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第31話:苦戦、疲労。あの人の幻影

 

「拓海っ! どこ見てんだっ!」

 

 龍二の怒鳴り声が聞こえる。

 

「うっせーなっ! わかってる!」

 

 足元がふらつく。

 この程度の怪異に、遅れを取るなんて不甲斐ない。

 

「うるああああっ!」

 

 バキンッ!と小気味いい“音”がする。

 

――クオオオォォ……

 

 怪異が弾け飛ぶ感触に、龍二が叫ぶ。 

 

「ヨシッ、手応えアリッ!」

 

 龍二は絶好調のようだ。

 こういう敵が相手の時は“視えない”龍二が羨ましくもある。

 

「拓海っ! 次はどこだっ」

「この道7メートル先! 電柱影!」

「ヨッシャ!」

 

 バキンッ、バキンッ!

  

 鼓膜を震わせない音を感じながら、拓海は額から伝い落ちる汗を拭う。

 

「レベル低い癖に、小器用なもんだ……」

 

 ゆらゆらとさっきから、消しても消しても浮かんでくる幻覚。

 弱い怪異だからこそ、最小限の労力で逃れようとしているんだろう。その証拠に攻撃はしてこない。

 

「弱いなら弱いで、大人しくしてろって……!」

 

 名もなき怪異。小動物の生気を少し吸う程度の雑魚。

 人間に影響すら与えられない程度の存在だ。

 

 普段なら気に留めることもない程度のそれが、何かの要因で群れて力を持った。

 本来なら、この地域を担当している本職の霊媒師が対応するが、たまたま別の場所で大物が現れたらしく、そっちに出払っていた。

 龍二が砕いて、俺が祓えばそれで終わり。

 だから、龍二が持ち込んできた“バイト”に乗った。片手間で終わる仕事。

 

 そのはずだったのだが。

 想像していたより遥かに多くの怪異が、先発隊の張った結界の中で渦巻いていた。

 

 今思えば、それでもまだ最初は対処できる数だった。龍二と交代で休憩する余裕もあった。しかし、なかなか全滅させることができなくて、気づくと朝日を拝んでいた。

 その時点で怪異の数はだいぶ減っていたし、手持ちの呪符が心許なくなっていた。だから、補給も兼ねて一旦休憩所へと退いた。

 

 仮眠を取り、呪符も補填して、さて仕上げだと再度向かった現場は、昨晩の比じゃないほどに怪異で溢れかえっていた。それだけじゃない。空間から滲み出るように現れる怪異は、結界の外からも出現し始めていた。

 

 いくら雑魚だと言っても、幻覚を見せる能力がある。それが大量に溢れたら、何も見えない一般人に、軽微じゃ済まない精神的な影響が出るだろう。

 

 対怪異用に張ってある結界を確認すると、効果は持続していた。となると、先に外に溢れた怪異を始末することを優先することにした。

 

 一時撤退して体力を温存したのは正解だったかもしれない。

 別の現場もまだ収まっていないらしく応援は望めない。

 

 

 

 そうして怪異を祓い続けて、約8時間。

 拓海と龍二の戦いは、二度目の夜を迎えようとしていた。

 

「くっそ、手間掛けさせんじゃねーよっ」

 

 なけなしの破魔札を放ち、怪異を切り裂く。しかし、表層にいた個体が千切れて霧散しただけだった。

 実体を持たないはずの怪異が固まって身を守ろうとしているのを肌感覚で感じながら、何度も何度も繰り返す。呪符を挟む指先が、疲労に震えている。

  

「くそっ、」

 

 もう一度、破魔札に霊力を籠める。

 ここまで連続して力を使ったのは久しぶりだ。霊力を練るたびに、脳味噌を直接針で刺されるような頭痛が走る。

 

 細かく飛び散る怪異の欠片に、注意を払う余裕はない。

 それが空中に漂い、気付かぬうちに、呼吸に混ざるように広がっていく。

 

――先客……

 

 どこから聞こえたのか、わからない。

 

 ぼんやりとしたシルエットが、段々とはっきりしてくる。

 周囲の風景がぼやけていく。

 

 現実との境があいまいになっていく。

 

 

「あーーっ! 次から次と……っ、キリがねぇ!」

 

 拓海は幻覚を振り払うように、直接攻撃に切り替える。

 

 両手に霊力を込め、両手を合わせ圧縮させる。

 そして左手をスライドさせ、右手の手刀に這わせて尖らせた。

 

「切り裂けっ!」

 

 一閃。

 

 眩い光が闇を切り裂いた。

 一瞬の、完全な空白。

 

