第33話:日本都市基盤研究所
眠る拓海をタクシーに乗せ、龍二とともに恒一が向かったのは、光佑が所属しているという綾操家の会社施設だった。
(これが、事務所???)
真新しく綺麗な10階建てぐらいのビルだ。緑地帯も設けられ、普通の会社が入るビルに見える。タクシーは敷地内にある車寄せに停車した。
銘板に書かれた会社名は、恒一も名前を知っている企業だった。
建物に入る前から、神聖な気配がする。
(日本都市基盤研究所……って、確か一般公募してない優良企業だったはず)
「よし、そっち持ってくれ」
2人で、拓海の体を抱えてビル内に入る。
龍二が受付に向かって「っす」と軽く頭を下げると、品の良さそうな女性が会釈した。こういうことは良くあるのだろうか、特に動揺する様子は見えない。
シンプルだが、高級そうなエントランスを抜け、エレベーターに向かう。
「本当に起きないですね……」
「ああ、こいつ、ガス欠になったら、まず起きねーよ」
龍二はこんな状態の拓海に慣れているのか、平然とした様子でエレベーターに乗り込み5階のボタンを押す。
(やっぱり、危ない仕事だよな……いくら俺を探すためだったからって、こんなの……)
チン、と軽い音がして、扉が開く。
エレベーターホールから左右に続く廊下には絨毯が敷かれ、同じ色のドアが並んでいる。
龍二の指示で向かった扉を開け、そこにあったベッドに拓海を寝かせた。
「ふう……」
シンプルで清潔な室内はホテルのツインルームのようだった。
……ただ、どこか落ち着かない。
「あー、腹減った! あんたは? なんか食う?」
「あ、俺は……」
いらないと言おうとして、空腹に気付いた。
朝に駅で食べたパンが最後だったのを思い出す。
(食べといた方がいいか)
先客はすぐに目覚めそうにない。だが、自宅に帰る気にはなれない。
とにかく今は側にいたかった。
考えていると、目の前に濃紺のファイルが差し出された。
「無料の食堂もあるけど、ここの方がいいだろ。ルームサービスもタダだぜ!」
「ありがとうございます」
手渡されたメニュー表を見る。かなりの種類がある。
「俺のオススメはこれだな。松阪牛のステーキ重。肉汁がヤバイ」
「いくらするんですか……」
「だから、タダだって!」
「だからって頼めませんよ……」
とりあえず、サンドイッチを選ぶと、龍二が注文を入れてくれた。
「俺、風呂に入ってくるぜ。悪いけど飯が来たら、受け取っておいてくれよ」
そう言って、龍二はさっさと備え付けのバスルームへと消えた。
「はあ……」
室内に響くシャワー音。
ここに来て、急に一人になってしまった。
恒一は改めて室内を眺めながら、一人掛けのソファに腰掛けた。
「今日は、いろいろあったな……本当に……」
座った途端、全身の力が抜けた。
村で味わった恐怖を思えば、大したことはない。それは、側に光佑や暴風がいたからだ。
しかし、客観的に考えてみると……
(ひょっとして、あの時より大変なことに巻き込まれてないか……?)
