悪く叔父に気持ち悪いものがくっついて、まるで同化しているようだった。
その時、俺はついに殴られたらしい。その辺りの記憶がない。
それから、俺は児童養護施設に行くことになった。
叔父夫妻は逮捕されたそうだが、詳しいことは教えてもらえなかった。
「ってことが、昔あってね」
「……ぐずっ、すんっ」
恒一の話を聞いて、拓海の目が真っ赤になっている。
「ああもう、泣くなよ。昔の話なんだし」
「グスッ、泣いてない……けど、旅人、辛かっただろ」
これ以上ないぐらいに同情されて、その濁りのなさが伝わってくる。
(やっぱりすごく真っ直ぐだ)
「……たぶん、辛かったんだと思うけど、昔のことだから。それに、施設でもいろいろあってさ」
「まだあるの?」
拓海がギョッとした顔をする。
「うん、ある。その施設は年齢の近い子が何人もいてさ」
経済的理由で親と暮らせない子、虐待などの理由で保護者から離された子、親の死去で身寄りがなくてやってきた子。
「全員、それなりに訳アリだったんだ。施設の人は優しかったけど、そんな子どもたちひとりひとりに寄り添うなんて難しいだろ。ほら、施設の人にも家族があるしさ」
共同生活する場所には、諦めと寂しさが染み付いていた。
それは何十年も、何百人分も積み重なり、澱みとなっていた。
ただでさえ不安定な精神状態の子供が、その澱みに侵食されるのは当然だった。
「学校に通っても浮くんだ。なんか独特の雰囲気があって友達なんかできない。自然、施設の連中と一緒にいることになる。――あ、俺は違うよ。学校に友達いっぱいできたよ」
言葉の通じない気持ち悪いものや、自分に悪意しか持っていない相手の感情を読むのに比べたら、それは笑えるぐらいに簡単だった。
「気に食わないって思われてるだけなら平気。こっちから近付かなきゃいいだけだから。それ以外の人が『何かをして欲しい』と思った時に、自分ができることならやる。それだけで、印象って良くなるんだ」
そうやって、少しずつ周りに友達ができた。現金なもので、友達が多くなると悪感情を向けてくるヤツも減っていった。中にはずっと『嫌い』という感情が抜けないヤツもいたけど、そういう相手とは接触しないようにしていれば、特に問題は起きなかった。
ただ、学校が終わり、施設に戻ると空気が一変した。
ヤバいヤツだらけだったからだ。
――嫌い、憎い、死ね、クソ教師、クソ職員
――死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……滅びちまえ、死ね、死ね……
黒く澱んだ感情がマグマのように、彼らの腹の奥に溜まっている。
こういう相手に対処する方法を恒一は持っていなかった。だから避けた。
――狭い
――臭い
――まずい
――うるさい
――偽善者
ことあるごとに、施設や職員への不満が伝わってくる。
恒一からすれば、施設の環境は天国のようだった。
栄養を得るための食事は、1日3回、きっちりと出される。施設に来た時は、骨と皮だけだったのに、すっかり健康的になった。罵詈雑言を浴びせられることもない。暴力も振るわれない。両親と死別してから初めて、安心して眠ることが出来た。
だけど、恒一以外の子どもたちは違った。
毎日毎日、少しずつ鬱屈した不満が堆積していく。
凶暴な感情がいつも表層にあって、それが時々火を噴いた。その奥にやるせない悲しみや寂しさがあったとしても、恒一には手が出せなかった。
だけど。
――みじめだ……
――寂しい……
――誰もわかってくれない……
澱みがあっても、それが怒りとなって出てこない子もいる。
恒一は、そういう子供たちと寄り添い、施設での生活を乗り切った。
そして18歳になったと同時に施設を出て、一人暮らしを始めた。
「父の友人だった弁護士さんが本当に良い人でね。9歳だよ? お金のことなんか何もわかってなかったから、いくらでも誤魔化せたのに」
恒一が施設を出る時に、弁護士はきっちりと明細をつけて両親が残してくれた財産を渡してくれた。
そのお陰で大学へ進学も出来た。
「高校と大学の友人は、俺が孤児で施設育ちってことは知らない。まあ、高校では気付いてたヤツもいるだろうけど。金持ってなかったし、門限とかあったし」
ふう、と恒一は息を吐く。
「…………」
拓海は話を聞きながら、ずっと無言だ。
「誰にも言わなかったのは、余計な神経使わせたくなかったってのと、……ちょっとスピリチュアルすぎる話だろ?」
へらっと笑って見せると、拓海が顔を上げた。
「……俺も“視える”のか?」
拓海の声に、ピクッと肩が揺れる。
「うん」
恒一は拓海を“視た”。
――驚き、不安、
「ごめん。やっぱ気持ち悪いよな」
(でも、先客には聞いて欲しかったんだ)
施設育ちを伝えたところで差別するような友達はいない。
それでも、感情が読めると伝えたら、困惑してしまうだろう。
でも、先客はあの村での出来事を知っている。
“正しく”俺の能力を理解できる。
「いや、気持ち悪くは……」
「無理しなくていいって」
怪異ならともかく、自分の感情を他人に知られるなんて、嫌に決まってる。
「その、……どこまで読めるんだ?」
「どこまで、って?」
恒一は質問の意図がわからなくて、首を傾げる。
本気で、何を聞かれているのかわからない。
(エロいことに決まってるだろーーーーーーーっっっ!!!)
拓海は心の中で叫んだ。
「わっ、俺、怒らせるようなこと言った?」
恒一は驚いて、拓海の方に体を寄せる。
「い、いや、俺の考えてること、全部、わかんのかなって……」
拓海が困ったように顔を背けた。
「それは無理。そりゃあ、メチャクチャ集中すれば、少しは言葉として伝わってくることもあるけど……」
「じゃあ」
どこまで、が、どの程度、という意味だと理解して、恒一は説明した。
「思考そのものは読めないけど、強い感情は流れてくるかな」
(そうじゃなくってーーーーっ!!)
拓海は心でツッコミを入れつつ、とりあえずはホッとした。
(やべぇやべぇ、心の中とか知られたら、俺がどんだけ低俗なのかバレるって)
心を落ち着かせつつ、拓海は恒一の言葉の意味を考える。
旅人はあの村へ『呼ばれて』来たと言っていた。
あの黒い靄の怪異や、その奥にいた巫女の魂とも意思疎通して、さらには解放さえしてみせた。
それが、旅人の能力なんだとしたら、恐ろしい能力だ。霊媒師となった今ならわかる。
(でも、思考そのものは読めないってことは、さっきから話を聞きながら、じわじわ距離近付いてたのとか、頭小せぇとか、よく見ると可愛い顔してんな、とか、触りてーとか、チューしてーとか……バレてないってことだよな???)
自分の低俗さが情けなくなってくる。
旅人の辛い少年時代の話を聞きながら、何を考えてるんだ、俺は。
(でも、11年だぞ!? なんかもう、混乱したって仕方ねーだろ……!)
「?? 先客、なんか……」
「え、なに!」
「ピンクっぽい? え、なんだろ、これ」
「やめてえっ!」
煩悩が恒一にどう感じ取られるのかを、拓海は具体的に理解した。
思わず叫んでから、手で顔を覆った。