 すぐに爆ぜるような連続音と共に視界が開け、周辺の怪異が蒸散する。

 ぽっかりと空いた空間を、夜の冷たい風が通り抜けた。

 

「はぁっ、はぁっ」

 

 符を使うより、霊力の消費は激しいが、少し頭がスッキリした。

 

「おお、やったか?」

 

 気配の読めない龍二でも、拓海の動きからわかる。

 拓海が攻撃したであろう場所を避けて、肉体の感触のみを頼りに、怪異をひとつずつ潰していく。

 

「いや、そこの一角だけだ……そこを足場にして周囲を散らしたいんだが……分厚い」

 

 周囲の空気は変わらず、ねっとりと重い。

 制服に編み込まれた守護の呪法は効いているはずなのに、まるで泥中にいるかのように、体の動きを鈍らせてくる。

 

「俺が殴ろうか?」

 

 パンッ、パチンッ、と軽快な音を鳴らしながら、龍二が近付いてきた。

 体力的には疲れてはいるだろうが、霊力に頼らない分、まだまだ余裕がありそうだ。

 

「お前、“目”を使えよ。それじゃあ、的に当たらないだろ」

「イヤだ。高い」

 

 龍二が軽い調子で怪異退治に付き合っているのは、効率よく稼げるからだ。

 ――とはいえ、最初からこうだったわけではない。

 

 元々、貧乏な大家族育ちの龍二は、金の大事さが身に染みてわかっている。それは経済的に余裕ができた今も同じで、稼ぐための努力を厭わない。

 ちなみに“目”というのは、霊力がない者でも霊的存在を見えるようにする術のことだ。龍二の場合は呪符を用いる。これをケチっているのだ。出来高制なので、高価な呪符を使うとコスパが悪いそうだ。

 

 龍二は霊能力そのものは弱い。視ることも感じることもない。だが、攻撃は通じる。

 そのことに気付いたのは拓海だった。

 

 きっかけは大学時代。龍二と会っている最中に弱い怪異と出くわした。

 当時からアルバイトとして祓いの仕事をしていた拓海は、龍二に気付かれないように怪異を祓おうとした。しかし、長年の付き合いで拓海の様子の変化に勘づいた龍二は、当然のように首を突っ込んできた。怪異は拓海から逃げるために龍二の影に隠れようとした。反射的に「後ろ!」と叫んだ拓海の声に、龍二は背後へ裏拳を繰り出した。そして、見事にヒットし、怪異は飛び散った。

 見えない。気配もない。

 それでも、確かに“何かを殴った”という手応えがあった。

 そんな異様な感覚の正体を、龍二は拓海にしつこく尋ねた。

 

 霊力のない人間には秘匿するという掟を破り、拓海は龍二に霊媒師バイトの内容を打ち明けた。バイト代の金額を聞いた龍二の目の色が変わった。

 そして、龍二は拓海の推薦で霊媒師(霊障管理士)の試験を受けた。結果、攻撃力は目を見張るものがあったが、霊障管理士となるには必須の、怪異を“視る”、“感じる”能力がほぼ一般人並だったため、不適格となった。

 しかし、霊媒師は万年人手不足だ。龍二の霊力に見合わないほど異常な攻撃力は惜しかったらしい。

 特例として、「八位階はちいかい以上の者の同行があること」という限定つきの資格を龍二は手に入れた。

 

 龍二が喧嘩に強かったのは、肉体と同時に相手の霊体を殴っていたからだと、拓海は確信している。

 

「とはいえ、さすがに疲れてきたな……」

 

 体力馬鹿の龍二もさすがに疲労の色が濃い。

 一方、拓海の方は、もう随分前から限界を感じている。喉が焼けるように乾いて、視界の端が暗い。

 

「そりゃそうだろ」

「ちっとも減ってる気がしねーな。段々と厚みが増してる気がするしよ……」

 

 霊力が少ないからこそ、霊力に頼らない戦い方ができる。霊的感度が低いから幻覚に惑わされることもない。

 とはいえ、小さい怪異たちは、減るどころか空間から染み出すようにどんどんと数を増やしている。さっき拓海が蹴散らして作った空間も既に埋まろうとしている。

 

「応援呼んだ方がよくねーか?」

「状況は報告してあるんだけどな。あっちはあっちでデカいのが出て苦戦中だとさ」

 

 パン、ブシュ、パンッ、と音を立てながら、龍二が近付いてくる。

 

「一時撤退すっか? 周りの結界は効いてんだろ?」

「そうだな……」

「いくらになんだろうなー」

 