霊感はあったから、“そういうもの”がいることは知っていた。だから、厄介そうな場所には近づかないようにしてきた。
不可抗力で村に迷い込んだ時も、恐怖はあったが、受け止めることはできた。
(けど、本物の霊媒師がいるなんて、知らなかった)
そうと知っていたら、先客を探すために相談していただろう。
光佑は、怪異が言葉を交わし、助けてくれたことに驚いていた。しかし、恒一にとっては霊媒師という存在こそが驚きだった。
それまで、占いや霊感商法と同じようなものだと思っていた。大学でスピリチュアル好きな女友達が『前世占い』や『守護霊診断』なんかにハマっていたが、眉唾ものとしか思っていなかった。
もちろん、一番驚いたのは、先客との時間のズレだ。
(探していた先客が、霊媒師になってるなんて……)
11年という時間の重さを感じる。
いまだに信じきれない。けれど、その証拠が目の前で眠っている。
(あの時、17歳だったから、今は28歳か……? すっかり年上になっちまったな)
閉じた目元に疲労が滲んでいる。
少年の丸みを消した、精悍な年上の男性だ。
元が美少女と見間違えるほどだっただけに、大人になっても凄みのある美形だ。
それに、顔だけじゃない。身長だって自分よりずっと高くて、逞しい。
(あんなに泣き虫だったのに、……怪異に立ち向かっているなんて)
恒一にとっては1年前のことも、拓海にとっては11年前。
そのズレの間に、何があったかなんて想像もつかない。
(でも、生きててくれて、……本当に良かった)
寝顔をじっと見つめていると、じわっと目元が潤んでくる。
シャワーの音だけが響く中、目の前の現実を見つめていた。
「お、メシメシ」
タオルを腰に巻いただけの格好で龍二が戻ってきた。
(すごい筋肉! しかも、傷だらけ……)
思わずまじまじと見てしまったら、視線に気付いた龍二が苦笑する。
「これは昔の喧嘩傷だ。仕事じゃ滅多にヘマはしねーよ」
備え付けのクローゼットから部屋着を取り出してさっさと着ると、龍二は料理の置かれたテーブル前のソファに座った。
「あーマジで腹減った。メシも食わずに、ずっと戦ってたからな」
龍二はお重の蓋を開けると、豪快に肉と白米にかぶりついた。
恒一も皿に盛られたサンドイッチを口にする。かなり上品な味だ。
しばらく互いに無言で食べていたが、恒一は思い切って話しかけた。
「あの、山田さんは……」
「龍二でいいぜ。拓海もそう呼んでる」
「じゃあ、……龍二さんは、拓海……くん、の同僚なんですよね?」
龍二が眉を寄せる。
「……当人同士の問題だから、クチ出すことじゃねーとは思うけどよ。年上に『くん』づけはどうかと思うぜ?」
「……ああ、すみません」
(呼び捨てだと誤解されると思ったからなんだけど……たしかに、『くん』はおかしかったな)
「……拓海さんは、ずっとこんな仕事を?」
「本業じゃねえよ。俺もだが、基本は会社員。こっちはバイトだ」
(霊媒師のバイトってあるんだ……)
龍二がミネラルウォーターの水をがぶがぶと飲んで、ふいーと息をついた。
「あの、俺に聞きたいことがあるんじゃないんですか?」
「ああ、まあ……でもなあ」
龍二が言葉を濁す。
おそらくいろいろと勘違いされている。
先客があらぬ誤解を受ける前に、わかってることだけでも伝えようと思った。
「その、俺も光佑さんに聞いたばっかで、完全に理解してるとは言えないんですけど。俺、霧守村から帰ってきて、まだ1年ほどなんです」
「うん?」
龍二が肉を豪快に口に運びながら、目を向けてくる。
「ようするに。1年前に俺が出会った拓海さんは17歳だったんです」
「…………」
言葉の意味を理解しようと、龍二はもぐもぐと咀嚼しながら考えている。
「その時の俺は21歳でした。だから、小学生じゃありません」
一番気になっているだろうことを先に言っておく。
龍二は再び水を含み、ごっくん、と飲み込んだ。
「……まあ、犯罪じゃなかったんなら、どーでもいい」
「いいんですか?」
思わず突っ込んでしまったが、龍二は平然と答える。
「良いも悪いも、起こったことは、そういうもんだと思うしかねーだろ。こっちの仕事してっと、考えたってわかんねーことだらけなんだぞ? 金払いが悪かったら、ぜってーやらねー」
「お金……ですか」
「おう」
龍二は残り少なくなったお重の中身を平らげると、さっさともう一つあるベッドに向かった。
「疲れたから寝る」
「あ、はい」
龍二はベッドに潜り込むと、すぐに寝息を立て始めた。
(早い……俺も先客のことが知りたかったんだけどな)
とはいえ、疲れ切っている龍二にそんなことは言えない。
先客が目覚めれば、その時に本人の口から聞けばいいんだから。
恒一は残ったサンドイッチを食べ切ってから、部屋の照明を落とした。
僅かな間接照明の灯りだけが部屋を照らす。
恒一はソファにもたれて、楽なポジションを探す。
ベッドは2つだけ。
ソファで休むのに異論はない。
(それに、この位置からだと、先客の様子がよく見える)
少しでも休もうと、瞼を閉じた。