 能天気な言葉に呆れるほどの余裕はなく、警戒しつつ周囲に目を向けると、結界の範囲外では普通に人が通行している。

 外から見ると、結界内部も同じように普段の光景が見えているはずだ。

 市街地など、人口の多い場所で使われる結界だ。「なんとなく、その方向へ行きたくない」と思わせることで人払いをする。

 中で働いている霊媒師は「見えているけど、見えていない状態」だ。

 便利ではあるけど、かなり高度な術だ。都会では必須の呪符なだけに、この術を書ける霊媒師は、これにかかりっきりになるらしい。

 

「一時、撤収、っと」

 

 アプリに入力して、撤収しようと龍二を見た。

 その背後に、滲み出る広範囲の怪異たち。一目で尋常じゃない量だとわかる。

 

「龍二、こっちに来い! 後ろ、数がヤバい!」

「チッ」

 

 龍二は急いで拓海の近くに走ってきた。そのあとすぐに、怪異が大量に雪崩こんできた。

 

 ドドドドドッ!!

 ぼろぼろぼろ……

 

 その様子は、パンパンに膨らんだビニール袋が裂けて、中から黒いタピオカが一気に溢れたように見えた。

 結界の外にまで溢れ出しそうで、咄嗟に拓海は最大の霊力を人通りに近い怪異たちに向けた。

 

「クソっ! 吹き、飛べっ!」

 

 ボッ!と霊力の光が弾けた。

 同時にかなりの数の怪異が消し飛んだ。

 

「やったか!?」

「いや、焼け石に水だ……っ!」

 

 何とか人の流れに向かうことは避けられたが、怪異がなおもボロボロと溢れてきている。

 それを何度か霊力を放って弾くが、キリがない。

 

「これ、やっぱ異常だろ……」

「俺じゃ潰せないのか?」

 

 龍二が足元の感覚だけで怪異を踏み潰しながら、拓海の指示を待つ。

 独断専行が目立つ龍二だが、ここぞという時には拓海に確認を取ってくる。勝負勘だと思うが、ただの無鉄砲ではない。

 この二人だけの現場では、責任者は拓海なのだ。

 

「……無理だな。ここで俺たちが踏ん張っても仕方ない」

 

 拓海は冷静な判断を下す。

 

 ――無理そうなら逃げろ。

 耳にタコが出来るほど言い聞かされた鉄則だ。

 

「いったん離れて応援を待つ……」

 

 グラリ、と体が傾いだ。

 足に力が入らないことに、その時初めて気付いた。

 

(え……?)

 

 まずい、と思った時にはもう遅かった。

 力が入らない。

 受け身すら取れずに、拓海はそのまま地面に倒れ込んだ。

 

「おいっ!? いきなりどうしたっ!?」

 

 龍二の声が聞こえるが、返事もできない。

 

(ヤバい……まさか、霊力枯渇……? クソ、限界を見誤ったか……)

 

――先客……

 

 どこか遠くで、誰かの声がした気がした。

 

「あ……」

 

――先客……

 

 ぼんやりと、人影が浮かび上がってくる。

 

(こんな時に、怪異の幻覚か……)

 

 この11年あまり、何度見てきたかわからない夢。

 もうその姿も、記憶も朧げになってしまったのに、どうして怪異は俺に見せるのか。

 

 あまりに切なくて、普段はできるだけ考えないようにしているのに。こういう時に不意に顔を出す。懐かしくて愛しい人の幻。

 

「拓海っ! おいっ、結界から出るぞっ!」

 

 龍二が体を引きずって脱出しようとしてくれているのはわかった。

 だけど、俺は目の前の幻に心を預けた。

 

 

 

 

 

 

 

 ゴゴゴ、プシュ、ゴゴゴ……

 

 ああ、ここはバスの中だ。

 ゆっくり目を開くと、隣で眠る旅人の姿がある。

 

 そうだ。俺たち、あの村から脱出できたんだ……

 長い長い悪夢のようなあの場所から。失った記憶を取り戻して。

 

 それもこれも、この男のお陰だ。

 

(こんな顔だったっけ)

 

 俯き気味に瞼を閉じる横顔は、若さ特有の張りがある。

 派手ではないが、目立つ欠点もない。不思議と目に馴染む顔立ちだと思う。

 

(なんか、ホッとするなぁ)

 

 夢なら覚めないで欲しい。もう現実に打ちのめされるのは苦しい。

 諦めて、慣れて、それでも未練がましく夢見てしまうほどに、会いたい。

 

 温度のない手を握りしめて、瞼を閉じた。

 それでも、その感触は妙に優しかった。

 

 だからこそ、離したくなかった。

 


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